ほっぺパパとほっぺのもとに初めて小さな命がやってきた。
もう うれしくてたまらなかった。
でも。。。その喜びは長く続かなかった。
そろそろ心音が聞けるはずの妊娠2ヶ月に入る頃 心音を聞くこともないまま その小さな命は 私たちのもとを去って行ってしまった。。。
当時 看護婦として3交代勤務をしていた私は 自分を責めた。
「私が 仕事なんかしてたから。。。私が 小さな命を殺してしまった。。。」
誰がどんな優しい言葉をかけてくれても 心の中にぽっかりとあいてしまった穴を埋めることも 心の傷を癒すこともできなかった。
その時の私は きっと「この世の終わり」という顔をしていたのだろうと思う。
なんとか平静を装えるようになってくると 今度は 「もう 罰があたって子供ができないかもしれない。。。
そうなったら この人とは別れなくてはならない。。。」と悩む日々が続いた。
だって ほっぺパパが どんなに子供好きかを知っていたから。
そんな人から子供を持つ夢を奪うことなんてできないから。。。
いっぱい泣いて 悩んで 話し合って。。。答えが出せないまま月日が流れた。
でも。。。こんな私のところにまた「小さな命」がやってきてくれた。
私は 全然その兆候に気づいていなかったのだけれど 一緒に仕事をしていた先輩が「違い」に気づき 少しでも早く検査するようにすすめた。
勤務しているのが病院なので 夜勤中 検査室の方に頼み こっそりと検査をしてもらうことになった。
がっかりするのが怖いから 私はできるだけ希望をもたないように自分にいいきかせていた。
結果がでるまでがものすごく長く感じられた。
そしてでた結果は「妊娠反応プラス」。今度は うれし涙があふれた。。。
その小さな命が「なつみかんちゃん」。もう うれしくて。。。
この小さな命が無事に育ってくれるなら 他には何もいらないとまで思えた。
前回のことがあるので 妊娠発覚後 すぐに婦長に配置転換を申し出た。
その時 いたのが「CCU」。たった5床しかないのだけれど みんな重傷患者ばかり。
夜勤看護婦は1人きりだった。急変がおこれば 自分が「妊婦」だから。。。
なんて言い訳は通用しない。走り回っての対応をしなくてはならない。
だからこそ 婦長の嫌な顔を見ても 今回はひくわけにはいかなかった。
婦長の気持ちもわかる。
当時 その「CCU」では月半分が夜勤という厳しい現状だったから そこに喜んで交代で入ってくれる相手はなかなかいないから。。。
普通病棟にかえてもらい お腹の子は順調に育っていた。
でも。。。またしても試練がやってきた。
妊娠8ヶ月に入った頃から 尿タンパクがプラスになり 足に浮腫もでるようになった。
母子手帳に「塩分制限」と書かれた。特に味の濃いものを食べてるわけでもなかったのに。。。
そしてみんなに「そのお腹のつきでかたは男の子だね。」と言われるようになった。
でも それは赤ちゃんからのSOSだった。
担当医師いわく「赤ちゃんが横位になり 異常に下がってきてる。
このままでは いつ子宮口が開くかわからない。お腹の赤ちゃんは まだ800gほどしかない。
今生まれてしまったら 命が危険。育ったとしても障害が残る可能性が大きい。トイレと食事以外は絶対安静。」
「また 大切な命をダメにするかもしれない。。。」と大泣きしてしまった。
予定より1ヶ月も早く 産前休暇に入り 医師の言いつけ通りの生活が始まった。
約2ヶ月間 大きな不安と大きなお腹を抱えてじっと耐えた。
不規則な生活をずっと送ってきたせいか お腹の子は日中全く動かず 夜中になると決まってぐにょにょと動いていた。
担当医師に「初めての子なんだから性別は楽しみにとっておいた方がいいよ。」といわれ性別を教えてもらえなかったのだが 男の子だろうが女の子だろうが
健康でさえあればいいと思った。
そして。。。 なんとか予定日まで無事に小さな命を守ることができた。
H・1年7月28日 午後2時56分 3034g 48.3cmの女の子が生まれた。
分娩所要時間7時間という超安産だった。
「楽なお産でよかったね〜」なんて言われたけれど そんなことない!
時間が短くても本当にしんどかったんだもの。。。