世界の窓

このページでは海外で現在活躍されているビジネスマンや暮らしておられる方の生の声を、掲載しております。
現在、海外で滞在されている方で、その国について、レポートして下さる方、広く募集いたします。

  fineview@hotmail.co.jp

 
 

◆ 海外特派員: ロートなを


1965年生まれ。法政大学経済学部をご卒業されています。在学されていた頃から、フランスに
興味を持たれ、フランス文学を学ばれる傍らに、 フランスに短期留学も果されています。
大学を御卒業後、マスコミ界に就職された縁で、その後もフリーで プレスの仕事に携われていました。
現在はドイツを拠点に、アーティストのために、ビジネス・コーディネーターとして活動されています。
現在、1児の母。ヴェジタリアンでエピキュリアン。
現在、北ドイツ、Hannover郊外に滞在されています。

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E-mail : katzenfuss@aol.com



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ドイツから見た地球 −その3−「過剰包装」
ドイツから見た地球 −その2−「店では」
ドイツから見た地球 −その1−「ドイツゴミ事情」



 

(99/05/06 環境先進国・ドイツからの便り)

◆ ドイツのひきがえる
 
 

ドイツでの寒さのピークは12月で、それを過ぎると、やや気温も上がりはじめる。とはいっても、ピークというのが、マイナス10度からマイナス20度ぐらいなので、日本と比べれば依然寒く、春と呼べるようになるのは、やはり4月のイースター以降である。

 しかし自然の生き物は、春の気配に敏感である。

 この時期(3月のはじめ)車を走らせていると、奇妙な看板にぶつかる。かえるマークである。緑色の三角形のなかに、横を向いたかえるのシルエットが描かれ、すぐ下には「注意!」とある。ドイツは自然が多く、道路そばで鹿や狐や兎を見かけることも多いので、その看板の意図するところは容易に想像がつくのだが、やはり、至る所かえるマークというのは、実際奇妙な光景だ。

 冬の終わりから春にかけて、ドイツは非常に雨が多くなる。自然気温も上がりはじめるわけで、この湿った温暖な気候というのは、ひきがえるにとって一番活動しやすい気候であるらしい。そんなかえるにとって、一番厄介なのが一般道路である。ここで気の毒にも命を落としてしまう仲間も多くいるわけで、環境保護団体の最新の調査によると、現在この地域で生息しているかえるは、たった120匹なのだそうだ。なので、このかえるを守ろうと、市も動いたわけである。環境保護官は、市民に協力を呼びかけ、ひきがえるを危険から守るための対策を次々と立てている。

 3月6日付けの地方新聞によると、現在190の道路に看板が立てられ、ひきがえる密集地にはフェンスが張り巡らされた。また、ひとつの道路は夜間閉鎖が行われており、すみやかに迂回するよう告知が出ている。また、気温が急激に下がった場合、かえるは動きを止めるので、その時には道路閉鎖は解除されるともある。

 かえるの徘徊に適した気温は摂氏10度前後だそうで、かえるが道路を渡りきるのに要する時間は、1分半から2分だそうだ。これらの道路を走る車はほとんどが速度を落としているように思う。

 こういう土地で生活できるかえるは幸せだなあと思う今日この頃である。 by N.R.


(99/04/17 環境先進国・ドイツからの便り)

◆ ドイツから見た地球 −その3−「過剰包装」
 
 

日本に帰って、一番びっくりすることは、商品への過剰な包装である。しかし住んでいたときには、それが普通と思っていたのだから、それだけドイツでの生活に慣れてきてしまったのかもしれない。

 一枚のクッキーより、そのための包装の方が多かったりする。スーパーなどでは、余分にビニールの手提げ袋を入れてくれたりする。デパートでは、商品を包装した上でさらに紙袋に入れてくれたり、書店では、買ったすべての文庫本に紙カバーをかけてくれたりする。他にも、化粧品の箱や、レストランのテーブルに置かれている大量の紙ナプキン等。改めて考えると、無駄なものが多すぎるような気がする。

 ドイツでは、包装は最小限におさえられている。スーパーで売られている野菜は、ほとんどが計り売りになっていて、自分で好きなだけとってカートに入れる。この時、使いたい人のみが、傍らに備えつけられているビニール袋を使う。野菜、果物類は基本的に裸のまま陳列台に並べられている。紅茶のティーバッグなどは一枚一枚紙に包まずに、そのまま箱に入っているものも多い。そういった最小限の包装も、すべては、またリサイクルされることになる。

 デパートで、少し高価なものを買ったとしても、客が何も言わなければ、商品はそのまま渡される。日本のように「贈り物でございますか?ご自宅用でございますか?」と聞かれることもなければ、ゴテゴテに包まれることもない。(まあ、基本的にドイツには、サービスという概念が存在しないといってもいいのだが.....。)贈り物に関して言えば、ドイツ人というのは、たいがい自分で包装して贈っているようだ。(たいてい彼らは手先が不器用に出来ているので、お店の人にプレゼント用の包装など頼んでしまうと、後で、そのあまりの拙さに後悔することにはなるのだが.....。)

 環境保護の観点から考えれば、過剰包装は百害あって一利もないわけで、これこそは、ひとりひとりが意識することによって、今すぐにでも変えられることなのではないかと思う。過剰包装をしない店に行くとか、包装を断るとか、つまり購買者がそれを受け入れなければいいのだ。

 ドイツ人が環境保護にこれだけ徹底しているのは、前にも書いたように国民性がそれに合っていることが理由のひとつだが、子供の頃からの徹底した刷り込みもかなり見事だ。

 - 2〜3歳児用の絵本を開いてみる。町の絵がある。そしてもちろん、グラス・コンテナがある。アライグマ君がそこに空き瓶を入れようとしている。コンテナは中身が見えるしくみになっていて、そこを開けてみると、たくさんの空き瓶とともに、“空き瓶だって再利用できるんだよ”と書いてある。次のページをめくる。サル君がバナナの皮を道に捨てて、それを拾ったネズミ君が“バナナの皮は道に捨てちゃダメだよ”と言って、ゴミ箱に捨てる。

 こんな絵を見れば、母親は自然にそれを子供に教えるようになるし、実際のグラス・コンテナに連れて行って、空き瓶を捨てる手伝いをさせたりもする。  ドイツの子供用の絵本というのは、非常に質が高い。話の内容も濃く、種類も豊富だ。こんな絵本でも、教育臭さを感じさせず、子供は楽しみながら、社会のしくみを覚えていく。

 - 教会では、毎月1回、子供を集めてお話会が開かれる。聖書の話をしたり、道徳の話をしたりするのだが、ある日は、ポテトチップスがどうやって作られるのかを説明していた。実際に畑の土を集めてきて、中にじゃがいもを埋め、子どもたちにそれを掘らせて、実体験させるのだ。子どもたちは楽しみながら、学習していく。そして最後にはポテトチップスがふるまわれる。この時、牧師さんがいきなり空になった袋を投げ捨てる。そして聞く。「さあ、これはいいことですか?」子どもたちは、「いいえ。」と答える。「では、何がいけないのですか?」8歳くらいの男の子が、「それは、ゴミ箱に捨てなければいけません。」と言う。「そうですね。」と牧師さんはいったんうなずき、さらに質問を重ねる。「では、どのゴミ箱にいれるのでしょう?」多くの子が自信を持って答える。「プラスチック用のゴミ箱です。」彼らにとって、ゴミを仕分けるというのは、当然のことなのだ。

 - 小学校の教室では、ゲームが行われている。「さあ、学校中のゴミを仕分けて集めてきてください。」いくつかのグループが作られ、子どもたちは得意になって、ゴミを集める。ここではまず、正確さが競われる。たくさん集めてきても、仕分け方が間違っていれば、減点されてしまうのだ。どのゴミをどの箱に入れるか、何を入れてはいけないか、彼らはこれまでの生活で身につけてきたゴミに関する知識を、ここぞとばかりに披露する。

 家で、実際にゴミを仕分けていると感じるのだが、この仕分け作業は、意外とおもしろい。つまり、規則がしっかりと固定化されているため、すべてが理にかなっていて、どこにも損が出ないのである。いかにもドイツ的なのだ。

 しかしドイツでも、このような社会のシステムに到達するまでには、何度も住民運動が繰り返されたのだそうだ。自分たちの生活と、子どもたちを守るために、まず住民が立ち上がったのである。彼らは決して屈せず、結局社会を変えてしまった。それ故、だと思うが、一般的にドイツ人は政治に関心が高い。選挙の投票率もかなり高いと聞いている。政治と社会は自分たちで作るものという意識がはっきりしているのだ。この国が環境大国になったというのも納得できる話である。(To be continued.) by N.R.


(99/04/08 環境先進国・ドイツからの便り)

◆ ドイツから見た地球 −その2−「店では」
 
 

ドイツのスーパーへ行くと、必ずミネラル・ウォーターやジュース、ビールなどの飲み物だけを扱うGetrnke-Marktという場所が目に入る。ここでは、多くの人が片手にダース入りのボックスを提げて並んでいる光景が見られる。ビンを返してその代金を受け取る人とビン代込みの水を買う人。いわゆるファンドである。容器を何度も使い、資源を節約するわけだ。

 例えば、一般的なミネラル・ウォーターの場合、0.7Lでビン代は一本あたり0.55マルク(約44円)、ビールは0.5Lで、0.30マルク(約24円)、フルーツジュースは1L入りで、0.80マルク(約64円)である。軽くて持ち運びに便利なペットボトルも存在するが、このファンドは、1.5L入りで、1.20マルク(約96円)にもなる。

 ビンはもちろん個人の自由で、返却せずに捨ててしまっても構わない。しかし、たいがいドイツ人は飲料水をボックスで買うわけで、1ケース分返せば、6マルク(約480円)から多いときには12マルク(約960円)も、代金が戻ってくることになるのだ。こんな機会を彼らが逃すはずはない。資源の節約を大前提にした賢い方法だと思う。

 もちろん、マーケットの中にはこのようなファンド制をとっていない会社も存在する。しかしそれはごく少数で、しかも中身のコストも割高になっている。  

 もう一つ、ドイツのスーパーでの特徴だが、買い物をする人たちは、それぞれ自分で買い物かごや手提げ袋を持参してこなければならない。もし忘れてきてしまった場合には、袋を別に買うことになる。これは1枚だいたい0.30マルク(約24円)くらいする。またこれらの買い物袋は(綿製はもちろんのことだが、紙にしてもビニールにしても)、何度も何度も繰り返し使われている。

 小売店では、袋が必要か否か親切に聞いてくれるところと、品物を手提げ袋に入れることなどまったく考えていない店と二通りある。例外として、大きなデパートでは、買ったものを無造作にビニール袋に入れてくれるところもあるが、見ていると、ドイツ人は3人に1人かそれ以上の割合で、これを断っている。(アジアの食材を扱う店と“トイザラス”では、レジの横に多量に店のビニール袋がおいてある。しかし、これも使っている人は少ないように思う。)

 電池を売っている店では、必ず使用済み電池を引き取らなければならない。なのでスーパーなどでは、出口近くに使用済み乾電池を入れる箱(リサイクリング・ボックス)が設置されている。これは、売る側の義務なのだ。

 売る側同様、作る側にも重要な義務がある。車や冷蔵庫、エアコンなどの電化製品は、必ずメーカーが引き取ることになっている。とはいっても、だいたいドイツ人というのは、ものを無駄に捨てたりはしない人たちである。まず、自宅で不要になったものがあれば、それを売ろうと努力する。なので、個人レベルでのフリーマーケットは非常に発達しており、そのためだけの新聞も毎週2回発行されている。一般紙でも、週末は「売ります」情報が数ページにわたることもある。彼らはモノを無造作には決して捨てられないのである。

 ドイツでのリサイクル運動は、こういった消費者、売り手、メーカーの3者のバランスの見事さも大きなポイントだ。            (To be continued.) by N.R.


(99/03/11 環境先進国・ドイツからの便り)

◆ ドイツから見た地球 −その1−「ドイツゴミ事情」
 
 

ドイツに住む外国人向けに発行されているニュースレターに、おもしろい記事が載っていた。

 「イギリスから友人があなたを訪ねてやってくる。あなたは彼女と楽しい時を過ごし、さて食事の支度でも一緒にしようかということになる。トラブルはここからだ。友人はまず、野菜くずを普通のゴミ箱に捨てる。あなたは、それを丁寧に拾い集めて、茶色い“有機ゴミ”用の缶に捨て直す。あなたの友人はそれに気付くが何も言わない。次に彼女は、空になったサラダ・ドレッシングの瓶を普通のゴミ箱に投げ入れる。あなたはそれを拾い、後で“グラス・コンテナ”に持っていくため、部屋の隅に置いておく。友人はちょっとイライラし始める。空になったヨーグルトの瓶が、またゴミ箱に捨てられる。あなたはそれを取って、きれいに洗い、バルコニーに置いてある袋にしまう。友人はとうとう怒り出す。彼女が捨てたスパゲッティの空き箱を、あなたが水曜日の朝に集められる古紙用の袋に入れ直したとき、ついに彼女は爆発する。もはや、説明しないわけにはいかなくなる。しかし、ドイツのゴミ収集システムを説明するのは、決して易しいことではないのだ........。」

 あなたがもし、ドイツ人の家庭を訪ねたとしたら、まずそのゴミ箱の多さに驚くことだろう。紙ゴミ用、プラスチック、金属ゴミ用、有機ゴミ用、そしてようやく一般ゴミ用のゴミ箱が見つかる。またさらに、普通の空き瓶は白、緑色、茶色と色分けされて集められ、小売店などに返されるべく集められた、ミルクやヨーグルト、ジュース等の空き瓶は、きれいに洗われて倉庫の棚に並べられている。  これは何も特別な家だけがやっていることではない。一人暮らしの学生も、忙しいビジネスマンも、共働きの夫婦も、郊外に住む老夫婦も、ドイツではみんなが普通に実践している習慣である。

 私がここドイツにやってきたのは5年ほど前のことだ。その時は、前述のイギリス人ではないが、すべてがイライラの連続だった。紙とプラスチックを丁寧に仕分けし、テトラパックは畳んで袋に入れ、ワインなどの空き瓶も色で分け、しかも蓋やラベルの金属部分はまた別の袋に入れ直す。一体どういう国に来てしまったのだろうかと、まじまじと夫の顔を見つめ直したりもした。  それから数年、今度は日本でダイオキシンや環境ホルモン、ゴミ焼却炉の問題等が広く騒がれはじめた。「ははーん。」である。つまりドイツでは、こういった環境問題がもう10年以上も前に採り上げられ、国民が一斉に現行を、政府を変えるべく立ち上がったわけである。

 私の住んでいるところ、北ドイツ、ニーダーザクセン州で、このゴミ収集システムが施行されたのは1992年だったそうである。歴史はまだそんなには古くない。しかし驚くべきは、市民のほとんどが、それを忠実に実行している点である。特に若い層での実行率は高い。その結果、今ではドイツでの普通ゴミ(いわゆる焼却ゴミ)は、かなり減ってきているのだそうだ。それ以外はすべてがリサイクルゴミである。だから、焼却炉も多くは必要ないし、当然ダイオキシン等の発生率も減ってくる。実際、焼却炉の数も、ドイツは日本の20分の1以下しかない。ダイオキシンの規制値も日本より格段厳しい。

 自分の健康、子孫の健康そして地球の健康を考えていくことに、国籍の違いや国境はない。要はひとりひとりの意識の問題だと思う。問題の重要性、危険性に気付くのが少し早かったドイツから、一例として、彼らの環境への取り組みを紹介したい。(ただし、ドイツは州ごとに人も社会も特色が異なるため、これはあくまで、北ドイツのニーダーザクセン州(州都はハノーヴァー)の例であることを予めお断りしておきます。が、基本原理は何処の州でも同じです。)

 この町で、通常家庭から出るゴミは、毎週一回水曜日に回収される。この時多いときには、7つのゴミ袋が出来上がることになる。ひとつが焼却される普通ゴミで、あとの6つはリサイクルゴミだ。紙ゴミ、白い空き瓶、緑色の空き瓶、茶色の空き瓶、プラスチック・金属ゴミ(これは以前はふたつに分かれていたが、最近一緒に出してもいいことになった。)そして野菜くずや果物の皮、木の切れ端などが入る有機ゴミの6つである。ゴミ袋は、普通用にグレーのもの、リサイクルゴミ用に透明なものとの2種類あり、それぞれ決められたものでしか出してはいけないことになっている。

 このゴミ袋の価格もまたおもしろい。

 透明なリサイクルゴミ用袋は、35枚が1ロールになっていて、たった1.16マルク(約90円)であるのに対し、普通ゴミ用のグレーのものは、15枚(50リットル)で、28.50マルク(約2,300円)もする。ゴミ袋一枚あたり、約58倍もの価格差があるのである。しかも、グレーの袋は年々値上がりし、透明なものは年々値下がりしている。ドイツ人というのは、経済観念の非常に発達した国民で、節約を美徳とするところがある。そんな彼らからすれば、なるべく、グレーの袋に入れるゴミを少なくしようと考えるのは当然の成りゆきである。

 また、町の中には至る所にゴミ用、特に瓶類、紙類用のコンテナが点在し、そこではいつでもゴミが捨てられるようになっている。これらコンテナの近くには、古い洋服や靴などを入れるための箱が設置されているところも多く、これらもすべてリサイクルされるべく回収されている。

 毎年各家庭には、こういったゴミに関するパンフレットが配られる。そこでは、普通ゴミ、リサイクル・ゴミ、粗大ゴミ等に関する詳しい説明がなされているのだが、それによると、普通ゴミも一度集められた後ふるいにかけられ、150mm以上のゴミだけが、焼却炉に送られるのだそうだ。それ以下のものは再び集められ、まずマグネットで金属を取り除き(当然それは、リサイクルゴミに回される)、それから、ゴミ捨て場に埋められる。このゴミ捨て場も10年ほど前、土壌汚染の問題が起こったため、今ではかなりしっかりとプラスチック・コーティングされ、土壌保護がなされているのだそうだ。

 しかし、こういう仕分け方をしていると、普通のゴミというのは、驚くほど少なくなる。特にドイツ人は、子供の頃から食べ物や水も大事にするようしつけられているので、ものを無駄にしたり、ただ捨ててしまったりということをしないように思う。ドイツが環境大国となっているのも、こういう国民性が大いに影響しているように感じる。 (To be continued.) by N.R.