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世界の窓

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【 マレーシア・クアラルンプール VOL.2】

KABO女史

 

 

(99/03/03 マレーシアレポートより)

◆ 《首相官邸と世界貿易センターでのオープン・ハウス》(後半・その3・最終編)

 
ところは変わってPWTC(プトラ・世界貿易センター)。

ここは、普段は国際見本市や、各種イベント、コンサートなどいろいろな催し会場となっています。 わたしたちが着いた頃は、ちょうどオープンハウスが始まる時刻で、会場となるホールに通ずるエスカレータ付近には、既にたくさんの人たちが詰め掛けています。

ここで、人の波が二手に分かれているのに気づきました。 ひとつはそのエスカレータの手前で警備員に停められて待っている集団、もうひとつは、その横の階段を どんどん駆け上がっている人たち。

例によって、どこにも何の表示も説明もなく、誰も尋ねている人もいません。わたしたちも、その皆と、同化してます。長いことKLあたりに住んでると、なんていう か、何でも自分で判断する習慣がつくのです。人に聞くと却って失敗したりするからです。

先日もこんなことがありました。

アイスクリーム会社と映画館が提携した無料映画のイベントがあり、ほとんどが、古い映画だったのに、 その中に、最近リメイクされた「サイコ」があったので、『これは絶対行こう』と決めて、 普段食べないアイスクリームを食べて(映画を観るにはその蓋が必要)、スケジュールをチェック…すると、

その映画館に貼り出してあるスケジュールとわたしがもらったアイスクリーム会社のビラに書かれてあるスケジュールの時間帯が違っています。まぁ、よくあることなので、慌てず、窓口で聞くと「わたしはわからないので、その人に聞いて」と、そばにいる、アイスクリーム会社のお兄さんを指差します。

で、その人に聞くと、首をかしげ て、「ちょっと待って。聞いてくる。」
5分ほど待って戻ってきた彼が、「間違いない。 こっちのほうが正しい。」と映画館に貼り出してあるスケジュールを示しました。
で、手元のビラを訂正して、帰宅。3日後の当日、時間前に行ってみると、果たして、もう「サイコ」はとっくに始まっていて、しかも、もう、満員で、入ることすらできない、という状態。

あっけにとられスケジュールを見ようとしたら、3日前貼ってあったスケジュールはいつのまにかはずされていて…。

わたしのビラに書かれてあるスケジュールが正しかったのです。 3人もの人が質問に答えようとしたことを信用したわたしが迂闊でした。
こういうことが、日常茶飯事に起こります。5年住んでいてさえ、まだ失敗するんですよね。 (その後、普通の映画館で、料金を払って「サイコ」を観ましたが、わたしには、うーん、という出来栄えでした。

アンソニー・パーキンスのオリジナルを何度も観ている人には、何の発見もない映画です。 音楽も場面もほとんど同じで、おまけに主人公の雰囲気は、精神異常者というより、単なるオカマっぽいお兄ちゃん。
有名なシャワーシーンは、ヒッチコックがわざと白黒映画にした効果は何のその(もちろんカラーなので)で、やっぱり、うーん。
この映画にはまだまだ言いたいことはいっぱいありますが、とにかく、無料で観られなかったのは本当に残念な、駄作だった、と、声を大にして言いたいです。)

ちょっと脱線しましたが、午前中の疲れと、元来関西人特有の「イラチ」(せっかち) が手伝って、もう、待つのがいやな主人が階段組に混じって上がっていくのについていきます。上の階では、その後また、人込みがかたまっていて、実際ホールに入れた のは、30分後だったし、冷房があんまり効いてなくて、暑かったのですが、まあ、炎天下で待つことに比べれば天国。

しかし、ホールに入ってすぐ地獄を見ることになりました。

何千人という人が入れそうな、大きなホールの中に皿の置かれた長テーブルがいくつかありますが、どの皿も空っぽ。しかし、ホールにいる人たちは、皆、それぞれ何か食べています。

「あれー、(食べるもの)もう何にもないよ。遅かったんかな。」と見回したら、真ん中のテーブルのあたりに人がかたまっているので、そっちへ行った ら、テーブルの内側からシェフが何か配っている様子。

しかし、やっと近づけた頃には、また、皿が空に。

で、しばらくすると、別のシェフが外から、皿が入った数段の 棚付きワゴンを押して入って来ました。別のテーブルの上に、その皿を取りだそうとした瞬間、周りに集まっていたハイエナのような人だかりから、無数の手が伸び、皿 にかけられていたラップははがされ、載っていたものがあっという間になくなりました。

この間約0.08秒!次の皿もその次の皿も、テーブルの上に置かれるまでに空に! この、難民キャンプのようなすさまじさに、わたしは、もう、すっかり恐れをなし、 何も手に入れないまま、退散し、壁際に立ち尽くすはめになりました。
もちろん、スプーンもフォークもどこにもなく、食べ物を手に入れた猛者たちも、皆、手掴みで食 べています。別に、そうお腹がすいていた訳でもなかったので、『もう帰ろうか』と 主人に言おうとしたら、「ここで待ってて。」と、荷物を置いた彼、どこかに消えたと 思ったら、5分くらいして、焼き蕎麦を紙皿に盛ってきてくれ、またしばらくして、 小さいクエを3つほど持って戻ってきました。正直、頼もしいと思いました。

以前、カリフォルニアで、各部屋の外に小さい風呂桶がついていて、そこに温泉のお湯を入れられる仕組みになっている宿に行った日本人のある友達が、夫婦でそのお風呂を楽しもうとして、うっかり部屋をロックしてしまったのです。

風呂桶は外にあるとはいえ、廻りにはちゃんと塀が作ってあり、プライバシーが保てるため、ふたりとも裸。しかも、たまたま、バスタオルではなく小さいハンドタオル1枚しか持ってな かったとのこと。

で、ダンナさんが、そのタオルを何とか巻いて(日本の手ぬぐいで はなく短いので、前は隠れても、お尻は半ケツ状態)、フロントまで、合鍵をもらい に行ってくれたらしいのですが、彼女、「結婚しててよかった、とそのとき心から 思った」と言ってました。このホールでの、わたしの心境も、これに近いもので、改めて主人を尊敬してしまいました。

フォークがないので、たまたま、7つ道具のひとつとして持ち歩いているスイスナイフについてる爪楊枝を使い、焼き蕎麦などを食べたあと、なぜかほとんどの人が食べ ているのに、どこにも見当たらない鳥のから揚げを捜し求めて、主人はさらに20分ほど姿を消し、ついに、1個だけゲットして戻ってきました。小さいのに「半分ずつしよ。」と言ってくれた気持ちだけうれしくもらって、辞退し、その後ほどなく、会場を後にしました。

いやー、食べ物を巡るあんなすごい修羅場は生まれて初めて見ました。 欲深さを戒め、幸せを分かち合うように説くイスラムの教えに反する、この醜い状況 の写真が、後日、新聞に載って、結構、非難ごうごうだったようです。

そうそう、肝心の、アブドゥラ・パダウィー新副首相は、わたしたちが会場にはいった5分後くらいに、会場に設置された壇に上がり、ほんの短いスピーチをして、早々 に引き揚げてしまいました。
ほとんど、誰も真剣に聞いてなかったような気もします。最初に見た、エスカレータ前待機組の人たち、果たして、握手してもらえたので しょうか?

今となっては謎のままです。 (以上)
 
 


(99/02/23 マレーシアレポートより)

◆ 《首相官邸と世界貿易センターでのオープン・ハウス》(後半・その2)

 
このあとは、後戻りは許されず、前に進むのみで、部屋の横の出口から外に出るよう になっています。長テーブルに沿って、みな整然と並んで、それぞれの係の人が内側 から取り分けてくれるものを、紙皿に載せてもらっているので、何だ何だと近づいて みたら、全部お菓子類。クッキー、日本の干菓子のような砂糖菓子、アメリカのブラ ウニーみたいなチョコレートクリームを塗り付けた一口ケーキ、そして、一般にクエ と呼ばれている、お餅みたいな、ういろうみたいな練り菓子が数種。

それを持って、建物の外に出ると、そこに、いわゆる、お食事が用意されていました。もち米をパンダンの葉で巻いて蒸したもの、ビーフレンダン(牛肉の、ちょっと 乾いた感じのするシチュー)、チキンカレー、ビーフンなどなど。そして炭酸飲料 や、オレンジ・ジュースなどのソフト・ドリンク。

わーっと人込みがかたまっていて、ここでは、もう、誰も並んではいません。何とか テーブルに近づき、料理を取るのですが、紙皿には既に菓子類が載っているというの に、これらの料理を同じ皿に同居させないといけないのが、結構むずかしいんで す…。やっと何種類か載せて、さあいただきます、と思ったら、フォークもナイフも ありません。周りを見ると皆、プラスチック製のフォークで食べていて、いつの間に か、主人も1本手に入れています。わたしはのんびりしていて、とうとう、もらえずじまいでした。まあ、いいか、マレー式の正式マナーは手で食べるのだし。と、手で 食べはじめます。もち米は、おにぎりのようなものなので、問題ありません。それ を、チキンカレーの汁につけながら、レンダンの塊も一緒に口に掻き込んだら結構う まくいきました。問題は、ういろう風のクエ。お菓子なので、デザートに、と、楽し みにおいていたら、紙皿の上に敷いてあった紙ナプキンにべっとりくっついて、とれ なくなっていました。うーん、残念。

この頃から、なんだか、もう、しんどくって、根気がなくなってきた感じ。
何せ、やたら、あ・つ・い!さっきまで忘れていた汗が、また流れ出しました。 しかし、めげずに、このあと、「ものはついで」と、PWTC(プトラ・世界貿易セン ター)でのオープンハウスにも出かけたのでした。ここでは、新副首相のアブドゥラ ・パダウィー氏が挨拶をするというので。疲れてはいたものの、ここでのオープンハ ウスは、何といっても冷房のきいた館内だから、大丈夫だろう、と、たかをくくって いたのです。ところが、わたしたちの期待を見事に裏切るすさまじさが待っていまし た! (次回は最終編)
 
 


(99/02/11 マレーシアレポートより)

◆ 《首相官邸と世界貿易センターでのオープン・ハウス》(後半・その1)

 
押し合い圧し合いの、地獄のサウナのような人波から、ぽんと押し出されて入った室 内は、まるで別世界のよう!広々として、冷房の冷気がひんやり心地よくて…。部屋 の中央を見ると、マハティール首相とシティ・ハスマ夫人が、入ってくる人ひとりず つとにこやかに握手を交わしています。両脇にお付きの人らしき人影はあるものの、 ボディーガードという風でもなく、単に、立っている、というのんびりした雰囲気。 訪問者は、ひとりずつ、すいすいとすすんで、握手の済んだ人は次の部屋に入ってゆ きます。

ここで、ポケットからイヤリングを取り出して、すばやく装着(ここまでのもみく ちゃ状態では紛失を恐れて着けていなかったのです)。次に、『あ、カメラ、カメラ !』と、バッグから取り出し、主人に、先に行くよう促して、自分は、2人ほど後ろ にまわります。で、ちょうど、首相と握手しているところをパチリ。ほんとは、わた しもその瞬間を撮ってほしかったのに、主人たら、自分の番が済んだら、すっと離れ て、次の間へ行ってしまおうとするのです。カメラを主人にパスするのは、もう無理 だし、バッグに戻す暇もないので、仕方なく、片手にカメラ持ったままの、ぶさまな 格好で、握手してもらいました。しかし、なんとか「スラマ・ハリラヤ(ハリラヤお めでとうございます)。」と一言、(このとき首相は英語で「ハロー。」と言ってくれ ました。わたしが外国人てわかったからかな。)そして、横の夫人には、「お招きあ りがとうございます。」と英語で挨拶。次の部屋に行く前に、「撮ってほしかったの にぃ。今でもいいから、撮って。」と、未練たらしく、他の人が握手してもらってる ところをバックに、無理矢理主人に頼んで記念撮影。前後にはカメラを出している ミーハーな奴は一人もいなかったけれど、わたしたちの、この、おのぼりさん的行動 に、誰からも何のお咎めもありませんでした。ほっ。(日本で、もし、こんなことが あったとしたら、カメラを取り出した瞬間、取り押さえられるでしょうし、その前に もちろん、厳重なチェックがあるでしょうから、カメラを持ち込むこと自体不可能で しょう。)

(今回ここまで)KABO
 
 


(99/01/23 マレーシアレポートより)

◆ 《首相官邸と世界貿易センターでのオープン・ハウス》(前半)

モスリムの人たちが待ちに待ったハリ・ラヤ(断食明け)がやってきました。公式には1月19日・20日の両日のみが祝日ですが、 ほとんどのマレー系の人たちは、その前の週末である16日から次の週末の24日までの1週間を休んで、帰省したり、親戚を訪ねた りして、日本人のお正月にあたる、この文字どおりの「ビッグ・デイ(ハリ・ラヤのハリは、英語で言うday,ラヤは同じくb igにあたる」をお祝いしているようです。 

うちの主人は祝日の2日間だけがお休みでした。その、初日の19日、マハティール首相のオープン・ハウスにふたりして行ってき ました。オープン・ハウスというのは、一般に自宅や庭を開放して行う、ハリ・ラヤのパーティーのことをいいます。首相は毎年 開いていて、なんと、誰でもウェルカムなのですが、去年は、(アンワル元副首相をクビにした)例の事件があったので、今年は ないかも…と思われていました。ところが、やっぱり、やる!というので、一度も行ったことがなかったわたしたちは、ミーハー 気分も手伝って、出かけてきました。 

わたしたちはタクシーで行きましたが、この日ばかりは警官も目をつぶってくれるらしく、現地付近では、車がハイウェイの上に も出口にも、公道にも私道にも隙間なく停められています。ハイウェイの出口から、首相官邸のゲートまでは、歩いて10分ほどの 上り坂です。ぞろぞろと登るおおぜいの人たちに混じって、「わぁ、みんな、着飾ってる!」などと、ハイキング気分ではしゃい でいると、前の一団から日本語が聞こえ、思わず、はっと口をつぐみました。そうです、誰でも行っていいのですから、当然、日 本人も他に何人か、何十人かはいるはずなのです。海外にいると、つい、わからないだろうと、日本語で、品のない言葉を気軽に 口にしてしまう、わたしのこの悪い癖、治りません。 

閉ざされたままのゲートの前には、既に数百人が待機していて、「こ、これは、中にはいれるまでに、一体どれだけかかるのか …」と、一瞬、くらくらしましたが、何の誘導もなく、並ぶ列があるでもなく、うじゃうじゃと集まっているだけの雰囲気が、か えって幸いして、横の方にうまく回り込んだら、ゲートが開いた段階で、いつのまにか先頭集団にいて、どどっと中に入れたので した。すぐうしろでギーッとゲートが閉められ、ぎりぎりセーフでしたが。 

次に、いよいよ、建物の中に…と思ったら、玄関前での長い待ち時間がありました。入り口が少し開いていて、天井のシャンデリ アが見えるのですが、それ以外は、人垣で何も見えず、どうなっているのか、さっぱりわからないのです。入り口には数人のガー ドマンがいて、時々、手で3、4人ずつ、中へ入れる以外は、手のひらをこちらに向けて「待て」のジェスチャーをするのみで、 またしても、何の誘導も説明もなく、いっこうに状況が把握できません。玄関前とは言っても、半分は炎天下だし、屋根のある部 分にやっと入れても、屋外であることに違いはなく、おまけに、ぎゅうぎゅう詰め(久々に、首都圏の朝の通勤ラッシュの雰囲 気)で、汗が滝のように流れ落ちます。 

30分ほども、こういう状態で、少しずつ前に進んで、やっと中に入れて、そこで見た光景は…!

 

(後半はのちほど。KABO)