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世界の窓

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【 スイス・バーゼルレポート VOL.7】

井浦 幸雄氏



◆ 清潔好きの国・スイス

ある人が「スイス人の清潔好きはあれは一種の宗教だよ」と言っていたが、まさに その通りだと思うようになって いる。スイスを旅行したことのある人は、観光地で も、普通の町・村でも、チリ一つなく、窓辺には花など飾り、 きれいに清潔に維持 されていることを思い出されるであろう。国のすみずみまで、常に清掃が行き届いており、こ れが良い状態に保たれているのである。きっと、スイス人がちりを投げ 捨てたりしないで、いわゆる公徳心が高い のではないかと思われる方がいるかもしれないが、必ずしもそうではなくて、煙草のぽい捨てなどする人が、かなり 居るの である。結局、専門の掃除人を町や、市が雇って、常に清掃しているから、道路や 公園がきれいに維持さ れている。後に述べるように、各家庭でもおおくのところで、専門の清掃業者、清掃人に頼んでいるようである。清 掃業者の数もかなり多い。

バーゼル市では、ほとんどの市の清掃人は国外からの単身の出稼ぎ者であるということだが、オレンジ色の制服をき て、一定の間隔で、道路、歩道などをほうきで清 掃している。落ち葉かき、ごみ掃除の清掃自動車も間断なく道路 を巡回している。 雪がふると、これらのひとは、雪かきに早変わりする。街路樹の手入れ、公園の花 壇の手入 れ、ゴミ集めなども、これらの人の役割である。バーゼルのような人口1 8万人の小都市で清掃のため、膨大な資 金を投入し、これを市民が当然のこととして、サポートしているのである。ニューヨーク、ロンドン、パリのような 大都会で 町にゴミがちらかっているのも清掃のための費用が十分行き渡らないためであろう。

私は2階だてのテラス・ハウスに住んでいるが、この清掃が実に大変なのである。 家内が仕事を抱えていることも あり、昨年いらい窓ガラス、ジュータン、台所、バ スルームなどの清掃を専門の人に依頼することにした。自分た ちだけで、掃除していたときにくらべ、さすが専門のひとは、用具、洗剤などの選定もうまく、週に一 度、午前中 2−3時間の清掃で家中がぴかぴかになってきた。清掃の徹底ぶりが日 本のスタンダードよりかなり高いのであ る。一旦きれいになると、あとは汚さないように心がけているだけで、かなりの清潔感を維持できるようになる。専 門の清掃 人も一回ごとに、それまで手がまわらなかった、洗濯室の流し、納戸のドア・ガラ スなどとすみずみに まで清掃の範囲を広げ、最初に住み始めたときよりもかなりきれいになってきた。清掃の人が来る日は、すこしは早 めに家を出るとか、書斎やコ ンピュータ室の机の周りは整頓しておかなければならないというプレッシャーが常 にある。

オフィスでも、毎日、清掃の人が始業前に清掃してくれている。書類を積み上げることなく、いつもきれいにしてお かなければならない。週にいちどくらいは、オフ ィスの整理・整頓に時間を割かなければならないような感じであ る。こうしてみると、町中、家、オフィスなどあらゆるところで、専門の清掃のひとの手が入っていることになる。

わたしの住むテラス・ハウスは、バーゼル市街をみわたす丘の中腹にあるが、あたりを散歩すると、実に清掃の行き 届いた家が多い。窓ガラスはぴかぴか、家のペン キも頻繁に塗り替え、非の打ち所もないような家が多く、やや息 苦しささえ感ずるほどである。市の指定のゴミ袋にいれた「ゴミ」はきちんと整頓された状態で集められるのをまっ ている。家のなかでも、ピース敷きジュータンの端の「ふさ」もき ちんとそろえておくうちが多いと聞く。町のひ とも、良い環境を維持するため、相互に注意することが多く、少々辟易することもある。先日もわたしが空いていた 列 車の向かい側の座席に足を乗せていたら、窓ガラスをコンコンとたたいて「足をのせるな」とホーム側から注意 してくれたひとが居た。アパートでは、夜10時以降 や、早朝6時以前のシャワーは禁止されるなど、住環境維持 のための締め付けも厳しい。わかい共稼ぎのひとなどは、大変である。

イタリアなどに遊びにいって、町はごみがちらかっているが、人々がおおらかに生活を楽しんでいるのをみると、な ぜかほっとした気になるのも、私だけではあるまい。 (以上)

なお、ライン随想録のほかの記事に付いては、下記のURLをごらんください。

http://plaza4.mbn.or.jp/~yiura/rhein040.htm

(97/10/12 ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)



◆ やさしい欧州通貨・ユーロのはなし

以下のはなしは井浦個人の見解であり、勤務先のBIS・国際決済銀行の見解とはなんら関係がないことを最初にお断 りしたいと思います。

この9月末に小さなグループの集まりがあり、家内とスイスからパリにでかけた。何人かのお仲間と夕食を一緒にす る約束で、その日の午後時間のゆとりがあったので、オペラの近くにショッピングに出かけた。デパート巡りにも疲 れたので、近くのカフェで冷たい飲み物でも取っていると、となりのテーブルにイギリス人のティーン・エージャー がひとりで座っている。話し掛けると、エジンバラから来たスコットランド人でパリに仕事を求めにきたとのこと だ。フランス語ができないらしい。近くの「パブ」で働きたいとのことで、そこのカードをカフェのボーイに見せ て、英語で聞いていたが、あまり親切に教えてもらえないようだった。当然、欧州共同体の域内では、パスポート、 ビザ、労働許可書なしに、どこに働きにいってもかまわないという事になっているようだ。年配のひとは動きにくい だろうが、わかいひとは身軽だ。この青年のように、フランス語ができなくとも、パリに来て職探しということも頻 繁に起こっているらしい。ガールフレンドでも探して、フランス語を早く練習することが職探しの近道ではないか と、知恵を授けておいた。

このように、国境を越えて、ひとびとが動き回るようになると、統一通貨ユーロの話が現実味を帯びてくる。わたし は若干時期がずれることかあったとしても、ユーロはいまから約1年数か月後の1999年1月前後には誕生すると思 う。日本とか、アメリカ、英国にはこれを懐疑的にみるひとが多いが、欧州大陸の主要な国では、すでにこれが既定 のものとして受け止められている。いや、欧州の統合のはなしはすでに、政治・経済の側面でかなりのものが達成さ れており、共同通貨への移行が若干ずれても、また、基準が若干変化たとしても、発足の事実自体を疑うことはでき ないのではない かと考えている。日本ではマーストリヒト条約の財政赤字GDP比3パーセント以下、といった基準 や、フランス・ドイツ国内の経済統合に対する反対意見の存在を重視して、いまだユーロ発足に疑念を抱く人が多い ようであるが、ヨーロッパでの指導者の決意、政治的統合への一般のひとの心情を目の当たりにすると、今回は本物 のような気がしてならない。

ここ4,5年を振り返ってみると、ドイツ・マルク、フランス・フラン、オランダ・ギルダーのような通貨価値は交 換レートがほぼ安定しており、どの通貨を持っていてもさほど変わらないようになっている。政治のレベルでもEC 加盟国首脳の意思疎通が十分に図られており、当然問題は内包しながらも欧州議会の活動もまず順調と見てよいだろ う。

これからの日程としては、来年98年の春に、一定の基準を満たしユーロに移行する事が許される国が決定される。 99年1月にユーロ発足、会計上の計算、国どうしの資金決済、株取引にまず使用される。強制力はないが、このとき から、家計はユーロでの決済を選択すればしても良い。2002年1月から、すでに公表されているような8種類のユー ロ硬貨と7種類のユーロ紙幣からなるユーロ通貨が加盟各国で使用され始める。6か月後の2002年7月から、約120億 枚の各国紙幣と約700億個の各国コインがすべて姿を消すことになる。

99年にまったく新しい通貨ユーロが発足し、構成国の通貨との交換レートは市場で決まる事となるが、事実上想定 される加盟国通貨の相対交換レートが安定しているため、事実上固定的なレートが想定されるものと見て良いのでは ないか。アンケート調査によると、スペイン、イタリア、フランスの国民の多くははユーロに対し、期待と支持を寄 せているのに対し、ドイツ、オランダのようないわば、強めの通貨国では国民がユーロに対し、ネガティブな感情を 抱いているらしい。99年1月のユーロ発足に対し、予想される加盟国のひとびとのうち、約6−7割の人が遅れるだろ うとみている のも興味があった。

あらたな統合通貨が生まれたり、新規通貨が発足するのはヨーロッパではめずらしい事ではなかったようだ。ソビエ ト連邦の崩壊により、あらたに発足した国々はそれぞれ新しい通貨を発行した事は記憶に新しいし、また昔、ドイ ツ・マルクが発足したときには35の地域通貨が統合してできたものらしい。ヨーロッパの人々はことなる通貨に接 して生きてきたので、ユーロが発足した後、もとの自国通貨に計算し直すことなく、ユーロ立てで物を考えるには、 数週間もあればよいだろうと答える人が、さきのアンケートでほとんどだった。

われわれヨーロッパに住んでいるものも、ユーロさえ持っていれば、加盟国のどこでもこの通貨で決済できるという のは、確かに便利と思う。ベルギー、オランダ、ルクセンブルグを車で旅行したときも、数時間走るだけでガソリン を買う通貨を変えなければならないというのは実に不便であった。それよりも、自分の給与が月XXユーロという事 になると、すべての域内国での労働市場が透明度の高いもの、直接比較可能なものになる。商品の値段も広大な域内 市場全体と競争しなければならなくなる。為替レートでぼかされてきた来た、労働、資本、資産の価格が急にガラス 張りのものになってしまう。競争が急速に高まる事は十分に予想できる。

先ほどの、スコットランドからの青年もエジンバラであれば、たとえば、月8000ユーロの給与がパリの「パブ」 では月10,000ユーロの給与と明白になるだろう。イギリスもユーロに移行すればの話だが、労働市場の流動化 が進む可能性があるだろう。ポンド、フランス・フランという通貨に隠れたような商売はできなくなる。通貨、言 語、習慣、のような隠れみのによって、保護されてきたものは白日のもとにさらされてくるものなのかもしれない。 もっとも、本当にそうなるには時間がかかるもののようであるが、すでにユーロ発足が確実になるだけで、企業、金 融機関の 整理・統合、合併が起こり始めている。広大な単一市場で生き残るためには、より効率性の高いオペレー ションを目指さなければならないというのが、多くの企業の共通の認識になりつつあるようだ。

先ほどのアンケートを紹介していた、エアー・フランス・マガジンでは、2000年初頭のユーロ発足時に予想される 個別の値段をユーロ立てで言うと、マクドナルドのハンバーガー、4ユーロ、パリ・ニューヨーク間の航空運賃、 800ユーロ、フランスの小型自動車・ツインゴは約10,000ユーロになるだろう、と紹介していた。みなさんは これが高いとお思いですか、それとも安いとお思いですか?(以上)

ライン随想録のほかの記事に付いては、下記のURLをご参照下さい。

http://plaza4.mbn.or.jp/~yiura/rhein040.htm

(97/10/2 ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)