□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

世界の窓

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【 スイス・バーゼルレポート VOL.6】

井浦 幸雄氏



◆ 地震・台風・・災害ニッポン(その2)

その1で災害ニッポンの実状を欧州と比較した。地震、台風、津波、火山噴火などが多発する日本では、みなの間に虚無感、無力感が漂い長期的、緻密な対応が取れないのが、実状と見ている。しかし、そうも言っておれないので、われわれは何をなすべきかといつも考えている。たとえば2年半経過したいま、阪神大震災から何を学ぶべきであろうか?

いろいろあるであろうが、結局、大地震のような大災害発生直後は、国、都道府県、市町村のような公 共機関の支援はまず期待しがたい。発生直後24時間以内は公共機関の職員自体が家族を含め、被災者 なので、組織的・効果的な活動はかなり制約される。結局、被災者が多いと、われわれは当初は自分の 力で、自分なり家族の支援をしなければならないと思う。また、災害発生時に居合わせたひとで、他人 でも助け合わなければならない場面が多く出てこよう。阪神大震災直後に、たまたま、アメリカ国防総 省刊行の「U.S. Army Survival Guide」という本を読んだ。この第一章に「生存する意思」と書いて ある。第二章は「生存への計画つくり」、第三章は「生存への医薬品」、第五章は「水の確保」となっ ている。全部で17章からなっているが、どれも、適切で災害後の自助努力に極めて参考になる。アメ リカでもスイスでも、ボーイ・スカウト、キャンプ、ハイキングなどを通じて、生きる工夫を学んでい るが、こういうことは普段からの積み重ねが重要と思う。先日、バーゼル近郊でたまたまスイス人と結 婚している日本人のかたがた50−60人のグループと野外バーベキューを楽しんだ。日本人同志が結 婚している人たちは、自分も含め、コンロ、炭、プラスチックのフォークなどを持参してきたが、スイ ス人の仲間は木の枝を切り、アーミーナイフで先を尖らせて、フォークを作り、火にかざし、巧みに調 理していた。炉もあたりの石を立てかけて作り、薪も周囲の枯れ枝を集めて利用していた。それを子供 に見せているのである。

結局、大震災に備え、水、保存食料品、医薬品、懐中電灯、ラジオ、などを備蓄する事は、当然として も、それらが破壊されていたり、そこにアクセスできなかったりして、十分に役に立たないということ が実際にはありえよう。臨機応変にその場その場での適切な対応をする以外にはあるまい。先ほどの、 「U.S.Army Survival Guide」では、ズボンないし円筒状のサックに小石・砂を詰め、木につるして、 上から川の水、池の水を注ぎ、インスタントのろ過器、フィルターとする方法が図解入りで書いてあっ た。阪神大震災のときにも、被災者が倒壊した木造家屋の板、木をはがして、たき火の材料としていた とのテレビ報道があったが、これもその場の応用の一例と思う。わたしが3−4歳の子供のころ、戦争 直後という事で、東京、神奈川の戦災の焼け跡に子供同志で良く遊びにいったが、そこには役にたちそ うな道具類が多く散乱していた。大震災直後にも、生活に役立つ品が自宅の跡地に散乱しているに違い ない。危険を避けつつ、水・食料、医薬品、生活用具を確保する必要があろう。

阪神大震災では、携帯型の電話が役にたったことが多かったという。それから分散処理型のパソコン通 信ネットワークも威力を発揮したらしい。連絡がつけば、親戚・知り合いの屈強なわかいひとに、生活 支援物資をリュック・徒歩で届けてもらうか、連絡が付かなくとも支援してもらうよう、日ごろから依 頼しておくのも良いと思う。その時に、携帯電話、無線機のような連絡手段を持参すると、役に立つと 思う。また、セカンド・ハウス、別荘も一時しのぎに、役立ったようだ。会社、企業の保養所も避難の ためのうけ皿となり得よう。また、戦時中のような、疎開制度を北海道、東北、九州の親戚と結んでお き、災害が起きたら、2−3か月程度は家族をうけいれあうような取り決めを相互にむすんでおくのは どうだろうか。

国、県、市のような公共団体にとっての課題は緊急輸送路の確保であるという事が、阪神の災害時にい たいほど思い知らされた。病人の搬送、消防車の移動など、緊急の輸送が災害時には急増するが、困っ た事に、一般車両の渋滞のため緊急車両がほとんど動けなかったことである。全車両の約1%を目処 に、県公安委員会などが緊急車両を認定し、また、災害時一般車両通行を禁じた幹線道路を指定し、そ の旨そうした道路に表示を出し、一般車両に周知徹底することが大切と思う。災害が発生してから、認 定するのでなく、いまから、全国の指定・幹線道路と緊急車両をいまから決めておくのが好ましいと思 う。アメリカでは今でもそうであると思うが、降雪のときの緊急輸送道路が指定されているところが多 い。ここでスノー・チェーンをつけていない車が動けなくなると重い罰金が科される。 緊急時には一般車両の通行が制限される事に、異存をとなえるひとはいないだろう。

阪神大震災時に倒壊し被害を多く出したのは古い木造住宅に集中していたと思う。東京を始め主要都市 の建造物・住宅の対震度チェックは常時行うべきと思うが、どうだろうか。個人の判断の問題なので、 強制はできないだろうが、危険地帯の住民にたいする説得は粘り強く進めないといけないないのではな いだろうか。阪神大震災後に住民と市との間で、地震に強い都市作りのための計画が難航に難航を重ね ていると聞いている。大地震が来る前から、たとえば、東京・横浜でも22世紀を展望した計画つくり を考え、住民との間で対話を重ねることが必要とおもうがどうであろうか。

災害に強い町作りをするためにも、首都移転は大切なことのように思う。たとえば、21世紀後半に は、日本の首都は巨大な空港に隣接した仙台を中心とした東北地区、22世紀後半には札幌を中心とし た北海道地区とするなど、はっきり決めて、これにふさわしいような計画作りを考えるのはどうだろう か。

意外としられていないのは、県、市町村、消防、電気、ガス、水道、その他重要な機能の職員が被災の ため活動が長期にわたり続けられないことである。復旧のための、作業は近隣の同様の機関の応援を仰 がなくてはなるまい。こうした対応がスムースに行くように、日ごろから連絡調整、相互援助協定作り が大事になってこよう。

それから、大災害時には非常事態宣言を発し、一定の期間に限り、通常の医師法、交通法規などを適用 除外とし、人命救助、応急処置がしやすいようにしなければならない。たとえば、怪我人の搬出は緊急 消防隊がおこない自衛隊はおこなってはいけないとか、医者が同乗しないと救急用ヘリコプターは飛ん ではいけないとか、怪我人救出用の犬の国外からの移動には検疫が必要とか、ばかばかしい事が多い。 また、国外からの救援活動の申し出でには国、県、市の同意が必要という事もタイミング良い救援活動 をむづかしくする。もちろん、混乱はさけなければならないが、その国在住の日本国大使、公使に、本 国の状況をかわりに判断させ、救援の是非を判断させても良いのではないか。

災害ニッポンは自分たちの身をまもることだけで、実に大変なことと思う。阪神大震災時に中央政府、 地方政府の対応が後手後手に回り、あまりあてにならないといやというほど思い知らされたと思う。何 百万人もの被災者を救援するにはある程度時間がかかるということは、庶民の側からも理解しなければ ならないだろう。結局のところ、親から子へ、子から孫へと被災体験を語り継ぎ、災害で困ったとき、 うちの祖父は祖母はどうしたか、どう行動したかを知っておく事が大事と思う。関東震災時の火災の 話、流言蜚語が自体を悪くした話など、よく語り継いで、おろかなことを繰り返さないようにしたいと 思う。(以上)

このほかの、ライン随想録については、下記のホームページをご参照下さい。

http://plaza4.mbn.or.jp/~yiura/rhein040.htm

(97/9/23  ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)



◆ 地震・台風・津波高潮・火山噴火の日本(1)

スイスに住んで約8年、当地から日本のテレビ・ニュースを見ていると、日本 の天然災害がヨーロッパに比べて格段に多い事に気が付く。日本では今年 (1997年)6月だけで、3つも4つも台風が上陸し、9月には19号、20号と毎週 のように、台風の接近を報ずるニュースが流れている。6月末、7月初には毎年 のようにいつも梅雨末期の集中豪雨があり、土砂崩れなどで被害がでる。阪神 大震災から2年半経過しているが、現地の復興はまだまだ緒についたばかり で、かなり問題をかかえているようだ。そのしばらく前には北海道南西沖地震 があり、奥尻島・青苗地区では地震による津波により壊滅的な被害を受けた。 関東地区・東海地区、または日本のその他の地区で大規模な地震が発生して も、驚く人はあまりいないであろう。多くの人はすでに計算にいれているに違いない。

雲仙ふげん岳の噴火では、火砕流により死傷者・家屋の損壊、田畑の被害ェおこり、一帯の村が長期間にわたり居住不可能となった。その前の伊豆・大島の 三原山噴火では住民の全員避難が行われるという事態が発生している。北海道 ではまた、地震・火山噴火と直接関連がなくとも、岩盤の崩落事故が起き、トンネルがくずれてバスが押しつぶされ大きな被害がでた。

太平洋とアジア大陸の接点にある日本としては、いくつかのプレートが交錯し、昔から地震はさけられないものとして考えられてきた。フィリッピン沖で 発生した台風は年にいくつかは沖縄・奄美を通って九州から本州に上陸するの は-{では当然と受け入れられているだろう。津波・高潮、火山噴火も避けら れない自然災害としてその原因を取り除こうとするより、いかにして被害を最小限にとどめるかというところに対策の中心がある。

さらに、日本では島国という事で、海岸線から10km以内、高度500メート ル以下の土地に居住する人の割合が高い。そこは昔から海の幸に恵まれ、豊か な生活を支えてくれたとは言うものの、津波・山崩れなどの天然の被害を受け やすい地域でもあったと思う。火山は時により、大きな被害を出すが、近くに 温泉が湧き出したりして暮らしを豊かにする側面もあろう。台風がもたらす雨 は貴重な水資源のみなもととなっている側面もあっただろう。清少納言は台 風・野分のあと見に行くと、大きな木が倒れたりしていて、日ごろとは変わっていて楽しみだったといっていた。日本人は昔から自然災害はいたしかたない ものとして甘んじてうけいれ、これと共存していこうという生き方をとらざるを得なかったと思う。

阪神大震災が起きたとき、フランス語の先生のマダム・ベライシュは「なぜ日 本人は地震が起きると分かっている島に住むのか、地震のないところに移住することは考えないのか」と素朴な疑問を発していた。多くのヨーロッパのひと は同様な疑問を持つものの様であるが、それでは地震多発地帯のアジア、トル コ・イラン、アメリカ西海岸のひとは、皆移住しなければなるまい。地震におびえながらも、生きていかなければならないという悲しさをなかなか理解して、もらえないようだ。

スイスのバーゼルでは、過去700年前にいちどだけ大地震を経験しそれ以降はまったく地震は発生していない。台風・火山噴火もない。大雨でライン川の 水位が高くなったり、突風・豪雨、雹・あられをときに経験するぐらいだ。ダム・貯水池の工夫で川の水位のコントロールは精緻を極めている。日本に比べ ると、天然の災害はきわめて少ないことに驚く。スイス建国いらい、永世中立という事で、ヨーロッパに吹き荒れた戦争にも幸いにして一度も巻き込まれて いない。戦災の被害にもあっていないのである。市の中心部では、建築後30 0年、400年、といったアパート、家屋がたくさんあり、補修は繰り返され ているとは言うものの、それが現役のものとして使われている事にまず驚かさ れる。石畳の舗装などは、500−600年前のものをそのまま、使っている ようだ。

このように天然災害・人災の状況が異なると、日本と中央ヨーロッパで、人々の人生観、暮らし方に大きな差が出て来ているように思えてならない。具体的 な話をしよう。キリスト教徒の多いヨーロッパでは各地の教会建設にに多くの エネルギーが投入されている。そこは毎週・毎日の祈りの場であると共に、洗 礼、教育、結婚、葬式などの社会的な儀式の場である。都市、町、村にはそれ ぞれの核・シンボルとして、教会が中心に据えられているのは当然である。この教会建設のため多くの都市で500年、600年、といった月日が投入され ている。戦災で焼け落ちても、精緻な設計図があり、寸分の狂いもないほど、 復元されるという。第一期工事はここまで、二期では塔を追加し、寄附を集め て三期では尖塔をさらに高くなど、徐々に時間をかけて、充実させていった様 子が展示されることが多い。ストラスブールの大聖堂では、中世から400− 500年かけて、大きくしていったと聞いている。これには地震などの天然災 害が少ない事が影響し、長期の計画が立て易かったのであろう。

日本では、たとえば伊勢の皇体神宮では60年ごとに遷宮として、立替えを行 う事になっているようだ。石の文化、木の文化の違いもあろうが、台風とか地 震の被害が多い日本としては、新品に立て替える事で、災害に対処しようとい う知恵が働いているのではないだろうか。同様なことが、住居の建設にもあて はまり、日本の木造建築では、50−60年程度もてば十分で、古くなったら 壊して立て替えれば良い、との考えがある。また地震でこわれたら焼却し、新 しいものを立てれば良いと考えているようだ。同じ家を500年も、600年 も使おうといった、考えは毛頭ない。

家の建設のはなしだけでなく、日本人の頭の片隅には、地震などの天然災害に 対する諦め・無力感から無常感、虚無感がつきまとっているうように思えてな らない。かたちあるものは滅びる、流れにまかせる以外に方策はないとの考え である。平家物語、方丈記いらいなんども書き記されてきた心情であろう。阪 神大震災のときにも倒壊した家の下敷きになってなくなったかたには、大震災なのだからしかたがないといった諦めが多くの人のこころに広がったようだ。 東京の江東区の一部の地区のように、戦前からの木造家屋が密集しているところでは、阪神震災規模のゆれでも、倒壊・火災から大被害がでることはだれで も容易に想像が付く。これに対して、住民も都・区の自治体も国もなんら手を 打とうとしていない。住み慣れたところから離れるくらいなら、地震で死んでもかまわないと考えるお年寄りが多いのではなかろうか。政府の対応を求める 声もそう強いものとは思えない。

スイスで国内のすべての家、オフィスに核攻撃から身を守るためのシェルター (コンクリート・防火扉つき)を備えるよう法律で義務づけられているが、これほどの用意周到さは必ずしも必要ないとしても、天災に対する日本の対応は、実になまぬるいもののように感ぜられてならない。

来るべき、関東地区大震災に備えるためには、虚無感、無常感などといっていてはだめで、長期的な緻密な対策がぜひ大事であると思う。阪神大震災の経 験、教訓からいま全国的なレベルで計画・実施をすることがぜひ必要と思う。 これに付いては、ここでは長文になるため(2)をごらんください。(つづ く)

ライン随想録の他の記事に付いては、以下URLをごらんください。

http://plaza4.mbn.or.jp/~yiura/rhein040.htm

(97/9/21  ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)