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世界の窓

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【 スイス・バーゼルレポート VOL.3】

井浦 幸雄氏


◆ QE2航海記・その4、クイーン・エリザベス号・カラオケ大会は大盛況

クルーズ三日目の7月30日、夜10時から船内「カラオケ大会」があると言うので、ゴールデン・ライオン・パブに出かけてみた。その直前クイーンズ・ルームのダンス・パーティーをみていたが、こちらのほうはやや閑散としていた。カラオケ会場は30−40人くらい入ることのできるアッパーボード・右舷側(スターボード)のパブであったが、すでに100人以上の観客で、押すな、押すなの大盛況であった。半分くらいの人は、“What's Karaoke?"などと言い、ものめずらしい感じで見に来ていた。日本人のお仲間の渡辺さんが「愛の讃歌」を英語で歌うと、これが素人離れ した歌いっぷりで、やんやの大拍手となった。希望者は歌う曲名を司会者に提出しておき、順番がくると司会者がカラオケのスイッチを入れてくれる。歌う人の目の前のスクリーンに歌詞が現われ、曲がスピーカーから流れるといった趣向である。日本で10年ほど前、なんどかスナックのカラオケに行った事があるが、たしか日本の多くのカラオケでは、歌う人用のモニター・スクリーンに加えて、観客用の大きなスクリーンに絵と歌詞が現れるようになっていたと思う。ここではそれがなかった。観衆の反応がビビッドで面白かった。PPMの「マジック・ドラゴン」や「花はどこへいっ たの」、エルビス・プレスリー、サイモン・ガーファンクル、それにデュエットでは司会者の助け船も出てきた。出演者は若いひとが多かったが、美人の娘さん二人の歌などには拍手がとくに大きかった。

下手な人も少なくなかったが、観衆が手拍子で励ましたり、一緒に歌ったりしたので、恥ずかしがる出演者はまづいなかった。それに20数人のひとがでてきたが、司会者が「あと3人で出演希望者がつきてしまいます」、ご希望のかたは今すぐ、用紙を提出してくださいと叫んでいたが、追加はなく、この3人が歌い終わるとお開きとなった。強制はしないものらしい、周囲のひとにおまえはどうかというような推薦もなかった。この点は日本とちょっと違うかなと思った。カラオケがQE2でこれほど人気が出ているものとは想像もつかなかった。カラオケというのが日本語で、日本始 発のコンセプトということに気づいている人も多くなかったようだ。ただ、みなが楽しんでいるのをみると内心うれしい気持ちがこころに広がった。

ヨーロッパではロンドン、パリのようなおおきな都市では日本人も多くカラオケが盛んなようであろうが、スイスではアルプスの村、ベルゲンのホテルで「カラオケ大会」の宣伝をみたことがある。わたしの住むバーゼルでもクライン・バーゼルのパブで「カラオケ」の案内をみたが、いまでも続いているかどうかは知らない。日本人の個人の家でホーム・カラオケなど開催して、演歌などうたっているひとはあるのかもしれない。

QE2では、このほかいろいろな行事・エンターテインメントが盛りだくさんに提供されており、全部にでるとからだがもたない。われわれが出て、楽しんだものとしては、留学生グループ・AFSのお仲間の「タレント・ショー」。これはギターとか、葦の笛、ジャズ・ソング、民族ダンス、とくにアンデスのダンスでは観客に刺繍のコースターのお土産までが配られた。グランド・ラウンジでは、QE2.オーケストラの演奏のもとで、専属のミュージカル・チームが「メモリーズ」というなつかしいミュージカルの名曲、名場面、を再現するというショウを2日にわたり行っていた。 レ・ミゼラブル、キャッツ、などなど、である。この専属ミュージカル・チームは毎回の航海に出演するようだ。

カクテル・ラウンジではピアノ演奏、シアターではマドンナの「EVITA」、「The English Patient」,「The Devil‘s Own」などの映画が上映され、これが客室のテレビでも同時放映されていた。客室のテレビでは、船の進行方向を操舵室のデッキから放映する実況中継放送がクラシック音楽とともに24時間放映されている。

このほか、QE2の「船内案内」と言うのが、人気を呼んでいた。操舵室、エンジン・ルームなどに連れていってくれるもののようであったが、だいぶ歩きそうなので敬遠した。フィットネス、エステティック、など、さらにはゴルフ・パッティング、コントラクト・ブリッジ、も多くのひとを集めていた。カジノではスロット・マシーンやルーレットの賭けがよる・9時半以降オープンとなっていたが、チップ売り場のおねーさんはやや手持ちぶさたのようであった。留学生の記念航海ではない通常の航海ではもう少しカジノの売り上げが多いのではないかと若干同情した。

晴れて天気の良い日には、デッキでの日光浴を楽しく人が多く、プールサイドはいつもおお賑わいであった。プールのとなりのジャグジーという、泡付き温水小プールでは、マッサージ効果をねらい大盛況であったが、大人専用で16歳未満はお断りと書いてあった。

割合にユニークであったのは、船長のインタビューという番組がグランド・ラウンジであり、船長は「英・アルゼンチン・戦争」の折り、このQE2が輸送船、病院船、として戦列に加わっていた事を長時間はなしていた。

エンターテインメントでも、QE2、ロンドン・ニューヨーク間はとくにアングロサクソンの世界を色濃く反映しているな、という印象を持った。1920年代、1930年代、航空機が導入される前は旅客船が主体でこうした船旅は絢爛豪華な社交界の花形を乗せて、きらめくような世界を作り上げていたのだろうなと、しばし往時に思いを馳せてみた。(以上)

(97/8/16  ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)



◆ ?観光立国・ニッポン

国外からの観光客をたくさん日本に誘致するよう努力したらどうかなどというと、日本では笑い出す人が多くいるのかもしれない。経常収支の黒字がたまりすぎて困っているときに、外国人の観光客がたくさん来るようにする事は、大事な事ではないのではないかという論点である。昨96年一年間の日本人の海外渡航者は、1600万人を越えたと言う。今年は、8−9月の2ヶ月だけで310万人に達するらしい。これに対し、海外から日本にやってくる旅行者は年間約380万人くらいで、過去30年間ほとんど増えていないらしい。内訳は韓国からが約100万人、台湾72万人、アメリカ59万人くらい であるが、日本からアメリカに行く旅行者だけでも(ハワイとグアムが多いのかも知れないが) 年500万人に上ると言う。ワインとグルメの国フランスでは流入する外国人旅行者は合計で年6,000万人に達するらしい。

わたし自身がヨーロッパ各地やアメリカ、アジアを頻繁に旅行し、様子をみてきた経験から言うと、日本および日本人は外国からの観光客によろこんで来ていただけるような国づくり、雰囲気つくりをしないと、21世紀には世界からつまはじきにされてしまうような気がしてならない。観光などどうでも良いと言う考え自体が、ほかの国のひとを、また他の人を魅了する努力をおこたっていることに他ならない。なぜ、日本人がアメリカやフランスに行って楽しいのだろうか、またなぜフランス人やアメリカ人が日本に来て楽しくないのだろうか?円高で日本の物価が高い、ホテル代が高い という側面だけでは説明ができないだろう。所得水準の高いひとはそれだけの価値があると思えばよろこんでお金を使う事も事実なのである。

何人かのヨーロッパの人にまたアメリカの人に、旅行先を日本にえらぶことをどう考えるか聞いてみた事がある。当然、ひとにより異なり、ケースバイケースであるが、シャモニー・モンブランに近い観光地、フランスのアヌシーで聞いたホテル従業員の女性はアジアには良く行くが日本には行っていないと言う。なぜと聞くと、イメージが良くないと言う。フランスのテレビで雪の中を幼稚園児を裸にして、スパルタ教育をしている日本特集の番組を見たと言う。それに戦前の日本軍の暗いイメージがなんどもこびりついて、楽しくないところという印象が強いと言う。アメリカの人は、日本は工場ばかり多くて、観光に適するところは少ないのではないかと言っていた。官民あげてのPR下手、戦後50年以上経っているのに、悪いイメージの日本を払拭できずにいることを気づいていない、ということが事実であればゆゆしいことのような気がする。

日本では「桃梨いわざれども、その下自ずと径をなす」といった、思い入れがある。黙っていても自分できちんとしていれば、ひとはいつかはきっと分かってくれるという期待感である。しかし、今後は雑誌、新聞、テレビ゙、放送などのマスメディアを総動員して日本のイメージを引き上げるべく間断なき努力をすることが必要なのかもしれない。たとえば、日本のシンドラーともいわれた、「杉原千畝公使」の話などは、とりあげて映画化する会社はでてこないのだろうか。また、最近聞いた話だが、明治時代に帝国ホテルを設計した「アラン・ライト」は、日本の建築様式を西洋建築にとりいれた建築家として、知られており、その後ヨーロッパの近代建築にも大きな影響を与えたと言う。こうした人の伝記なども詳細にたどる必要がありそうだ。浮世絵と印象派の関係も面白いに違いない。スイスでは盆栽、水石の愛好家が毎年、日本ツアーに出かけている。華道の愛好家にも日本訪問はたまらないものらしい。結局、日本文化の発信が対日旅行を魅力あるものにするようだ。

タイのバンコックになんどかいったことがあるが、わかいひとに日本旅行が人気が出ているらしい。雪山を日本で始めてみて、感動したといった話を良く聞く。台湾からの観光客には黒部アルペンルートが人気を呼んでいるらしい。東京ディズニーランドも多くのアジアの人に好まれているようだ。距離的に遠い、アメリカ・ヨーロッパからの観光客誘致よりも、近隣のアジアの国ぐにからのお客を大事にしたほうが、これらの国のひとの所得が急速に増えているので、手っ取り早いのかも知れない。別府や雲仙の旅館・ホテルは韓国からのお客の誘致に力を入れていると言うが、良い考え と思う。すでにこういった努力は始まっているらしく頼もしいかぎりである。

結局、最近では日本のひとが多く海外旅行にいくので、外国から日本への観光客にも関心が高まっているようだ。これを日本での外人観光客歓待運動に結びつけていきたい。スイス最大の観光地、ルッツェルンでは外人観光客に対する一声運動というのが盛んである。カップルが片方一人だけの写真を撮ろうとすると、二人の写真を撮ってあげようと、すぐに地元のひとがよってくる。地図を広げていると、どこに行くのかと声をかけてくれる。日本でもアジアなどからの観光客に一声運動をと、地方自治体が声をかければこれらの人々の日本滞在がより楽しいものになると思う。日本観光 が楽しかったという、口込みが最大のPRのように思うが、いかがなものだろうか?

外国からの観光のひとが日本を楽しんでいただいているかどうかと言うのは、日本人の日ごろの生きざまがどうあるかと言う事と密接にからんでいるものらしい。たとえば、アメリカではどこに行ってもフレンドリーなひとが多いと聞くが、これはアメリカでは周りの人から好かれ、ポピュラーであるということは、即、パワーに結びつく。そのよい例が、直接に投票できまる合衆国大統領であろう。みな子供のころから、まわりの人にナイスになり好かれようと、間断なき努力をしている。フランスの町々、村むらも花など飾り、印象よく多くのひとに見てもらおうと常に競っている。 個人のお化粧も、着るもののファッションもその一環ではないだろうか。日本の国は、村は、都市は、そしてわれわれ一人ひとりは他のひとから好かれようといった、そのような血のにじむような努力、工夫を何世代にもわたりしてきたのだろうか。?観光立国・ニッポンといっても多くの考えさせられる課題を含んでいるように、思えてならない。(以上)

(97/8/14  ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)