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世界の窓

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【 スイス・バーゼルレポート VOL.2】

井浦 幸雄氏


◆ ロンドン・ヒースロー空港

最近航空荷物が遅く配達されたり、なくしたりした経験のあるかたおられませんか?QE2航海後、ニューヨークでの諸行事を終え、8月3日発、ニユーヨーク・ニューワーク空港から、ロンドン・ヒースロー空港経由、スイス・バーゼル空港まで帰ってきたが、ニューヨークでチェックインした3個口の荷物のうち、茶のスーツケースが一個出てこない。早速、空港の遺失物係に行き、該当タッグ・ナンバーを示して、必要事項を記録し、調査を依頼して家にかえって来た。

紛失に気がついたのは、8月4日、午前11時半ころ、バーゼル空港であったが、結局、家までとどけられたのは、翌8月5日の午後8時ごろで、空港から自宅まで電話連絡があり、その直後タクシーで配送された。

結局、スーツケースは無事とどけられて、実害はなかったし、それほどの問題はなかったが、翌6日オフィスに行き、仲間と話してみると、ロンドン・ヒースロー空港の乗り継ぎ便・荷物処理は最近トラブルが多いというはなしであった。なかには、荷物の一部を抜き取られるという被害に遭った人もいたと言う。

うすうす、こうした話は聞いていたので、NY・JFケネディー空港、ロンドン・ヒースロー空港、パリ・シャルル・ドゴール空港のような大きな混雑する空港はできれば、乗り継ぎ空港としては避けるようにしている。アムステルダム・スキポール空港や、チューリッヒ・クローテン空港のように、やや規模が小さく、混雑の度合いが低いところのほうが、確実のような印象をもっている。

今回の場合、ノルウェーのQE2・大西洋横断委員会が帰りの航空券の手配をしてくれ、ロンドン・ヒースロー空港乗り継ぎは選択の余地がなかった。しかし、状況を良く見てみると、この程度の航空荷物の乗り継ぎ時・遅配はかなり頻繁に起こっているものらしい。英国航空・BAの機内で読んでいた新聞によると、前日の8月2日、ヒースローでは、コンピュータの故障のため、多くの旅行客が荷物の遅配により荷物なしに家に帰らざるを得ないケースが続出していたと言う。また、NY・ニューワーク空港のチェックイン時には、ヒースローの乗り継ぎ時間が一時間半しかないと見ると、荷 物に“Transfer to Terminal 1 -SHORT" という特別のタッグをわたしの すべての荷物につけていた。遅配が予想されるので、警告をしていたものであろう。また、バーゼル空港で「遺失物係り・Lost and Found」 に行ったときも、係員が「またヒースローか」と顔をしかめていたのを思い出す。遺失物のオフィスではわたしの後ろに7−8人の人が並んでいたので、みな遅配にこまっていたらしい。

乗り継ぎでなく、ヒースロー始発・終着ではさほど問題はないと言う。また、荷物の多くない人は、機内持ち込みだけで、荷物をチェックインしない人も多いようだ。2−3日で、次から次へと移動するようなビジネスの人などは、機内持ち込みだけで移動することが正解であろう。

わたしの場合、過去3回も荷物・遅配の経験があるため、タッグはオフィスと自宅の住所・電話番号、それにIAPA(International Airline Passengers Association) のものがつけてあり、紛失しても連絡が取り易いように工夫がしてある。それに、空港のチェックインのときには、航空会社の宛先用タッグがしっかりとつけてあるか、間違いがないか再確認するようにしている。このため、荷物がでてこないときでも、なくなることはあるまいと信じている。

しかし、チェックイン用・航空荷物のパッキングのときには、紛失・遅配を前提に、大事なもの、高価のものは決していれないという配慮が必要のようだ。とくに、撮影後の「フィルム」は確実に手荷物に入れるべき物と思う。また、亡くなると困るような使い勝手の良いものは、家においておき、旅行中はやや不便でも第二、第三くらいのクラスのものをもっていくのが良いようだ。

今回のわたしの場合、QE2の船旅ということで、やや荷物が多かったが、通常は “Travel Light" ということで、荷物は少なく、身軽に、必要なものは現地で調達、というのが、楽しい旅の知恵というように思えてならない。(以上)



(97/8/10  ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)



◆ QE2航海記・その3、豪華船のあらましと船上セミナー

7月27日午後5時半、英サウス・ハンプトンを出港したQEIIは一路ニューヨークへ。船客1500人、乗組員1000人、7万ト ン、13階立て、3つのフットボール場をあわせた長さをもつこの船は慣れるまで大変であった。当然詳細な地図が配ら れ、随所に案内板、スタッフも親切に案内してくれるが、自分の部屋からレストラン、バーなどへ行くのも最初はなん ども迷った。レストランだけでも、Queen's Grill、Princess Grill, Britannia Grill,Caronia Restaurant ,Mauritania Restaurant,The Lido,The Pavilionと7つもあり、バーもCrystal Bar、Yacht Clubなど、7 つもある。指定したレストランに行くことになっているが、ほかで簡単な食事を選ぶこともできる。船客のニーズに合 うよういろいろな行事も用意されており、たとえば、プール、フィットネス・ジム、エステ、ピンポン、ビリヤード、 コンピュータ・スクール、合唱、ダンス・スクール、などなど、たくさんある。毎日配布される、ニュースレターで時 間・場所が指定されているし、また船内放送、各室のテレビで案内が行われる。ニュースレターは毎朝、ドアの下に滑 り込ませるかたちで部屋に届けられる。

乗り組み員1000人の内訳は、ウエイター239人、ソムリエ18人、バーテンダー60人、大工8人、子守り2人、ベーカリー 16人、フィットネス・インストラクター5人、ミュージシャン22人、ローンドリー・洗濯17人、ダンサー10人、印刷4 人、医者2名、銀行3人、ライブラリアン1名(世界中でQEIIのみ)が、通常の航海士などに加えてのっており、まさに 一大観光都市の感である。船長は市長か、外交官のような感じである。船長は時折、放送で船客にあいさつするほか、 レセプションを主催、講堂で船客向けのインタビューまでして、サービスをしている。QEIIは、わたしも知らなかった が、年に10回ほど、ニューヨークーロンドン(正確にはSouth Hampton港)間を往復しており、これだけで、年の半分 くらいを使っているようだ。お好みのかたは一度試してみて下さい。

われわれの航海の目的は、AFS(American Field Service)留学制度発足50周年船上セミナーに参加することで、今 回の乗客のほとんど全員がこの留学制度の関係者である。毎日数百人が参加し、講堂・シアターで各種セミナーが開か れた。7月28日・The AFS Story,7月29日・Volenteer Spirit,7月30日、We're all going global! 7月31 日、What Next?などの、テーマで講演・討議が行われた。

あまり関心のない人もこの読者におおいとおもうので、要点だけにとどめると、このわかいひとの国際交流制度は、国 際間の理解をふかめ、平和を推進する上で貢献することを目的としている。わたしも家内もこの交換学生の経験者で他 のお仲間と交流も楽しかったが、第一次大戦、第二次大戦時の欧州戦線でのアメリカ人の救急車運転手(American Field Service)が戦後、交換学生制度をはじめるようになったいきさつに興味があった。これには、第1日に、創始 者の一人、Ward B. Chamberin, Jr.が講演で話してくれた。かれによると、第二次大戦が終わり、数百人のボレンテ ィアーのアメリカ人救急車運転手が欧州からアメリカに帰ってきた。この中に、rinkerとThinkerの二つのグループ があり、Drinkerは、一緒に苦労をした仲間が、酒でも飲んで楽しく昔話でもしようというグループ、Thinkerは、こ の救急車運転のボレンティアー活動をわかいひとの交流による平和推進活動に結びつけていこうと言う、いわば思想家 で、この中心が1974になくなったStephan Galattiであった。戦後、1946−47年ごろ、アメリカを中心に平和推進運 動の一環として、諸外国の学生をアメリカに受け入れると言うボレンティアー活動が盛り上がった。後に、アメリカー 諸外国という図式から、マルティ・ナショナルの活動に展開していった。今では、全世界に約一万人の学生交流がおこなわれているという。

いろいろなセミナーで、差別・区別の考え、はわれわれのこころの片隅に潜んでいる、これが戦争の芽になりうるとの 指摘があちこちでなされた。文化、政治のうえで、地域的な特性を生かしながら、グローバルな考えを持ちつづけるこ との重要さを唱えるひとが多かった。ヨーロッパからの参加者が多かったせいか、欧州の政治・経済の統合が常に他の 地域に対し開かれたものであるべきだとの意見が多くなされた。

AFS制度の活動では、白人、アジア人、だけにとどまらず、ブラック・アフリカを取り込むべきだ、留学生の自己負担分 が増えてきたため、経済的に恵まれない家庭の子弟が排除されがちになるジレンマをどう解決するか、他の競合する留 学制度との調整をどう進めるかが、議論された。(以上)

(97/8/8  ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)


◆ クイーン・エリザベス二世号航海記―その2(大西洋上およびスイスから)

7月25日、スイス・バーゼル発、12.45分バーゼル空港BA743便にて、ロンドン・ヒースロウ空港へ、バーゼ ルのお仲 間、スイス人のトーネイ、ロイチンガー夫妻夫妻と同行。タクシー約30分で、ホテル・グロスターへ。この 日、25日、金、 と26日、土、は休養日。知り合いの人に夕食をつきあってもらう。土曜日、ニューボンド・ストリ ートでセーターを購入、9 9ポンドを三着。

7月27日。11時に荷物をルーム前にて、あつめてくれる。12時、バスに乗り込み、South Hamptonへ。約1時間 半で、到 着。快晴。バスを降りるとチェックイン・カウンターで約一時間も待たされ、ようやく乗船となった。受付は かなり年配の人 が、働いており、コンピューターは不得意そうで、さすがQE2ならではと妙な感心をした。クレディッ ト・カードの登録が強制さ れ、船の中では、現金を使わない由。乗船のときに記念の写真を撮られ、後に一枚6.7US ドルで買い求めた。乗船に際して、 若いスチュアードのひとが、部屋まで案内してくれたが、この人が船内を4回も間 違え、人に聞いてばかりいたのが、印象に残 った。仕事を始めて、まだ2度しかQE2に乗船していないとのことだった。 7万トン、13階建てのこの豪華客船は、船客150 0人、乗組員1000人、まさに、海に浮かぶ都市と言った感じ である。

われわれの部屋は上の中くらいのクラスで外がよくみえ、バスもついており、食事をするところもPrincess Grillと いう高級な ところで、いたれりつくせり、やや贅沢だったかなという気もした。一生に何回も来られるわけではないから、まあいいかと言う感じであった。

3時ころに乗船をし、昼を食べていなかったことに、気がついたので、コーヒー・ショップでサンドイッチを食べ、出 港を待っ ていたところ、ライフ・ベストの着用訓練があると言う。 各船室にある黄色の救命胴着を着用して指定の集合 場所に集まるよう にとのこと。部屋のどこに救命胴着があるかみつけるのも訓練で、われわれの集合場所カロリナ・グ リルを見つけるのも大切な ことだった。人員を確認し、救命胴着の使い方、笛、発煙筒の使い方などを習った。出港する前に訓練するのも気に入った。ま た、航海中に乗組員だけの訓練にもなんどか遭遇した。客・乗組員も変わるので、 訓練は欠かせないものらしい。

約30分遅れて、7月27日、日、午後5時半South Hampton出港、5泊6日の船旅が始まった。船上の生活は自分の ペースで 過ごせば良いが、行事が盛りだくさんで、いろいろ参加してしていると忙しい。

今後、QE2の設備、いろいろな行事、出会った印象に残った人々、などおはなししてみたいが、今日は皆様に感心のある、QE2からのE.Mail発信について書いてみたい。

QE2には、Radio Roomという通信室が最上階のデッキにあり、Epsonの2−3台のPCを使い船客が通信衛星経由で Telefaxおよび E.Mailを送ることが可能であった。各自の船室からは同じく通信衛星経由で国際電話も可能である。料 金も若干高めであるし、 ゆとりの船旅でビジネスの電話、Fax, E.Mailを送受することもないが、緊急の場合には役に 立つに違いない。通信室に行き、 E.Mailを送りたいと言うと、Epsonの機械のところに、案内してくれる。自分で英文 の本文を打ち込み、E.Mailアドレスを書く とそのまま、送信してくれる。同文を複数のアドレスに送ることもできる。 発信もとは、QE2@SUPER-NET.COMで、自分の船室番 号をかいておくと、再度受信したE.Mailはプリント・アウトし、 部屋までとどけてくれる(封筒をドアの下に滑り込ませる)。 これにより、10本前後のE.Mailをやり取りしたが、大 西洋の船上から北米、ヨーロッパ、日本の人と瞬時に交信できるのが、 不思議であった。なお、QE2船上では、約10台 のPCを設置した、コンピュータ教室が随時開かれており、一日3回ほどの講習 会には、ほかの遊びに飽きた人が押すな 押すなの大好評であった。このコンピュータ教室でおしえてもらいディスケットに入れ たE.Mailを電信室から送ること も可能である。ただ、E.Mailを送るのを好まないひとは、船上で買った絵葉書にせっせと文章を 書き、船のメール・ル ームにもっていけば、QE2からと言うスタンプを押して、到着後NewYorkから送付してくれる。多くのひと はこれで十分 と思う。

NewYork到着後、滞在したDrake SwissHotel(56th・ParkAvenue)では、各室にファックスが設置され、部屋ご との使っ た料金の明細、NYTimes,Wall Street Jounal、Eibun.Yomiuriの記事が無料で入手できた。また各部屋か ら外部へのファック スの送信も可能で、ビシネスには便利と思った。すでにNY,London,Tokyoでは、出来ているのかも しれないが、部屋ごと、また は、ビジネス・センターでInternet Caf? のような施設を作り、希望者がE.Mailを送れ ると便利と思った。それがなければ、 まちのInternetCafeにいけば良いが、慣れないところで探すのもたいへんだろう。

QE2の船上では、South Hampton出港の折りと、NewYork入港の折りにほぼ全員の船客がデッキに集まり、港の様子、 まちのたた ずまいを船から眺めていた。

前に、申し上げたとおり、順次、行事、食事、エンターテインメント、船室の状況、ゆれ具合など、お話してみたい。

(97/7/28,8/4  ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)