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世界の窓

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【 スイス・バーゼルレポート VOL.9】

井浦 幸雄氏



人事を尽くして天命を待つ

わたしは「自分のなすべきことをしっかりと果たしたら、もうその結果は気にせず、神様の御心のままに任せる」というこの言葉が気に入っている。家内に言わ せるとそれは建前論で、人間はだれでも結果が気になるものよ、ということだった。たしかにそういう一面もあるが、わたしはつとめて、結果そのものよりも努 力の過程そのもの大切に考えたいといつも考えている。

受験、昇進、スポーツ、病気、結婚、われわれ一人一人の人生にとり、いつも過酷な試練が待ちうけていて、運命に翻弄されるような気がするのは誰でも同じでろう。 横綱・貴乃花はいつも、「優勝あらそいに絡んでいくような相撲を取りたい」と いっている。わたしの好きな言葉である。優勝したいとは決して言わない。好調な力士は、優勝の可能性が大きくなってきましたね、いわれるといつも、「一 番、 一番大事に相撲を取っていきたい」と申し合わせたように言う。

努力の積み重ねが良い成績に、良い結果につながることが多いとはいえ、しかし、これが思ったような結果をもたらしてくれるほど、世の中は甘くないこと を誰でもが苦い経験から良く知っているのであろう。

ゴルフでも、「ここまで2打できたのですから、パー4は堅いですね」などとおだてられて、その気になって次にチョロをし、ダブルボギーの6になったりすることはきわめて多い。

学校の入学試験や、会社の入社面接試験であがったり、どぎまぎするのは、やはり結果を気にするからだと思う。その学校に入学しなくとも、またその会社に 入らなくとも、またその配偶者と結婚しなくとも、健康で明るく生きていれば そこそこの人生をおくることができることを、若いひとはその時には良く分かっていないのだと思う。だから結果が良くないと、人生を悲観したり、落ち込んだ りしてしまうのであろう。

50歳台、60歳台になると、それまでほとんど気にしなかったひとでも、だれでも 健康のことが気になるもののようだ。周囲の同年輩のひとが、がんで倒れたり、 悲惨な入退院生活を繰り返したりしているのを見ると、健康なひとでも明日は我が身とおもうもののようである。これも自分なりの健康法を実践し、自分なりの ベストを尽くしたならば、後は神様の御心に委ねる以外に方法はないのかもしれ ない。かりに、常備薬や、人間ドック、名医のアドバイスで万全を期しても、飛 行機が落ちたり、旅先のエジプト・ルクソールでテロリストの銃撃に遭って一命を落としたりすることもありうる。人生は極めてはかないので、先の結果を思い 煩うよりも、今のささやかな幸せを噛み締めるのが先のような気がしてならないが、いかがなものだろうか。近藤誠先生は、「60歳台、70歳台のがんは老衰であ る」、と書いておられたが、こころ安らぐ言葉である。

最近、日本の金融機関や商社、製造業などで、破綻するところが出て来ており、 企業で働いている人には、自分のところは大丈夫だろうかと、不安に駆られる人も多いに違いない。これまで、企業の業績が悪いのに従業員にそれほどしわ寄せをしなかった過去の日本の企業が特異であったのであり、これでアメリカ とか欧州で働いている人と同じ様になったと思えば、腹も立たない。それにしても、大型の経営破綻は従業員に対し、マーケットの荒波が一挙に押し寄せる ものであることを思い知らされる。35歳以下の技術を持った人は、引く手あまたなのに、役つきの中高年は再就職が困難という。自分の会社が破綻すること が気になる人は、自分の生活設計が高望みをしていないか、もう一度チェック することが大切であろう。家族を含め簡素な生活をし、部下に頼らない仕事ぶりをしている人は外に放り出されても、ショックを受けることはないだろう。 「人事を尽くして天命を待つ」、と口に出して言うことは、たやすいが、真にこれを実践できるのは、過酷な人生の荒波を勇気をもって乗り切ってきた人にのみ 許されるこころの境地であるように思えてならないのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。 (以上)

(97/12/27 ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)



スイス・日本サイバーグループへ入会されませんか

(申し込みは明子ヒューリマンさん: E.Mail address:japinch@bluewin.chまで電子メールで)

 ( 関連ホームページは:  http://www.netlaputa.or.jp/~yiura/index.htm     )

今回のライン随想録はちょっと変わっている。単なる随筆ではなく、若干のPRが 入っ ているからである。でも営利目的のPRではなく、ボレンティアー集団のコンピュ ー タ・グループであるのでお許しいただけるのではないかと思う。上記グループへ の入 会金は一切無料である。スポンサーは歓迎したいので、もし居られれば発起人あ てお 知らせ願いたい。

小生、東京からスイス、バーゼルに移り住んですでに8年を越え、地元スイス人 を始 め、多くのヨーロッパの人々、それに多くのコンピューター通信に関心を持つ在 スイ ス、在日、日本人とも親しくお付き合いさせていただいている。モデムとパソコ ンが あれば地理的な隔たり、時差を越えて、一瞬のうちに多くの人たちと交流でき る。自 分の得意な言語(日本語・ヨーロッパ語を問わず)を使っていろいろ助けたり、 教え られたり、意見を交換することができる。フランス、ドイツ、アメリカ、ベネル ック スなどに住む日本人が中心になって、いろいろなグループが作られていることも 知ら れている。われわれはこのスイス版を作ろうというものである。

まず、スイスの中で日本語ホームページを作っていたり、各種メール・グループ でス イスの解説、意見交換を積極的にされているかたに、核ないしオリジナル・メン バー になっていただいた。明子ヒューリマンさん、幸子レイズィバッハさん、和子ド クサ ーヴ(山口)さんたちである。いずれのかたも、スイス人と結婚されており、公 表、 非公表は別として、日本語ホームページを作成・管理されている。これらのかた と連 携することにより、スイス人および他のヨーロッパ人で日本に関心のある人、日 本人 でスイスに関心のある人、旅行でスイスに来たことのある人、スイス関連のホー ムペ ージを日本でつくっている人、でグループ作りをしようということになった。も ちろ んスイス人のご主人がたも有力なパートナー、協力者である。

スイス・日本サイバーグループのメンバーは、ホームページ(後述)、メール・ グル ープ(すでに発足)、ニュースレターにより情報を有機的にあつめることができ るよ うになっている。いろいろな意見交換、質問などを適宜行うことができるので、 スイ スに仕事・商用で移り住む予定のかた、訪問されるかた、観光で来られるかた、 以前 住まわれていたかたなど、どしどし加わっていただきたいと思います。

瑞日サイバーグループのホームページ   http://www.netlaputa.or.jp/~yiura/index.htm  は今のところ、井浦が作成し た暫定ペ ージですが、入会案内が日本語および英語(明子さんの作成)で書かれている。 メン バー・リストは目下氏名、E.Mailアドレスとホームページ・アドレスのみが掲載 され ているが、ゆくゆくは本人の自己紹介の形で、より詳細なものを会員にのみ公表 する のも良い考えではないかと思う。ここには各種スイス関連のホームページ情報の リン ク(日本語、ヨーロッパ語の両方)を充実させていく必要があると思う。ホーム ペー ジにはあとに述べる、メールグループでの討議、意見交換の記録(ログ)、ニュ ース レターのバックナンバーを掲載しておき、あとになって読み直すことができるよ う工 夫したいと考えている。加えて、スイスに関するFAQ(良く聞かれる質問とその 答え) を掲載することが良いと思う。FAQには他のホームページとのリンク、サーチエ ンジ ンへのリファーなども充実させることが良いと思う。ホームページの運営には経 験の 豊富な幸子さん、和子さんが支援してくれるものと期待しているし、部分的には 事実 上の共同作業になることと思う。日、米、欧の三グループによる宇宙ステーショ ンが 計画されていると聞くが、ホームページもこれと同様に部分、部分を作成して後 程組 み立てるという方式もよいのではと思う。

同グループのメールリストは12月8日以降、すでに立ち上がって、メンバーを募 集中 である。希望のかたは入会の案内を上記ホームページで読んだ上、管理担当の明 子さ ん E.Mail address:japinch@bluewin.ch に氏名、E.Mail アドレスを連絡し申し 込んで ください。数日で手続きが終わり、グループのメンバーからのメールが届き始め ま す。メールが多すぎるとか、一時停止したいときには、明子さんにメールを送っ てく ださい。このメールリストはスイスに関する情報交換、意見交換に最適と思いま す。 実験的に日本語と英語を混在させますが、一つのメールの中に混在させることも 許し たいと思います。それがわれわれの日常生活の実状に近いからです。最初は氏 名、E .メールアドレスだけでも十分ですが、メンバーの質問に答える形で、自己紹介 をし ていただけると親しみが増すと思います。ホームページにメンバーの概要を掲載 した いと思います。

次にサイバーグループニュースレターは新メンバー紹介、お願い、連絡事項な ど、を メンバーに一斉送信するものですが、井浦なり、他のオリジナルメンバーからの 送信 となると思います。メールリストを使って、メンバーのみに送信することが主体 です が、のちになって深水さんの「まぐまぐ通信」などを利用させていただいて、メ ンバ ー以外のかたにもご案内ニュースレターをさしあげることも良いのではないかと 考え ています。

当初は、制限を設けず希望者を歓迎する方が良いと思います。不都合が起きたと きは その時に考える方式が現実的と思います。ホームページには若干コストがかかり ます が、それほどでもなく、またメールリストはスポンサー付きの無料のものを利用 させ ていただいていますが、若干のご寄附があれば有料のメールリストを併用するの も良 いかなと考えています。有料分に入るときはコストを利用者に負担していただく か、 バナー広告の形でスポンサーを見つけるのもいいかなと考えます。

ともかく、みなさん、お気軽にスイス日本・サイバーグループへご参加ください。

この文章は下記ライン随想録・HPと、スイスML.HPの両方に掲載されています。  

(97/12/13 ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)




◆ 金融・意識改革

はじめに、以下の随想は井浦個人の考察であり、勤務先の国際決済銀行の見解を示すものでは ないことをお断りしておきたいと思います。

97年11月に入ってからの日本の金融機関をとりまく情勢悪化はきわめて厳しいものがあっ たとだれもが認めるであろう。70-80年間に一度、とも言うべき、大手銀行、大手証券の 破綻が表面化し、日本の金融の根幹がゆらぐような感じを多くの人が持ったに違いない。

それでは、なぜこのような事態になったのだろうか。その原因はどこにあるのだろうか。これ からさき、日本の金融機関はどうなっていくのであろうか。だれしも、不安にかられるのは不 思議ではない。

結論からいって、わたしは先行きを極めて慎重に見ざるをえないが、基本的には明るくとらえ ている。ほこりがおちついてくれば、日本の将来は捨てたものではないと思う。また、そうあ ってほしいと思う。

直接の引き金は、1980年代後半のバブル経済の後遺症が1990年代になって、企業・金 融機関を直撃し、収益環境悪化、不良資産の累増を招いたことだろう。これはかなり多くの国 でもおこったことであるが、日本の情勢がことに悪くなったのには、日本人・日本企業人に特 有の「群集心理」、あいまいな企業会計原則、経営公開(ディスクロージャー)の不徹底、監 督当局の恣意性、と問題先送りの態度が、複雑に入り組んだためであろう。

「赤信号、みんなで渡れば恐くない」。1980年代の後半には、やや危険と知りつつも、ほ かの人も走っているという理由から、不動産貸し出しの急速な増加、総会屋に対する利益提 供、大口投資家にたいする損失補填などに走った金融機関も多かったろう。宗教が歯止めにな らない日本では、こうした流れに掉さすような人は企業内でも疎まれる存在であったろう。こ うした流れに、はっきりと「ノー」といった人は、企業内で多分昇進をあきらめなければなら なかったに違いない。

多くの人が認めているように、日本企業・銀行の会計・経理はかなり、恣意性を残すものにな っている。たとえば、銀行の不良資産の認定は明文化されて、だれもがその99パーセントま で、客観的に区分できるものとはなっておらず、銀行監督当局の査定に委ねられている部分が かなりある。こうしたことが、企業・金融機関の経営をガラス張りにすることを困難にし、外 部からのチェックを困難にしてしまった。監督当局も財政収入への配慮などから、問題を先送 りにし、困難に直面するのをいつも避けてきた。

日本経済・社会に浸透したこうした曖昧さ、不透明さが問題の解決を困難にし、政治面の優柔 不断さ、官僚の恣意的な問題先送りを助長してきたのではないだろうか。若干の体力が残って いたときには、監督当局からの慫慂によって、他の金融機関を救済するような銀行・証券もあ ったであろう。自分のレイティング・格付けがこうした救済によって、急速に引き下げられる のを目の当たりにして、ひとを救うよりは自分の身をただすのは当然と考えるようになったの は、自然なことと思う。

97年秋に大型の金融機関破綻が集中したのは、こうした問題先送りが限界に来たためであろ う。市場での資金調達が不可能になった金融機関は業務をつづけることはできない。市場が雑 草を間引く(weeding out)ように淘汰が進んでいくのであろう。これから先もほっておけ ば、金融サービスの需給がバランスするまで、市場の力でこうしたプロセスが進むのは目に見 えている。いいかえれば、多すぎる金融機関が淘汰され、あまり少ないと消費者が不便を感ず るまで、減っていくのかもしれない。それがお好みでなければ、国民は政治を動かして公的資 金の投入なりを行って救済の道をえらぶか、選択を迫られるであろう。

それにしても長い間、日本の金融機関はぬるま湯に浸って、自分の力を磨くことを怠ってき た。自分から競争を制限するように求め、それを役所も唯々諾々として保護してきたのであろ う。ビッグバンが始まる前から、そのはなしが出るだけで、金融機関の破綻が続出するのはい かにも、皮肉な現象である。日本では預金者・投資家も自分の頭で物を考えることはせず、結 局は国が預金を保護してくれるものとして、甘え、金融機関も外国からの日本への進出を国が 制限してくれるものと期待するのでは、たくましい筋肉質の経営が育つ環境にはない。誰を MOF(大蔵省)担当にするか、総会屋、大口投資家にはいかに優遇措置を与えるかなどばかり 考えていたのでは、生き馬の目を抜くような、修羅場としての、国際的な金融の戦場では、出 ていく前から、勝負が付いているようなものである。

今年の春、東京に帰ったとき、東京の金融市場では、ガイジンの金融機関が自由・対等に活動 できる、いわゆる「ウィンブルドン・テニス方式」(ここでは地元イギリスはほとんど勝て ず、ドイツ・アメリカばかりが勝つ)にするか、「J-リーグ・サッカー方式」(ここではガイ ジンに枠がある)にするか、みなが真剣に議論していた。これが、FREE,FAIR,GL OBALを唱える人が議論するはなしであろうかと、いささかあきれて聞いていたが、その結 論を待つまでもなく、市場の力により、方向づけが示されてしまった。大声で保護を求めてき た、金融機関が破綻によりひとつ、ふたつと消え失せてていっているのである。

わたしは日本の国外で日本以外の金融機関で活躍している日本人のディーラー、幹部職員を 多々知っている。また、日本国外でしたたかに収益をあげている日系の金融機関を多く見て来 ている。ひ弱な日本の金融機関が日本で、かなり淘汰されたとしても、青いめのガイジンとと もに、百戦錬磨のこうした黒い目のガイジンが日本のマーケットを注目していることも事実で ある。かれらは、グローバル・スタンダードで生きてきた。東京のマーケットがすべてのガイ ジンを対等に受け入れるタイミングを熱い視線で眺めているに違いない。

明治大学の教授になっている友人に黒田晃生さんという人がいる。このひとは、「日本のにわ とりと、東南アジアのにわとり」というはなしをしておられた。日本のにわとりは、危険もな く、えさも与えられるので、ただ地面を歩き回っているだけであるが、東南アジアの熱帯雨林 の同じにわとりは、野生動物にいつも命をねらわれ、食べ物も自分で確保しなければならない ので、たかだかと木から木へと飛びまわるという。

保護でぬくぬくとしていたものはこの厳しい国際的な競争社会で生き延びていかれない。自動 車産業、エレクトロニクス産業では日本の企業は長い間きびしい競争にさらされ、ここで勝ち 残ってきた。余分なものにコストを掛け、役所にゴマをすり、保護だけを求めてきた金融機関 は日本には決していないことを期待している。こうした金融機関がこの荒波が押し寄せる国際 的な激動の時代に生き延びていかれず、たちまち困難に直面するだろうことは、誰の目にも明 らかであろう。これは国外だけでなく、国内の金融経営でもまもなく同じことになるであろ う。私にはいくつかの日本の金融機関がたくましく、将来、青空に向けてはばたこうとしてい るのが目に見えている。将来を明るく見ているのは、まさにこうした金融機関に期待を寄せて いるためである。

(97/11/30 ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)



◆ つれづれわぶる人

「つれづれわぶる人は、いかなるこころならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ」
(徒然草、第75段)

わたしは人と付き合い、わいわい騒ぐことが好きである。しかし、さほどすることもなく、ゆったりと過ごす時間もまた大切であると思う。いつも仕事で忙しく動き回っているので、時たま、歩みを止めて、いろいろ思いを巡らしてみることは大切のようである。睡眠が昼の活動の源泉であるように、休暇をとることが仕事の糧になるように、ゆったりした時間はひとにとりじつに貴重なものであるようだ。

勤務先の仕事からはなれ、時間のゆとりがあるときに、わたしは「ライン随想録」の次の随筆の項目とその内容につき考えてみることにしている。これが楽しみの一つである。「ライン随想録」とは、たまたま私が、ライン川の流れる、スイス・バーゼル市に住んでいるため、この川にちなんでつけた名前である。1995年の秋頃から、折りに触れ書いてきたものが、すでに60数編になっている。飛行場での時間まちのときなどに、タイトルについて、いろいろ思いをはせてみるのは楽しい。家でのんびりしている日曜日の朝など内容について考えをまとめてみるのは、良い時間の過ごし方と思う。文章を紙に書きつけることはほとんどない。頭の中で考え、整理し直し、いつも直接ノートブック・パソコンにタイプインし入力する。校正、修正もスクリーン上で行う。時間のあるときに、いくつか下書きを書いておくこともある。

最近の随想には、「修学院離宮と秋の京都・97」、「清潔付きの国・スイス」、「母親がいつも言っていたこと」などがある。わたしの随想には、インターネットとわたし、などコンピュータ通信に関するもの、スイス・ドイツ語など、居住地のスイスに関するもの、ヨーロッパ旅行記もの、円高など恐くない、のような経済もの、携帯電話・たまごっちなど、当世はやるものシリーズ、などがある。また、結婚前の同居、欧州結婚事情など、結婚ものシリーズなども読者の反応がじつに多い。事実関係がおかしいと、ご指摘をうけることがあるが、ありがたく忠告をうけいれ、ただちに修正するようにしている。

随想を書いて、それがどのように発信されるのか若干とりまとめて、ご参考に供したい。随想はA4の用紙に、1−2枚の短いものが多い。エディターはMicrosoft.Word、またはNetscape Composerを使い、はじめからHTML文(コンピューター通信用の文)で書いておく。ホームページに掲載したり、メーリング・リストに送ったりするときに便利である。文章をHTML文で書き終えるとまず、自分のホームページの掲載する。私の場合には、HTML文にリンクをつけたり、壁紙をつけたりするために、Sausage社のエディターHotdog3.0を用いている。ホームページのインデックス・ページに新しい随想のタイトルをポストしたり、アップデイトの日付を更新したりする。What's Newのページを更新し、ライン随想録の目次ページも新しくし、自分のPCの中で、各リンクがうまく作動するか、間違いがないかチェックする。次にMS.FTPのソフトを使い、自分のコンピュータからホームページを管理するサーバーに更新したファイルと新規随筆のファイルを送信する。

さらに、いくつかのメーリング・リストに新規随筆をポストするが、全文をポストするときと、一部をポストし、自分のホームページで続きを読んでもらうときがある。また、いくつかの日本のホームページで掲載を希望するところには、送信しておく。時により、まぐまぐ通信などを通じ、登録してくれた人にニュースレターのかたちで新規随筆のホームページへの掲載を案内する。

ごく最近では、インターウェイを通じアクセスが簡単になったNIFTYのフォーラムにも、あらたな随筆をポストするようにしている。NIFTYのメンバーが多いので、このフォーラムの参加者からの反応が楽しみである。

時間があまりないため、最近は省略することも多いが、メーリング・リストなどからの読者のコメントを取りまとめて、HomePageに友人のコメントとして、載せることも時間をみて、できうるかぎり実行したいとおもっている。

紙をベースにした出版では、原稿をとりまとめてから、印刷・出版・配布に長い期間がかかる。それにかかる費用と売れ残りのリスクはかなり大きい。私の場合、コストはほとんどかからない。たまに、東京に帰ったときに神田の印刷屋さんに低廉な価格のコピーを作ってもらい、コンピュータ通信に参加できていないお仲間にお送りするようにしている。

自分のペースで物を書き、それを多くの人に読んでいただき、反応をまたメールでいただくというのは、書く人にとっても励みになるし、時間のゆとりのある時の、過ごし方としては、楽しみである。きっと、吉田兼好も自分の手書きの原稿を親しい人に読んでいただいたに違いない。デジタル化の進んだ今では、スイスに住んでいながら、日本、アメリカや、欧州の他の国ぐにに住んでいるかたがたとも瞬時に交流できるのは、じつに幸せなことである。

1997年のはじめから、「平成つれづれ草」と称する随筆サークルをつくり、楽しんでいるが、すでに10数人のかたに寄稿していただいている。あたらしいメンバーのかたも、毎月のように参加していただいている。このホームページは 「ライン随想録」とならび、YAHOO・JAPANにも掲載されているが、この巻末にアドレスを掲載しておくので、関心ある方はぜひ、お読みいただくと共に、執筆者として参加されたい方は、お気軽に井浦まで、E.Mailでご一報ください。今のところは、日本語ベースですが、非日本人の参加も歓迎しようと思っている。

さらに、スイスと日本をリンクした、ホームページやメーリング・リストも考えている。スイスや日本でで関連の個人ホームページを持っている人、スイスに住んでいる日本人とその配偶者、日本でスイスにつき関心をもっているかたがたにご案内をさしあげようと考えている。スイスについての、FAQ・質問とその回答、いまどきの観光、旅行、ステイ情報、お金をかけなくとも楽しめるスイス、スイスの内部からの情報、なども面白いかもしれません。定期的、または不定期にスイス・関連ニュースレターなど、希望するかたにお送りしても良いかもしれません。NIFTYにPATIOというのがありますが、手伝ってくれる方が、あれば、それも手がけてみるのも面白いかもしれません。

こうしたいろいろなプロジェクトがさほどのコストも掛けずにできるのは、電能時代のメリットで、電能の時代だからこそ、割安にこのようなことが、楽しめるのかもしれません。1997年の春からお手伝いしている、バーゼル日本人会の仕事も、E.Mail、メーリングを多用することにより、毎月の会報の原稿募集、打ち合わせが実に便利で、いろいろとバーゼル以外の日本人会のかたがたとも、交流できるようになっている。

こうして考えると、自費出版の将来はインターネット経由がじつに能率的な気がする。先日、「母親がいつも言っていたこと」という、随想を書いたところ、実におおくのかたから、反響をいただいた。ご健在でも、すでに無くなったかたでも、母親、父親のはなし、祖父母、兄弟、配偶者、子供の話は、ほかのかたがたと、シェアーすると、書き手、読み手の双方にプラスになると思う。愛する人の話しは、誰にも好感を持って受け入れられ、多くの人の心に生きている限り、そのひとはいつまでも生きているものと思います。

どうも、時間のゆとりのあるときに考えることとしては、はなしが発展しすぎたかもしれませんが、もしあなたの共感を呼びましたならば、ぜひボレンティアーでも、それ以外でも、お力を貸していただけませんか。小生あてE.Mailをいただけると幸甚です。若いかた、シニアーのかた、日本人・非日本人、いずれのかたも大歓迎です。


ライン随想録ホームページ、     http://plaza4.mbn.or.jp/~yiura/index.htm
平成つれづれ草ホームページ、   http://www.as.lancenet.or.jp/heisei/
バーゼル日本人会ホームページ、    http://www.komatani.com/www/Nihon-J.html



(97/11/18 ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより)