5 悪夢への扉






「……そろそろ、お昼時だね。店が立て込んでくる前に、あの子にお昼、持って行ってやったら?」

 ぱたぱたとテーブルの準備に立ち動くターナの傍に近寄ると、テリーはそっと耳打ちした。
 ターナの手の動きが一瞬止まった。
「……わたし――」
 彼女はテリーを見ると、戸惑ったように言葉を飲み込んだ。
 そんな彼女にテリーはにっこり笑いかけた。
「いいんだよ、今さら、言い訳しなくたって。全部わかってるんだから。ここは、今はあたしがやっとくからさ」
 ターナは感謝の瞳で微笑み返した。
「……すみません」
 彼女は軽く頭を下げ、奥へ入りかけたが、その前にふと戸口に視線を向けると、突然足を止めた。
「どうしたの?」
 彼女の顔色が変わったのに気付いて、テリーも怪訝そうに戸口を見る。
 開いた扉の向こうには、見たところ、特に変わった様子は見られない。
「……いえ、何でも……。ちょっと、外に出てきます」
 ターナは平静を装ってそう言うと、小走りに表へ出て行った。
 ――彼女が店から出た途端に、横から手が伸びてきて彼女の腕をぐいと掴んだ。
 ターナは息を飲み、その腕の主に目をやった。
「……兄さん……!」
 ターナの腕を掴んだまま、暗い視線を向けてきたのは、彼女の兄、ティラン・パウロだった。
 今ではアルゴン騎兵の赤と黒の軍服に身を包んだその姿は、一見すると別人かと見紛うかのようだ。
「ターナ……昨夜(ゆうべ)はどこにいた」
 彼はいきなり妹を詰問した。
 ターナは憮然とした表情で、兄を大胆に見返した。
「兄さん……何よ。ちゃんと書き置きしていったはずよ。お店が忙しいから、昨夜はここに泊まるって……」
「ああ、そんなことはわかってる。……だが、問題は、誰と一緒だったかってことだ」
 ティランの眉がきつく上がった。
「……何のことを言ってるのか、わからないけど?」
 ターナは少し戸惑った様子で、兄の眼からさりげなく顔をそむけた。
 ティランはそんな彼女を更に探るように見た。
「おまえ……『あいつ』と、いたんじゃねえのか」
 『あいつ』という言葉の中に限りない憎しみが込められているのを、彼女はすかさず感じ取った。
 そして、兄が誰のことを言っているのかということも。

 ターナはハッと目を上げて兄と視線を合わせた。
 その驚き、困惑したような彼女の表情がティランの確信を強めたようだった。

「……図星か。――イサは、ここにいるんだな?」
 その名を口に上らせた瞬間、ティランの瞳にさらに危険な光が宿った。
 ターナを掴む手にも自ずと力が入る。

「……痛い、放してよ!」
 ターナは兄の手から腕を振りほどこうともがいた。
「何のこと、言ってるの!……イサが、ここにいるわけないじゃない!」
 途端に、ティランの顔が怒りで微かに紅く染まった。
「正直に言え!……おまえ、奴と寝やがったな!ええ?……そうなんだろうが!」
「やめて!」
 ターナは叫ぶと同時に、ようやく兄の手から身を引き離した。
「ターナ!……おまえって奴は……!」
 ティランは拳を振り上げ、妹に掴みかかろうとした。
「やめな!」
 そんな二人の間に割って入ってきたのは、テリー・ヴァレルだった。
 彼女はターナを庇うように、昂然と頭を上げて、ティランの前に立ちはだかった。

 女性にしては大柄な体躯である彼女の姿は、ティランの前でも決してひけをとらず、堂々としたものだった。
「……妹を虐めるのは、いい加減やめたらどうだい?ティラン・パウロ!――あんた、どこまでこの子を苦しめたら気が済むの?」
 テリーはそう言うと、ティランを睨みつけた。
「……あんたには、関係ない話だ!俺たち兄妹のことは放っといてもらいたいね!」
 ティランも怒りに燃える瞳で、目の前の女を睨み返した。
「――それに、大体だな。俺はターナのことで、今ここにきているわけじゃない。問題は……あの野郎が……イサが、ここにいるのかどうかってことなんだよ!」
 彼の言葉に、テリーの眼が鋭く瞬いた。
「へーえ。あんたがイサのことにそんなに興味があるなんて思いもしなかったわ。何でそんなに急にイサのことを気にするようになったのよ!」
 テリーの口調は刺々しかった。
 彼女のいかにも人を馬鹿にしたような言い草に、ティランはむっとしたが、敢えて何も言い返さなかった。
 代わりに彼は、少し間を置いた後、改まった様子で口を開いた。

「――あいつがいるなら、ここに出してもらおう。これは、私的なことじゃねえ。俺はあいつを連れて来いという正式な命令を受けてきたんだ。あいつは『黒い狼』の首領で、今やこの州の中では、公的な罪人として追われてるわけだからな。隠すとあんたらも罪を受けることになるぜ。たとえ、リース・クレインの身内だからっていっても、例外じゃねえからな!」
「ハッ、よく言うわ。あんたもついこの間までその狼の仲間だったんじゃないか」
 テリーは吐き捨てるように言った。
 ティランはにやりと笑ってみせた。
「ああ、だがな、今じゃ違う。俺はアルゴン第三騎兵所属になったんだよ。こうして、公的な仕事まで任されるくらいにな。前みてえに、裏でコソコソこき使われてるような身分じゃねえんだよ!」
「格が上がったってわけだ。そりゃあ、おめでたいこと!その軍服もよーくお似合いのようだものね!中身はともかく、外面は立派なアルゴン騎兵さんだわよ」
 テリーは皮肉っぽく笑った。
 しかし、すぐに彼女の顔は険しくなった。

「……でもね、だからって元の仲間を売るなんて、あんた、最低だよ。恥を知りな!あんたのせいで、何人の子が騎兵の手にかかったと思ってるの。そのうえ、まだイサを売ろうってのかい?あんた、本当にクズ野郎だね。よくものこのここんなところに顔を出せたもんだ!あんたの顔見てると胸糞が悪くなってくるよ……悪いけど、ここにはあんたのお目当てのイサはいないんだ。ま、どのみちあんたなんかの手に簡単に捕まるような子じゃないけどね。いくら追っかけたって無駄さ。あの子はあんたの手には届かないよ。永久にね。あの子はあんたとは違うのさ。いくら軍服着て『騎兵さん』になったって、無理なんだよ。いいかい?……わかったら、早いとこ、失せちまいな!」
 テリーの激しい剣幕に、ティランはややひるんだ。
 背後にいたターナですら、驚いて息を呑んだほどであった。
「……ちっ……!」
 ティランは、舌打ちした。
 しかし、彼はそのとき、どう言い返してよいものか実はひどく困惑していたのだった。

 テリーの言葉はいちいち彼の痛いところを突いていた。
 そして、聞いているうちに、自分でも何だかひどく自分がますます卑小で虚しい存在のように思えてきたのだった。
 それは彼が無意識のうちに抱いていた罪悪感に近いような感情……仲間を裏切ったという拭いきれない胸の奥に残るしこり――
 ――彼が無理に心の奥に追いやろうとした深い苦渋の思いに、見事に触れてしまったのかもしれない。

 そして……彼がひそかに抱いてきたイサス・ライヴァーとの暗い葛藤。
 彼の中で根強く残るイサスへの憧憬と嫉妬――
 どうしても感じてしまう劣等感と、さらにそんな風にこだわり続けずにはおれない自分への苛立ちが混じった複雑な思い。

 ――俺は一生かかっても、奴には手が届かねえってか。
 ティランの胸の中に、自嘲の思いが渦巻く。
(――確かに……そうかもしれねえ。そう……そんなこたあ、最初(はな)っから、わかってんだ。だが、わかってたって、どうしても――どうしても、認めたくねえんだよ……ええい、畜生っ!)
「兄さん……お願い……」
 ターナが哀願するようにティランを見た。
 ティランは一瞬躊躇った。
 そして、そんな彼に代わって――
「――本当に、狼はここにいないのか。隠すと為にならんぞ」
 ティランの背後から、いきなりぬっと大きな影が立った。
「あとでわかれば、リース・クレインの立場が悪くなる。よく考えろ」
 ひときわ目立つその巨漢。
 猛々しい面に浮かぶ肉食獣のようなその残忍な表情。
 アルゴン騎兵隊の軍服に身を包んだその姿は、一目で第三騎兵隊のモルディ・ルハトであるとわかった。

 モルディの背後にさらに、いつの間にやってきたものか、十数人の騎兵の姿が連なっているのが見える。
 通りを行く人々が忽ち、顔色を変えてばらばらと彼らの周囲から遠ざかっていく。
 武装した騎兵隊の一団が突然現れたのだ。
 巻き込まれたくないと思うのも無理はない。
 その物々しさは、誰が見ても何かひとかたならぬ騒ぎが起こる予感を感じさせるものだったのだ。

 モルディ・ルハトがじろりとテリーへ、次いでその後ろの店の戸口へと舐めるような視線を走らせた。
「もう一度聞くが、本当に、ここに奴はいないのだな?……店の主人はどこだ?当人から直接、答えを聞きたい」
 まともにモルディ・ルハトの野獣のようなぎらぎらした視線を受けて、さすがのテリーもたじろいだ。
 言葉が……すぐには、出てこない。
 彼女はごくりと唾を飲み込んだ。
「――これは、何の騒ぎだ?」
 そのとき、彼女の後ろから、店の主人サウロ・クライヴ当人が姿を現した。
 テリーはターナと共に、慌てて横へ引き退がった。
 サウロ・クライヴは、モルディ・ルハトとその後ろを囲む騎兵達をじろりと一瞥すると、露骨に眉を上げた。
 息子が騎兵隊に所属しているとはいえ、もともとサウロは騎兵隊自体に強い嫌悪感を抱いている。
 それが、悪評高い第三騎兵隊となると、尚更のことであった。

「……何だ、おまえたちは。昼間から、営業妨害でもしにきたか?」
 サウロは不快気にモルディを睨みつけた。
 彼には、モルディ・ルハトの迫力もいっかな通用していないようだった。
 この居酒屋の主人には、どんな非常の際にあっても、物怖じしないだけの度量と豪胆さが備わっている。
 その気質は息子のリース・クレインにも色濃く伝わっていた。
 だからこそ、リースが騎兵として、ザーレン・ルードの右腕となり得るほどの地位にまで上っていくことができたのであろう。

 モルディにもそれが伝わったのか、彼はやや鼻白んで、サウロを見返した。
 彼は、一歩大きく前へ出た。

 サウロも比較的大柄な体躯をしているが、それでもモルディを前にすると、相手に対してやや目線を上げなければならなかった。
「今さらごまかしても、無駄だぞ。……リース・クレインの実家に、狼の首魁が匿われていたとなると、はなはだ奴の立場も悪くなるだろうが、まあ、正直にここに引き出すというのなら、大目に見てやってもいい。だが、隠すと問題が大きくなる。どうだ?どちらか、はっきり答えろ。イサス・ライヴァーは、ここにいるのか、いないのか!」
 モルディ・ルハトの語調は明らかに脅しを含んでいた。
 サウロはきっと相手を睨み返した。
「……そんなことにいちいち答えなきゃならん筋はねえな。おまえらには、関係ねえこった。たとえ、ここにイサスがいたとしても、おまえらに引き渡すつもりはねえからな」
 そう吐き捨てるように言う、サウロの目は挑戦的な光をさかんに閃かせていた。
 その明らかに相手を見下したかのような物言いに、モルディは忽ち気色ばんだ。
「何だと……?」
「親父!……何考えてんだよ、死にてえのか!」
 横から、ティランが口を出した。
 それへちらと視線を投げると、サウロはふんと鼻を鳴らした。
「……ティラン・パウロか。すっかり、こんな野郎の犬になり下がっちまいやがって……。いい加減、目を覚ましたらどうなんだ。妹の身にもなってやれ」
 ティランは、サウロから責めるような視線を浴びると、忽ち落ち着かなげな表情を浮かべた。
 しかし、彼は何とか気を取り直し、サウロに向かって叫んだ。

「……う、うるせえな!あんたから、とやかく言われたくないね!それより、自分のことを心配しなよ。あんまり突っ張ってると、店も何もかも潰しちまうことになるかもしれねえんだぜ!」
「ふん、こいつの言う通りだ。……どのみち、ザーレン・ルードも長くないかもしれん。これをきっかけに一気にあんたの店も、あんたの息子も全部ぶっ潰すことになるかもしれないのだぞ。少なくとも……いつそうなっても、不思議はないということだ。よく考えてものを言うがいい」
 モルディが、いかにも脅しの匂いを含ませながら一言一言押しつけるように吐き出す。
 しかも、そう言いつつ、彼の片手はまさに腰の剣柄に触れようとしていた。

「……イサス・ライヴァーを、出せ」
 モルディ・ルハトは、低く囁くようにそう命じた。
「いるのだろう?……いるはずだ。奴を今すぐ、ここへ出せ。――俺たちに引き渡すのだ!」
 モルディの瞳の中に、今や危険なほどの殺意の炎が燃え上がっているのが見えた。
 しかしサウロはひるまなかった。
「……できねえな」
 彼はただ一言、そう答えた。
 その一言には、彼の明らかな拒絶と反抗の意志が込められていた。

 サウロは深く息を吸い込み、相手をまっすぐ睨みつけた。
「おまえらなんぞには、イサスは、絶対に渡さねえ!」
 モルディが荒々しく息を吐いた。
「貴様……!」
 その手が瞬時に剣を引き抜く。
 剣の先端が一閃し、目の前の男をめがけて一気に突きかかっていこうとした。
 サウロは身じろぎもせず、その剣先をじっと見つめている。

「父さん!」
 テリーが悲鳴を上げた。
 ターナが両手で思わず顔を覆った。
「……やめろ!」
 その瞬間、モルディ・ルハトの剣がサウロの喉元でぴたりと止まった。
 ――その聞き覚えのある声が、モルディの注意を、居酒屋の亭主から瞬時に奪い取ったのだ。
 彼の目線はサウロ・クライヴを通り越して、その背後……店の戸口に突っ立っているすらりとした少年の姿に集中していた。
 黒い髪に、黒い焔のような瞳をじっと、モルディに向けている、その一匹の野性の狼……。
「――イサ!」
 ターナが悲痛な声を上げた。
 それへティランが刺すような視線を向ける。

「……やはり、いたか――狼!」
 モルディは、眼をぎらぎらと輝かせてイサスを見た。
「――今度こそ、俺の手で血祭りに上げてやりたい……といったところだが、残念ながらそうもいかない。おまえを生きたまま、連れ帰らねば、ユアンさまからお叱りを受けるからな。つくづく、幸運な奴だ。――さあ、おとなしく、こちらへ来い!」
 モルディが強要する。
 イサスは、しかしその場から動こうとはしない。
 ただ黙って、モルディとその集団を睨みつけているだけだった。

「――どうした。……おまえが従わぬというなら、ここにいる奴らを皆殺しにするまでだぞ!」
 モルディが苛々とした口調で促した。
「行くな、イサス!奴らの言うことなんざ、きくこたあねえ!」
 サウロが叫んだ。
 しかし、そのときイサスの足はゆっくりと動き出していた。
 彼はサウロを押しのけるようにして、まっすぐモルディの前へ進み出ていく。
「……そうだ。おまえもだいぶ賢くなったな、イサス。それでいい」
 モルディがにやりと笑った。
 ――と、その笑いはすぐに唇の上で凍りついた。
 イサスが袖の中に隠し持っていた小刀。
 その刃先がちらと彼の視界を掠めた。
 ――こいつは……!
 危険信号が灯る前に、イサスの手が動くのが見えた。
「この……!」
 モルディは、危ういところでイサスの刃から身を交わした。
 身を守ろうとかざした手の甲に痛みが走る。
 手袋が破れ、切れ目から血が滲み出ている。
 モルディの顔がかっと憤怒に燃え立った。
(――舐めた真似を……!)
「――狼め……許さん!」
 彼の長剣が宙を舞う。
 イサスは飛び退って、通りの真ん中へ出た。
 周囲の兵士達も、最初の動揺が静まると、忽ち色めき立って、その標的に向かってそれぞれ剣を引き抜いた。
 そこへ――
「……イサーッ!」
 レトウ・ヴィスタが、勢いよく輪の中へ飛び込んできた。
「――加勢するぜ!」
 騎兵たちを押しのけるように割り入り、イサスの前に回りこむ。
 その左手には既に短剣がしっかりと握られていた。

「レトウ!」
 イサスは険しい視線を彼に向けた。
「――無理するな。おまえ、まだ右手も使えないんだろうが」
 イサスが言うと、レトウはにやりと笑った。
「今のおまえさんよりゃあ、働けるさ。――そっちこそ、無理すんなよ。その体で、こいつら全員相手にすんのは無茶ってもんだぜ」
 イサスは軽く溜め息を吐いた。
 レトウ・ヴィスタの頑固さは今に始まったことではない。
 それにどのみち今は言い争っている場合ではない。

「レトウ、てめえ――邪魔すんじゃねえよ!」
 ティラン・パウロが怒鳴りながらレトウの前へ出てきた。
 レトウはふんと鼻を鳴らすとあからさまな嘲笑を含んだ目で、ティランを見た。
「ほーお、こりゃまた、ご大層なカッコだねえ。とうとう軍服纏ってご登場ってわけかい?」
「……舐めんなよ。いつまでもやられっぱなしってわけじゃねえんだ!」
 ティランはいきり立って剣を振りかざす。
「――ハッ、前にも言ったろうが!利き手じゃなくても、おまえなんざにゃ、やられねえってな!」
 レトウは不敵な笑みを浮かべたまま、ティランの剣の前に身を躍らせた。
 一方、他の兵士たちは構わず、一斉にイサスに標的を定めたまま、今まさに刃を動かそうとしていた。
「殺すな!……生け捕りにするのだ!ユアンさまの命を忘れるな!」
 己自身興奮に駆られながらも、モルディは何とか冷静な指示を下し、兵士達にそう怒鳴りつける。
 イサスは、小刀を手に獣のような燃える瞳で兵士達を睨めつけた。
 彼の体の奥で熱いものがしきりに燃え上がっているかのようだった。
 彼は再び、『黒い狼』の首領イサス・ライヴァーである自分を実感していた。
 この感覚。
 ふつふつと体内で沸き立つ、身を焦がすような興奮の波。

(俺は……やはり、俺だ……!)
 イサスは体の痛みも忘れて、その感覚に酔った。
 しかし同時に、そのとき彼は、何かいつもと違うものが体の奥から駆け上がってくるような、そんな奇妙な感触に一瞬捉われた。
 ――これは……何なんだ?
 彼は、自分でもわからない、その感覚に困惑した。
 しかし、ゆっくりと考えている時間はなかった。
 周りに敵がいる。
 『敵』――その言葉に、忽ち心が過敏に反応した。
 ――敵。
 そう……倒さねばならぬ敵が。

(――やれ)
 何者かの声が、頭の奥で囁いた。
(――すべて、倒すのだ)
(――おまえに刃を向ける者は、すべて倒すがよい……)
(――躊躇うな。すべて……おまえの敵だ……!)
(――すべて……殺せ……!)
(――殺せ……!)
 その瞬間、イサスの中で何かが――変化した。
 それが何かはわからぬままに、彼はただ自分の体が勝手に動いていこうとしているのを感じ、愕然とした。
 ――誰だ?
 ――おまえは、誰だ……?
 しかし、その問いに答えはなかった。
 ただ彼の体は――
 彼の意志を無視するかのように、目の前の敵に向かって、既に動き出していた。

                                               (...To be continued)


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