妻 籠 宿
 木曾は、古くは吉蘇あるいは吉祖、岐岨、岐蘇とも書いていたそうである。律令制の発展に伴って、いわゆる五畿七道の整備が進み西暦702年(大宝2年)から713年(和銅6年)にかけて岐蘇山道を吉蘇路として完成させたのが後に東山道となったと言う。
 近世に入って中仙道と呼ばれるようになり、松本境桜沢、美濃境十曲峠間23里(約90km)を木曽路と言って11宿が設けられた。この宿場町としての諸施設とは別に、豊富な原材料に支えられて、木地屋、漆屋、櫛屋などの木材加工業が栄え、幕末にはこの狭い峡谷に人口3万5千人を数えたと言う。
 ここ妻籠宿は、妻籠宿保存条例を制定してかっての家並みを復元、保存しており、全体が伝統的建造物に指定されている。
 古い建物や古い生活様式を保ちながら現代を生きてゆかねばならない人々のご苦労を思いながらシャッターをきった。
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