東京駅
 昭和28年5月に高校の修学旅行で降り立って以来、何十回いや何百回も乗り降りをしたが、じっくり眺めたことはあまりない。上京した時に時間に余裕があり、しかもカメラを持っている事も先ずはなかったことである。
 この名建築は旧称「中央停車場」として明治41年に着工し大正3年12月に完成した。設計者辰野金吾、葛西万司。施工大林組。同時に東海道本線の起点が新橋から移された。新橋横浜間が明治5年に開通し、明治15年には私鉄日本鉄道会社が上野駅を開業し、明治23年に上野新橋間を高架線で連絡する都市計画が決定し、それから25年目のことであった。以降、中央線の連絡線、上野東京間の高架線などが完成し、また昭和39年東京オリンピック開催の年にに東海道新幹線開業、同47年には総武線地下駅、その後、ご存知の通り東北新幹線、上越新幹線などが次々と開通した。
 その間昭和30年代から何度か高層ビルに立て替える計画が持ち上がったがこの赤レンガの東京駅が強く支持されて今日に至っている。
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