高校ラグビー部での体験
昭和27年(1952)4月に大阪府立池田高等学校に入学し、暫くして友人に誘われてラグビー部に入りました。1年のときは補欠でしたが、運動神経が優れても居ず、足もそう速くない私は只キックがうまいということで一番後ろのフルバックというポジションを与えられました。ゴールラインを守る最後の一人で走ってくる敵の選手を一発のタックルで倒さなければならない責任あるポジションです。芝生ではなく硬い真砂土のグランドでタックルをするとひざやおしりの皮が剥けたりして生傷が絶えませんでした。
2年の1学期が終わると3年生は受験勉強のためと称して引退してしまい、9月の国体予選会で名門天王寺高校と花園のグランドで対戦したときに相手は3年生も出ており60対0という情けないスコアで大敗してしまいました。
あまり悔しいので学校に帰って3年生に、次の正月大会の予選で雪辱をしたいので今一度グランドに帰ってきて一緒に練習をしてほしいと話し、快諾を得てそれから10月、11月と中間テストの最中も教頭先生のお許しを頂いて練習に励みました。
いよいよ12月の正月大会府予選が始まり、3回戦だったかで天王寺高校と対戦することになりました。相手は前回のこともあり池田を軽く見ていたかもしれませんがゲームは一進一退の好ゲームとなり、最後の最後に3年生の俊足ウイングが逆転のトライをあげ見事に9月の雪辱を果たしたのです。ノーサイドの笛がなった後、皆が男泣きにむせんだのでありました。聞けば旧制中学以来、池田のラグビー部が天王寺に勝ったのはこの時だけであったようです。
キャプテンでもなくスタープレイヤーでもない私が一生懸命に皆さんを説得して努力を重ねた結果は貴重な人生経験として<ネバーギブアップ>精神を体得したのでした。
右上の写真はその時のもので前列左から二人目が私です。
右は昭和29年秋、花園ラグビー場での対四條畷高戦。フルバックとしてタックルに入るところ。
下は昭和32年秋、西宮球技場にて神戸大チームの右センターとして出場し今将にボールを受けるところ。