第3回:小町伝説探訪(020302実施)
小野小町画像(補陀洛寺蔵)
 随心院山門
 小野小町に関する説話伝承は全国各地に沢山ありますが、京都界隈でも小町の塚や墓、化粧水や井戸が点在しており、後世に出来た能狂言の所為で小町と言えば醜く老いさらばえ、成仏できない姿が連想されて残念である。
 ここ、山科の小野は古くから知られた地名であり、小町は小野篁の孫、小野道風の従妹であり、父は出羽郡領小野良実、西暦815年頃に生まれ仁明天皇(在位833〜850)が東宮であられた頃からその崩御の時まで舞や歌の名手として寵幸を受けたがその後小野の里に引きこもり余生を送ったと言われている。
 1333年生まれの観阿弥、その子で1363年生まれの世阿弥などが500年の歳月を隔てて作った小町が主役の能「通小町」「卒塔婆小町」などは古今序注や伊勢物語注を元とし、沢山の在地伝承類との融合を見て完成されたと言うが、前述したように何故悲劇的要素ばかりを強調されなければならなかったのか疑問に思う。


随心院全景(パンフレット)
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花の色は移りにけりないたずらに我が身世にふるながめせしまに
洛楽写真日記