第37回:古代大和の歌と信仰 (051119実施)
真下厚先生のご登場で、石上神宮、大神神社などに関する故事来歴や歌を勉強する予定である。集合は11時に近鉄天理駅だがこの日を楽しみにしている会員たちは早くも10時過ぎにははるばると電車を乗り継いで集まってきていた。
先ず、タクシーに分乗して石上神宮(石上布留神社)へ。大きな鳥居@をくぐるが、やはり大きな額Aが掛っている。祭神が布都御魂で、神武東征時の剣のことである。創祀は第10代崇神天皇(4世紀前半)とも言われており、369年に百済から贈られた七支刀が有る。山門Bも拝殿Cも立派な風格があり、周囲の鬱蒼とした森林に囲まれて圧倒される感じである。紆余曲折の末朝廷の武器庫として物部氏が管理する事となるが、聖徳太子の頃、仏教導入をめぐる蘇我氏との争いで物部氏は滅亡する(587年)。安田靫彦描く「守屋大連」Dはその運命を見通した頑固な風貌が見事である。
シンシンと迫る霊気か寒気の中で講義を聴くが、何故か布留に関する万葉の歌は恋の歌が多いそうであるE。タクシーと電車で三輪に移動し温かい三輪そうめんと柿の葉寿司を頂くF。
Gは大神神社二の鳥居。Hは境内の巳の大杉。Iは摂社狭井神社としめ柱。Jは三輪山。
遙か大昔には現在の奈良盆地は奈良湖とでも呼ぶべき湖沼だった。三輪山周辺には狩猟採集の縄文時代(或は石器時代)の古代人たちが畏れ祀った祭祀跡の遺跡群が集積しているが、やがて周囲の河川の流入などで徐々に陸地化していった奈良湖で、弥生人の登場とともに稲作が始まり(神武東征と関係ありか)、1世紀から3世紀にかけて「後漢書」や「魏志倭人伝」に日本に関する記述が出始める。更に4世紀になると古墳の築造や、実在したであろう大王たちの名前が高句麗や宋の文書に登場してくる。
邪馬台国が大和に有ったとすれば間違いなくそれはここ三輪山周辺であり、また、箸墓古墳が卑弥呼の墳墓である可能性が高い。
左端の香具山ははっきりしないが、畝傍、耳成と続き、右端に二上山が見える。
香具山は 畝傍ををしと 耳成と 相あらそひき 神代より かくなるらし
いにしへも 然なれこそ うつせみも 妻を あらそふらしき
中大兄皇子
古事記や日本書紀、万葉集などの成立はずっと後代で8世紀になってからである。しかしその内容は古代からの日本人の歴史そのものであり、少しづつ読み解かれていくのが大変楽しみである。
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洛楽写真日記