第4回:鴨の神々(020427実施)
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 京都が都になるはるか昔から弥生人の末裔として西の桂川流域に秦氏が、東の鴨川流域に賀茂氏が住みついていて、土地を開拓し農耕に従事していた。
 今回はその賀茂氏の神々を訪ね、伝承などを勉強する。順路で先ず立ち寄ったのが大田池の杜若で有名な大田神社(上賀茂神社の末社の1つ)で、新緑に良く映える鮮やかな朱色の鳥居が出迎えてくれ清々しく参拝できた@A。次いでこの付近に沢山ある社家即ち神官さんのお家の一つに上がらせて頂き、お話を聞くことが出来た。何とこのお宅は7代も続いていて今の家屋も150年前のものであるBC。
 愈々上賀茂神社であるD。拝殿前の二つの盛り砂がピーンと張り詰めた霊
気を感じさせ、将に神の依り代である事を主張している。言うまでもなく賀茂氏
の氏神であり、玉依日売と丹塗りの矢の伝承が有名。また、下鴨神社と合わ
せて一社の扱いを受けることも多く、平安時代の朝廷の扱いは伊勢神宮に次
ぐものであった。
 徒然草第41段「五月五日、賀茂のくらべ馬を見侍りしに云々・・・かかる折
に、向ひなるあふちの木に、法師の登りて・・・」との記述があり、丁度乗馬の
練習風景が見られたが、何代目かのあふちの木らしき木も見えましたE。
 一方の下鴨神社Fは賀茂川と高野川の合流点に近い糺森、即ち元は荒地
でただの洲であった所に鎮座しご祭神は上賀茂神社と同じで雷神・水神の性
格を持つ農耕神である。なぜか前述の玉依日売が丹塗りの矢と出合った瀬見
の小川がこの糺森を流れている。
 勝手な推定だが元は一つの賀茂社が今の下社付近にあったが洪水で流さ
れてしまい、一時的に上社の所に遷座し、治水工事が完成してから戻そうとし
たがそのまま両社を併設したまま今日に至ったのではと。
 
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@大田神社
A大田神社本殿

B社家の玄関

C社家の客間

D上賀茂神社

Eくらべ馬

F下鴨神社
洛楽写真日記