洛楽写真日記(060715実施)
第42回:ギリシャローマと京の造形
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 ギリシャローマとかけて京の造形ととく、その心は・・・これは難問です。約3200年前のミュケナイとトロイアとの戦いをテーマにし、歌い継がれてきた口承叙事詩を約2800年前にホメロスという詩人が、「イーリアス」「オデュッセイア」としてまとめました。
 しかし当時の文字や記録法は不完全であり、それから約500年後になってアルファベットの発明とエジプトからのパピルス紙の導入により漸く今日見られる姿に落ち着いたといいます。
 どのようなご縁があったのか、祇園祭の山や鉾を豪華に彩る懸装品にこの古いギリシャのお話が登場しているのです。それも16世紀にベルギーの職人たちがタペストリーとして織り上げ、遠路はるばると運ばれてきたものなのです。
 当日は祇園祭宵々山の日で、各町内で準備中の山・鉾を見てまわった。昼食休憩後下鴨
北園町にある「ギリシャローマ美術館」に移動する。ギリシャローマ美術といえば先ずは
精緻、優美、雄渾な大理石彫刻を連想するが当館の目玉は古代ギリシャの壷とそこに描
かれた絵なのでした。
美術館入り口
右は「ディオニソスの出発」と題する
アッティカ式黒絵壷。BC520年頃。
アッテイカ式赤絵酒盃 BC480年。
アッテイカ式赤絵クラテル BC450年。
 
 古代のエジプトやメソポタミヤの壁画などに見られる様式ばった堅苦しい表現法から解放され、人々がいきいきと描かれていることに注目してください。しかし残念なことにこれらの赤絵はこれ以上は発展せず、約2000年後のルネッサンス時代に漸く絵画として開花したのです。
 その延長線上でタペストリーが織り上げられ、さらに200年の歳月と10万キロに及ぶ大航海の末、漸く祇園祭と結びついたわけなのです。
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函谷鉾  
 当日は雨除けのシートなどが有ってよく分らなかったが、右写真の前掛けは
16世紀ベルギー製で旧約聖書創世記「イサクの嫁選び」の図。裏面に1718年
再興とあり、この種のタペストリーをもっとも早く飾ったものらしい。
鶏鉾
鯉山
鶏鉾の見送りはイーリアスの一場面で
トロイアの王子が妻子と別れる図。
 鯉山はトロイア王の英姿を描いた大きな
タペストリーを分割して使っている。
鯉山の前掛、胴掛、水引、見送。元は一枚であった。
鯉山の見送と鯉の彫刻。
 見送りの中央がトロイア王
夫妻。
 山は「登竜門」を表し、龍門
の滝を昇った鯉は龍になると
いう中国の立身出世伝説に
由来する。左甚五郎作とか。
 この他に白楽天山や霰天神
山等にベルギー製でイーリアス
の場面を描いた前掛けがある。