日本児童文学学会関西例会研究発表 ジェンダーを越えた〈戦う女性〉 ―表紙が語る新しいロマン― (2000年4月22日 於:大阪国際女子大学 発表内容を2000.05.23まとめ直して掲載)
1995年以降、女性主人公を描いた児童書の中に、表紙に描かれた女性主人公のイラストレーションが語る今日的傾向がいくつか挙げられる。それらは、『魔法少女マリリン・青い石の伝説』(村山早紀作、佐竹美保絵、教育画劇、1995年)『龍使いのキアス』(浜たかや作、佐竹美保絵、偕成社、1997年)『メルティの冒険―遥かなるアーランド伝説―』(吉村夜作、佐竹美保絵、ポプラ社、1998年)『闇の守り人』(上橋菜穂子作、二木真希子絵、偕成社、1999年)の表紙である。
これらの女性主人公の表紙は、従来の女性主人公のイラストレーション、例えば、『魔女っこマージの表紙』や『魔女の宅急便』の表紙と比べると印象が大きく違っている。この印象の違いは、以下の二つの特徴として指摘できる。
第一に、女性主人公が乗り越えるべき壁を暗示するイラストレーションであること、第二にファンタジーを好んで取り上げるRPG(role
playing game)にみられるファンタジーのフレーバー(作品の背景や世界観を表す漠然とした雰囲気)をもっていることである。
イラストレーションを論じるとき、「何をどう描くか」を問題にする必要があることは、子ども読者を想定したときには欠かすことのできない要素である。それに加えて、ボティックハイマーは文化的な側面からもこれを論点にし、「イラストレーションには、文化的な影響が明確に表現されているからだ」と主張する。
では、これらの作品の女性主人公のイラストレーションは、どのような文化的影響を受けているといえるであろうか。また、そのイラストレーションを表紙とする意味は何であろうか。それらを考察することで、作品中の新しい女性像が、表紙のイラストレーションにどのように描かれ、それが何を語るのかを明らかにするのが本発表の目的である。
児童文学でのファンタジー作品の女性主人公は、内面に向かい自己確立を目指そうとする少女像として捉えられることが多い。外へ向かう少女像も描かれてはいるが、実際に武器を持って戦うことはしない。『空色勾玉』『精霊の木』『仮面の国のユリコ』などのように、祈ったり、相手を支えたり、機知を働かせたりして、冒険をしていくストーリー展開になってる。
ところが、『青い石の伝説』を初めとする『龍使いのキアス』『メルティの冒険』『闇の守り人』では、女性主人公は武器を持ち、あるいは武器を体内より放出して戦いながら自らの冒険を達成していく。
それぞれの作品の描写には、かなり克明に戦う姿が描かれている。『青い石の伝説』のマリリンは、「火球の術」という魔法を使い、『龍使いのキアス』のキアスは、弓を習い、光り輝く龍を呼び出す呪法をつかう。『メルティの冒険』のメルティは、普通の大きさの三倍ほどもあるハンマーを振り上げ『豪腕』ぶりを発揮する。また、『闇の守り人』のバルサは、血がしみこんで黒く光る輪をはめた、短槍を操り〈槍舞〉を舞い戦う。
〈戦う女性〉という特徴を押し出すには、それぞれの戦いぶりをイメージさせる表紙であった方が印象的であるし、これらの女性主人公の戦いぶりは表紙にしても遜色はないと考えられる。ところが、表紙のイラストレーションでは、戦いをイメージさせる描き方ではあるが、戦いそのものを描いてはいない。『闇の守り人』のバルサに至っては、その武器である短槍さえ、槍の穂先まで描き切っていない。
これは何を意味するのであろうか。
従来、武器を持って戦うのは男性でだった。『指輪物語』を始とするファンタジー作品の中では、剣を持つのは男性であり、それを援助もしくはそれによって救われるのが女性であった。その中で、児童文学の作品よりも早くに〈戦う女性〉を登場させた、RPGにおいて、朱鷺田祐介は「〈戦う女性〉にとって重要なことは、戦いに至るまでの経緯、理由である」という。
こうみると、表紙に戦う姿そのものが視覚化されず、戦いに至るバックグランドを象徴していることが、女性主人公にとって重要だといえる。
それぞれの女性主人公の抱える理由は、彼女たちの「願い」であり、それが壁としてその前に立ちふさがっているのである。
次に、それぞれの女性主人公の壁について述べる。
『龍使いのキアス』のキアスは、作品中何度も馬に乗る。しかしそれは全て、巫女になるための儀式に失敗し、神殿から追放された後のこと。自分の手で、進むべき方向を定めたとき、つまり、壁に向かおうとする時、騎乗の人となる。表紙の騎乗の姿がどの場面かを知る手がかりは、マイドリ、弓、服装、髪の色だが、作品中では、マイドリがそばを飛んでいるときはキアスは黒い髪、赤い髪の時はマイドリは肩に止まっているし、服装も真紅の長衣である。また、闘いの場に臨む時は長剣を腰に下げている。つまり、、赤い髪・白い服・マイドリ・緑の上着という表紙の場面そのものは作品中に描写されていない。
このことは、表紙のキアスが全ての騎乗のキアスを集約していることを意味すると考えられる。馬に乗る姿は〈戦う女性〉になる前の段階=壁を乗り越えようとする意志を持った姿の象徴と捉えられる。それにふさわしく、前方を凝視し、歩みを止める様子をうかがわせない表紙のイラストはキアスの強い意志を語りかけてくる。
『闇の守り人』の主人公はバルサは、表紙の中で、彩色されていない無地の服を着ている。故郷のカンバル国に戻って、バルサはカンバルの国の服を求めている。それは鮮やかな色物であることから、表紙の衣服はバルサがまだ故郷に足を踏み入れていないことを告げている。加えて、バルサは右向きに描かれています。前に進むイラストの場合、右綴じならば、物語の「順勝手」により左向きに描くことが多い。しかし、バルサは、右向き、つまり過去に向かっていることを意味するイラストレーションで表現されている。これは、時間的には前へ進み、洞窟を抜けて生まれ故郷に戻り「なぜ自分だったのか」という問の答えを見つけようとしていることと関係していると捉えられる。「それを癒すにはその傷を見つめるしかない。」と「故郷=ふれればいたむ古傷」に向かうことや、養い親のジグロの霊である〈闇の守り人〉との避けることのできない戦いは、バルサにとっての壁である。壁を前にして、短槍を握りしめて前方=過去を見据える姿が表紙に描かれているのである。その厳しい表情によって、壁の大きさ、そしてそれを越えようとする強い決意を視覚化している。
一つ目の特徴である、壁に向かう〈戦う女性〉の姿は、戦いそのものよりもそこにいたる経緯を大切にしていることを印象的な表紙のイラストレーションによって特徴づけているのである。
次に、主人公を取り巻くRPGのフレーバーについてみる。
フレーバーとは、その物語の世界の雰囲気や漂っている気配である。RPGのフレーバーとしては、特に、登場人物の職業的構成(戦士・僧侶・盗賊・魔女)、小道具、竜、ドワーフやエルフといった異世界の生き物の登場が挙げられる。それらがどう描き込まれているであろうか。
『青い石の伝説』ではファンタジーのフレーバーとして、最も有効な竜と剣が描かれている。その他にも枠の中に登場人物を影絵の様にちりばめたり、雲や模様替えが描き込まれ、空白部分のない美しい絵になっている。磨き込まれた青い石も不思議な雰囲気を醸し出す効果があるといえよう。
「ファンタジーは『ありえざるもの』をただ描くだけでなく、多くの場合、「ありえざるもの」を単なる夢以上のものに見せなければなりません」と朱鷺田は指摘している。佐竹美保による描き込まれた表紙は、主人公マリリンの服装、動作や表情と相まって充分に物語の世界を現実感を伴って表現していると受け止められる。
『メルティの冒険』の絵画者は『青い石の伝説』と同じ佐竹美保である。『青い石の伝説』の柔らかいフレーバーとは違い、躍動感のある登場物が周りを取り巻いている。剣士、魔女というファンタジーのフレーバーを配し、メルティが突き破った城壁をバックに物語を予感させることに成功している。裏表紙に「This
is a true martial romance of the real braves」と五行の英文の紹介が載っており、そこで、戦いの冒険物語であることが示されている。この英は、物語の雰囲気を盛り上げる工夫ととれる。
『龍使いのキアス』のフレーバーは表紙と表紙4を続けてみることで強調される。キアスが戦いの場に向かっている象徴であることは先に述べたが、戦いの場のイメージはその周りの登場物によって具体的にイメージできる仕組みになっている。物語の世界観を示すのが、兵士の服装と兵馬の装飾といえる。表紙4下部の竪琴は、物語を進める上での重要なアイテムであり、それもきちんと描き出されている。全体の色彩も、この物語独自の世界を指標するようにダルトーンが基調で幻想的である、かといって、夢物語的な危うさはなく、山肌や森の木々が現実感を持って描き出されている。
以上述べたフレーバーは、子ども読者にとって三つの効果を持つといえる。第一は物語の世界を魅力的に訴えることであり、第二は物語の世界を「ことば」とともに相乗的に豊かにイメージ化できること。そして、第三に、読後に振り返って表紙に描き込まれた様々な小物の意味からもう一度物語を反芻できることである。
このように魅力的な〈戦う女性〉の描き方、全体のフレーバーの文化的背景はどこに求めることができるであろうか。
それは、ファンタジー作品における緻密さと、ないものをあるように視覚化するイラストが佐竹美保・二木真希子によって描かれていることによっていることに関係しているであろう。
佐竹美保は、その絵画者紹介に「デザイン科卒業後上京し、イラストレーターとして、『奇想天外』を皮切りに、SF・ファンタジー・児童書の分野で多数の作品を手がける」とある。翻訳SFファンタジーや冒険物語などの表紙で、『幽霊の恋人たち』のように登場人物から背景まで物語の雰囲気を緻密に描き出している。また、『奇想天外』はSFまんがを特集したり、少女とSFの関係についても様々な論が寄せられている。つまり、女性主人公として活躍するSFや無いものを現実感を伴って描き出すことが佐竹美保の背景にあるといえる。
二木真希子は、「テレコム・アニメーションフィルムに入社。フリーを経て現在はスタジオジブリでアニメーションの原画を担当」とその紹介にある。
「風の谷のナウシカ」のナウシカから「もののけ姫」のサンへの女性主人公の系統がその例として取り上げられるように、〈戦う女性〉やそれを取り巻くフレーバーを描き出す作品は、SFファンタジーや、アニメやゲームの世界が先駆けであったといえる。
そのゲーム界も、パッケージの存在感に「パッケージイラストレーションは視覚的にとらえてどれだけの感動と想像がイラストレーションとユーザーの間に一体化、共鳴できるかが大事」と注目している。
このように、二つ目の特徴は、時代の流れの中でも注目されているアニメやゲームの要素に繋がっている。物語のリアル感はトールキンがいうように「文章がその役を担って当然」だが、映像文化の中にいる子ども読者にとっては、緻密でフレーバーにあふれたイラストレーションによっても作品世界への誘いが相乗的に効果を上げているといえよう。
以上、2つの特徴について述べた。加えて、〈戦う女性〉は自分自身の壁を越えることのみに止まらず、壁を越えることで、その所属する社会の仕組みをも変えることになることに注目すべきであろう。つまり、今までの守られるだけの存在から、守り変革する存在としての女性、ジェンダーを越える女性としてが描かれている。その女性が、美しくフレーバー溢れる背景に囲まれた表紙として描かれることによって、読者に、冒険する女性、戦う女性、決然と行動する女性を、新しいロマンとして見せてせてくれているといえる。
このことは、同じ魔法を扱う少女が主人公である、村山早紀の『魔女ルルー 魔女の友だちになりませんか』と『青い石の伝説』を比べてみることによってもはっきりする。魔女ルルーは、周りを優しさで包もうとする女性を描いてあり、それほど目新しい女性像をアピールするものではない。その内容に応じて、ふりやかよこのイラストレーションによる表紙は優しさや温かさはあるもの、〈戦う女性〉を彷彿させるのは佐竹美保のイラストレーションである。
以上述べてきたように、表紙にみるイラストレーショは、もはや児童書のイラストレーションの域に留まらず、ほかの子ども文化、アニメーションやSF、RPGのイラストレーションと融合している。その世界で活躍しているイラストレーターを絵画者に登用したこれらの表紙は、児童文学がその融合によって新しい物語の世界を表現し、そこへ子ども読者を誘う役目を担っているといえる。そして、そのことによって、作品に描かれた〈戦う女性〉像がジェンダーを越える印象を伴った表紙として読者に新しいロマンを語っているといえるのではないだろうか。
『青い石の伝説』『メルティの冒険』『龍使いのキアス』『闇の守り人』のもつテーマは〈戦う女性〉を描き出すという今日的なものである。視覚化にあたり、戦う姿よりも壁に向かう姿を描く、そのことは、ジェンダーに縛られない女性を描くことであり、そのテーマに通じる今の文化を背景にもつイラストレーションと一体化することで、子ども読者にとって女性の力強さ、凛々しさ、冒険心に憧れを感じさせるロマンを語っているのである。