sun.gif (1440 バイト)生体肝移植体験記

プロローグ

今回の生体肝移植手術の入院期間は62日間と、比較的順調だったほうですが、私たちにはとても長い時間に感じました。いままでの人生の中で最も波乱にみちた時間でした。しかし、2年前に経験した最初の手術の時のように苦悩にみちて、涙で過ごした訳ではありません。この2年間ですっかり私たちは変わりました。別に人間ができた訳ではありません。

私たちは情報をもっていたからです。あらかじめ覚悟していた生体肝移植について、講習会に出たり、経験者の話をきいたり、またインターネットでしりあった人から励ましを受けたり、そんな有意義な情報を出来る限り得る事に努めました。真っ暗な夜道を、灯かりなしで歩くのは恐いものです。恐怖のあまり駆け出して小さな石ころに躓いて転んでしまうかもしれません。しかし、一本のローソクがあったらどうでしょう?ローソクよりも懐中電灯があったら。懐中電灯よりも街灯がついていたらどうでしょう。

私たちは、これから子供の病気とたたかう方々のために、一本のローソクになれれば幸せです。

私たちより、もっと大変な経験をされている方はたくさんおられます。この体験記は、面白くドラマティックに書いたものではありません。あるがままを書きました。本来は自分たちの大切な記憶を文章化しようと思い付いたものです。しかし、わたしには、このホームページがあります。これを公開することで、これから子供と闘病生活をされる方々の少しでもお役にたてるならこんなうれしいことはありません。

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手術にむかって

胆道閉鎖症のユーゴンは最初の葛西式手術から2年が経ちました。いろんな困難をたくさんの人のお世話になりながら何とか克服してきました。順調な経過をたどり、一時は病気の事を忘れるほどでしたが、難病という悪魔は知らず知らずのうちにユーゴンの肝臓を虫食んでいたのです。

1997年12月、かねてより、ひどい黄疸とかゆみに悩まされ続けていたユーゴンは肝機能の悪化と、ビリルビン上昇により京大病院で診察をうけることになりました。診察の結果は、すぐにでも生体肝移植を実施した方がよいのではないかとのこと。ただ、この手術はあくまで患者側からの要望により実施するものとのことなので、インフォームドコンセントを含む今後の進め方について詳しく先生より話を聞くことになりました。ある程度、覚悟をしていた事です。最初の手術のようにパニックにはなりません。私も妻も冷静にこの時を迎えることができました。

説明によると、

1.生存率については全体でも約80%であること。

2.「生体部分肝移植手術に関する説明書」の内容説明と内容の承諾について

3.ドナー選定について

4.手術費用について

等の説明がなされました。また京大病院では、この段階で、コーディネーターさんが様々な相談にのってくれるので非常に心強く感じました。

とにかく解らない事ばかりですが、一つ一つ丁寧に教えてくださいました。

 

ドナーになりたい!

当初からドナーは父がなることに決めていました。12月中にドナーとしての適正検査が各種行なわれた訳ですが、以前から心配していた肝機能が悪く、ドナーには向かないという結果になってしまいました。幸いユーゴンはAB型であり、父はB型、母はA型なのでどちらでも「適合」となります。

仕方なく、母親の方での検査となり、こちらは問題無くクリアしました。しかし、今までドナーは自分と決め、アルコールは一切控え、食事にも気を配った生活を続けてきただけに、この時の悔しさは一生忘れられません。

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お正月から入院

年末年始は家に外泊しました。この間もユーゴンの黄疸はかなりひどかったようで、胆汁酸による「かゆみ」のため夜はほとんど寝られない状態でした。お正月の雰囲気などありません。しかしこれからの不安を少しでも忘れようと皆が努めて明るく振る舞おうとしていました。

つかの間の正月もおわり1月5日に京大にもどりました。

移植の日が1月16日にきまり、いよいよ「その時」に向けての心構えと準備にとりかかります。

同じ部屋の患者は全て生体肝移植を経験した人ばかりだったので、情報収集には困らず、いろいろな事を教えてもらいました。

毎日、いろいろな検査がはいっているので、ドナーもレシピエントもハードスケジュールをこなさなければなりません。母親の検査の間は、父がユーゴンの面倒をみることになります。もう家から通える状況ではなく、両親とも近くに泊り込んで手術を迎える事になります。幸い、近くに住む弟の家にとめてもらったり、お弁当を持たしてもらったりと、私たちは大変恵まれていました。遠くの方たちは、旅館に泊まらなければなりません。

手術の前日まで、ユーゴンにはつらい日々の連続です。移植手術後は各種感染防止のため耳鼻科、歯科にかかる必要があります。

特に大変だったのは歯科で、虫歯が3本も発見された事です。その日の内に全て治療してしまう必要があり、泣きわめきながら暴れるユーゴンを大人4人(医者、看護婦、父母)で押さえつけ、何とか終わった時には皆汗びっしょりで疲れ果ててしまいました。甘いものが好きなユーゴンを、ちゃんと管理できなかった自分たちが情けなく何度も「ユーゴンごめん」と謝りました。でも、なぜか歯科を出る時、「みんな、あーとう(ありがとう)」と、ケロっとして言ったユーゴンに、順番を待っていた患者さんも含めてみんな大爆笑でした。

ユーゴンには、これから痛くて、つらいことがいっぱい待っています。2才のユーゴンにはそれは全く理解できません。無邪気に入院中の他の子供と笑いながら元気に遊ぶユーゴンをみると少しつらいものがあります。

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手術前日

あっという間にドナーもレシピエントも各種検査が終わり、いよいよ、明日が移植の日となりました。ドナーの母親が入院するので今日からは父親だけでの付き添いがはじまります。

以前よりユーゴンはお父さんとぜんぜん一緒に寝てくれませんのでそれが最大の不安です。おじいちゃん子で、母親かおじいちゃん以外とは寝た事がありません。

そして、昼より絶食がはじまりました、食いしん坊のユーゴンにとっては大事件です。結局、ビデオや散歩等でごまかしましたが、夜になるとぐずって大泣きし、寝ようとしません。「明日は大変だから、ちゃんと寝ような」と言い聞かしても理解できるはずもありません。やむなく、外科病棟に入院している母に助けを求めて、医者には内緒でこちらの病室まで来てもらいました。

結局寝たのは12時を過ぎていたと思います。母自信も明日ドナーとして手術をしなければならず、いったいどうなることか心配でほとんど寝られませんでした。

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手術はじまる

1月16日。移植当日の朝、私にはひどい眠気と疲労感があります。しかし、子供と妻はこれから大手術に向かうのです。泣き言はいっていられません。もう、後戻りもできません。医者を信じ、病院を信じて全てを任せるしかありません。今日は努めて明るく、気丈に振る舞う事に決めました。

小さなピンクの手術台にのってユーゴンは、病室を出ていきました。病室のお友達みんなが「がんばってね」と言って見送ってくれました。最初、訳が分からずきょとんとしていまいしたが、さすがにただ事ではないと察したらしく途中から泣き出しました。泣きながら手術室の大きなドアに吸い込まれていくユーゴンを見送る事になりました。午前9時、とてもつらく長い一日の始まりです。弟やおじいちゃんも着てくれたので、幾分気分も楽になりました。母の方は、一足先に、手術室にはいり、見送りは出来ませんでした。

2年前の最初の手術(葛西式)を思い出しました。あの時と同じです。早く過ぎてほしいのですが、結果を聞くのが恐くて、もっとゆっくり時間がたってほしいとも思います。

しっかりと、説明を聞いて、医師にお任せした手術です。いまさら、不安になっても仕方ないのはわかっていますが、「また暖かいユーゴンを抱っこすることができるのだろうか」とか「妻はちゃんと生きて帰ってくるのだろうか」とか、どうしても、疲労が溜まった頭では悪いことばかり考えてしまいます。

しかし、肉親がそばにいてくれた事で、そんな不安も時間と共に払拭し、何時の間にか余裕さえ持って手術が終わるのを待ちました。

母親の方は3時過ぎに出てきました。酸素マスクをしている顔はとても白くて、よわよわしく見えます。本当に生きているのか?胸が押しつぶされそうなほど心配です。それでも少し顔を動かしたのを見た時はうれしくて涙が出そうでした。

母親の方は移植外科のある3階の北病棟への入院となります。

まだ麻酔からさめず、ボーとしています。しかし、時々、思い出したように、うわ言で「うーちゃん(ゆうちゃん)は?」と聞きます。「ユーゴンは大丈夫.うまくいっているよ」と返事するとちいさくうなずき、目を閉じます。間もなく、また「ゆうちゃんは?」と聞きますので、また同じ返事を繰り返します。これを何回繰り返したでしょうか?

胃から逆T字型に切開した全長50cmに及ぶ、大きな傷ですが、痛みについはバルーンという脊髄に直接麻酔薬を注入する器具を使用しているため、かなり緩和されているようです。

夜になるとかなり意識もはっきりしたようで、しきりにユーゴンの手術の終わるのを心配していました。先日まで気丈夫にユーゴンの面倒をみていた妻ですが今となっては、自分の体の痛みと戦い、全く動かす事も出来ない状況です。そんな時にも心配することはユーゴンの事ばかり。母親の強さと子供に対する愛情を思い知らされました。私ならどうだったのでしょうか?

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ユーゴンの待つICU(集中治療室)へ

結局、ユーゴンが手術室を出てICU(集中治療室)に入ったのは夜10時頃でした。私たちの面会が許可されたのは夜11時を回っていました。

ICUに入るには、靴を履き替え、帽子とマスクとエプロンをし、手指の消毒を行なってからになります。手指の消毒などは最新式の自動機にもかかわらず、早く会いたい気持ちが焦りになり、全てうまくいかず手間取ってしまいます。

やっとのことで入った時には心臓がドキドキしていました。なぜか、ユーゴンを見るのが恐くて、恐くてしかたありません。それでも、一歩一歩ユーゴンのベッドに近づいていきます。

ICUは思っていたより、数倍広く、その部屋自体が、一つの病棟の様になっていました。

小さなユーゴンは、一番奥のベッドで、チューブのなかに埋もれて眠っていました。まるで、ヘビにからまれているようです。

とても白い無機質な顔をしていました。合計15本ぐらいのチューブやラインがあったでしょうか。ベッドのまわりは、様々なハイテク機器が並んでいます。時折、鳴る電子音とインジケータランプの点滅が、いかにもICUという感じです。

遠くに行っていた、ユーゴンが自分の手の届くところに帰ってきたのです。頭をおそるおそる撫でてやりましたが、何の反応もありません。眠っているようには思えませんでした。本当に、このままちゃんと目を開けてくれるのだろうか?元のユーゴンに戻ってくれるのだろうか。自分の力ではまだ息をしていないらしく、人口呼吸器がつながっています。

主治医の先生が、大きなマスクをつけたまま状況をお話して下さいました。やるべきことは全てやったこと。ユーゴンの肝臓は肝硬変がかなり進行していたこと。かなりの癒着があったが大事にいたらなかったこと。とにかく手術は成功したとの確信を得て、とりあえずはほっとしました。

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つらく長い夜

その夜は、大変な夜でした。妻は意識が戻ってくるのと同時に痛みも感じてきた様でつらそうな声をだすようになりました。私の方は日中からの疲れで、くたくたになり、体は睡眠を要求しているのですが、とても寝られるような状況ではありません。

妻の母親が付き添いでいてくれましたので、妻は、「小児科病棟のプレイルームでいつも寝られるから横になってきたら」と言ってくれました。やはり少し寝なければと、毛布を一枚持って寝に行きました。でも、とても寝られる精神状態ではなく、そのまま妻のいる病室に戻りました。結局待合室のソファで少し仮眠ができたので、体力はある程度回復しましたが、とても長く、つらい夜でした。

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手術2日目

ICUの面会時刻は第一回目が朝11時です。第二回目は、午後2時、第三回目は午後8時です。最初の面会時刻が待ち遠しくて、10分も前から、大きな観音開きのICUのドアの前で待っていました。初めての入室とは違います。今度は落ち着いた気持ちで入る事が出来ました。

さて、ユーゴンは、一夜明けて、もしかしたら目を開けているかもしれないという淡い期待もむなしく、昨夜と同じく白い無機質な顔のままでした。がっかりすると同時に、また不安が襲ってきます。本当に目を開けるのか?

この日は第二回目も第3回目も同じでした。あの元気なユーゴンはどこへ行ってしまったのでしょう?もう、このまま眠り続けるのでしょうか?先生はもうすぐだと言ってくださいますが、不安で一杯です。

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手術3日目

今日、ユーゴンは、うっすらと目を開けていました。黒くて小さな瞳で、でもしっかりと私を見ていました。今日の朝、看護婦さんがユーゴンが目を覚ましたことを知らせてくれました。ワクワクしながらの今日、第一回目の面会です。

私たちが誰なのか解っているのかどうかもわかりません。動きもありません。でも、しかり目をけてくれたことに大感激です。先生が脇で、「ゆうちゃーん、おとうさんだよー」と大きな声で読んでくれましたが何の反応も示しません。まだ、麻酔が残っているのです。

夜の面会時間は先生の薦めもあって、文代も着いていく事になりました。健康体である、ドナーは、私たちの知識とは全く逆に、術後すぐに(3日目ぐらい)運動した方が回復が早まるのだそうです。文代は、早くユーゴンに会いたい一心で、痛いのと苦しいのを我慢して、必死で車椅子に乗り、ICUまでやってきました。

大好きなお母さんとの感激の対面かと思いましたが、ユーゴンは相変わらず、目を開けているだけで何の反応も示しませんでした。「ゆうちゃん、よくがんばったね。おかあさんもがんばったよ」そういって、ユーゴンのちいさな手をにぎりしめていました。しかし5分がやっとでした。体中の激痛と苦しさで、まともに座っている事もできずに、そのまま病室へ帰りました。

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ウルトラマンのビデオ

次にICUに行った時、なんと、ユーゴンはウルトラマンのビデオを見ていました。ICUにはビデオテープとおもちゃは持ち込み可能で、ユーゴンは大好きなウルトラマンのビデオを持ち込んでしました。日常の生活の一部がユーゴンに戻ってきたのです。「怪獣ユウゴン」が早く復活してくれるかもしれません。でも、昨日と同じく反応がありません。

まだ無理かとがっかりして頭を撫でて帰ろうとした、その時です。かすれた声で「いやー!」と泣いたのです。お父さんが帰るのがいやだったのです。私は、感激のあまり、「ユーゴン!」と大きな声を上げていつのまにか、ユーゴンの手を握り締めていました。

目の前でユーゴンが声を絞り出すように泣き続けています。目からは大粒の涙がしっかり流れています。ユーゴンに感情が戻ったのです。分厚い雲がとぎれて一筋の光が差し込んできたような気持ちでした。先生や看護婦さんたちも「ゆうちゃんが泣いた泣いた」といって笑いながら駆け寄ってきました。

その後の面会で不思議な事が起こりました。母親が帰る時は泣かないのに、父が帰ろうとすると泣くのです。あんなにお母さんが大好きで、父は無視していたユーゴンが、です。痛いのをこらえている母の体をいたわっているのでしょうか?こんなに小さな子供にも、思いやりの心があるのでしょうか?

夜中にICUから、呼び出しがあった事もあります。ユーゴンが「お父さん」といって泣き止まなかったそうです。2才半になる今までなかった事です。とにかくこんな大事な場面で頼りにされた父はうれしくて、先生の許可される間ずっとそばに着いていました。

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ICUを卒業

いよいよ、ICUを出る日がきました。もとの病棟の個室に戻れるのです。大きな最初の山を超えた事になります。

今回は、母親のかわりに父がユーゴンを迎え入れる準備をしなくてはなりません。全てが慣れない事ばかり。部屋の掃除。物の移動。いろんな物の準備におわれているうちにユーゴンを迎えに行く時間になりました。ICUでお世話になった若い看護婦さん達が笑顔で送り出してくれました。ユーゴンはしっかりバイバイができて、とても賑やかでした。

ユーゴンにとってばい菌は大敵です。移植直後で強力な免疫抑制をしている状態では、少しの雑菌でもどんな重篤な症状を引き起こすかわかりません。ユーゴンにさわるもの、全てに殺菌消毒が必要です。もちろん父自信も、マスクにエプロンをして、病室に入る時はイソジンによるうがいとウエルパスによる手指、腕の殺菌が必要になります。

部屋に帰ってきても様々な機器につながった状態は変わりません。身動きが出来ずユーゴンはとってもご機嫌斜めです。真っ先にウルトラマンのビデオを見られるようにテレビをセットしました。

やることが山ほどあります。各種機器の説明をうけ、薬の飲ませかたを聞き、尿と便の取り方と記入方法を教えてもらい、食事の注意と消毒殺菌に関する事を聞き、あわただしく一日が過ぎました。

その間、少しでも父の姿が見えないとユーゴンは泣きます。「おとうしゃーん」といって泣きます。一人にされる不安が痛いほどわかりますので、できる限り側にいてやりました。そのうち困ったことに気が付きました。自分のトイレと食事が全くできないのです。とにかくユーゴンが寝るのを待って、我慢することにしました。でも、眠りが浅くすぐに目を覚まします。病室から出るのはとにかく短時間にして、トイレも駆け足です。

また、食いしん坊のユーゴンの前で食事する訳にも行かず、病室のロッカーのドアの陰にかくれて、なにかを探している振りをしながらおにぎりを口の中に詰め込みます。

ちょっとでも食事しているのがわかると「僕もほしい」といって泣きます。食べたい気持ちが痛いほど分かりますので、できる限り辛抱するのですが腹が減っては、何もできません。この状況は、入院中ずっと続くことになり私の大きなストレスのひとつになります。

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ユーゴンと術後はじめての夜

手術前から今日まで心休まる夜はありません。先日までは母親のベッドのわきに付き添って寝ていましたから、ある程度は寝ていましたが、時々訪れる傷みとトイレの度に目覚めますのでやはりなかなか熟睡という訳にはいきません。ユーゴンが個室にくるまでには体力を回復しておこうと思いましたが、なかなかそういう訳にはいきませんでした。

さて、いやがおうにも個室に入って、初めての夜が訪れました。ユーゴンはおとなしく寝てくれるでしょうか?

......全く無理でした!

ユーゴンのベッドの下に付き添い用の薄いベッドをひいて寝られる状態にはしました。ウルトラマンのビデオをかけながら電灯を暗くすると、ほどなくユーゴンは寝息をたてています。うまくいったと思ってスッと寝かけた時に「おとうちゃん!」といってユーゴンが呼びます。ベッドの下に寝ているので目が覚めると父が見えないので心配になるようです。「おとうちゃん ここだよ」といって手を握っていると、安心して寝息をたててきます。もう寝たなと思い、横になり寝かけると今度は、注射のブザーがビーとなります。看護婦さんを呼んで交換してもらいます。うとうとしかけるとまた「おとうちゃん」と呼びます。何回呼ばれたかわかりません。「おとうちゃん ここ」といって手を握ります。また寝ます。横になりうとうとします。そうすると看護婦さんがユーゴンの状態を見に来ます。また目が覚めます。次ぎはうんことおしっこでおむつの交換です。

ユーゴンにとって今は父親が全てなのです。母はまだベッドです。私も誰も頼るものがいません。父と子だけの試練の夜です。ということで、長い長い夜は、白々と明けはじめ、ほとんど寝ることなく次の朝を迎えます。この状態がいったい何日続いたでしょうか?

胆管チューブねじれる!

病室での3日目ぐらいかともいます。ユーゴンの移植された肝臓から出る胆汁を体外へ排出する直径2ミリ程度の細いチューブがあります(胆管チューブ)。このチューブがねじれて、詰まってしまいせっかく下がったビリルビンが8まで上昇する事態がおこりました。

ユーゴンがじっとしていられず、体を動かした結果なのですが、手術直後でもあり、自分の大きな見落としだと思い、非常に慌てしまいました。

急遽、ねじれたチューブを交換し、胆汁が順調に排出されて、ビリルビンも下がり事無きをえましたが、どちらかというと毎日の生活を何とかやりくりする方にウエイトが移っていた自分を戒める機会になりました。ユーゴンの体の状態はやはり付き添いの親が看護者としていつも細心の注意をはらい、病院のスタッフに任せっきりにすることなく、ほんの些細なことも遠慮せずに看護婦さんや担当医に言うべきであることを自分自身に言い聞かせました。

ユーゴンの食事始まる

ユーゴンの食事は、意外と早く、病室2日めからはじまりました。最初は重湯のみ。手術直後で、一切の雑菌をシャットアウトするため細心の注意をはらいながらの食事になります。

まず、食器類は、赤ちゃんが使用するミルトンを使用し、必ず消毒をした上での使用となります。

また、飲み物も最初は、ポカリスエットのみで、常に缶を開けた直後のものを飲み、残りは雑菌がつくのを防ぐため捨てるか、私が飲むかです。ユーゴンにはたとえ一口でも新しい缶を開けて飲ますことになります。

これについては、いろいろな情報があり、数時間程度なら、アルミ泊をかぶせて冷蔵庫で保管しても大丈夫だとか、いや、やはり念には念を入れて開けたてのもの以外はダメとか様々です。病院スタッフの方などはどちらかといえばラフな方ですが、やはり初めての私たちにとっては念には念を入れての他の親御さんの言葉に従う事にしました。ポカリスエットは箱ごと買ってきました。

また、病院の食事もユーゴンの分は、ラップがかかっており、雑菌をシャットアウトしていますが、食べる時にはこれに再度、電子レンジで加熱するという念の入れようです。とにかく面倒くさがり屋の私にはとても大変な食事の時間です。

しかし、母親がドナーの方はみんな父親が慣れない手つきで流し台に立ち、がんばっています。私もそんな父親のひとりなのです。

あわただしいお見舞い

私は滋賀県ということで、京都に近いため、たくさんの方がお見舞いに着てくださいました。

しかし、京大病院小児科病棟は胆道閉鎖症や、白血病の患児もおり特に外からの雑菌には神経質に対応しています。特に小児が病棟に入る事は厳禁で、いくら遠くから来ても許可されません。また、生花の持ち込みも禁止です。

術後間もない、ユーゴンの個室には当然マスクと手指の消毒をしていただくことになりせっかくお見舞いに着ていただいても感染を心配するあまり、時間がとても気になり、ゆっくりとお話をする心の余裕がありません。こんな生活を続けているうちに雑菌に関してはとても神経質になってしまった自分に改めてびっくりしてしまいます。

部屋から出て廊下等で面会もできるのですが、ユーゴンにはとてもその短時間が待つ事はできません。いつもあわただしく対応して、お礼もそこそこに失礼する事になります。

どうか京大病院小児科にお見舞いをされる方はこの辺りの事情をお察しのうえ、手術直後などは極力お見舞いを避けた方がよいかと思います。
子育ての本

お父さんお母さんとの交流

小児科病棟を入って正面の廊下は主に胆道閉鎖症による肝臓移植の子供たちが入院しています。病棟に入って右側の廊下は白血病の子供たちが入っています。子供たちには、必ず付き添いがいます。たいていは親のどちらかですが、たまにおばあちゃんやおじいちゃんが付き添っておられることもあります。

また、生体肝移植後には、私たちのように両親が2人共いますので子供達の数以上におとなのいる空間がある訳です。通常でも2ヶ月〜3ヶ月、長期の入院になると1年以上も入院されている方もおり、病棟事体が完全に日常生活の場としてある訳です。病棟の地下階には売店もありますし、病院を出て5分も歩けばスーパーもありますので買い物も何とか間に合います。

そのような日常生活のなかで他のお父さんお母さんとうまく接することがとても大切なことになってきます。最初は、個室なので他に話す人もおらず、とにかくユーゴンの体調のことばかりで憂うつな気分になっていますので、ただひたすら、病室(個室)とパントリー(流し台と電子レンジ)とトイレとお風呂、ナースセンターや処置室を行ったりきたりするだけとなります。しかし、最初の大部屋にいた時のお母さんたちが、時々自分の子供をつれてユーゴンの様子をのぞきにきてくれたりするので、これはとてもありがたいことでした。

解らない事ばかりなので、質問ばかりしていました。質問以上の事をおしえてくれたり、おいしいものがあればおすそ分けをくれたりと、そんな気さくなお母さん達と仲良くなれてとてもラッキーでした。父親もその頃は5人ほどいたかと思います。2人ぐらいと会社のこととか退院後のこととかいろいろ心配事を話すようになり、そんな時は結構、同じ悩みを共有する仲間意識みたいなものが出来て、安心できるものです。

呼び方は「○○ちゃんママ」、「××ちゃんパパ」というように、子供のなまえにママ、パパがつづきます。子供中心のこの病棟ではみんなこの呼び方です。わたしはゆうちゃんパパです。

しかし、子供の病気の話になると気をつかいます。子供の調子が思わしくない人に自分の子供の回復を喜んで話すことはできません。

素直に相手を祝福できない厳しさが実際にあるのです。今日か明日かわからない重篤な症状の方がおられます。実際、入院中に何人かの子供が遠い世界へ旅立っていきました。みんな、ある程度その辺りの事はわきまえていて、無言のルールのようなものが出来上がっていたようです。小児科病棟は非常にせまい特殊な地域社会です。

悩みを考える本

おかあさんがんばる。

ユーゴンは何かとトラブルはあったものの、何とか順調に経過し、個室から2人部屋、4人部屋へと移りました。個室よりは大部屋の方が賑やかですが、ユーゴンが夜中に泣くためいろいろと迷惑をかけてしまいます。父と2人で何とかやっていますが、2才半のユーゴンには母親が必要です。頼みの母親は、手術後一週間で退院となりましたが、傷の方はまだ完治しておらず、通院しながら傷の手当てを受ける事になります。

ドナーの方は、健康体ということで、保険適用はありません(当時は)。よって、手術費用、入院費用等は全て実費扱いとなります。また、健康体なので回復も早いということでほとんどは術後一週間で退院ということになります。

しかし、肝臓を1/4もとる、素人目からは大手術です。本当に大丈夫なのかという不安は拭い切れません。歩く事は何とかできるのですが、痛くてたまらないようでした。

また、ドナー用の病室も限りがあり、次から次へと訪れる生体肝移植のドナーのために順送りで、退院する必要もあるのです。

仕方なく、妻は近くのビジネスホテルへ泊りこんで、通院することになりました。一人ではどうしようもないので一週間程度は妻の母親に付き添ってもらいました。自分自信の毎日の生活もままなりません。しかし、子供と夫は病院のなかで日夜、病気と闘っています。

母親として妻としてどのような心境でしょう。察するにあまりあります。

今までに京大病院では、300例を超える生体肝移植を行なっています。少なくとも300人は同じ体験をされている訳です。その中の比較的状態のよい恵まれた環境であると考えれば、泣き言はいっていられません。妻も一日も早く回復する事を第一に考え、努めて心配事を無理矢理忘れるようにし、傷みをこらえながら懸命に毎日を過ごしていたようです。

「おかあさん、ゆっくり休みなさい。ユーゴンはぼくが見てるから」.....でも私の正直な気持ちは早くおかあさんが復帰する事を願っていました。毎日気丈にやっているようにみえますが、やる事なすことすべて苦手な事。ユーゴンに何かあったらどうしょうと不安で一杯だったのですから。

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お願い、ユーゴン、食べて!

ユーゴンはもともと、偏食のはげしい子でした。入院前からこの事はわかっていましたので手術後の栄養補給のため、何でも食べるようにしつけていましたが、間に合いませんでした。ごはんとふりかけ、おもち、パン、うどん。ユーゴンが食べられるもののリストです。よくこれでいままで生きてこられたなと思うほどの偏食でした。

手術後、5日目ぐらいからおもゆがでるようになり、味噌汁、おかゆ、ごはんとじょじょに普通の食事にもどってきます。しかし、ポカリスエットやアイソカル(栄養補給飲料)等の飲み物は口にするのですが、全く食べ物を食べようとしません。無理矢理口に入れても小さなお椀に1/3程度しか食べないし、おかずは泣いて嫌がります。これには、ほとほと困りました。

医者も栄養面で問題があるのでしっかり食べるように再三ユーゴンを、説得してくださるのですが、効果なし。ごはんが無理なら、おかしでもと思いますが、最初は消化のよいゼリーぐらいしか食べさせられず、感染の心配もありますので、他に何を食べさせてよいのかわかりません。

ある程度、日が過ぎれば、加熱調理したものや、完全密封されたお菓子ならば食べさせてよいので、売店でいろいろ買ってきて、あの手、この手を使いました。結局ユーゴンが一番よろこんで食べたのは、アルミなべにはいった「鍋焼きうどん」でした。

父は給食を運び、うどんを一生懸命作り、ユーゴンはほんの少し食べただけでごちそう様をし、残りを父が食べるというパターンが続きました。

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明るい大部屋とウルトラマン

最初にいた4人部屋にかえって来る事が出来ました。みんなよく知っている人で、賑やかな毎日がはじまりました。ユーゴンも楽しく毎日が過ごせるようで、よく笑うようになりました。親戚の人からお見舞いにもらったウルトラマンの人形セットが気に入り、毎日遊んでいました。先生や看護婦さんが来るとウルトラマンの話題になり、ユーゴンもそれがとてもうれしいようでした。

となりのベッドにいるのはみんな女の子で、一番小さな子がゆきちゃん、そしてちーちゃんと、りさちゃんは今年小学一年生です。お姉ちゃんなのでユーゴンをとても可愛がってくれいつもベッドまで遊びに来てくれました。

みんな、移植後の経過が悪く何度も入退院をくりかえしていているため、お母さん達は病院生活にとても慣れていて、私もいろいろな事を教えてもらいました。子供たちもどのようにしたら病院生活が楽しくなるか知っていて、相手になってくれる看護婦さんや先生が来るたびに捕まえて遊んでいました。

とはいっても、みんな重症の入院患者です。体には胆汁チューブや点滴が常につながれていて、それを自分で持ちながら遊んでいます。ユーゴンはまだ立つ事もできず、やっとちょこんと一人でお座りが出来る程度です。

そんな状況でお互いのベッドに行き来しながら人形で遊んだり、ママゴトをしたり。子供たちの遊びへの欲求には感心します。

一番面白かったのは、ちーちゃんとりさちゃんが制服を借りてきて看護婦さんになり、聴診器を片手にユーゴンを診察に来た時です。ユーゴンは、言われるままに「おしり」をだし、若くてかわいい看護婦さんに聴診器で診察してもらいました。部屋中、本当の看護婦さんも一緒になって大爆笑でした。

 

大泣きの処置室

ユーゴンの手には常に注射針がささっています。それは常に点滴につながれています。これは時間が経つと、つまってくるため何日かに一度は、針を別の個所にさし直す必要が出てきます。

また、肝臓のエコーを撮ったりするなど、自分のベッド上ではできない時に処置室へいくことになります。

ラインをとる時はパニックです。最初は、おとなしくしていますが途中から大きな泣き声が廊下まで聞こえてきます。暴れるため余計に時間がかかってしまいます。ユーゴンにとっては災難です。

エコーをとる時も、退屈するので嫌がります。しかし、独特の音が「ムギュー、ムギュー」と聞こえますのでこれを、怪獣の声ということにして、ユーゴンの体の中の怪獣を倒さなくてはならないからこのエコーをとるんだと言って納得させました。

ユーゴン:「ゆうちゃんの怪獣はどうしてる?」。

先生:(真面目顔で)「もう少しでやっつけられるから我慢してがんばろうな!!一緒に怪獣を倒そうな」

ユーゴン:力づよく「うん!!」

 

「にこにこトマト」

小児科病棟にはプレイルームと呼ばれる部屋があります。おおむね20帖程度の部屋で、ぬいぐるみやブロック、おもちゃやまんががおいてあります。入院中の子供たちの唯一の遊び場です。

そこで、ボランティアの方々が開催されている「にこにこトマト(通称にこトマ)」というサークルがあります。お話会や、絵を描いたり、楽器の演奏会をしたり。退屈で苦しい日々を過ごす子供達にとっては、非常に大きな意味をもつサークルです。

一般の主婦の方や大学生の方が参加されており、皆さん子供が大好きな方らしく、とてもやさしく相手をして下さいます。ユーゴンも移植前に何度か遊びに行って、ボランティアの方とも顔なじみになっており、また参加できる日を一つの目標としていました。

なかなか、点滴が外れないために、プレイルームまで行けず、お預けとなっていましたが、思い切って先生に御願いしたら行ってもよいといわれ、点滴スタンドを押しながらユーゴンを抱っこしてつれていきました。ボランティアの方も久しぶりにユーゴンをみて、手術がうまくいった事を自分のことのように喜んでくださり、ユーゴンも久しぶりに楽しい時間を過ごしたようです。

何といっても、子供たちがたくさん集まって楽しそうにしているのを見るだけでもユーゴンにとっては、励みになります。今までもボランティアには感心がありましたが、実際に効果をあげている活動を目の当たりにして改めてその大切さを認識しました。私もユーゴンが元気に大きく成長した時、一緒に「にこにこトマト」のような活動ができればと思っています。

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ユーゴンの回復をはばむもの

当初の予想通り、ビリルビンや肝機能などは移植前と比較すると、確実に回復しており、いかにも順調のようにみえますが、次から次へと問題が発生してきます。移植した母親の肝臓から胆汁がちゃんと出ているかどうかは毎日の最大の関心事です。

そのために、うんちの色は食い入るように見ます。また、頻発する発熱の原因は何なのか、その度に看護婦さんや先生方からわかるまでお話を聞きます。なかなか、すぐには原因が何なのか解らないため、やはり血液検査やエコー等の検査をすることになります。

ウィルスによる感染症、拒絶反応、一通り予測された問題は発生したようです。拒絶反応が強い場合は対処が非常に難しく心配しましたが一回のパルス療法により解決できました。非常にラッキーだったと思います。

結局、最後まで悩まされたのは胸水(きょうすい)でした。

術後に発生する症状で、腹に水が溜まる場合は腹水と呼ばれるものです。術後ある期間は出るものだそうですが、ユーゴンの場合は退院直前まで止まらず、逆に増えていく一方でした。体内のたん白質が胸水と一緒に排出されてしまうため、点滴によりどんどん補充する訳ですが、小さな体から一日に1リットル以上も出てくるのですから驚きです。

胸水が肺を圧迫し夜中に呼吸困難を起して苦しむ事もありました。脇の下から出るこのチューブは太く邪魔になり、いつまでも抜けないので、ユーゴンが嫌がります。

仕方なく、黄色いので「パイナップルジュース」だということにしたら、自分で「今日はゆうちゃんのパイナップルジュース一杯出た」といってはしゃいでいました。(ユーゴン、いろいろ騙してばかりでごめんね。)

ここでは先生方が3人〜4人でグループを作り、日常の検査等は若い先生が行い、治療の方針や検査にたいする判断などは上の先生がされる事になっています。複数の先生が診てくださいますので、安心な部分もあるのですが逆に、いろいろなお話があって、どれが本当なのか混乱する場面もありました。

しかし、さすがに生体肝移植の実績では世界一の病院です。どの先生方もとても親切で、いつも一生懸命さが伝わり、安心していられました。なによりも、わがままな小さな子供の相手を、どの先生もちゃんとされることには感心しました。これもプロとしての条件なのでしょう。


生体肝移植の本  

看護婦さんありがとう

最初の葛西の手術のときもそうでしたが、今回も看護婦さんにはいろいろな面で大変おせわになりました。治療面ではもちろんですが、日常の生活の面でも、あらゆる事で頼っていましたが、ちゃんと受け止めてくださいました。

いつも明るく、冗談を言いながら、毎日、つらい事ばかりで、暗くなりがちな私たちの気持を明るくしてくれたのは看護婦さんたち。子供たちも看護婦さんとの触れ合いを楽しんでいたようです。

本当にありがとう。


希望を考える本

 

ユーゴンが歩けない!!

手術後、一週間(?)もすると先生からは、歩いてもよいという許可が出ます。許可というよりも回復を早めるために歩く方が良いということです。しかし、いくつものチューブが出ている状態では、ユーゴン本人に全くその気がありません。

手術前はあれだけ活発だったユーゴンです。そのうちきっと、自分からじっとしていられずに歩き出すだろうとタカをくくっていたのですが、何週間過ぎても歩こうとしません。先生からも再三、「ゆうちゃん、がんばってあるこうね」といわれるのですが、無理矢理に歩かせようとすると泣いて抵抗します。

先生も、楽観視しておられたようですが少し真剣に歩かせる必要が出てきました。お菓子やおもちゃをだしにして、いろいろな方法を試みましたがうまくいきません。ベッドの上で立つのですが、絶対に降りようとはしません。そのうち、この子はもう歩けないのかもしれないという強い不安がよぎるようになりました。

しかし、そんな不安はある日一瞬にして解決されました。友達が帰る時に急によちよちと一緒に歩いたのです。ユーゴンが生まれて初めて歩いた1才の時より、この時の方が感激しました。

その後は、今までの心配が嘘のように急に歩き出し、逆にベッドにじっとさせるのに苦労するぐらいになってしまいました。子供は本当にわかりません。

子育ての本


エピローグ

術後、記念日がいっぱいあります。

はじめて泣いた日

はじめてしゃべった日

はじめて笑った日

はじめておかあさんに抱かれた日

はじめておとうさんの横でぐっすりと眠れた日

はじめて良いうんちがでた日

お腹のホチキスがとれた日

胆管チューブが抜けた日

はじめてお風呂に入れた日

はじめてご飯を食べた日

はじめて歩いた日

退院の許可がでた日........

 

何もかもが、ユーゴンと私たちにとって記念日です。

平成10年1月16日、手術の日おかあさんの肝臓をもらって、ユーゴンは生まれ変わったのです。一つ一つが回復への確かな証であり、生まれ変わったユーゴンの成長のステップなのです。

平成10年3月8日、ユーゴンは、無事、退院の日をを迎えることができました。

まだまだ、書ききれない、たくさんの事がありました。つらい事がほとんどですが、それ以上に、人のあたたかさにふれる機会もたくさんあり、貴重な体験となりました。

先生はじめ、病院のスタッフの方には、なんとお礼を言ってよいのかわかりません。

本当にありがとうございました。

 

この体験記を読まれたかたは、どのような方でしょう。

これから子供と一緒に病気と闘っていく人でしょうか。健康な方でしょうか。病院関係の方でしょうか。

どんな方であれ、このような幼稚な文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。少しでも、何かのお役に立てるなら幸せです。

また、ご意見などございましたらメールをください。

平成11年1月15日 ユーゴンの父

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