2007.02.24
07時45分 自宅 発
07時50分 00東寺
08時50分 高速バス:京都八条口
11時25分 高速バス:鳴門西
11時45分 01霊山寺
12時00分 02極楽寺
12時55分 03金泉寺
14時00分 04大日寺
14時40分 05地蔵寺
14時45分 民宿森本屋 着
しきたりに則りまず京都の東寺から打つことにした。ていうか東寺まで5分で行けるし。参拝を済ましご朱印をもらいに行くと、「8時30分から」とのことだった。いきなり30分待つことに。何とか四国に渡り、01霊山寺ではお遍路さんであふれかえっていると思いきや、ほとんどおらず白衣に着替えるのが恥ずかしい。
道中、あまりにおなかが空いて、「コンビニに寄るか?でもお遍路姿でコンビニはおかしいやろ」とか思ったけど、「あ、あの人、お遍路姿でコンビニ寄るの恥ずかしいから一旦遠くで脱いではるわ」って思われるのがもっとイヤだったので、結局そのまま入った(注:以後、コンビニでも郵便局でもそのまま入ることに)。
その後おにぎりを食べながら歩いていると激しく道を間違え、リロケートに時間を要するハメになった。宿に早く着きすぎたが、今日はここまで。想定していたよりも歩くのが速かった。
遍路距離:10.9km(通算:10.9km)
2007.02.25
07時05分 民宿森本屋 発
08時10分 06安楽寺
08時40分 07十楽寺
09時45分 08熊谷寺
10時30分 09法輪寺
11時30分 10切幡寺
13時50分 11藤井寺
14時15分 旅館吉野 着
四国の冬の朝は激しく寒い。お遍路姿で両手をポケットに突っ込んで歩くのも行儀が悪いけど、そんなこと気にしていられない程寒い。地図を持つ手を交互に替えて片手ずつ暖めて凌ぐ。
道中、お遍路さんの人数がやたら多い。昨日の5倍はいるに違いない。いったいどこに隠れていたのか?そんなことを考えていたら今日もさっそく道を間違える。2km程ショートして高速道路のインターチェンジを見てリロケートできた。いちいちスケールの大きいオリエンテーリングだ。また驚いたことに寺の境内にオリエンのパーマネントポストを発見した。それも2ヶ所も。場違い感が甚だしい。お遍路もオリエンもやっぱり同じようなものなんかな?
今日もあまりに早く宿についてしまい、本当に歩く気があるのか疑われてしまう危機に陥ったが、これ以上進むと日没までに山道を抜けられないので仕方あるまい。
遍路距離:26.9km(通算:37.8km)
2007.02.26
06時15分 旅館吉野 発
09時10分 12焼山寺
14時10分 13大日寺
14時30分 14常楽寺
15時00分 15国分寺
15時30分 16観音寺
16時40分 17井戸寺
18時25分 オリエントビジネスホテル 着
距離50km、登り1,200mという壮絶な1日だった。12焼山寺へは常人6時間、健脚5時間の立て札のところを3時間弱という強行軍ぶりを見せつけたが、そのダメージが全身に残り、後半ヒィーヒィー言いながら進み続けた(注:いや、実際にはそんなん言いながら歩いてないけど、気持ち的に)。お遍路時間も12時間を超え、ちょっとありえない様な展開になってしまった。正に修行。
あまりにダメッぷりのためか、車で送ってあげるというお接待の申し出があったが、今回は歩き通したいので丁重にお断りをした。お遍路姿が板についてきたのか、今日は町行く多くの人に声を掛けられた1日だった。
遍路距離:50.5km(通算:88.3km)
2007.02.27
06時10分 オリエントビジネスホテル 発
08時00分 18恩山寺
08時55分 19立江寺
11時45分 20鶴林寺
13時40分 21太龍寺
16時30分 22平等寺
16時40分 山茶花 着
昨日に引き続き今日も山越え。登りトータルで1,200mなので距離は抑え目にしておいた。結果これが正解で人としての限界がこのあたりにあるようだ。ひざ、足首、靴擦れ、ふくらはぎ、太股の痛みはさほどではないが、足の裏の痛みがひどい。何万回もアスファルトに打ちつけているせいか?なので、山道では人の2倍のスピードで進めるが、一般道では常人クラスになってしまう。しかたないか。明日は靴下を2枚履いて、さらにタオルを切って敷いてみよう。
午後からは初めての雨に見舞われテンションが一気に下がった。もっと正確に言うと、疲れで相当下がっていたテンションにトドメをさされた感じ。43kmにしといて助かった。
今まで同宿する人は定年した人ばかりだったが、初めて同年代がいた。聞けば、1月に会社を辞め4月から公務員なので、時間ができお遍路に来たとのこと。全く同じでこんな偶然があるのかと驚いた。
遍路距離:43.3km(通算:131.6km)
2007.02.28
06時55分 山茶花 発
10時50分 23薬王寺
17時35分 みなみ旅館 着
足裏と足横の鈍痛がひどい。明らかに1日に歩く距離が長すぎてお遍路を楽しむ余力が無い。今日は46km。毎日、マラソンの距離を上回るとは。明日は44kmにして、その後は40kmを目安にしていきたい。
本当にこのままお遍路を続けて楽しいか?とふと思ったが、さりとて帰ったら楽しいのか?というと特段そうでもない。楽しいと楽は違うということか。川と海がすばらしく綺麗だったが、愛でる余裕がなくて残念だ。お遍路全部周った時に何か得るものがあるのか今は謎のままだ。
遍路距離:46.9km(通算:178.5km)
2007.03.01
06時50分 みなみ旅館 発
17時15分 ロッジ室戸岬 着
室戸岬へと続く一本道、右手に山、左手に海を臨みながらひたすら歩き続ける。アスファルトが熱せられてカゲロウが見える。遥か彼方に岬のようなものが霞んで見える。人は1日であんな距離を歩けるものなのかと驚く。途中、寺は無い。超ロングレッグ。特に海が素晴らしく、是非ともここに泳ぎに来てみたいと思わせる海岸が続いていた。
今日も朝から槇原ソングを歌いながら歩いて(注:鼻歌ではなく、正に歌いながら)、大体いつもは昼過ぎから一気に疲れが出て無言で歩き続けるのだが、今日は夕方まで歌ってしまうほど爽快だ。自転車でかっ飛ばす人たちにたくさん抜かれ、自転車でまわるのも良いもんだと思った。気持ちよさそうだ。
宿のお風呂では、足裏と足横の、毛細血管がひどく損傷していそうな部分をアイシングしてみた。明日は楽になっていればいいのに。
遍路距離:44.9km(通算:223.4km)
2007.03.02
07時05分 ロッジ室戸岬 発
07時50分 24最御崎寺
09時30分 25津照寺
10時35分 26金剛頂寺
16時50分 浜吉屋 着
右足の鈍痛は治まったようだ。後は左足だけ。下りでの左足裏のあまりの痛さに骨折も疑う。叩いてチェックした感じでは大丈夫のよう?何はともあれ、室戸岬も観光するでもなく一瞬でスルーし、かなり北上した。町中に貼ってあったポスターによると室戸高校が甲子園に初出場したようだ。こんな過疎の町でもそんなに強いチームができたのかと素直に驚く。注目しておこう。
もう一つ驚いたことには、出会った子供の多くが「こんにちは」と、さも当然のようにあいさつしてくれること。高校生くらいの大きなのも普通にあいさつしてくれた。田舎のヤンキー風の子も普通にあいさつしてくれた。都会では考えられない経験だった。
昼過ぎに、ふと振り返ってみると、遥か彼方に室戸岬が見えて、今朝からこんなに歩いたのかと驚いた。
遍路距離:38.0km(通算:261.4km)
2007.03.03
06時45分 浜吉屋 発
07時35分 27神峰寺
16時30分 丸米旅館 着
とにかく暑い。常に左方向から直射日光を浴びているので左半身だけものすごく日焼けしている。400mの山登りを早朝にこなし、あとは延々と海岸沿いを歩く。15kmにおよぶ壮大なサイクリングロードをサイクリングするでもなく延々と歩く。立派な道だ。
途中、阪神タイガースの安芸キャンプ場の側を通りかかるがそのままスルー。安芸ってこんなところにあったのか。安芸にさしかかるあたりから急速に町並みが発展しだす。いや、冷静に見たら田舎なんだけれど、これまでのスーパー過疎に目が慣れてしまって、立派な都会に見えてしまう。
外国人にすれ違いざまにあいさつされるが、彼女は僕のしていることを理解しているのだろうか?と考えながら歩き続けた。休息をいつもより多めに取ったら足の痛みもやわらいだ。この分だと完治も近いかも。
遍路距離:39.7km(通算:301.1km)
2007.03.04
06時50分 丸米旅館 発
07時20分 28大日寺
09時15分 29国分寺
10時55分 30善楽寺
12時55分 31竹林寺
14時35分 32禅師峰寺
16時50分 33雪蹊寺
16時55分 高知屋 着
久々に1日に6寺をも周った。達成感もひとしおである。どうも左足の症状が重症化してきた。足裏外側のおそらく軟骨の挫傷くらいと、親指付け根の神経系の損傷か?神経関係はいままであまり痛めたことがないのでちょい不安だ。1日2日ではとても回復しそうにないので歩きながら治すしかないか。しばらくはいたわりながらのお遍路にしよう。
夕方、浦戸大橋というもの凄い高い橋を渡ったが、あまりに高いのに歩道が50cmくらいとあまりに狭く、死ぬ思いをして渡りきった。途中からはもうだめだと思い、眼鏡を外して渡ることにした。普通の人はフェリーに乗ってこの湾を渡るそうだが、乗ったら歩き遍路じゃないような気がして乗らなかった。
遍路距離:37.8km(通算:338.9km)
2007.03.05
07時00分 高知屋 発
08時15分 34種間寺
10時35分 35清滝寺
14時15分 36青龍寺
16時15分 旭旅館 着
昨夜から豪雨。初めて豪雨の中でのお遍路に。スピード重視のため僕の雨対策は貧弱で、上はウィンブレ、下はカッパ、リュックカバーは無しという、あまりにも軽装であったためやや不安であった。途中、前が霞んで見えない程の集中豪雨だったが、そんな装備でも乗り切れて良かった。昼前には雨はあがる。
高知市街から離れるに従って、みるみるうちに町行く人の数は少なくなっていき、夕方、山中の県道を歩く際には人の気配は全く無かった。たまーに、車が通り過ぎるだけという県道に驚く。宿はその県道から1.3km海に下りていった民家20軒くらいの(言い過ぎか?)の謎の旅館に泊まった。当然のように客は僕1人。朝起きたらみんな狸になっているんじゃないかと思うほどだ。左足の症状は依然良くならない。
遍路距離:38.0km(通算:376.9km)
2007.03.06
07時20分 旭旅館 発
14時00分 福屋旅館 着
左足のコンディションが一向に良くならないので、思い切って歩く距離を減らした。快調なのは始めの1時間だけで、あとはずっとしかめっ面まぶしそうに歩いているので、はたから見ると正に修行僧のようだろう。ムリせず気持ちよく歩きたいものだ。
道中、寺は無く終始トラックの行き交う国道を歩く道のりだった。いったいこのトラック野郎はこんな田舎のどこに向かっているんだろうか?あと四国に来てずっと思っていることなんだけど、もみじマークの貼ってある車が実に多い。人口のほとんどがお年寄りなのか。
遍路距離:29.3km(通算:406.2km)
2007.03.07
07時25分 福屋旅館 発
11時45分 37岩本寺
14時25分 佐賀温泉 着
30km程度のお遍路ではまるでピクニック気分だ。お昼過ぎには宿に着いてしまった。途中、高速道路の工事箇所があったが、本当にイノシシ以外に通る人がいるのかと余計な心配をしてしまう。今日の37岩本寺には準備してきたお線香を使い果たした。次の寺で買うことにしよう。
それにしても高知県はこんなにも横に長い県だとは驚いた。4県の中でも一番遍路距離が長いようだ。しかも寺の数が著しく少なく、ロングレッグ多すぎ。寺に着かないといまいち達成感が得られない。
遍路距離:33.2km(通算:439.4km)
2007.03.08
07時00分 佐賀温泉 発
14時40分 民宿月白 着
宿の朝食は8時から、とのことだったのでパスして出発。まだ玄関も開いておらず非常口から夜逃げのように出発。今日は寺は無い。山間の縫うような国道をひたすら西へ西へと進む。ようやく海辺まで出ると今まで見た中で一番美しい綺麗な海岸があった。浮鞭海岸、覚えておこう。あまりに綺麗なのでお遍路に来てはじめて自分の写真を撮る。逆行でなんか黒くなってしまったがまあいいか。
あまりに遠くに陸のようなものの影がうっすら見えて、あれが足摺岬か?それにしては遠すぎるんちゃうかとか?九州が見えてんのか?と思っていると、地元の人があれが足摺岬だと教えてくれて愕然とする。本当に明日にたどり着ける距離なんだろうか?はじめてみた四万十川は思ったよりも透明ではなくガッカリ。
遍路距離:34.7km(通算:474.1km)
2007.03.09
07時00分 民宿月白 発
15時30分 38金剛福寺
16時20分 ペンションサライ 着
昨日のは何かの間違いではないかと思い、早朝、再度四万十川を確認したら、やはり濁っている。どうしてこの程度の川が話題になるのだろう。川幅が広いからか?隣の下ノ加江川の方はすばらしく綺麗だった。37金剛福寺までの道のり80km、ようやくたどり着いた。レッグ長すぎやろ、どう考えても。足摺岬への道は室戸岬へのそれとはかなり趣が異なっていて海近くの山中を縫うように進む感じ。
途中、大岐海岸という浜を歩いたが素晴らしく綺麗で、昨日の海岸以上に過去最高だ。延々1km続く波打ち際をひたすら歩く。遠浅の海と浜が凄く綺麗。夏にはにぎわっているだろうに、今は数人しかいない。こんな経験は今後もうないかな、と思っていたら、明日は打戻なのでここを逆走するんだった。
久しぶりの40km越はひどく疲れたが、左足は良くもならないが悪くもならない。
遍路距離:41.1km(通算:515.2km)
2007.03.10
07時05分 ペンションサライ 発
16時05分 清水川荘 着
38金剛福寺を打った後、ルート選択の余地がある。僕は壮大な打戻ルートをチョイス。戻る距離なんと27km。昨日来た道をただひたすらに戻る。途中、3月4日の宿で一緒だった3人と出会う(そのうち2人は3月3日も一緒だったのだが)。何かこう古い友人にでもばったり会った気分だ(違)。道後温泉までで今回は諦めるとのこと。残念だ。結願した暁には連絡するよと別れる。名残惜しい。
その後ズンズン歩いていくと、今度は3月3日の宿で一緒だったおじさんと出会う。まだこんなところでウロウロしているのかと言われるが、打戻だと説明する。日々行きずりの出会いだが、2回会うと思い出深い。こういう打戻も良いものだ。結局、足摺岬も観光するでもなく一瞬でスルーしてしまった。
遍路距離:39.2km(通算:554.4km)
2007.03.11
07時00分 清水川荘 発
08時50分 39延光寺
15時05分 40観自在寺
15時50分 民宿磯屋 着
今日は朝からペースが上がらない感じ。お遍路も半分を過ぎて疲れが溜まってきたか?長い長い高知県をついに脱出し愛媛県に突入した。峠越えの峠の部分が県境だったので、疲れて一休みし感慨深く高知県を後にした。
峠を越えると風がものすごく、吹き飛ばされるかと思った。実際、本は吹き飛ばされて取りに戻った。宿ではこの強風のため漁に出れず夕食の魚がないので、飯がつくれないという緊急事態に。外で食べることになった。
40観自在寺では白衣・靴の状態と表情の疲れの見えなさから、とても歩いてには見えない、と寺の人に言われる。いやもう足取れそうなんですが。
遍路距離:36.9km(通算:591.3km)
2007.03.12
07時10分 民宿磯屋 発
15時30分 金龍荘 着
ただひたすら国道56号線を北へ北へと歩いた。寺は無い。おかげで特に何の感慨もない1日だった。途中、500mの山登りをこなせば1.9km短くなるルートがあったが、ていうかそっちが正式な道っぽかったが、それはないやろと一人つぶやいて迂回の国道ルートを取った。
ようやく宇和島市にたどり着いたが、昔から高校野球で宇和島東が強く親近感があった。あこがれの宇和島に着いた感じ。しかし、実際にはそんなあこがれにには程遠く、狭くて車が多くて非常に住みにくそうな感じだった。宿では「お遍路さん」ではなく、はじめて「お四国さん」と呼ばれた。
遍路距離:40.8km(通算:632.1km)
2007.03.13
06時55分 金龍荘 発
08時30分 41龍光寺
09時10分 42佛木寺
12時00分 43明石寺
16時45分 ビジネスホテルだいいち 着
どうやら昨日の歩くペースが速過ぎたのか左足の甲の骨が激しく痛み出す。毎日、牛乳を飲んでいるが治癒が追いつかないらしい。開始1kmで痛み出したので、残り39kmが我慢し通しで大変だった。歩くペースが遅く、宿に着く時間が最近では最も遅い17時近くになってしまった。明日からも養生して歩こう。
今日は高速道路予定地に沿うように歩いたが、それも含めて四国では道路工事がやたらと多い。1日に10箇所は遭遇するこの工事、多すぎやろ。道路誘導のおっちゃんもたくさんいる。広島から来たという人もいた。ムダだムダだと言われている公共工事も、なくなってしまえばこの人たちの仕事もなくなってしまうので考え物だと思った。
遍路距離:40.0km(通算:672.1km)
2007.03.14
08時00分 ビジネスホテルだいいち 発
15時25分 高橋旅館 着
今日は30数kmしか歩かない楽々お遍路。宿を8時に出発するという余裕っぷりを見せつけた。左足の神経系の痛みが今日は特にひどく、ついに靴の一部分を切ることにした。たぶん靴の当たっている部分が原因だと思うので。10日程前にも切ろうかと考えたが、普段ジョギングに使っている靴なのでもったいないなあと思い、またお遍路での耐久性を鑑みてやめておいたがついに切ることになった。
穴の開いた靴は割と快適でなりふりかまわなければまだまだ余裕で歩けるなあと思った。このまままっすぐ松山へ向けて歩いていけば楽なのだが、途中に山深い山中になぜか2寺あり、かなり遠回りになってしまっている感じ。寺の設置位置の基準が激しく謎だ。
遍路距離:31.7km(通算:703.8km)
2007.03.15
06時20分 高橋旅館 発
12時10分 45岩屋寺
15時10分 44大宝寺
15時50分 やすらぎの宿でんこ 着
同じ宿の筋肉質のお年寄り(?)の井口さんに連れられて6時20分に出発する。最近ではちょっとないくらい早い出発となった。宿の場所の都合上、45岩屋寺に先に向かうというマニアックなルートチョイス。間違ったわけではない。この井口さん、とにかく歩くペースが速く休憩もしない。機械の体を持っているのかを思った。結局、休憩は僕が「そろそろ休みましょう」と提案した2回だけ。あまりにハードな旅で左足の甲の骨が再び痛む。明日が心配だ。
昼前に降り出した雨は、ふと気が付くとみぞれに変わっており、またふと気が付くと雪へと変わっていた。ついに四国でも季節遅れの初雪を観測。なぜこのハードな山越えのタイミングで。雪の山越えという修行モードの中、最後まで井口さんと歩き宿の前で別れた。精神的に一人で歩くよりかなり楽だ。肉体的にはひどく疲れてぐったり。
遍路距離:34.6km(通算:738.4km)
2007.03.16
07時20分 やすらぎの宿でんこ 発
10時00分 46浄瑠璃寺
10時20分 47八坂寺
11時20分 48西林寺
12時00分 49浄土寺
12時35分 50繁多寺
13時30分 51石手寺
15時50分 52太山寺
16時35分 53円明寺
16時45分 民宿上松 着
一気の8寺打ち。毎日このペースなら11日で終わるのに。久万高原を下り松山へ。平地シリーズが始まった。どこの寺にも団体さんはおらず、個人もパラパラだった。みんなどこへ消えてしまったのか?
四国と言えば道後。そう、道後温泉。ついに道後温泉までたどり着いたが華麗にスルー。一瞬で通り過ぎる。さすがに松山くらい都会になるとお遍路さんにあいさつしてくれる人などほとんどいない。ヒドイのはこちらからあいさつしても無視される始末。過疎の村が懐かしい。愛媛県はお遍路に冷たいという話をまことしやかに今まで何回か耳にしたが、単に都会を通っているからなんだと思う。徳島も高知もスーパー過疎地帯ばかり歩いたしね。
遍路距離:40.0km(通算:778.4km)
2007.03.17
06時50分 民宿上松 発
14時20分 54延命寺
15時25分 55南光坊
15時30分 笑福旅館 着
久しぶりに左足をいたわりながらスローペースで歩いた。時速4.5km程か。おかげで今日はあまり痛まなかった。交通量の多い国道・県道を歩き続け、特に目立った感慨は無かった。久々に瀬戸内海を見、また久々に本州を見た。瀬戸内海はいままでのリゾート気分の海ではなく、庶民の海水浴のにおいがした。くつずれの症状がかなり良くなったので数週間ぶりにテーピングをせずに歩いた1日だった。
すでにお遍路も3週間が終わり4週間目に突入したが、未だ特段に徳が高くなったとは思えない。しいて言えば足腰が強くなった程度か。さすがに歩くことにも飽きつつあるが、もうダメだと思ってからがお遍路か。
遍路距離:38.3km(通算:816.7km)
2007.03.18
07時00分 笑福旅館 発
07時35分 56泰山寺
08時20分 57栄福寺
09時00分 58仙遊寺
10時35分 59国分寺
15時05分 63吉祥寺
15時30分 62宝寿寺
16時10分 61香園寺
16時15分 香園寺宿坊 着
7時過ぎからもう練習を始めている野球部がある。よく見ると今治西高校。センバツ出場おめでとうございます。さすが。きょうは60横峰寺をパスして、63吉祥寺、62宝寿寺、61香園寺と逆打。宿が無く60横峰寺には行けない。というわけで750mの山登りは明日へ繰り下げられた。
愛媛県の人はお遍路に冷たいという話があるとこの前書いたが、一転今日は非常に暖かく迎えられ元気良く進むことができた。特に、コンビニという非常にビジネスライクの空間で店員さんからお茶を頂いたことには驚いた。まあ、そこで牛乳買ったので飲み物が2つになったんですが。
夜は23泊目にしてはじめて宿坊に泊まる。3泊目に断られて以来ずっと縁が無かったが。お勤めは夜に行うそうでもうすぐ行ってきます。ていうか、行ってから日記を書くべきだったか。
遍路距離:36.1km(通算:852.8km)
2007.03.19
06時20分 香園寺宿坊 発
08時40分 60横峰寺
11時30分 64前神寺
15時35分 ビジネスホテルMISORA 着
宿坊の朝は早く、6時20分に宿を出る。坊さんの大半はナマグサだが朝だけは早い。ハードな1日になりそうなのでありがたい。出発直後、道がよくわからない。地図が大雑把な上、打つ順番を変えたルートでは遍路シールも少なく難しい。何とか5分程のロスで済んで助かった。
心配していた山登り・山下りは難なく完了。ほど良いトレーニングと思えばなんてことはない。午後は国道11号線を東へ東へ。特に何の感慨も無く歩き続ける。おかげで宿へは早めに到着できた。ありがたい。ただ、宿直近のコンビニで買物しようと思っていたらあえなく閉店していた。ビジネスホテル3泊目にして、2回がこのパターン。正に無念。
遍路距離:40.6km(通算:893.4km)
2007.03.20
06時35分 ビジネスホテルMISORA 発
13時00分 65三角寺
16時15分 民宿岡田 着
今日も40km超の気合のお遍路見せて、国道11号線を東へ東へ。途中、500mの山登りをこなしてついに愛媛県を脱出する。思い返せば、愛媛の思いではあまり無い、というかこれと言って無い。ほとんど無の境地か。左足の痛みの状態も大分良い。ドンドン良くなる。右足は無傷だ。
山中で「旅の安全を祈念させてください」と言う人がいて、その人に拝んでもらったら何か一心不乱に拝まれること5分。いったいこの祈祷の式はいつ終わるのかと途中で不安になってしまった。そんなに長いんやったら、一旦リュックおろして楽な姿勢になって拝んでもらったら良かったと思いながら、途中からどうすることもできず直立不動で拝まれる。ありがたいことはありがたいが、体的にはかえって疲れた。
遍路距離:41.8km(通算:935.2km)
2007.03.21
06時30分 民宿岡田 発
08時00分 66雲辺寺
10時10分 67大興寺
12時30分 68神恵院
12時30分 69観音寺
13時55分 70本山寺
16時15分 71弥谷寺
16時40分 天然いやだに温泉ふれあいパークみの 着
お遍路最高峰の900m山越えを早朝にこなす。息が上がって朝食が出てきそうになる。さすがに高いだけあって、先日の初雪がまだ溶けておらず、特に北斜面の下りでは凍っていて危険。
ちょっと変わった寺、68神恵院・69観音寺は同じ敷地内にある。ていうか同じ寺やろってツッコミたくなる。2寺分なので通常の2倍お参りし、通常の2倍の納経料を支払うことに。正に坊主丸儲けを地でいく寺。さすが、全ての人が2倍払うだけあって境内は豪華絢爛。金に糸目がない感じ。朝早く出発したので今日は余裕だと思っていたら、ゆっくり歩いてしまったため夕方は時間がなく急ぐハメに。
今日思ったことは、世の中、結構人懐っこい人が多いなということ。さっき、帰りの高速バスの予約をした。もうすぐお遍路さんではなくなるのかと思ったら急に少し寂しくなった。
遍路距離:39.6km(通算:974.8km)
2007.03.22
06時40分 天然いやだに温泉ふれあいパークみの 発
07時30分 73出釈迦寺
07時45分 72曼荼羅寺
08時20分 74甲山寺
08時50分 75善通寺
10時15分 76金倉寺
11時15分 77道隆寺
13時20分 78郷照寺
15時00分 79高照寺
16時35分 80国分寺
16時50分 えびすや旅館 着
弘法さんが生まれた寺、75善通寺を打つ。相当立派なお寺で本堂と御影堂が隣の寺みたいに離れていてえらく広大だ。あまりに立派なのでこれをバックに記念写真でも撮っておこうかと思ったが、寝癖がひどくカッパみたいな頭になっていたので自粛しておいた。残念。
最近めっきり楽にゆっくり歩くのになれてしまったのか、いつも夕方になると思ったより距離が伸びずに、時間が足りなくなってバタバタと急いでしまう。明日は朝からタイトなスケジュールなので気をつけよう。3月20日の民宿岡田で同宿だった大学生とちょくちょく寺で出会ったが、88大窪寺の到着みつもり時間も同じだったので、最後にまた会うことだろう。彼は野宿主体で、宿に泊まったのはその1日だけだそうで、世の中に頭のおかしい、いやもとい変わった人もいるもんだと感心した。
帰り便を京都直通バスから、大阪までJR乗換に変更した。待ち時間が1時間減り、しかも500円安くなった。ウマイ。きっと、大阪周辺の雑踏で乗換をしているうちにこの非日常は消え、自宅に戻る頃には日常に引き戻されてしまっていることだろうと思うとやはり寂しい。
遍路距離:34.7km(通算:1009.5km)
2007.03.23
06時20分 えびすや旅館 発
07時40分 81白峯寺
08時55分 82根香寺
11時35分 83一宮寺
14時45分 84屋島寺
16時10分 85八栗寺
16時40分 高柳旅館 着
距離MAX、アップMAXな予定を立てて早朝に出発。早め早めに行動していたら夕方なんと時間があまった。もう1寺余分に打てることに。ここにきてラストスパートか。
昼間あまりに暑く82根香寺で服を1枚脱いで再出発したら、そこで輪袈裟を忘れてしまった。しかし、寺の参拝者が僕1人だけという過疎っぷりだったので、寺の若いアゴのしゃくれた坊さんが気づいて仁王門まで追いかけてきてくれて事なきをえた。グッジョブ!しゃっく。香川県に入り親切な方が多く、聞いてもいないのに道を教えてくれたり、車から手を振ってくれたり、500円玉をくれたり、ドンドン元気が出てきた。
今日は長い距離を歩いたけど、はじめてつらいとか苦しいとか感じず、無心と心地よさと名残惜しさの混じったような感じだった。この日常化してしまった非日常も明日お昼で終わりかと思うと、ホッとするような寂しいような気持ちになる。
遍路距離:43.0km(通算:1052.5km)
2007.03.24
06時50分 高柳旅館 発
08時00分 86志度寺
09時40分 87長尾寺
13時00分 88大窪寺
15時05分 高速バス:高速志度
18時30分 高速バス:大阪駅桜橋口
18時40分 JR:大阪
19時20分 JR:西大路
19時35分 自宅 着
長かったお遍路さん生活も最終日を迎えてしまっては、アッと言う間のようだ。雨の最終日となり、女体山越えのルートの難易度がさらに高くなり険しかった。正直、お年寄りには越えられるレベルの難易度ではなかった。
山を越え、88大窪寺に続く長い長い下り階段を進みながら、ふと"人生は遍路なり"という言葉を思い出した。これが88才に続く時の階段ならば、僕はこれほどホッとして、少し寂しく、それでいて心穏やかに進むことができるのだろうか?30才はまだ高知市内と歩いているようなものか。そこからの道のりは激しく長く、しかしながら終わってみるとアッと言う間だった。1日1日を大切に生きようとありきたりのことを改めて思い抱いた。
思いつきではじめたようなお遍路だったが素晴らしい日々だった。ただ、もう一度できるかと聞かれれば答えはノーだし、人に勧めたいかと聞かれてもノーだ。それでいて素晴らしい日々だった。
遍路距離:25.6km(通算:1078.1km)