ずっと愛してきた。
その愛しい存在しか目に入らなかった。
少年に逢った日、彼の世界は色づいたのだ。
想うだけで伝わるなど、ありえない。
そんな事は百も承知だった。色恋沙汰などさんざん経験してきたからこそ、口にしなければ、行動しなければ、想いは伝わらないと分かっていた。
だが、どうしようもない恋だった。一縷の望みもない恋だったのだ。
伝えたから、どうなるというのだろう。今以上に嫌悪され、拒絶されることがわかっているのに、想いを伝えることなど出来るはずもなかった。
そのくせ、欲しくて欲しくてたまらなくて、恋しくて愛しくて。愛しいからこそ、手に入らない存在が憎らしくて。
求めれば求めるほど離れていく存在に苦しんでいた彼にもたらされた一矢は、その胸を鋭く刺し貫いた……。
「……総司が?」
土方は目を見開いた。
間者として伊東一派に潜り込ませている斎藤から、報告を受けた時の事だった。
妙に躊躇っていた斎藤が、意を決したように告げた言葉に、愕然となった。掠れた声がもれる。
「あいつが伊東に従って脱退すると……?」
「そのようです。伊東は承諾していますし、総司自身が望んだことのようです」
「……」
息ができないかと思った。喉が締められるように苦しい。
呆然と、その絶望の報告を持ってきた斎藤を見た。が、その目は斎藤を映していなかった。
(総司……総司、総司……ッ)
愛しい、誰よりも愛しい若者だった。
あの存在が得られるのなら、何を投げ捨てても構わない。地位や名誉、男としての挟持はおろか、この命までも捧げるだろう。
それぐらい、愛しい存在だった。否、世界のすべてだったのだ。
初めて逢った時から愛してきた。が、その想いは告げることが出来なかった。いつも淋しげに目を伏せる少年に、ふれることさえ出来なかったのだ。
それでもいいと思っていた。ただ、このまま見つめていられるのなら、と。が、京にのぼり新選組を立ち上げてから、状況は目まぐるしく変わっていった。彼らの立ち位置も、二人の関係も変わってしまったのだ。
今、隊の中で、総司が土方の元にあると思う隊士はいないだろう。逆に、伊東のもとにあると考えても。そして、愛しい若者は土方に背を向け、伊東の懐に飛び込んだのだ。
何度、親しげに微笑みあう彼らを見ただろう。番の鳥のように睦み合う彼らを見るたび、土方の胸は引き裂かれるように痛んだ。だが、それでも未だよかったのだ。総司がこの場にいてくれるのなら。
しかし、今、告げられた事は違う。
総司はとうとう彼の目も届かぬところへ行ってしまうのだ。二度と逢えないかもしれないのだ。
それも、伊東という彼が最も敵対している男に手をとられ、去っていく。そんな事、許せるはずがなかった。
ぎりっと奥歯を食いしばった。
血の味が口の中に広がる。
その時だ、明確な殺意を覚えたのは。
殺せばいい。そうすれば、総司は俺のものだ。
もう……誰にも奪われない。
……抱きしめた瞬間、その小柄な体が震えたのは覚えている。
刺した瞬間、大きく目を見開いていたことも。
潤んだ瞳だった。どうして、と、訴えるような。
血を流して少しずつ力を失っていく愛しい若者を、土方はじっと見下ろしていた。その息が絶える瞬間まで見つめ続けていた。
すべてをこの目に焼き付けたかった。可愛い、愛しい総司のすべてを。
「……総司」
やがて、土方はゆっくりと跪いた。もう息絶えてしまった若者の体に腕をまわし、そっと抱きあげる。優しく、まだぬくもりの残る頬に頬を寄せた。
掠れた声がもれた。
「愛してる……」
生きていた時はどうしても告げられなかった言葉が、自然と言えた。その事に笑いがもれる。
もう総司は死んでしまったのに。
二度と、答えてくれないのに。
聞いてもくれないのに
俺が、この俺が殺してしまったのに。
「……」
指先で、柔らかく総司の顔の輪郭をなぞった。長いまつげを、頬を、唇を。生きている時はふれることなど出来なかった総司にふれ、目を細めた。
ふと気がついた。
総司の白い頬に残る涙に。そして、それに重ねられる涙に。
「……?」
土方は顔をあげた。空は曇り空だが、雨は降っていない。ならば。
ゆっくりと片手で己の頬にふれた。そして、呟いた。
「あぁ。俺か……」
視界がぶれて、涙がこぼれ落ちた。慟哭が喉奥から突き上げてくる。叫び出したいほどの衝動が。
だが、それを堪え、愛しい恋人の躰を抱きしめた。柔らかな髪に顔をうずめ、目を閉じる。
死んでしまった若者。
殺してしまった存在。
「それでも、いい。俺のものだ……俺だけのものだ」
狂った男の声は微かに震えた。
その後の事はあまりよく覚えていない。
硝煙と血と怒号と炎の中で、刀をふるい続けていた記憶が残っているのみだ。
最期、北の地で息絶えた時、己の胸を去来したのは何だったのか。
愛しい若者への想いか、死への安堵感か。
ただ、その胸に抱いていた黒髪の事だけは、覚えている……。
――と、まぁ、これが一度目の記憶だ。
何が何やらわからないが、とにかく、自分が二度目の人生をやり直していることに気づいたのは、総司と出会った瞬間だった。正確には宗次郎にだ。
その愛らしい顔を見たとたん、物凄い勢いで記憶が流れ込んできたのだ。あまりの怒涛の記憶に混乱し、あの時、何を受け答えしたのかさえ覚えていない。
挙げ句、ぶっ倒れたらしい。
傍らで驚いた近藤が「歳ッ! どうした、歳―ッ!」と絶叫していたのを覚えているが(あんた、うるさい)、とにかく、土方がこの人生が二度目であることを自覚したのは、総司と逢った時だった。
翌日、つらつらと一人考えて思わず唸ってしまった。
今、彼はまだ十代だ。夢の中と違い、夢も希望もある若者だ。そんな彼でもわかることがある。
「ないよなー、アレ」
アレとは、夢の中の彼の行動である。
いくら報われぬ恋をこじらせたからと言って、恋しい相手を殺してどうする。
しかも死んだ後に告白って、亡骸にふれて笑っているって、どこからどう見てもやばい奴だろう!
痛い、イタすぎる。
幸いにして、今、土方は宗次郎と逢ったばかりで、恋をこじらせていなかった。いや、この時点でこじらせていたら、やばすぎるが。
ならば、こじらせないようにしようと思った。
告白するのは難しくても、行動すればいいのだ。優しくすればいいし、親しくしていけばいい。そうすれば、あんな酷い有様にはならないだろう。
……むろん、その時の己の甘さに、思いっきり文句言ってやりたい!
想いはやっぱり告げなければ、伝わらないのだ。どんなに尽くしても何をしても。
土方は宗次郎を陰ながらこっそり可愛がり、尽くし、守ってきたが、その想いは全く通じていなかった。全くである。
だいたい、総司の性格があまりに違いすぎた。
可愛いくて素直だし、一生懸命で芯が強いところは同じだが、何かこう……バージョンアップしていたのだ。
素直というより天然、思い込んだらまっしぐらの元気いっぱいさ。芯が強いというより勝ち気そのものの女王様気質たっぷりの総司に、土方は呆気にとられた。
(何で、こんなに違うんだ……え?)
むろん、今の明るくて可愛くて元気な総司も好きだ、愛してる。
だが、前の総司にあった憂い、淋しげさ、儚さは、欠片一つもなかった。何がどうなってこうなったのか謎だが、前と同じ総司だと思って接してること自体やばいんじゃねぇ? と気づいた頃には、既に遅かった。
総司は土方のことを試衛館の仲間、兄貴分、京にのぼってからは尊敬できる上司として見てくれているが、そこに恋のコの字もなかった。というか、関心がないようだったのだ。
もしも、この時点で総司に恋する男などがいれば、前と同じように土方はまた修羅場泥沼に突っ込んでいたかもしれない。
が、幸いにして、総司の関心はお菓子や可愛いものにしかなかった(それはそれで悲しいものがある)。
そのため、土方は総司にせっせと団子や饅頭を貢ぐことに精を出す以外、方法がなくなってしまったのだ……。
「歳、どこへ行く」
黒谷からの帰り、一緒に歩いていた近藤は訝しげに首をかしげた。
「屯所、あっちだぞ」
「俺は寄り道する。あんたは先に帰ってくれ」
「女か」
「違う、団子だ」
「…………団子か」
傍からすれば意味不明の会話だろうが、この二人の間では完全に成り立っていた。何しろ、百回どころか千回をも超える回数で繰り返された会話なのだ。……むかしむかしから。
近藤は諦めきった表情で、はぁっとため息をついた。
「歳、おまえもいい加減、己を変えようと思わんのか」
「どういう意味だ」
「そういう回りくどい方法より、もっと直接的にいけってことだ。おれは、おまえが総司の周囲を当てもなくウロウロする姿は見飽きた」
「ッ、悪かったな!」
土方は拗ねた表情で、ぷいと顔を背けた。それに、ため息がもれる。
長年の片恋をこじらせた挙げ句、子供のように拗ねているこの男が、今現在、京中を震撼させている鬼の新選組副長なのだ。
親友として、もう少しどうにかならんかと思ってしまうのは、致し方ないことだろう。
確かに総司は可愛い。可憐で可愛くて、土方がべた惚れになるのも頷ける。
だが、長い長い片思いの末に、未だ好きという一言さえ告げられず、総司が好きな団子や饅頭を持っては、周りをうろうろしている姿は、へたれそのものだった。
「俺はこれでいいんだよ、総司が嬉しそうに団子食べている姿を見られりゃ、それでいい」
半ばやけっぱちのように言い切った土方に、近藤は訊ねた。
「他の男に奪られてもか?」
「…………」
「ほら見ろ! 我慢できんだろうが」
容赦なく指摘され、土方は唇を噛み締めた。拗ねた子供のような顔で俯いてしまう。
それに、やれやれと近藤はもう一度ため息をついた。
結局のところ、土方は総司に片思いしつづける他なかった。
ぶっちゃけ言えば、あまり状況は一度目と変わっていないのだ。悪印象までは持たれていないだろうが、好印象も持たれていまい。
いくら土方が総司の周りをうろついても、貢ぎまくっても、総司の瞳に映るのは「新選組副長をやってる土方さん」で、微塵も、男として認識してもらっていなかった。
「はぁああ、どうしてこう上手くいかないんだ」
初めてではないのだ。二度目なのだ。
なのに、女にかけては百戦錬磨、凄腕たらしとまで言われた彼が、あの若者に告白一つ出来ないなんて。
勇気が出ないのだ。
というか、前とは少し違うが、こちらに無関心な相手に「好きだ」と言って受け入れられるとは到底思えない。
ある意味、一縷の望みもない恋だった。
「今回も駄目なのかなぁ……」
空を見上げた、
そんな切ない恋をする彼に怒涛の展開が押し寄せてきたのは、その数日後の事。
「え、あのお菓子って土方さんだったんですか」
びっくりしたように、総司が目を丸くした。その白い手には今も、お菓子がある。
黙って頷いた土方に小首を傾げた。
「何でまた」
「おまえが菓子を好いていたから、嬉しそうに食べているの見たかったから」
「……見てたの」
「い、いや、時々だぞっ、ほんの時たま……っ」
「まぁ、それはいいですけどね」
慌てて弁解しようとした土方を遮り、総司はパクリとお饅頭を食べた。もぐもぐと食べてから、言葉を続ける。
「ずっと不思議に思っていたんですよね。誰がくれているんだろうって」
「探そうとか思わなかったのか」
「うーん、初めはそう思いましたよ。でも、すぐに面倒になっちゃって」
えへへと笑う総司に、土方はがっくり肩を落とした。
だよなぁ、あれだけ貢ぎまくっても気づいてもらえないなんて、絶対探す気なしだよな。
お菓子もらえるなら、誰であってもいいとか思ってそうだし、この子猫は!
「そんな事思いませんよ」
総司はにこにこ笑いながら、言った。
「私、今嬉しいですもの。お菓子くれていたの、土方さんで」
「え」
「だって、大好きな人からの贈り物って嬉しいじゃないですか。それに」
ぽっと頬を染めた。
「あのお菓子って、試衛館にいる頃からでしょ。という事は、そんな昔から私のこと好きでいてくれたって事だし、それとっても嬉しいし……」
耳朶まで赤くしてもごもご口ごもる総司が、めちゃめちゃ可愛い。
土方は思わず屯所にもかかわらず、その細い躰を腕の中に抱きしめてしまった。一度めでは死の間際にしか許されなかった行為だが、今は何度も何度も出来ることだ。
何しろ、俺はこの総司の念兄だからな!
身も心も結ばれた念者だからな!
そう! 先日、ようやく二人は契りを交わしたのだ。
あの告白の後、料理屋で甘い甘いひと時を過ごした訳でございまして。
ただ今現在、二人は新婚そのもののラブラブばかっぷるだった。屯所でも何処でもイチャつきまくっている二人に、周囲はちょっぴり引きながらも生暖かい目で見守っている。
まぁ、今まで忍耐の日々だったし可哀想すぎたし、平和で結構な事なんじゃねぇ? というのが(主に原田)、隊士たちに共通する思いだった。
土方にしても、やっと手にいれることが出来た恋人をとことんまで堪能したいところだ。むろん、オオカミさんになり過ぎて嫌われるのは御免なので、加減はするが。
(しかし、まさか……)
先日聞かされた話を思い出し、土方は目を細めた。
総司が一度めの事を覚えているとは、思いもよらなかった。総司は予知夢だと思っているようだが、あれは一度目の人生の記憶なのだ。
土方自身が総司にした行為をなぞるように告げられ、息を呑んでしまった。
その上、あの時、総司が彼のことを愛していたと告げられ、呆然となってしまったのだ。
愛していたのは自分だけだと思っていた。一縷の望みもない恋に苦しみ、もがき続けていた。なのに、総司は彼を愛してくれていたのだ。それこそ、気が狂いそうなほど。
その事を知った時、土方の胸を突き上げたのは、狂おしいほどの喜びだった。
殺めた総司への罪悪感でも、悔恨でもなく、ただひたすら歓喜のみだ。総司の心が今だけでなく、あの時も己のものだったという事実に、身が震えるほどの喜びを覚えたのだ。
身勝手なのはわかっている。最低で残酷で不遜であることも。
だが、そんな事どうでもよかった。
あの時、呟いた事は事実だったのだ。
(総司は俺のものだ)
この髪も指さきも、瞳も、唇も、その血さえも。
すべてすべて、彼だけのものなのだ。一度目も二度目も、未来永劫永遠に。
総司を愛することが出来るのなら、何度でも繰り返すだろう。何度でも愛しつづけるだろう。
それが、彼のすべてなのだから。
「土方さん?」
じっと押し黙ってしまった土方に、総司は不思議そうに小首をかしげた。その細い躰を抱きしめ、優しく頬に口づける。
そして、土方は微笑みかけたのだった。
巡り来る季節の中、何度出会っても、何度別れても。
必ず求める。
彼の世界を色づかせた、愛しい存在に。
俺が殺したおまえを愛してる。
これにて「私を殺したあなたを愛してる」完結です。人生って何度でもやり直せるかな? と思うこともありますが、こういうカタチでのやり直しはある意味大変かもしれません。そのさきに起こることがわかっているだけに。
だから、この世界は一度目の人生とは全く違う異世界なのかもしれないのです。当然、彼らがいきつく先も違ってくる。伊東先生は脱退しないし、新撰組は消えないし、幕府は負けないしという世界かもしれません。彼らなら結構うまくやっていけそうな気が(笑)。
いろいろ想像してお楽しみ頂けると、嬉しい限りです。ラストまでおつきあいくださり、本当にありがとうございました~♪