突然、目が覚めた。
しばらくの間、自分がどこにいるのかわからず、総司はぼんやりと天井を見上げていた。
ひどく身体が気怠い。だが、心地が悪いことはなかった。綺麗に身体は清められ、寝着も着せられてある。
その上、男の腕に柔らかく抱かれていた。まるで守るように、包みこむように。
(そうか、私、土方さんに抱かれたんだ……)
夢のようだと思った。土方も理性の箍が外れてしまったのか、かなり激しく求められたが、それでも総司は幸せだった。愛する男に抱いてもらうことが出来たのだ。これ以上の幸せがあるだろうか。
そんな事をぼんやり考えていると、男が軽く身じろいだ。そっと頬に口づけられる。
「……気がついたか」
「はい」
こくりと素直に頷いた総司の顔を、土方は見つめた。
「すげぇ綺麗だな……」
「え」
「可愛くてきれいで、本当に花みたいだ……おまえ、前からこんなに綺麗だったかな」
「そんな、私なんて」
「いや、すげぇ綺麗だよ。もともと綺麗だったが、今のおまえ……めちゃめちゃ綺麗だ。あぁ、誰にも見せたくねぇな。どんな男だっておまえを見たら、いかれちまうだろうよ」
「な、何を言っているんですか」
総司は羞恥と戸惑いに頬をそめつつ、身を起こした。腰が重く気怠いが、幸せゆえに心は満たされている。
「今、何刻ぐらいですか」
「暮れ六つぐらいだろう……さっき、鐘の音を聞いた処だ」
「え、もうそんなに?」
「随分、ゆっくりとしていたからな」
そう言いながら、土方が身を起こした。脱ぎ捨てていた着物を身につけ、立ち上がる。それを慌てて追おうとすると、片手でとめられた。
「いい。おまえはここにいろ」
「え」
「おまえのそんな姿、誰にも見せたくねぇって言っただろ?」
悪戯っぽく笑いかけてから、土方は着流した着物の裾をひるがえし、部屋を出て行った。しっかりと後ろ手に襖を閉めきっている。
やがて、襖の向こうで仲居の声がし、しばらくたってから襖が開かれた。土方が入ってきて、総司を柔らかく抱き上げてくれる。
「土方さん?」
「とりあえず食事にしよう。話はそれからだ」
「話って……」
「先におまえを抱いちまったが、俺はおまえと話がしたいんだよ」
土方はさっさと歩いて、総司を座布団の上にそっと抱き降ろした。むろん、部屋には誰もいない。だが、卓上には美味しそうな料理が並べられてあった。
正直な話、総司はあまり食欲がなかった。男に抱かれたことで身体が気だるかったのだ。それを土方もわかっていたのだろう。あっさりとした食べやすいものだけを勧め、総司に食べさせた。
「うまいか」
「えぇ、とても美味しいです」
総司はこくりと頷いた。それに、土方が安堵したように微笑む。とても優しく、きれいな笑顔だった。頬がかぁっと上気してしまう。
食事を終えると、土方は総司を抱き上げ、縁側へ向かった。いったん総司の身体をおろしてから、腰を降ろし、もう一度その膝上に抱き上げる。総司は驚き、慌てて身を捩った。
「ひ、土方さん……っ」
「何だ」
「何って、こんな子供じゃないんですから」
「けど、俺がこうしたいんだよ。それに、この方がおまえも楽だろう」
「……」
確かに土方の言葉どおりだった。男の膝上に抱かれ、その広く逞しい胸に凭れかかると、とても心地よかった。そこが自分の居場所なのだと言われた気がした。
総司は吐息をもらし、身体の力を抜いた。素直に男の腕に抱かれる。
しばらくの間、土方はその髪を優しく撫でたり、頬に口づけたりしていた。愛しくて愛しくてたまらないという風で、総司は耳朶まで赤くなってしまった。思わず男の胸もとに顔をうずめる。
「総司?」
「やだ……土方さん、おかしいです」
「何が」
「だって、こんなふうに今までしなかったのに。さっきも綺麗だとか言うし」
「今までは我慢していたのさ」
土方はくすっと笑った。
「本当はおまえの事が可愛くて可愛くてたまらなかった。いつだって、こんなふうにしたいと思っていたんだ」
「そんなの……全然わからなかった。江戸の頃ならともかく、京にいるあなたは、いつも副長として冷然としていたから」
「俺は京に来てから、己を変えたからな」
声音が自嘲の色を帯びた。
「変わらなければ、きっと今頃死んでいただろう。近藤さんも、試衛館の皆もな」
「闘争、ですか」
小さな声で訊ねた総司を、土方は驚いたように見下ろした。微かに眉を顰める。
「誰に聞いた」
「噂、です。芹沢さんという人の一派と争ったのだと……」
「あぁ。連中は世間的には浪士たちに討たれたことになっている。だが、本当は俺たちが討ったんだ。それも闇討ちにした」
「闇討ち……」
総司は目を見開いた。まさか、そんな事を土方が断行したとは、信じられなかったのだ。いつも真摯で卑怯なことは忌み嫌っていた彼だったのに。
土方は苦々しげに頬を歪めた。
「俺を軽蔑するか? より嫌になっただろう。何も言い訳はしねぇよ、今更の話だ。俺は手を汚したんだ……」
「でも」
総司は思わず言いつのっていた。男の胸に縋りつく。
「そうしないと、皆、死んでいたのでしょう? 今、ここに土方さんは生きていなかったのでしょう?」
「総司……」
「土方さんがいなくなるなんて、絶対に嫌です。もしも、その時にあなたが死んでいたら、私は生きていなかった」
「……」
土方の目が見開かれた。信じられない事を聞いたという表情で、総司を見下ろしている。
総司は男の視線に、目を伏せた。
「今更、私がこんなことを言うなんてと、驚いているでしょう?」
一つ息をついてから、総司は土方を見上げた。
「土方さん、あなたに全部話します」
「……」
「私は、とても弱くて意固地なのです。子供で自信がなくて……だから、あなたを何度も傷つけてきました。土方さんを信じるのが怖かったから……」
「それは仕方がねぇ事だろう。俺はおまえを裏切ったんだ、信じられなくて当然だ」
「ううん」
総司は首をふった。
「あなたは悪くないのです。全部、私の弱さのせいだから。本当は信じたかった、あなたに愛されたかった。なのに……私なんか飽きられてしまうんじゃないかって、あなたの想いを受け入れる自信がなかった。怖くてたまらなかったの」
「総司……」
「初めは、あなたのためだと思っていた。あなたの立場を考えて、こんな病もちの私が傍にいたらいけないって思った。でも、そんなの建前だった。本当は怖かったから、あなたに飽きられたらって思ったから」
「……」
「私はとても弱いから、きっと、考えてしまうと思うのです。土方さんに飽きられた時、あんな幸せじゃなかったらよかったのにって……」
きゅっと唇を噛んだ。
「京に上ってきた時も思ったから。江戸の頃、あんなに愛されて幸せでなければ、こんなにも傷つかなかったのにと。だから、同じことを繰り返したくなかった。怖くてたまらなかった。でも」
総司は涙に潤んだ黒い瞳で、土方を見つめた。
「あなたは、こんな私を求めてくれた。何度拒んでも離れようとしても、酷い事をしても、それでも、あなたは私を求めてくれた」
「……」
「土方さん」
そっと囁いた。彼の胸もとに身を寄せ、告げた。
「あなたが好き……誰よりも愛してる」
「……っ」
びくりと男の身体が震えた。それを感じながら、総司は懸命に言葉をつづけた。
「今頃何だって呆れられるのはわかっています。こんな弱い私を知ったら、あなたは嫌になるかもしれない。でも、ごめんなさい。私は……あなたが好きなのです」
目を伏せ、男の胸もとの着物を掴んだ。
「子供の頃から憧れ、あなただけを見つめてきた。京にのぼって冷たくされて、でも、もっとあなたが好きになった。愛しくてたまらなくなった。あなたのためなら何でも出来ると思った。土方さん……あなたの傍にいたくて、この京に残ったのです」
「総司」
不意に、肩を強く掴まれた。無理やり顔を上げさせられる。
見上げると、土方が見た事もないほど真剣な表情で、総司を見つめていた。真意を探るような鋭いまなざしだ。
「……それ、本当のことか」
「え」
「今、言ったことだ。全部、本当のことなのか」
「はい」
男の迫力に少し怯えつつ、総司はこくりと頷いた。それに土方は一瞬目を見開いてから、呟いた。
「信じられねぇ……」
「!」
総司は思わず肩を竦め、ぎゅっと目を閉じた。声が震える。
「ごめんなさい、今更……ですよね。今更何だって思いますよね、身勝手すぎるって……」
「いや、ちょっと待てよ。そういう事じゃなくて」
土方は慌てて総司にむかって手をのばした。身を引こうとする小柄な身体を引き寄せ、胸もとに抱きしめる。
「今更だとか身勝手だとか、そんなの思う訳がないだろう」
「でも……」
「俺が信じられないって言ったのは、おまえがこんな俺を好いてくれるなんて思えねぇからだ」
土方は目を伏せた。一つ息をついてから、言葉をつづけた。
「おまえ、何度も言っただろう。俺のこと嫌いだ、憎んでいると。だから、おまえに好かれるなんざ、ありえない話だと思っていた」
「土方さん、私……」
「むろん、願ったさ。心の底から渇望していた。おまえがふり返ってくれないか、昔のように笑顔をみせてくれないか、ほんの少しでも俺に心を寄せてくれないかと……」
苦々しげな嗤いが口許にうかんだ。
「無様な話だよな。あんなに何度も拒絶されたのに、それでも諦めきれなかった。近づかない方がおまえのためだとわかっていても、我慢できなかった。総司……」
土方は静かな声で呼びかけると、総司の頬を手のひらで包みこんだ。従順にこちらを見上げてくる若者の愛らしい顔を、見下ろす。
「もう一度聞きたいんだ。嘘偽りなく答えてくれ」
「……」
「おまえ、俺のことが好きか」
「はい」
こくりと総司は頷いた。それから、頷くだけでは駄目だと気づき、慌てて顔をあげた。
「あ、あの、私、土方さんが好きです。愛しています。ずっとずっと昔から憧れて好きでたまらなくて、だから」
言葉が途切れた。
息もとまるほど抱きしめられたのだ。力強い男の腕の中、総司は目を見開いた。
「土方、さん?」
「……本当の事なんだな。これは夢じゃねぇな」
「え?」
「おまえが俺を好いてくれているなんて、夢みたいだ。あぁ、総司……俺がどんなに幸せか、わかるか?」
土方は総司を胸もとに深く抱きすくめた。柔らかな髪に頬を寄せ、目を閉じる。
「俺は……おまえを他の男に奪われるぐらいなら殺してやろうと思っていた。すげぇ身勝手な話だろう? けど、それぐらい愛しているんだ」
「土方さん……」
「こんな俺は嫌か? 怖いか?」
視線をあわせ訊ねてきた土方に、総司は首を横にふった。両手をのばすと、男の首をかき抱いた。
「怖くなんか、ない。嬉しいから……そんなにも愛してくれて、嬉しいから」
「総司……」
「ずっと愛して。私を二度と離さないで……」
「離すものか、総司、愛しているよ」
土方は甘やかな声で囁くと、耳もとに頬に、口づけた。そのまま顔を寄せ、唇を重ねていく。
それは、想いが通じあって初めての口づけだった。身体を繋げたのに、初めて口づけをするような気持ちになる。
(土方さん、愛してる……)
甘くて優しい口づけに、総司は夢心地で目を閉じた。
数日後、土方は総司を連れて屯所を出た。
二人が思いを通じあってから、久々の道行だったため、気持ちが浮きたった。土方も同様のようで、屯所で副長として振る舞う彼からは想像もできぬほど、優しい笑顔をむけてくる。
しばらく歩いた後、土方は一軒の家の前で足をとめた。小さな庭がついた家だ。
「……?」
不思議そうに見上げると、土方は総司の手を握りしめた。手を繋いだまま、家の中へと入っていく。それに驚いた。
「土方さん、何で」
「ここは俺の家だ」
「え」
総司はびっくりして、周囲を見回した。玄関の戸を開くと、土間があり、その奥に二間続きの部屋があった。それ程大きな家ではないが、落ち着いた感じがする。
「土方さんの家って、休息所……ですか」
「まぁ、そんな処だな」
さらりと言ってのけた土方に、総司は息を呑んだ。涙があふれそうになる。だが、その気配に気づいたのだろう、土方は細い肩を抱き寄せた。
「何、勝手に考えていやがるんだ。ここは、おまえのための家だよ」
「私……の?」
「前から言っていただろう。療養しろと」
「!」
とたん、総司はきゅっと唇を引き結んだ。勝ち気な表情になり、男を睨みつける。
それに、土方は苦笑した。
「本当におまえは感情がすぐ表に出ちまうな。まぁ、そこが可愛いが」
「ごまかさないで下さい。私、絶対に療養なんてしませんから。隊から出るつもりは全くありません」
「斎藤のためか?」
「土方さんっ」
からかうように言った土方に、総司は小さな拳をあげた。男の胸もとを叩いてくるが、むろん、まったく痛くない。
土方はくっくっと喉奥で笑いながら、愛らしい顔を覗き込んだ。
「わかっているよ、俺のためだろ?」
「もう、知らない……っ」
「そんな拗ねるなって。それに、おまえ、誤解しているよ。俺だっておまえを手放すつもりなんざ、あるものか。ここは……そうだな、おまえと二人で過ごすための家さ。それに、おまえが疲れた時、一人で休みたいと思った時、使えばいい」
「土方さん……」
総司は男の気遣いに、目を見開いた。それから、思う。
先日、変わってしまったと自嘲気味に言っていたが、この人の本質は今も昔も、変わっていないのだ。
相変わらず優しくて、総司にはとろけそうなほど甘い彼だった。
二人は部屋にあがると、畳の上に腰を降ろした。
とても静かな町にあるため、人の声も聞こえてこない。聞こえるのは木々を揺らしてゆく風の音だけだ。ここなら、確かに二人でゆっくりと過ごせそうだった。
土方は総司の肩を抱きよせ、優しく頬に口づけた。
「遠慮無くこの家を使ってくれよ。おまえ、すぐに無理をするからな」
「無理なんてしません」
「だが……」
ふと、眉を顰めた。
「これから新選組はより難しい局面に入っていく。揉め事も多くなるだろう。おまえはあまり巻き込みたくないと思っているが」
「そんなふうに思わないで下さい」
総司は綺麗に澄んだ瞳で、土方を見上げた。
「私は昔の私と違うのです。もう子供じゃない。あなたを支えるために、京に残ったのです。私はあなたのために戦いたい」
「こんな俺なのに?」
土方の声が掠れた。
「これからも、きっと俺は血で手を汚す。鬼だ、冷酷だと言われるだろう。それでも、おまえは……俺を愛してくれるのか」
「土方さん」
総司は両手をのばした。その細い指さきで、そっと男の頬にふれた。
まっすぐ、彼だけを見つめた。
「私はあなたを愛してる」
「……」
「あなただけを愛しているのです。それは何があっても変わらない。あなたがどんな事をしても何をしても。たとえ、土方さん、あなたがこの世のすべてから敵とされても、私はあなたの傍にいる。あなただけを愛しつづける……」
「……総司……」
土方の目が見開かれた。
そんな彼に、総司は身をのりだした。柔らかく唇を重ねてゆく。
男の手が躊躇いがちに、その細い身体にまわされた。だが、ふれた瞬間、狂おしいほどに抱きしめてくる。
それを感じながら、総司は目を閉じた。
あなたは知らない。
私がどんなに、あなたを愛しているか。
江戸の頃だけじゃない、京に来てから、あなたに裏切られて。
なのに、もっともっと好きになった。愛してしまった。
私は、あなたしか愛せないの。
狂いそうなほど愛しているのは、私の方なのだから……。
総司は目を開き、土方を見つめた。
そして。
心から、囁いたのだった。
「……愛してる」
世界があなたの敵となっても
ラストまでお読み頂き、ありがとうございました。
タイトルは、土方さんのことだったのです。土方さんは本当に世界が敵となってしまいます。でも、総司は愛しつづける。どんな事があっても、愛しつづけるという意味です。
拙作で、少しでも皆さまが楽しんで頂けたら、幸いです。
ありがとうございました。