総司はとても可愛らしい、可憐で上品なまっ白の仔猫だった。
飼い主(近藤さんあたり?)の家から遊びに出たのはいいが、迷ってしまい、家に帰れなくなってしまった。
そこへ現れたのが、漆黒の毛並みをもつしなやかな大人の猫。辺りのボス猫らしく、鋭い目が印象的だった。
黒猫はうさんくさそうに、突然現れた仔猫を眺めた。
「……おまえ、見かけねぇ顔だな」
「え、あの……っ」
総司は答えようとしたが、黒猫の鋭い目に見据えられ、思わず震えてしまった。
怖くてたまらず、ぷるぷる震えながら俯いてしまう。
「あの……ぼく…」
「迷い猫か。仔猫のくせに、うろうろ出歩くんじゃねぇよ」
「ご、ごめんなさい……っ」
素直に謝る総司に、黒猫の目の色が柔らかくなった。立ち上がると近づいてきて、総司を見下ろす。
仔猫の総司からすれば、とても大きな黒猫だった。じっと見下ろされ、また、ふるふると震えてしまう。
それに黒猫は笑い、ぺろりと舌で頭を舐めてくれた。
「……おまえ、可愛いな」
「え」
「どこかの飼い猫なんだろ? 家になんざ帰らず、俺んとこに来ねぇか」
「あ、あの……?」
「俺はトシだ。この辺りをしきっている」
そう云ってから、不意に黒猫は総司の首筋に噛みついた。
びくっと震えたが、甘咬みされただけだ。
そのままひょいっと持ち上げられ、総司は大きな瞳を見開いた。
「え、え……あっ」
「暴れるな。今から、俺の住処へ連れていってやる」
「だ、だって……ぼく……」
「飼い主のもとへ帰りてぇか? けど、俺はおまえを気にいっちまったんだ。絶対に帰さねぇよ」
くくっと喉を鳴らして笑うと、黒猫はさっさと歩き出してしまった。
総司は諦めたように目を閉じると、可愛い声で「にゃあ」と鳴いた。
「おや、雨が降ってきたよ」
そう云う女の声で、雨が降り出してきたことに気がついた。
それは霧のような小雨だ。
さーっと雨音が鳴っている。
すぐやむだろうとは思ったが、そうでなければ困るとも思った。
ちょうど、歳三は外へ出ようとしていた処だったのだから。
「どうする? もう少しここにいるかい?」
女が傍らにしなだれかかり、そう訊ねた。
だが、もともとそういう相手ではない。
歳三は女遊びに来た訳ではなく、ここへはある小物を買いに来たのだ。
それを濡れないよう懐に押し込みながら、首をふった。
「いや、帰るよ。目的は果たしたな」
「つれないねぇ」
「可愛い子が待ってるんでね」
そう云って女の手をもぎはなし、歳三は霧雨の中へと踏み出した。
だが、少しも行かないうちに、立ち止まってしまう。
前方に広がる細い道。
そこを、向こうから小さな姿が歩いてくる処だったのだ。
その小さな躯には重そうにさえ感じてしまう、大きな傘を両手でさしている。
「……宗次郎!」
声をかけ、慌てて駆け寄った。
それに気がついた宗次郎が、ぱっと顔を輝かせる。
まるで、可憐な花が咲いたようだった。
「歳三さん!」
「どうした、もしかして俺を迎えに来てくれたのか」
「うん」
何のてらいもなく素直に答えてくれる宗次郎が、たまらなく愛おしい。
歳三は思わず微笑みながら、片手をさし出した。
傘を受け取り、さしかけてやる。
「雨、そっちの方が早かったのか」
「うん。降ってすぐ出たんだけど、歳三さん……ちょっと濡れちゃった?」
「これぐらい、どうって事ねぇさ」
歳三は肩をすくめた。
それから、ふと気がついた。
長身の歳三が傘をさしかけてやっても、体格の差のためか、小さな宗次郎は濡れてしまうのだ。
「宗次郎」
「え?」
顔をあげた宗次郎は、次の瞬間、「あっ」と声をあげた。
歳三がこちらへ身をかがめたかと思うと、ふわりとさらうように宗次郎の躯を片腕で抱きあげたのだ。
片手で傘の柄を握ったまま、宗次郎を抱きあげてくれる。
それが嬉しくて、でも、ちょっと恥ずかしい。
「や、下ろして」
頬を紅潮させて抗った宗次郎に、歳三は首をふった。
「駄目だ。おまえが濡れちまう」
「でも」
「それに、この方がおまえを近く感じられるだろ?」
甘い声音で云いながら囁いてくる男に、宗次郎は頬をますます染めた。
「ち、近く感じるって……」
「俺はいつだって、おまえにふれていたいんだよ……宗次郎」
男の言葉に、宗次郎は耳朶まで真っ赤になってしまった。
恥ずかしそうに男の肩口へ顔を押しつける。
そのあたたかな体温を感じながら、歳三は満足そうに笑った。
小さな幼い恋人の反応が、可愛くてたまらない。
遊び人で馴らした二十歳前の男の恋人が、まだ十の年を数えたばかりの少年ってのも、何だかな……とは思うのだが、これはもともと宗次郎が願ってきたことなのだ。
それを遊び半分で受け入れた挙げ句、気が付けば、逆にこっちの方が虜にされてしまっている辺りがちょっと情けない。
だが、こんなに可愛い存在を、愛おしいと思わぬはずがないのだから。
「……宗次郎、好きだよ」
そう云いざま、歳三は傘の陰にかくれて、宗次郎に口づけた。
初めは、ふくふくした白い頬っぺたに、それから、いい匂いのする髪に。
「歳三さん……」
おずおずと、宗次郎が恥ずかしそうに顔をあげた。
それに微笑みかけてから、そっと──唇を重ねる。
桜んぼみたいに甘い甘い、小さな唇。
小さな舌。
味わって、愛して。
口づけて。
本当は、もっと、くらくらするぐらいの口づけをあたえたいけれど、この幼い恋人にはまだ早いだろうから。
少しずつ、少しずつ。
恋を教えていきたいから。
「……帰ろうか」
甘い甘い口づけの後。
優しく微笑みかけた歳三の腕の中で。
宗次郎は、なめらかな頬を桜色に染めたまま、こくりと小さく頷いた。
この世の誰よりも
いとおしくて大切な
幼い恋人……
……愛してる、と思った。
でも、それと同時に、もしかすると自分は彼を憎んでいるのかもしれない。
己自身の中にある闇を知りたくもないのに教えた挙げ句、同じ地獄の底にまで引きずりこんだ彼を。
彼が一人で淋しかったのだなどとは、決して思わない。
あの人は自分一人でも生きてゆける人だ。どんな残酷な冷たい事でもやってのける。人が目の前で残忍に殺されても、眉一つ動かさない。
この人に、自分は必要ない。
だけど、でも……
「……総司」
不意に、声をかけられ、はっとした。
顔をあげてみると、雨の中、土方がこちらへ歩んでくる処だった。彼のもつ傘に雨がひそやかな音をたてる。
「おまえ、びしょ濡れじゃねぇか」
「土方…さん……」
「仕事を終えたら、さっさと帰ってこい。あまり心配かけるな」
「心配……してくれたのですか?」
思わず縋るように訊ねた総司に、土方は微かに唇の端をあげた。
「あたり前だろうが」
「それは」
私が利用しやすい、自分の意のままに動く駒だから?
それとも、あなたの中にもしかしたらあるかもしれない、優しさゆえに?
だが、その問いが総司の唇にのぼる事はなかった。
黙ったまま長い睫毛をふせてしまう。
それに、土方は傘をさしかけながら、云った。
「帰ろう」
「はい……」
「早く帰らないと、体が冷え切っちまう」
土方は傘をさしかけると、片方の手で総司の細い肩を抱いた。びくんと身を竦ませた総司に気づかぬふりをして、強く抱きよせる。
「ほら、帰るぞ」
おずおずと見上げた彼の端正な顔は、冷たく、そして綺麗だった。
あんなにも残酷な本性を秘めているくせに、この男は誰よりも美しいのだ。
それが世の摂理に反してる気がした。
だが、自分たちが立つ側が正義だなどと総司も──むろん、彼自身も信じてない以上、その行為が認められると思うこと自体、おかしいのだ。
きっと、彼に優しさを求めることも、同じようにおかしいのだろう。
彼にとって、自分がどんな存在なのかなど、今更わかりきった事なのだから。
総司は土方の掌のぬくもりを、冷たく凍るような雨の中で感じながら、微かに笑った……。