昨日、総司の傘が破けてしまった。
というか、完全に壊れたのだ。
ごうごう雨風の強い日に出かけた挙げ句、ひっくり返り、めちゃくちゃになってしまった。
梅雨時だというのにどうしようと途方に暮れていると、兄の歳三が自分の傘をさし出してくれた。
「ほら、俺の傘を使えよ」
「え?」
総司はびっくりして、目を見開いた。
「でも、それじゃ兄さんはどうするの?」
「少々の雨なら走って帰ってくるさ」
「たくさん雨が降ったら? びしょ濡れになって、兄さん、風邪ひいちゃうよ」
そんなこと絶対に嫌だとばかりに、ふるふると首をふった総司に、歳三は苦笑した。
が、その黒い瞳はとろけるように優しい。
「なら、こうしようか」
ちょっと身をかがめて、小柄な弟の顔を覗き込んだ。
「え?」
と目を瞠った総司の顔が、たまらなく可愛らしい。
それに目を細めながら、ゆっくりと云った。
「雨が降ったら、おまえが傘をさして迎えに来てくれ。それで、一緒に二人で帰る。な? それでいいんじゃねぇか?」
「私が兄さんを?」
ちょっと小首をかしげた総司に、歳三は頷いた。
「あぁ、それなら俺も濡れないだろ? 風邪ひくこともねぇだろ?」
「うん……」
「だから、迎えに来てくれよ。な? 総司」
にっこり綺麗な顔で笑いかけた歳三に、総司はぱっと頬を赤らめた。
ちょっと両手をもじもじと組み合わせてから、こくんと頷いた。
「はい」
それに、歳三は念押しした。
「本当に迎えにきてくれよ? でなきゃ、俺、ずーっと待ってるからな」
「そんな、本当に決まってるでしょう?」
とたん、ぷうっと総司はなめらかな頬をふくらませた。
歳三の念押しに、拗ねてしまったらしいが、その表情もまた幼くて可愛らしい。
歳三は思わず手をのばし、指で突っつきながら
「本当に……おまえは可愛いな」
と、耳もとで甘く囁いた。
総司はますます頬を赤らめたが、機嫌は直ったようだ。
歳三の腕にぎゅっと抱きつきながら、可愛らしく笑いかけた。
「今度雨が降ったら、兄さんを迎えに行ってあげますね。だから、ちゃんと待っててね?」
「あぁ、待ってるよ」
歳三は微笑むと、総司の柔らかな髪を優しく撫でた。
それから、梅雨の間。
雨が降るたびに、総司は歳三を迎えに行った。
歳三の大きな傘をさして、とことこと。
そして、帰りはいつも二人で傘をさして帰ってくる。
所謂、相合い傘という奴だ。
甘い蜜月の恋人らしく、一つの傘の下、寄り添って。
時折、甘い睦言や口づけをかわしながら。
「兄さん、あのね」
右手で傘をさし、左手で可愛い弟の肩を抱いた歳三を、総司は大きな瞳で見あげた。
それから、云った。
「こんな風に同じ傘で帰るのって、とても楽しいですね」
「あぁ、そうだな」
「でもね、私、わかったんです」
「何が?」
「楽しいのはね、きっと、だい好きな兄さんと一緒だからなんだって。だから、こんなにも幸せな気持ちになれるんだって」
甘い甘い睦言ともとれる可愛らしい弟の言葉に、歳三は黙ったまま優しく微笑んだ。
結局のところ。
傘を新しくもう一本買えばいいことなのだが。
そのことに、素直で人を疑うことを知らない総司が気づくのは、いったいいつの事やら。
(……とりあえず、梅雨が明けるまでは気づくなよ)
総司の細い肩を抱きながら、心の中でそう呟いてしまう歳三なのだった。
「斉藤さん、すごーい」
せっせと手を動かす斉藤の傍で、両膝を抱えてそれを見つめていた総司は、大きな瞳を輝かせた。
まだ梅雨真っ最中の昼下がりだ。
が、今日は珍しく青空がひろがり、気持ちよい風が吹いていた。
総司は近所の斉藤の家に、遊びに来ていたのだ。
斉藤はもともと腕のいい飾り職人なのだが、何でも器用にこなす彼だ。
今だけ、ある物もあるお嬢さんに頼まれたのを機に、つくるようになっていた。
なかなか人気があるらしい。
「ほら、出来た」
差し出されたそれに、総司は手を叩いて喜んだ。
「わぁ♪ すごい、綺麗〜♪」
それは、傘だった。
飾り職人の斉藤がつくった物らしく、取っ手部分に美しい細工ものが付けられてあり、とてもおしゃれだ。
総司はそれを受け取ると、立ち上がった。
さっそく広げてみて、くるりとその場でまわってみせる。
「どう? 似合いますか?」
「あぁ」
斉藤は満足そうに頷いた。
総司の雪のように白い肌に映えるようにと、鮮やかな朱を張ったのだが、それがとても艶やかで美しい。
少し大きめだが、それがまた総司の小柄な躯を、より可憐に見せる。
「ありがとう、斉藤さん」
にこにこと可愛い笑顔をうかべ、総司は礼を云った。
斉藤はちょっと照れた笑みをうかべてしまう。
傘一本ぐらいで、こんな可愛い笑顔を見せてくれるなら、幾らでもつくってやりたくなるが、そんな事をすれば、あの兄が怒り狂う事だろう。
いや、一本でもまずいのかな。
斉藤はこの梅雨の間、ずーっと相合い傘をしてる二人の事を聞いていたので、ちょっと総司に訊ねてみた。
「……あのさ、総司」
「はい?」
「もし、今日雨が降ったら、その傘さして土方さんを迎えに行くのか?」
「え? あ、はい」
総司はにっこり笑った。
「もちろんですよ。この新しい傘見せたら、兄さんどうするかなぁ」
(そりゃもう……めちゃくちゃ不機嫌になるんじゃないか?)
その言葉が喉もとまで出かかったが、斉藤はごっくんと飲み下した。
あえて、そんな不機嫌な歳三を見てみたい気もする。
いつもいつも、このいちゃいちゃ兄弟にあてられまくってる、斉藤のささやかな意趣返しだった。
うきうきと傘をさす総司を眺めながら、斉藤は一人こっそり笑った。
その日の夕方。
お約束のように、雨が降った。
総司はさっそく新しい傘をさすと、歳三を迎えるためいそいそと出かけていった。
もちろん、その手には歳三の傘がある。
(いつも兄さんに傘使わせて貰って悪かったから……本当によかった♪)
まったく見当違いの事を考えながら、総司はとことこ歩いた。
やがて、土方が働いている家屋の屋根が見えてきた。
もうほとんど組み上がっているので、中で雨はしのげる。
立派な商家になる予定だった。
その入り口に寄りかかるようにして佇んでいた男が、総司の姿にちょっと目を見開いた。
「……総司」
「兄さん、お待たせ!」
ぱしゃぱしゃと水音をたてて走りより、総司はにっこり笑いかけた。
それから、黙り込んでいる兄に気づき、自分がさしている傘をくるりと回してみせる。
「あ、これ? 新しい傘なんです」
「それは見ればわかるが、いったいどうしたんだ」
「あのね、斉藤さんが作ってくれたのです。すごい綺麗でしょう?」
「……斉藤の奴が……」
歳三は思わず眉を顰めた。
余計な事をしやがって……!
と、心の中で忌々しげに舌打ちしてしまう。
だが、可愛い弟の前でそんなみっともない処を見せられるはずもなく、どこかひきつった笑みをうかべた。
「そう…か。斉藤が」
「うん」
「じゃあ、今度会った時、礼を云わねぇとな。……たっぷりと」
「そうですね。兄さんからも云っておいて下さいね♪」
後半、思わず声を低めてしまった兄に気づく事なく、総司はにこにこ笑った。
それに、歳三は視線を弟に戻した。
あらためて見ると、その鮮やかな朱の傘はとてもよく総司に似合っている。
可憐さに艶やかさがくわわり、男の目をたまらなく惹きつけた。
じっと見つめていると、総司は小首をかしげた。
「? 兄さん?」
「いや……すげぇ綺麗だなと思って」
「傘が?」
「おまえがだよ、総司。その傘をさしてると、いつも綺麗だが、もっと綺麗に見えるよ。まるで花が咲いたみたいだ」
「えっ、あ……」
たちまち総司は頬を真っ赤に火照らせてしまった。
もじもじと羞じらっている様が、何とも可愛らしい。
歳三はふっと笑うと、手をのばした。
総司の手から自分の傘を受け取ると、だが、それを小脇に抱えてしまう。
そして、身をかがめ、すいっと総司の傘の下へ入ってしまった。
「兄さん?」
びっくりして目を瞠る総司に、鮮やかに笑いかけた。
「いいだろ? おまえの新しい傘、俺にもささせてくれよ」
「え、でも……あ、じゃあ兄さんの傘を私がさしましょうか?」
「……」
とことんわかっていない弟に、歳三は苦笑した。
が、そんなとこも可愛いと思う。
「俺は恋人のおまえと少しでも一緒にいたいんだよ」
「一緒にいますよ」
「もっと近くで感じていたい……それは、俺の我が儘か?」
とうとうはっきり云ってのけた歳三を、総司は大きな瞳で見あげた。 が、ようやくわかったのだろう。
耳朶まで桜色に染め上げると、そっと歳三のしなやかな長身に寄りそった。
その逞しい腕に指を絡める。
「……ううん。私も……そうしたい、です」
「総司……」
歳三は微笑むと、柔らかく総司の手から傘の柄を取り上げた。
そして。
鮮やかな朱の傘の下。
二人寄りそうと、仲良く歩き出していったのだった。
甘い甘い蜜月の恋人たちだもの、傘は一本でいいよね?