しばらく呆然としていた土方がはっと我に返った時には、総司の姿は消えてしまっていた。
「……冗談じゃねぇぞ」
土方は慌てて立ち上がり、副長室を出た。あれこれ云われる事を回避するためか、さっさと消えた総司の後を追う。
途中、廊下で原田とすれ違いざま、ぶつかりそうになった。
「おっと……そんなに急いで、どうしたんだい」
「別に」
「それが別にって顔かねぇ」
「いいから、そこどけ」
荒々しく押しのけた土方に、原田はにやにや笑った。
「どうせ、あんたの可愛い総司〜♪のせいだろ?」
「どうせって、何だ」
「だってさぁ、さっき総司がすごい勢いで玄関の方へ突っ走ってゆくのを見たからさ〜」
そうだ、総司なのだ!
原田の言葉に、土方はハッと我に返った。
こんな処で、こんな奴の相手をしてる場合じゃねぇ!
大急ぎで総司を追わなければ、とんでもない事態に陥っちまうだろう。
彼の恋人はとにかく勝ち気で、強情なのだから。
土方は原田の横をすり抜けると、また駆けだした。
何度も角をまがり、ようやく玄関へ飛び出した。
そこには、「今から巡察か!?」と聞きたくなるぐらい、ずらりと勢揃いした一番隊の面々と、にこにこ笑いながら框から降りかけている総司がいた。
「ちょっと待てっ!」
土方は大慌てで手をのばすと、総司の腕を掴んだ。
ふり返った総司は、うんざりしたように土方を見あげた。
「何ですか」
「駄目だ。湯屋へなんざ行くんじゃねぇ」
「もうしつこいなぁ。どこへ行っても、私の自由でしょう」
「他のどこに行っても構やしねぇが、湯屋だけは絶対に駄目だ!」
「湯屋だけは駄目なのですか」
「そうだ」
二人の云い争いを(どこから見ても、恋人同士の痴話喧嘩)、一番隊の連中が唖然として見ていたが、副長の威厳も何もあったもんじゃなかったが、そんなこと、今の男の頭の中にはなかった。
ただもう。
絶対、絶対、総司を湯屋へ行かせない!
それだけ、なのだ。
「ふうん」
総司は可愛い桜色の唇を尖らせると、ちょっと悪戯っぽい瞳で彼を見た。
それから、皆が見てるのにも構わず、白い両手をのばすと土方の頬にふれた。
「……じゃあ、ね」
総司は優しく彼の頬や、首筋へ指さきを滑らせた。艶めかしい、誘うような仕草だ。
驚く土方を見あげ、くすっと笑った。
「湯屋へは行きません」
「本当か」
「えぇ、だから」
ちょっとだけ爪先だちになり、総司は彼の耳もとへ唇を寄せた。
そして。
甘く掠れた声で、囁いたのだった。
「もっと、いい処へ連れていって……」
「いい処って……」
思わず、土方は絶句してしまった。
頭の中を、いけない妄想がぐるぐる回ってしまう。
大人の男の悲しいさがって奴である。
(茶屋か? それとも、料亭の離れとか……)
あれこれ考えてしまった挙げ句、それなら大賛成だ!と土方は大きく頷いた。
手をのばし、総司の細い手首を掴んだ。
「わかった。連れていってやる」
「本当に!?」
総司は喜色満面になった。
「あぁ、本当だ」
「じゃあね、あのね、この間云ってたお団子屋さんに連れていってくれる?」
「……団子、屋……?」
「そ! あそこの団子、とってもおいしいんですよ♪」
「……総司。それが、おまえの云ういい処なのか?」
まだ儚い期待を抱いたまま、思わず訊ねてしまった土方に、総司は「え?」と小首をかしげた。
大きな瞳で、不思議そうに彼を見つめる。
「そうですよ、もちろん」
「……やめた」
土方は不意に投げ出すように、総司の手を離した。
「莫迦らしい。そんな処へ行けるものか」
「えーっ? だって、土方さん、さっき連れていってくれるって……」
「だから、俺はそれが団子屋なんざとは思わなかったんだ!」
「じゃあ、どこだと思ったの?」
無邪気に訊ねる総司に、思わずうっと詰まった。
まさか、茶屋へ連れこもうと思っていたなど、こんな場所で云えるはずもない。
土方は短く舌打ちした。
「……別に、何でもねぇよ」
「ふうん。でも、それじゃいいですね? 湯屋へ行っても」
「何でそうなるんだ」
「だって、いい処へ連れていってくれないんだもの。当然の結果でしょう?」
「だったら、俺も行く!」
突然、そう叫んだ土方に、総司は目を見開いた。
そんな可愛い恋人を前に、土方はきっぱり云いきったのだった。
「俺もおまえと一緒に、湯屋へ行ってやる!」
「い、一緒に行くって」
総司は不意に顔を赤らめると、きょろきょろと辺りを見回した。
思わず訊ねてしまう。
「どこへ行くか、わかっているんですか」
「湯屋だろ」
「だから、その、まずいんです」
「何で」
「だって、湯屋っていったら、は、裸になるんですよ。そんなの、私、恥ずかしいし……」
もごもごと口ごもってしまった総司に、土方はにやりと笑った。
すいっと指さきで、頬から首筋を撫でてやる。
「今更、恥ずかしがる仲じゃねぇだろうが」
「でも……」
「だいたいさ、おまえ、俺以外の男の前では肌みせられて、俺と一緒に風呂入るのはお断りなのかよ」
「だから、その……土方さんだから、じゃないですか」
思わず総司は強く云ってしまった。
うるうるした大きな瞳で、だい好きな彼を見あげる。
「色々、想像しただけで、顔から火が出そうで……っ」
「……おまえ、何を想像してる訳?」
「もうわからないんですか!?」
総司はとうとう顔を真っ赤にして、叫んだ。
「土方さんだから、恥ずかしいんです! あなたの前で、躯洗ったりとか、洗いっこしたりとか、お湯につかっても色々さわっちゃたりとか、そんなの……わぁ! もう、やだ! 何を云わせるんですかーっ!」
「勝手にぺらぺら喋ってるのは、おまえだろうが」
そう云ってから、土方は肩をすくめた。
ちょっと考えた後で、悪戯っぽい光をうかべた黒い瞳で、恋人を覗き込んだ。
耳朶まで真っ赤にしたまま、「……な、何ですかっ」と彼を上目遣いに見あげてくる総司が、めちゃくちゃ可愛い。
「湯屋へ行くのが嫌なら、一緒に有馬でも行こうか」
「な、何でそうなるんですかっ」
「けど、湯屋へはもう行けねぇだろ」
「は?」
「皆、散ってしまったぞ」
そう云う土方に、総司は慌てて周囲を見回した。
驚くことに、一番隊隊士たちの姿は誰一人そこにはない。いったい、いつのまに消えてしまったのか。
ぽかんとしている総司に、面白がって高見の見物をしていた原田が、にやにやと笑いながら云った。
「土方さんが一緒に行く、と云った段階で、蜘蛛の子散らすように逃げちゃったぜ」
「え…えぇーっ!? 何でっ」
「そりゃ、鬼の副長と一緒じゃ、湯につかってあたたまるどころか、骨の髄まで冷えちまうよなぁ」
「左之」
「はいはい」
原田はひらりと手をふり、踵を返した。歩み去りながら、一言。
「有馬の土産よろしくな〜♪」
「ちょっ、ちょっと待って下さい! 原田さん……っ」
慌てて追いかけようとした総司だったが、もうとっくの昔に、男の力強い腕の中。
びっくりして見あげると、土方はその綺麗な顔でにっこり笑いながら、云ったのだった。
「一緒に行こうな、有馬」
「…………はい」
結局、湯屋へ行くはずが、なぜか有馬への温泉旅行に連れていかれた総司は、さんざんのぼせてしまい(誰のせいで?)、一方、その桜色の艶めかしいお肌を堪能できた副長は、いたくご満悦なのだった……。