「メール1」





 土方さん、今何をしてますか?
 ぼくはね、メールを打ってます。
 って、あたり前ですよね(^_^)
 今いるのは、六本木のオープンカフェです。
 とってもおいしいケーキがあると聞いて(斉藤さんに教えて貰いました)来たんですけど、売り切れみたいで残念。
 でも、土方さんと食べた方が良かったかな。



 今、こっちは移動中だ。
 車の中だから、うまく届くかな。
 ケーキ売り切れて残念だったが、今もカフェにいるって事は、別のものを食べているのか?
 あまり食べ過ぎないように。



 もう子供じゃないんだから!
 でも、ケーキ二つも注文しちゃったから、云えないかな。
 あのね、とってもおいしそうなの。
 モンブランと、チョコケーキかな。
 土方さんはいつもチーズケーキばかりだから、たまには他のを食べてみたらどうですか?



 チーズケーキばかりというより、それしか、おまえの前で食べれないと思うのだが。
 おまえはチーズケーキはあまり好きではないし。
 だいたい、他のを頼むと、横から欲しい欲しいと目で訴えてくるの誰だ?



 う。ぼくですけど。
 だって、だって。
 土方さん、いつも、ぼくがあれも食べたかったかなぁと思ってたケーキばかり、注文するんだもの〜!



 わざと注文しているのさ。



 どうして。



 後でおまえが欲しがるのが、目に見えてるから。



 意地悪〜!
 でも、土方さん、もともと甘いもの嫌いじゃないですか。
 だったら、ぼくが食べてあげてるんですよ!



 それはどうもありがとう。
 今度、おまえがいるその六本木のカフェに、一緒に行こうか。



 はい! 一緒に来ましょうね。
 でも……土方さん、そんな時間あるの?
 この頃、とっても忙しそうだし。



 おまえのためなら、時間を空けるさ。
 そろそろ着きそうだ。これで終わりにする。
 メールが欲しいから、また送ってくれ。



「……もう」
 総司はパチンと音をたてて携帯電話を閉じると、ちょっとだけため息をついた。
 頬杖をつきながら、ケーキをフォークで切り分ける。
「土方さんったら、全然わかってないんだもの」
 忙しい忙しい彼。
 政治家で、今もっとも注目されている若手代議士で。
 その姿をテレビや雑誌で見るのは、日常茶飯事だけど、本物のだい好きな彼に逢えるのは、本当にたまで。
 本当は、逢いたくて逢いたくてたまらない人。
 でも、せめてメールをと思って送ってる恋人。
 忙しいかな? 大丈夫かな?と思って。
 邪魔にならないよう、電話はやめてメールにしてるのに。
 本当なメールどころか電話もすっ飛ばして、彼に直接会いたくてたまらない。
 土方さんは、そんな気持ちにならないのかな。
 逢いたいって、思ってくれないの?
 だから、メールを自分が送るんじゃなくて、ぼくから送って、それにお返事って形になっちゃてるの?
 そんなぐるぐる回ってるぼくの気持ち、なーんにもわかってないまま、「メールを送ってくれ」なんて、さらっと云ってきちゃう彼が、ちょっと憎らしい。

(けっこう、鈍感かも)

 ケーキを頬ばりながら、総司は心の中で呟いた。
 とたん、携帯電話がまた軽やかな着信音をたて、びっくりする。
 あわてて開くと、メールが一通届いていた。
 もちろん、土方からだ。
「え、さっき終わりって云ったのに……」
 そう呟きながらメールを開いた総司は、とたん、絶句した。その頬がかぁっと熱くなる。
 どきどきしながら、何度も読み返してしまった。



   メールじゃなくて。
   本当は、おまえが欲しい。



 ほんの二行の言葉が、まるで魔法のように、総司のハートのど真ん中を射抜く。












「メール2」




 メール欲しいって云われたから、今日もメールしちゃいました。
 土方さん、でも。
 ぼくが欲しいって……ダイレクトすぎ。
 どきどきしちゃったよ。
 今、何をしているの?



 そうかな。
 正直な気持ちを書いただけだが。
 今、会議が終わって部屋で、ちょっと休憩している処だ。
 デスクに腰かけて珈琲を飲んでいる。
 黒い革張りの椅子に坐るのは、あまり好きじゃない。



 でも、一人掛けのソファとか、似合いそうだけど。
 あのね、土方さんはどの珈琲が好き?
 ぼくはあまり好きじゃないけど、もし飲むならモカかな。
 もちろん、たくさんお砂糖とミルクを入れてね。



 それじゃ、珈琲でなくカフェオレだろう。
 俺は、おいしければ何でもいい。
 いや……おまえが入れてくれた珈琲が、一番おいしいかな。
 とくに、朝入れてくれる奴。



 ……もう! 恥ずかしいっ。



 何で。



 朝って……朝って。
 いろいろした夜の翌朝のこと、でしょ?
 恥ずかしいに決まってるじゃないですかっ。



 幸せな時間だけどな。



 土方さんにとって、一番幸せな時間って何?



 おまえと一緒の日々。



 そ、そういう事さらって云えちゃうあたり……。



 だが、本当のことだ。
 おまえと一緒にいるのが、一番幸せだよ。



 ぼくも……です。
 そんなふうに云って貰えて、嬉しい。
 ありがとうございます。



 どういたしまして。





 それをラストに、メールは終わった。
 総司からの返信がない処を見ると、店に客でも来たのだろう。
 土方の休憩時間はまだ終わっていなかった。
 だが、こちらからメールを送るつもりはない。
 実際、彼からメールを送った事は一度もなく、いつもいつも、総司からきたメールに返信する状態がつづいていたのだ。
「あの大天使は、気まぐれだからな」
 くっくっと喉を鳴らし、土方は笑った。
 携帯電話をデスクの上に滑らせながら、すうっと目線をあげる。
 眼下に広がる東京の光景が、その中の小さな店の一つにいるだろう可愛い天使を思い起こさせた。
 愛しい、愛しい天使。
 携帯電話は見えない鎖だと聞いた事があるが、それならば、いつどこにいても総司からのメールを受けている自分は、総司の手に握られた鎖に繋がれているのだろうか。
 だが、それは違うのかもしれない。
 彼からのメールが全くなくとも、こちらから誘ってやらずとも、その素直で優しい気持ちのまま、一生懸命メールを送ってくる総司。
 総司こそが、見えない鎖に繋がれているのだ。
 彼の手に握られた、優しく甘い鎖に。
 それは少しずつ少しずつ、引き寄せられて。
 何も知らぬまま、気づかぬまま。
 あの可愛い大天使は。
 やがて、満足げに嗤う魔王の手の中へ──
「……」
 僅かに目を細めた瞬間、また携帯電話が鳴った。
 それを取り上げ、メールを開いてみた土方は、その端正な顔に思わず笑みをうかべた。



    だい好きな土方さんへ。
    朝、おいしい珈琲を入れてあげます。
    だから、早く、ぼくに幸せな時間を下さいね。



 魔王と天使の幸せな時間まで、あと何日?













「試食」




「……おいしいか?」
「はい」
「どれが」
「えっと、これ……アメリカンチェリーの方です」
「国産のサクランボじゃなくて?」
「どっちもおいしいですけど」
 そう答えた総司を見下ろし、土方は至極生真面目な表情で頷いた。
 それに、あ、やばいと思ったが、もう遅い。
「では、これを一つずつ」
 優雅な手つきで指し示し、さっそくお買い上げの彼に、総司は慌ててしまった。
「わぁっ、またそんな贅沢」
「贅沢か?」
「贅沢ですよ。だいたい、どれだけ買ったら気が済むんです」
 総司は、後ろにいる山崎をちらりとふり返った。
 山崎は両手に紙袋やビニール袋をたくさん下げたまま、目があうと黙って一礼してみせる。
「ほら、山崎さんだって手いっぱいだし」
「俺がもつから構わないし、それに、山崎だって別に不服には思っていないはずだ」
 魔王に逆らえる悪魔など、斉藤以外にはいないのだから。
 そう思って小さく嗤った土方の様子に気づく事もなく、総司はきゃんきゃん叫んだ。
「だから、そういう事じゃないんですっ」
 売り場の隅っこに連れていくと、総司は一生懸命に男に説明した。
「あのね、あぁやって食べ物さし出してるのは、試食というものなんです。それでおいしいかな?まずいかな?って試して、で、おいしさと値段がつりあったら買う。でも、気にいらなかったら、買わないのが普通なんです」
「けど、おまえ、さっきから食べたの、全部気にいったのだろう?」
「う。それはそうだけど……でも! 試食したら、絶対に買わなきゃいけないって訳じゃないんです」
「そういうものなのか」
「そういうものです!」
 総司は力説してから、はぁーっとた息をついてしまった。
 心底、脱力。
 自分も天使なのでそれ程世間を知っている訳ではないと思っていたが、上には上がいるものなのだ。
 まぁ、この人の場合、悪魔だとか天使だとか以前に、生活環境のためだろうけど。
 デパートの地下食品売り場などに来たのも初めてなら、試食自体を知らず、食べたら必ず全部お買い上げしないと駄目だと、思いこんでたとは。
「それにね」
 総司は大きな瞳で彼を見あげ、云った。
「そんな全種類まで買っていたら、お財布空っぽになっちゃいますよ」
「カードがあるから、大丈夫だ」
「だーかーら! そういう問題じゃなくてっ」
「キャッシュでしか駄目なら、すぐ近くの銀行で下ろさせてくるが」
「そういう事じゃないんですってば」
 何だか、どんどん話がくい違っていってる気がしながら、総司はまたため息をついた。
 ちょっと本日の晩ご飯のお総菜を買おうと思って来ただけなのに、何でこんな事になってしまうの?
 土方は微笑みかけ、総司の手を握りしめた。
 ちょっと子供のように、かるく振ってみせる。
「ほら、機嫌を直して。一緒に買い物をしよう」
「もう十分です」
「おまえの好きなお菓子、全然買ってないだろ?」
「それはそうですけど……でも、もう絶対に試食して衝動買いは駄目ですからね」
「衝動買いかな」
 くすくす笑う土方に、総司は桜色の唇を尖らせた。
 それを、指さきでつんっと突いてから、また土方は綺麗な顔でにっこり笑いかける。
「この可愛い唇のせいだな」
「え?」
 聞こえなかったらしく、総司は小首をかしげた。
 それに、土方は目を細めた。


 桜んぼのような唇。
 可愛いくて、甘いおまえの唇。
 それが一つのものをうまそうに食って。ぺろりと舌で舐めあげる。
 蜜のついた指さきに気づき、それも舐めるピンク色の舌。
 ぞくぞくするような、無意識の妖艶さに、俺はいつも誘惑される。
 世界中の誰よりも、清らかで無垢な天使。
 その可愛い天使がが時折見せる、甘く蕩けるような艶。
 衝動買いなんかじゃない。
 その艶っぽい笑みを見たいがため。
 甘い唇の動きを見たいがために。


「何って云ったの?」
 そう訊ねた総司に、土方は身をかがめた。
 そして、耳元に唇を寄せると、悪戯っぽく囁いたのだった。


 「……秘密」













「フレンチ」




「んー……?」
 ソファの上で寝っ転がり、クッションを抱えてすやすやお昼寝中だった天使は、ちょっと目を開いた。
 あまり見慣れぬ天井に小首をかしげるが、すぐ、そこが恋人の土方の部屋だという事を思いだし、ほっとする。
 周囲を見回したが、土方の姿はない。
 先程まで前のテーブルで、ノートパソコンを開いていたのに。
「……土方さん?」
 心細げに呼んだ総司の声に、すぐ応えが返ってきた。
 だが、それはリビングではなく、奥のキッチンの方からだ。
 そう云えば、もう夕方であり、部屋にはいい匂いまで漂っている。
「土方さん……?」
 その名を呼びながら、総司は立ち上がり、キッチンへ向かった。
 そこへ土方が入り口まで現れる。
 手には白い皿をもち、綺麗な笑顔だ。
「ちょうど良かった。夕飯、出来たところだよ」
「出来たって……え? えぇっ? 土方さんが作ったの?」
「あぁ」
 頷きながら、土方はさっさと皿をテーブルの上に並べていった。
 見れば、もうテーブルの上は綺麗にセッティングされ、サラダやスープやパン、ワイングラスまで並べられている。
「さぁ、食べようか」
「は、はい」
 慌てて席についた総司は、目をまん丸にした。
「すごい、これ……フレンチですか」
「あぁ」
 土方はワインのコルクをぽんっと軽快な音をたてて開けながら、答えた。
「簡単フレンチってとこかな」
「か、簡単って……このお肉は?」
「鴨肉ソテーのマーマレードソース掛け。甘めのソースの方がおまえ好みだと思って。けっこう簡単な料理なんだ」
「そうは見えないです。じゃ、このサラダは?」
「ホワイトアスパラとポテトのサラダ。クリーム仕立てだから、こっちもおまえ好みだと思うけど」
「……」
「ほら、食べよう。……乾杯」
「あ、はい。乾杯」
「いただきます」
「いただきます」
 総司はナイフとフォークで鴨肉を切ると、ソースにからめ、口へ運んでみた。
 大きな瞳が見開かれる。
「これ、おいしい!」
「そうか、よかった」
「何で? 何で、こんな豪華でおいしい料理が出来ちゃうの?」
「だから、簡単なんだって」
 土方はくすくす笑いながら、自分も料理を食べはじめた。
 いつもながら、まるで流れるような綺麗な仕草で、食事をつづけてゆく。
 総司は思わずため息をついてしまった。
「……どうして、土方さんって……何でもできちゃうのかなぁ」
「出来たらいけないのか?」
「だって、つり合いってものがとれないでしょう。こーんな料理つくれるなら、いっそ政治家やめて、フレンチレストランでも開いたら?」
「悪魔の食卓へようこそ、か?」
「そ、それはちょっとだけど……でも、ほんっと土方さん、何でも出来すぎ。ぼく、悲しくなっちゃいますよ」
「何で、悲しくなるんだ」
「だって……つりあいが……」
 俯いてしまった総司に、土方は微かに笑った。
 その黒い瞳が一瞬、妖しい光をうかべたが、すぐ、かき消される。
 柔らかな仕草で手をのばすと、総司の首筋から頬を指さきでなぞりあげた。
「俺は、おまえに、もっともっと相応しい男になりたいと、日々努力してるんだけどな」
「え?」
「おまえは天使だ。それも、綺麗で無垢で清純な大天使だ。俺みたいな悪魔は本来なら近寄る事もできない、存在だろう」
「……」
「なのに、おまえは俺が傍にいる事を許してくれている。その優しい心で、俺を包みこんでくれる。俺にとって、おまえの存在は僥倖だ」
「土方…さん」
 思わず瞳を潤ませた総司に、土方は優しく微笑みかけた。
「おまえに相応しい男になりたい、そんな男でありたいと願うのは、ごく当然のことだろう? だから、総司……そんな悲しそうな顔をしないでくれ。つりあわないのは、俺の方なのだから」
「そんな……土方さん……」
 首をふる総司の手を、土方は恭しくとった。
 そっと、手の甲に口づけを落とす。
「愛してるよ、俺の天使」
「土方さん」
「ずっとおまえの傍にいさせてくれ。それだけが、俺の願いだ」
 そう囁いた土方を、総司は潤んだ瞳のまま見あげた。
 やがて、こくりと頷く。
 それを見つめ、土方はゆっくりと微笑んだ。
 唇の端がつりあがり、満足げな笑みがうかべられる。


 たった一つの願い。
 だが、それがもしも叶えられ得ぬものならば。
 己の力で強引に叶えてしまえばいい。
 いつか、この天使が俺の正体を知り、悲鳴をあげて羽ばたこうとしても、もう遅い。
 幾重にも仕掛けられた罠が、天使の翼をも絡め取り、やがて、その身は為す術もなく俺の腕の中へと堕ちるのだ。
 愛しい、愛しい総司。
 俺だけの天使。


 土方は身を乗り出すと、そっと甘いキスを与えた。
 そして。
 とろけそうなほど優しい声で、囁きかけたのだった。


     「愛してるよ……ずっと、いつまでも」


 いつまでも。
 ──世界の終わりまでも。












「ラムネビー玉」




……暑い。
 暑さで、どうにかなりそうだった。
 総司は買い物袋を下げてふらふら歩きながら、大きくため息をついた。
 こういう時、車があればなぁと思うが、免許をとる勇気はない。
 かといって、荷物もって天使の翼で飛ぶのも、なんかなぁ……と思うのだ。
 だいたい、空へ舞い上がれば、より太陽に近くなるということで、天使だってそれなりに暑いし、ふらふらするし、下手すりゃ熱中症になっちゃうし……。
 などなど。
 暑さで朦朧とした頭で考えながら、総司はまたため息をついた。
「……少しだけ休んでこ」
 ちょうど大きな公園傍を歩いていたとこだったので、そのままふらふらと入ってゆく。
 暑さのためか、青空の下、あまり人影はない。
 総司は木陰のベンチまで辿り着くと、はぁーっと息をつきながら坐り込んだ。
 とはいっても、また。
 木陰でも、都会の猛暑は半端ではない。
 しかも公園なので蝉の鳴き声が凄まじく、ますます暑さをそそるのだ。
 総司はぐったりベンチに坐り込みながら、ぼーっとした表情で公園の風景を見つめた。
 その時、だった。


「! きゃああっ」


 思わず悲鳴をあげ、飛び上がってしまった。
 突然、何か冷たいものがピトッと首筋にくっつけられたのだ。
 それは一瞬のことで、すぐ離れてしまったが、総司が驚くには十分の出来事だった。
 慌ててふり返った総司は、尚更、大きくその目を見開いた。
「……ひ、土方さん!」
 見間違うはずがない。
 何だって突然現れたのかわからないが。
 そこに立って、悪戯っぽく笑っているのは、まぎれもなく総司の恋人である土方だった。
 クールビズなのか、暑苦しいスーツ姿ではなく、涼しげな白地の麻シャツに濃紺のボトムという恰好である。
 ぜんぜん暑さにまいってないらしく、木陰でだが、端然と微笑んでいる。
「どうして? 何で、ここに……っ」
「車で移動中、偶然見つけたのさ。だいぶ暑さでまいってるみたいだな」
「だって、暑いんですもの」
 そう答えてから、総司は土方が手にしているものに気が付いた。
 綺麗な水色の硝子瓶が二つ。
 ラムネだ。
「それ……」
「あぁ」
 土方は悪戯っぽく黒い瞳をきらめかせた。
「これだよ。さっき、おまえの首筋に押しつけた奴」
「どうして、そういう事するんですか!」
「だけど、涼しくなっただろ?」
 あっさり云いきってから、土方は総司の隣に腰をおろした。
 栓を開けてから「ほら」と手渡してくる。
 シューッと泡立ち、とてもおいしそうだ。
「……」
 総司はこくりと喉を鳴らしてしまった。
 そんな猫のような様子に、土方はくすくす笑いながら総司の手にラムネ瓶を握らせた。
「い、いただきます」
 ちょっとだけ拗ねてたが、この暑さで喉が渇いていた総司は、誘惑に勝てなかった。
 こくこくと飲んでしまう。
「冷たくておいしー♪」
 たちまち上機嫌になった総司に、土方はくすっと笑った。
 自分も瓶をかたむけ、飲む。
 からんとビー玉が瓶の中で鳴った。
 それに、総司が見つめていると、土方の男らしい喉もとがごくりと動くが見え、それがとても艶っぽくてどきどきしてしまう。
 いつもストイックな印象の土方だが、ベッドの中ではもちろん、こういうさり気ない日常の仕草一つにも、男の艶をただよわせる時があるのだ。
 総司は陽炎がゆらめく夏の樹木をバックにした、男の精悍な横顔をぼーっと見つめた。
 その視線に気づいた土方が、
「どうした?」
 と小首をかしげ、視線を返してくる。
 それに、総司は慌ててふるふると首をふった。
 自分もラムネ瓶を傾けると、こくこくと飲んだ。口の中に、甘酸っぱいような味がひろがる。


 とても冷たくて、おいしくて。
 木陰で飲んでるのだから、少しは涼しくなるはずで。
 でも、どうしてかな。
 土方さんが隣に坐ってから、頬の火照りがおさまらない。
 何も話してないのに。
 ずっと黙ったままなのに。
 胸がどきどきして。
 彼の濡れたような黒い瞳がこちらを見つめるたび、もっともっと躯中が熱くなっちゃって。
 だけど。でも。
 それは、どうしてなの?


「……総司」
 気が付けば、土方が小さく苦笑していた。
 それに「え?」と小首をかしげると、不意に頬を手のひらで包みこまれる。
 火照った頬にふれる、彼のしなやかで冷たい指さき。
 かるく身をのりだすと、土方は総司の耳もとに唇を寄せた。
 甘やかな低い声で囁きかける。
「こんな処で……誘わないでくれ」
「ぇ…ぇえっ!?」
「おまえ、暑さで頬が火照っているからかな。そんな潤んだ瞳で見つめられたら、俺だって我慢できなくなる。それとも、やっぱり誘っているのか?」
「そ、そんなつもりじゃ……っ」
 慌ててぶんぶん首をふった総司に、土方はもう一度苦笑した。
「無意識ってのが怖いね」
 そう云ってから、不意に土方は総司の手を握りしめた。指さきをからめ、そっと引き寄せる。
 それに抗うことなく素直に従うと、自然と立ち上がらせられていた。
 いつのまにか、荷物は彼が持ってくれている。
 歩き出した土方に、総司は目を見開いた。
「ど、どこへ行くのですか?」
「おまえが望んでる場所」
「え、え……そ、それはもしかして……」
 顔を真っ赤にした総司に、土方はふり返った。
 くすっと笑って、甘く掠めるようなキス。
「俺もおまえも、別の意味でうんと熱くなろう」
「……」
 総司はますます頬を火照らせ、土方の逞しい胸もとにしがみついた。
 その手の中で、ラムネ瓶がからんと音をたてる。



 それは、夏の青空の下
 涼しげに鳴った
 ラムネビー玉の音













「俺だけの贅沢」




 車窓から見えた光景に、ちょっと息を呑んだ。





 会議だ接待だとふり回される、暑い夏。
 とはいっても、彼が向かう場所もこうして移動中の車内も、冬かと思うほど冷えているのだが。
 それでも一応スーツは脱いで、涼しげな服装を纏えば、尚更女たちが寄ってくるばかりで。
「……鬱陶しい」
 そう忌々しげに呟いた土方に、山崎は何も答えぬまま目を伏せた。
 おそらく、美しい女性達に纏いつかれ、そう思うのは、この男ぐらいなものだろう。
 だが、それも致し方ないこと。
 この美しい魔王を満足させられるのは、あの清らかな天使ただ一人なのだから。
 そんな事を考えていた山崎は、後部座席で土方が微かに息を呑むのに気が付いた。
 不意に手をあげ、とめろと命じられる。
「? どうか……?」
「ここで降りる」
「え……ですが」
「会合は欠席だ。気分が悪くなったとでも伝えておけ」
 そう云うと、土方は珍しく悪戯っぽい笑みをうかべながら、ジャケットを脱いだ。
 ドアロックを勝手に外すと、さっさと外へ降り立ってしまう。
 そのままふり返りもせず歩み去る主に、山崎は困惑していたが、彼の向こうに見える光景を目にしたとたん、納得した。


(……成る程)


 これでは致し方ないだろうと結論づけ、山崎は静かに車を走り出させていったのだった。





 そのまま総司の後を追おうと思っていた。
 が、公園横の売店に気づき、ふと考える。
 それから、土方は久しぶりどころか、子供の頃に一度口にしたきりのラムネ瓶を二本購入した。
 売店の女性店員が土方を見て「あ」という表情になったが、そこはにこやかな笑顔でごまかしておく。
 土方は二本のラムネ瓶を手にしたまま、総司のもとへ向かった。
 木陰の下、総司はベンチに腰かけていた。かなり、暑さでばてているようだ。


(……天使も暑さには弱いんだな)


 そう思うと、笑いがこみあげた。と、同時に、悪戯心がわきおこってくる。
 土方は形のよい唇の端をつりあげると、気配も足音も完璧に殺して、総司の後ろへと歩みよった。
 すぐ真後ろに立って見下ろしたが、総司はまだ気づいていない。


 柔らかな髪が汗に濡れて白い首筋にはりつき、たまらなくセクシャルだった。
 後ろからでも見える、上気したピンク色の頬がまた艶めかしい。
 このまま後ろから抱きすくめ、その熱の奥までも、獣のように貪りつくしてやりたくなった。


(……俺の大天使……)


 どんな美女にも感じなかった、熱い衝動。
 欲望、喉の渇き。
 誰も何も、この天使の清らかさ、それと裏腹の甘くとろけるような熱には叶わないのだ。
 この世界を邪悪に染め上げる魔王が唯一求めた存在が、この可愛らしくも清冽な大天使だったとは、なんと皮肉なことか。
 むろん、危険は承知の上だ。
 総司を抱きしめた時、その足下に広がる奈落のような闇の存在も、わかりきっていはいる。
 だが、それでも、何があっても、求めてしまうだろう。 
 世界中の何よりも清らかな大天使を。
 そして、甘く柔らかく狂おしく貪り、己の熱に溺れこませてしまう。


 その熱く甘美な。
 極上の贅沢……。


 土方はゆっくりと手をのばした。
 白い首筋を見つめながら。
 そこに紅い花びらを散らしてやる事に、たまらない疼きを覚えながら。
 冷たいラムネ瓶を、そっと押しつけてやる。





 ──その次の瞬間。
 青空に響いた天使の甘い悲鳴に、土方は低く笑った。



   さぁ、味わおうか
   世界中の何よりも
   熱く甘美な
   
   俺だけの贅沢