「……おめでとうございます」


 祝いをのべた声は、あるいは強ばっていたかもしれない。
 だが、ある程度は感情を押し隠せたはずだ。
 近藤などはすぐさま彼を祝福したのだという。子煩悩の近藤のことだ、土方が子をもったことを我が事のように喜んだに違いない。
 一番弟子と片腕たる親友の、昏い熱を帯びた関係にも気づかず。
 だが、それでいいのだろう。
 二人の関係は永遠に満たされぬものなのだから。

(……永遠に満たされない)

 そう。
 どれほど躯を重ねあい、彼の熱をこの身奥深くに注ぎこまれても、それでも尚、決して満たされる事はない。
 私は、結する事のない花なのだ。

 そんな考えさえ抱いてしまい、総司は思わず目を伏せた。
 その前で、君菊はゆったりと微笑んだ。
「わざわざ総司様にまで来てもろて、ほんまにすんまへん」
「いえ……」
 僅かに首をふり、躊躇いがちにもう一度目をあげた。
 すると、輝くような笑顔で赤子をその手に抱く女の姿が目に映り、きつく奥歯を噛みしめた。
 心あたたまる光景であるはずなのに、指さきでまで凍えそうなほど身も心も冷たく軋ませてゆく。
 憎い、とまでは思わなかった。
 だが、それでも心から祝福する気には到底なれなくて。
 そんな私が辛い。
 あの人を愛さなければ。
 あの人に愛されなければ。
 こんな己の心の醜さなど、知るはずもなかったのに。
 愛ゆえの激しい歓びを知らず、その代わりに、胸を引き裂くような鋭い苦痛も知らず。
 ただ安寧と、穏やかな日々を過ごしてゆけたはずだったのに。

(……どうして、私はあの人を愛したの……?)

 今にも叫び出しそうな気持ちをおさえながら、長い睫毛を伏せた。
 そして。
 出来るだけ柔らかな──感情を映し出さない声で、告げたのだった。
 愛する土方の、子を産んだ彼女に。

 ──祝福の言葉を。








 土方との関係が深まったのは、西本願寺に屯所が移ってしばらく後だった。
 切っ掛けは何だったか思い出せない。
 ただ、二人で副長室でいつもの軽口を叩きあっているうちに、気が付けば、ぽろりと言葉がこぼれてしまっていたのだ。

 好きです。
 ずっとずっと、あなたを愛してきました、と。

 それを告げられた時の土方の表情は、ただもう驚愕だった。
 目を見開き、愕然としたまま総司を見つめていた。
 あまりの驚きに、言葉一つ発する事ができないようだった。
 そんな彼の様子を、総司は当然だと思った。
 弟だと思っていた若者から、いきなり愛を告げられたのだ。嫌悪の色が彼の瞳に浮かんでいないだけ、まだましだった。
 総司は座りなおすと、丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません。莫迦な事を云ってしまいました」
 それに、土方は初めて身じろぎした。
 出て行こうとしていた総司の腕を素早く掴むと、鋭い視線をあててくる。
「……莫迦な事? なら、偽りを告げたというのか」
「偽りなんかじゃ……!」
 慌てて、総司は顔をあげた。
「そんな偽りなんて云ってません。云うはずないじゃないですか」
「なら、どうして謝る」
「だって……私にこんな事を云われたら、土方さんが困るから……」
 総司は唇を噛みしめ、また俯いてしまった。
 その顎が不意に男のしなやかな指さきで掴まれ、強引に仰向かされる。
「!」
 驚いて見あげた総司の瞳に映ったのは、何とも云い難い表情をうかべた愛しい男の端正な顔だった。
 それがゆっくりと近づけられ、思わず瞼を閉ざした。
 とたん、唇にふれた感触。
「な……っ」
 思わず彼の胸に両手を突っぱねた。が、すぐさま躯ごと抱きすくめられ、もっと深く唇を重ねられる。
 何度も何度も、あたえられた甘くとろけそうな口づけ。
 陶然となった総司の頬に、首筋に、熱い唇を押しあてながら、土方は囁いた。
「……俺もおまえが好きだ」
「え……?」
 総司は目を瞬かせた。
 一瞬、意味がよくわからなかったのだ。
 それに、土方はくすりと笑うと、総司の瞳を覗き込んだ。
 もう一度だけ唇を掠めるように重ねてから、甘く優しい声で囁きかける。
「俺はおまえが好きだ……愛してる。そう云ったんだよ、総司」
「え……ぇ、私…を? 土方さんが?」
「あぁ、そうだ」
「だっ…て、え……だって、土方さん、女の人が沢山いるし……」
「あれは全部遊びだ。俺が本気で愛したのは、おまえだけだ」
「……本当、に……?」
 総司の声が震えた。
 たちまち、その大きな瞳に涙があふれてしまう。
 腕の中でぽろぽろと涙をこぼし始めた総司を、土方は愛しくてたまらぬと云いたげに抱きすくめた。あちこちに口づけながら、その髪に指をさしいれかき乱す。
「好きだ……おまえだけが好きだ」
「私…も、私も……ずっとずっと好きでした……」
 夢心地のまま、総司は言葉を返した。



 実際、まるで幸せな夢を見ているかのようだった。
 土方の恋人として愛し愛され過ごした、それからの日々は、総司にとって、美しい夢そのものだったのだ。
 泣きたくなるくらい、幸せだった。
 だからなのか。
 愚かにも、そんな日々がずっと続いてゆくのだと信じていた。
 あの日。
 彼の女の一人である君菊が懐妊したと。
 そう、土方の口から告げられるまでは───……







 暗闇の中、崖から身を投じる瞬間。
 どんなふうに、人はその衝撃を感じるのだろう。
 何も見えぬ闇の中ならば、まるで、闇から闇へ身を投じるようなものではあるまいか。
 崖から身を投げた先が、昏い海であっても。
 真っ黒な闇であっても。
 さしたる違いはあるまい。
 絶望ゆえに身を投じる者にすれば、何一つ関わりない事なのだから。




 女がいる事はよくわかっていた。
 土方が総司を恋人とした後も、女たちと関係を続けていることも。
 だが、それを不実だとは思わなかった。
 自分と彼は何の約束をした関係でもないのだ。彼の女関係に口出しすること自体おかしいと思っていた。
 近藤も妻ある身でありながら、妾まで囲っている。
 ましてや、自分は土方の何でもないのだ。妾でも妻でもない。
 悋気をやくことさえ許されぬ立場だと、総司はわきまえているつもりだった。ただ、自分の気持ちが受け入れてもらえただけで、僥倖だと思わなければならないのだと。
 みっともない真似を見せて彼を困らせたり、迷惑をかけたりしたくなかった。
 土方の愛がそこにあるのなら、それでよかった。
 彼がいつも囁いてくれるように、自分だけを愛してくれている。
 それが真実であれば、自分はどんなに辛くても悲しくても、女たちの元へいく彼を黙って見送ることが出来たのだ。

(……だけど……)

 総司は柱に凭れかかり、そっと唇を噛んだ。
 君菊の事を告げた彼の言葉は、総司を奈落の底へ突き落とした。
 闇と変わらぬ、昏い海へ。
 もしかしたら、今まで自分が思い違いをしていたのではないかと、総司は思った。
 ずっと光の中にいる。
 土方に愛され、あたたかな優しい光の中にいるのだと、そう信じてきた。
 だが、それは間違いだったのだ。
 自分が真実いたのは、闇の中だったのだ。
 一寸先も闇の、何も見えぬ昏い闇の中。
 すぐ足下に、崖っぷちが広がる事も気づかず歩きつづけてきた。
 そして、今。
 愛する男の手によって、突き落とされたのだ。


    闇とも見まごう、昏い海へ……。



















 愛してると告げられた時、それを信じることは出来なかった。
 おそらく、総司の俺への恋は錯覚なのだろうと考えたのだ。
 兄代わりを慕わしく思ううちに、それを恋へとすりかえてしまう。よくある事なのだと、聞き流すつもりだった。
 だが、そう出来なかった。
 なぜなら。
 俺の方が、総司を愛していたのだ。
 遠い昔から。
 まだ幼い少年だったあの頃から。
 激しく切なく。
 気が狂ってしまいそうなほど、俺は、総司を愛していた……。




 土方が君菊との関係をつづけたのは、ほとんど惰性だった。
 酷い男だ、不誠実な男だと罵られそうだが、ある意味、隠れ蓑でもあったのだ。
 総司との関係は、禁忌のものだった。
 もしも噂にでもなってしまえば、彼はむろん、総司も非難の矢面に立たされてしまう。
 おそらく好奇と侮蔑の目で見られ、指さされる事だろう。それは、受け身である総司の方がより酷いに違いない。
 大切な総司をそんな目にはあわせたくなかった。
 だからこそ、土方は総司との逢瀬を秘めたものにし、屯所ではかまえて他人行儀につとめた。
 そして、女たちの関係も一切絶たなかったのだ。
 土方が女好きであるという風聞を纏っている限り、総司が彼の相手として目される事は決してない。そうわかっていたからこその行動だったのだ。
 だが、今になって思う。

 本当に、それだけであったのか──と。

 恋人になっても尚、総司はどこか掴みどころのない若者だった。
 どれだけ抱きしめても、その細い躯を抱いても、まるで散ってゆく花びらのように儚く、決して自分だけのものにはなってくれない。
 総司の情熱が剣へ向けられている事も知っていたし、もともと恋愛には淡泊なたちだとわかってはいた。
 だが、土方は総司をもっと愛したかったし、その身も心もすべて手にいれてしまいたかった。
 自分が総司を愛するように、もっと求め渇望して欲しかったのだ。
 だが、そんな彼の気持ちを嘲笑うように、いつも総司は抱きしめる彼の腕の中から逃れてしまい、するりと身をかわしてゆく。
 どんなに懸命に追っても、決して手に入らない存在なのだ。
 いつも、総司の瞳が自分を映してない気がした。
 総司の心がどこにあるのか掴めなくて。
 不安で不安で、たまらなかった。
 人はまさか思うまい。
 新撰組の鬼副長とまで呼ばれる男が、こんな恋にもがき苦しんでいるなど。
 だが、土方の不安はふくれあがってゆく一方だった。
 愛してるからこそ、独占してしまいたいのに。
 もっと、こちらを見て欲しいのに。
 総司は本当に自分を好きなのか。
 本当に、愛してくれているのか。
 そんな事まで考えてしまい、土方は己の不甲斐なさに苦笑した……。




 君菊から懐妊したと聞かされた時、真っ先に思い浮かんだのは総司の事だった。
 この事を知れば、おそらく総司は傷つく。
 だが、それは本当に?
 本当に、総司は彼のことで心を揺らしたりするのだろうか。
 恋に怯えているのは、土方の方だった。
 もともと総司から仕掛けられた恋なのだ。この恋を断ち切ってしまう刃も、総司がその手に握っている。
 土方から、終わらせる事など出来るはずもないのだから。
 身も心も捧げるように、愛して。
 総司のためなら、何を捨てても構わないと思った。この命さえくれてやってもいいのだと。
 だが、そうやって総司だけを求め、その深く激しい愛ゆえに狂ってゆく土方の傍で、総司は何も変わらない。
 土方に愛される前も。
 愛された前も。
 総司はまるで水に映し出された美しい花のように、何一つ変わらなかったのだ。
 それが、土方には歯がゆかった。
 もしかすると、この事を総司に告げることで、何かが変わるかもしれないと思った。
 むろん、君菊との関係は惰性的なものだっため、愛情など何処にもなかった。もともと土方は花街の女に恋心を抱いたことは一度もない。どこか一線を引いていたのだ。
 それでも、君菊に子供を産むことを許したのは、それが愛ゆえでなく打算的なものだと知っていたからだった。











 君菊は土方を好いてはいたが、それでも客の一人にすぎなかった。
 土方が他の芸者や太夫と関係をもっていると知っても、平気だった。男とはそういう多情なものだと仕事柄よく理解していたし、また、いつかは客の一人を旦那とする事を当然と考えていた。
 土方の子を身ごもったのは、たまたまだった。
 決して、彼が誠実でよい旦那になってくれるとは思わなかったが、それでも、生まれてくる子どもは愛おしい。身ごもったからには、産みたいと願った。
 愛など、君菊は信じていなかった。
 花街で生まれ育ち、多くの裏切りに傷つく女たちを見てきた彼女にすれば、愛ほど脆いものはなかった。
 それゆえ、土方に縋ろうとは思っていない。愛されたいとも思わない。
 ただ子を産み育て、それを自分の生きる喜びとしたかった。土方が僅かなりとも手を貸してくれるなら、それにこした事はなかった。
 土方は君菊が懐妊した事を告げると、驚きはしたが、
「面倒を見よう」
と、云ってくれた。
「俺の子であるなら、当然のことだ。家も用意するから、そこでゆっくりと躯をやすめ安心して子を産めばいい。むろん、その後の手助けもきちんとしよう」
 土方は一見誠実とも見える表情でそう云いながら、全く別の思惑を追っているようだった。
 その黒い瞳に、彼女は映されていなかった。
 だが、それで良かった。
 無事この子を産み育てられるのなら、それだけで良かった。
 男とは、彼女にとって利用すべき存在なのだ。
 愛しい我が子と、己自身のためなら、どんなものでも冷酷なほど利用し、また切り捨てることが出来た。
 したたかでなければ、このせちがらい世の中、女一人では生きてゆけない。
 君菊は辛い花街での日々から、その事を骨の髄まで思い知らされていた。
「……ありがとうございます」
 そう答えると、君菊は美しい顔に、満足げな笑みをうかべた……。










 障子を開けると、まず華奢な若者の姿が目に入った。
 その反対側に、赤子を抱いて坐る君菊がいる。
 己の子を産んだ女よりも、愛しい若者を見てしまった自分に苦笑しながら、土方は声をかけた。
「来てくれたのか、総司」
「!」
 総司は弾かれたように顔をあげた。
 大きな瞳が見開かれ、一瞬だけ苦痛の色をうかべたように見える。
 それに奇妙なほど歪んだ歓びを噛みしめながら、土方は部屋の中に歩み入った。君菊の隣に腰をおろし、その切れの長い目で総司を見つめる。
「わざわざ来てもらって、すまなかったな」
「いえ……お祝いごとですから」
 総司は小さな声で云うと、俯いてしまった。
 それに、土方は鷹揚に話しかける。
「俺の子は女だった。顔はよく見たか?」
「は、はい……君菊さんに似て可愛いですね」
「もう抱いてやってくれたか?」
 そう訊ねられ、総司は目を見開いた。慌てて顔をあげ、首をふる。
「い、いえ! そんな……」
「抱いてみてくれ。おまえは子供好きだから、慣れているだろう」
 そう云うと、土方は君菊の手から赤子を受け取り、総司にむかってさし出した。
 だが、総司は怯えたように目を瞠り、後ずさってしまう。
「慣れてなんかいません……だから、いいです」
「何だ、遠慮しているのか」
 土方の瞳が揶揄するような色をうかべた。それが辛くて、思わず目をそらしてしまう。
 弄ばれているようで。
 彼にとって、その程度の存在なのだと。
 愛する男の子供を他の女が産んでも、祝福しなければならない。
 何も満たせない、何も生み出せない自分には、嫉妬し、傷つく資格などないのだ──と。
 そう断じられた気がして、総司はきつく唇を噛みしめた。
 その時、不意に、土方の腕の中で赤子が泣き出した。それに君菊が慌てて受け取り、優しくあやし始める。
「……」
 赤子の泣き声と、君菊の優しい声が響く中、総司は立ち上がった。
 目を伏せたまま「失礼します」と呟くように告げると、背をむけた。そのまま、まるで逃げ出すように部屋を足早に出てゆく。
 それに、土方がすぐさま立ち上がった。
 君菊に「また来る」と云いおいてから、総司の後を追い慌ただしく出ていった。
 二人の足音が遠ざかってゆく。
「……」
 閉じられた障子を見つめ、君菊はくすっと笑った。
 すぐ、わかったのだ。
 総司がどんな想いを抱いて、ここに来たのかを。
 そして、土方が本当に愛しているのは、いったい誰なのかを。
 初めは恋人を守るためにした事が、今や互いを酷く傷つけてしまっている。
 それを土方もわかってはいるのだろうが、もうどうする事も出来ないのだろう。彼自身、総司に抱いている気持ちは生半可なものではないのだから。
 愛して愛して愛して。
 お互いを愛しすぎるがゆえに、互いの真実も見えなくなって、傷つけあってばかりいる。
 そんな二人が愚かで、だが、どこか切なく見えた。
「ほんまに……男の人は愚かやなぁ」
 君菊は呟き、苦笑した。
 あの瞳を見た瞬間、どれほど総司が土方を愛しているか、知ったのだ。身も心も捧げるように、狂ったように愛しているに違いなかった。
 むろん、土方も同じ激しく燃えあがるような恋に、身も心も投じてしまっている。
 二人はまるで、暗闇の崖っぷちの上で抱きあう恋人たちのようだった。
 何も見えぬまま、互いの愛だけを求めあっている。
 君菊は様々な恋だの愛だのを、花街で見てきたが、あれほど激しい刹那的な愛は見た事がなかった。それはもしかすると、土方と総司が、命の危険と背中あわせの日々を送っているがゆえだったのかもしれない。
 だが、それでも燃え上がるような恋だった。
 互いを灼きつくす愛だ。
 それを一瞬だけ、君菊は羨ましいと思った。
 愚かだとわかっていながら、総司のように恋に狂える己であったなら。
 どんなに傷ついても苦しんでも、あんなふうに人を愛せたなら、その生をいっそ幸せだと人は云うのではないだろうか。
 それとも、やはり、自分のような穏やかな生が幸せなのだろうか。
「……どっちが幸せか、わかれへんわ」
 君菊はため息をつくと、腕の中の赤子をそっと揺すった。赤子は目を閉じ、すやすやと眠っている。
 そのあどけない顔を見つめながら。
 一度ぐらい、自分も本気で人を愛してみようか、と。
 君菊はそんな事を思いながら、小さく微笑んだのだった……。









「総司! 待て」
 鋭い声が後ろから叫んだ。
 が、総司はふり返る事なく、夕闇の中を小走りに歩いていた。ともすればあふれそうになる涙を必死に堪え、きつく唇を噛みしめて歩いてゆく。
 それを土方は追いかけた。
 幸いにして通りに他の人影はない。夕暮れ特有の青紫色の空気だけが満ちているだけだ。
「総司!」
 駆け寄ると、強引に腕を掴んでふり返らせた。だが、それでも総司は顔をそむけ、決して彼の方を見ようとしない。
 土方は低い声で問いかけた。
「怒っているのか」
「……いいえ」
「なら、どうして逃げる」
 そう訊ねてから、僅かに唇を噛んだ。
 少し黙った後、ゆっくりとした口調で云った。
「もし……おまえが俺を許せないというのなら、謝る」
 びくりと総司の肩が震えた。
 それを見下ろしながら、言葉をつづけた。
「君菊の前なので、おまえに素っ気なくした。それとも、無理に子を抱かせようとしたのが悪かったのか」
「! そんな事じゃない!」
 堪らず叫んだ。
 この人は何もわかっていない。
 それとも、わかっていて云っているの?
 わざと私を傷つけ、苦しめ、泣かせようとしているの?
「そんな事じゃないのです。私が嫌だったのは……辛かったのは……っ」
 言葉が途切れた。
 どうしても、それ以上を云うことができなかったのだ。
 土方の傍にある限り、その傍にありたいと願うなら、自らを貶めたくなかった。こんな事で悋気をやき、泣き叫ぶような醜い様を、彼に見せたくなかった。
「……」
 再び黙り込んでしまった総司に、土方はため息をもらした。
 道ばたであるにも関わらず、手をのばすと柔らかく総司の躯を引き寄せた。そっと両腕で抱きすくめてやる。
 その柔らかな髪に頬を寄せながら、呟いた。
「本当に……おまえは何を考えているんだろうな。いつだって、おまえは手に入らない遠い存在だ」
「……そんな」
 総司の目が大きく見開かれた。
「あなたこそ、遠い存在です。いつも私を残し、女の人を抱きにいって……今度はまた、子供まで生まれてしまった。どんなに私が追いかけても、あなたは遠くへ行ってしまう……」
「なら、お互い……そう思っているのか」
 土方は苦笑した。
 お互い、いつまでたっても手に入らない遠い存在なのだと。
 それが恋というものなのだろうか。
 総司を愛したことが、人を愛することの初めだった自分には、何もわからないが。
 それでも、この恋がどんなに愚かでも、もう後戻りは出来ないのだから。
 愛してるということ。
 それだけがすべてなのだと、信じたいから。
 総司がそっと彼の胸もとに身をよせた。
 そして、少し躊躇ってから、呼びかけた。
「……土方さん」
 小さな声だった。
 柔らかで、優しい。
 総司の心をそのままあらわすような。
 その声で、訊ねられた。

「私は、まだ……あなたを愛していても、いいですか」

 それを聞いた瞬間。
 土方は、涙があふれそうになった。
 答えることなど、到底できなかった。
 その言葉だけで。
 総司が、自分をどれほど愛してくれているのか、わかった気がしたのだ。
 昏く冷たい闇の中、仄かに灯された明かりを見つけたのだと。
 そう、心から思った。


 俺は、総司の愛がそこにあるのなら、何も恐れない。
 他には何も望まないから。
 この世の何を誰を、捨て去ってもいい。
 総司を愛することで、誰に憎まれても構わない。
 どんな酷い非難を受け、断罪されても。
 それでも。
 この愛だけは、決して失えないから……。


 土方は何も答えられぬまま、総司の躯を抱く腕に力をこめた。背中がしなり、息さえ苦しくなってしまう。
 だが、それでも総司は抗わず、男の背に両手をまわした。
 縋るように、きつく抱きついた。
「……土方さん……」
 抱きしめてくれる男の腕の中、総司はそっと瞼を閉ざした。
 何も答えてくれなくても、わかる気がした。
 きっと、自分は今、この人に愛されているのだ。
 彼にとっても、この恋は失うことができないものなのだ。
 光が光であるように、闇が闇であるように。
 私は、この人にとって、唯一人の私でありつづけるのだ。
 いつまでも。





「……帰ろうか」
 やがて、静かな声で土方が促した。
 腕の力をゆるめ、瞳を覗き込んでくる。それを見あげ、こくりと小さく頷いた。
 そんな総司に、土方は優しく微笑んでくれた。
 一瞬だけ、その額に口づけを落としてから、すっと躯をおこした。そのまま踵を返し、歩きだそうとする。
 それに続こうとした瞬間、土方は不意にふり返った。
「土方さん?」
 小首をかしげる総司に、暫し彼は躊躇った。やがて、黙ったまま、その手を静かにさしのべてくる。
「──」
 さしのべられた手が意味する事を知り、総司はちょっと目を見開いた。が、すぐ涙に濡れた瞳で小さく笑うと、右手をさし出した。
 そっと重ねると、優しく握りしめられた。
 指さきから、じん──と彼の熱がつたわり、それに総司は目を伏せた。
 そして。
 夕闇の中、二人はゆっくりと帰り道を辿りはじめたのだった。
 深く指を絡めあったまま───






 ……たとえ。
 私が散ってしまうだけの花であったとしても。
 それでも、この人の傍にあることが許されればいいと、心から願うのだ。


 何も生み出せない私でも、この愛だけは、決して失うことができないから。
 彼は、私の苦しみであり涙であり、そして、何よりも。
 昏い闇の崖上で、たった一つ見つけた。
 愛しい歓びなのだから。


 いつか、この罪は断罪されるかもしれない。
 愛ゆえに、罰せられるかもしれない。
 だが、それでも。
 誰を裏切っても、誰に憎まれたとしても。
 私は、この人を愛さずにはいられない。
 愛することをやめる事だけは、決してできないから。
 永遠に。





「土方さん」
「あぁ」
「愛してます」
「……俺も、愛してるよ」






      あいしてる


      たとえ世界を敵にまわしても















[あとがき]
 このお話は、お題の中で一番書きやすかったものです。こういう一場面を切り取ったような、人の感情だけを追うお話を書くのが好きなので。
 土方さん、総司、君菊さんの三者それぞれの感情、気持ちの揺れを、少しでも感じとって頂けたら、とても嬉しいです。


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