──その瞬間、周囲の喧騒が遠ざかった。
 呆然と目を見開いたまま、腕の中の少年を見つめる。
「……総司……」
 なめらかな頬を零れ落ちる涙が、綺麗な宝石のようだった
 透明で繊細で綺麗で優しくて。
 まるで──そう、この愛しい総司の魂そのもののような……。
 成田空港の出発ロビー。見送りに来てくれた総司は、初めから様子がおかしかった。
 二週間のドイツ警察での研修を、いっそ放り出してしまいたいほどだった。だが、そんなこと出来るはずもなく、さり気ない口調で聞いてみたのだ。
「何か、あったのか?」
 と。
 そう訊ねた斉藤に対し、総司は大きく目を見開いた。そして、黙ったまま斉藤に縋るように抱きつくと、涙をこぼしたのだ。
 宝石のように、綺麗な涙を。
「……総司」
 それを斉藤はもう抱きしめるしか出来なかった。黙ったまま抱きしめると、腕の中で華奢な体が小さく震えたが、それでも構わなかった。
 決して自分のものにはならない、だが、世界中の何よりも大切で愛しい少年。
「……」
 斉藤は目を伏せると、総司を抱く腕に力をこめたのだった……。


 

 
 総司との出会いは一年以上前になる。
 初め、公園で逢った時は何の興味もわかなかった。ただ小綺麗な少年だなとしか思わなかった。
 それどころか、仕事上でコンビを組んでいる土方が総司とつきあい出したと聞いた時、唖然としたのだ。そして、猛烈に腹がたった。仕事熱心な斉藤にとって、それは土方の裏切りでしかなかった。
 いずれ必ず支障が出てくると反対もしたが、土方は全く聞き入れなかった。もう総司に夢中だった。驚いたことに、土方は本気のようで、総司を壊れ物のように大切にしていた。手を握ったのは一度だけ、もちろんキスもしてないようだった。
「似合わない恋愛をしてますね」
 そうからかった斉藤に、土方は苦笑した。
「あいつは……俺の宝物なんだ。手を出せば壊れちまいそうで、怖いんだよ」
 そう言っていた土方。あの時の、どこか切ないような、けれど幸せそうな表情を、斉藤は長く覚えていた。
 そのすぐ後、あんな事件が起こったからこそ、尚の事──
 

 

 
「……何です、それ」
 朝のカフェで斉藤は呆然と土方を見つめた。
 窓際の席に坐った土方は無表情で煙草をふかしている。紫煙が漂うのを眺めながら、斉藤はくり返した。
「いったい、どういう事です」
「言ったとおりだ」
「あの少年が昨日の人質?」
「あぁ」
「それで、今、あなたのマンションにいるって……えっ、まさか……」
 思わず言葉につまった斉藤を、土方は冷たく澄んだ黒い瞳で見据えた。淡々とした口調で言ってのけた。
「おまえの想像どおりだ。俺はあいつを愛人にした、つまり、総司を抱いたんだ」
「犯したの間違いじゃないですか」
「あぁ、訂正しようか?」
「いえ、結構です」
 重苦しいため息をつき、斉藤はゆるく首をふった。
 そして、目の前で感情を完全に失ったような顔で紫煙をくゆらせている男を眺めた。
 何にも負けないほど強く見えるが、本当は脆い心を隠しもっている男を。
 もう十年近いつきあいだった。彼と逢ったのは、斉藤が中学生の時だ。土方は高校生で、その辺りでもよく知られた存在だった。何しろやくざともつきあいがあり、警察に追われて逃げ回った事もあるほどだ。もっとも捕まるようなヘマはした事はなかったが、だからこそ、今、こうして警視庁の刑事なんかをやっていられる。斉藤も一緒に逃げ回ったクチだから言えた義理ではなかった。
 口煩い親と受験勉強に嫌気がさして遊びに出た時に、彼と出逢ったのだ。自分の甘さなど吹き飛ばすほど、荒みきった瞳をした彼と。
 あの頃、何度も会いに来ていたのが、まだ駆け出しの刑事だった近藤だった。鬱陶しがる土方を穏やかな瞳で見守り、なんとかまともな道に戻そうとしていた。どれだけ強く拒絶されても激しく罵られても、それでも静かに微笑んで話を聞こうとする近藤の粘り強さは、傍で見ていても呆れるほどだった。
 だが、あの頃の近藤の努力があったからこそ、今の彼があるのだ。
 やがて、土方も斉藤も、いつのまにか荒れる事はなくなっていた。飽きたのか、近藤にほだされたのか、今でもわからない。二人は町へ出ることもなく、自然と会うこともなくなった。その時は斉藤も思っていたのだ、二度と会う事もないだろうと。
 だが──
(まさか、警察に入ってるなんて。そりゃ、おれも言えた義理じゃないが……)
 SATで再会した時、斉藤は唖然として声も出なかった。ちょうど訓練が終わったところだった土方は、斉藤に気づくと、ライフルを肩に担いだ格好のままにやりと笑ってみせた。
 こんな危ない人が警察なんて、それも特殊部隊なんて本当に大丈夫かと思ってしまったが、すぐに彼の瞳に気がついた。あの頃と違い、静かで落ちついた瞳だった。その黒い瞳でまっすぐ斉藤を見つめ、
「また一緒にやれるな」
と、右手をさしだしてきたのだ。それに斉藤は頷き、さし出された手を握りしめた。
 そして、二人はよくコンビを組むことになり、様々な修羅場をくぐり抜けてきた。だが、今回は──
(……別の意味で、最悪だよな)
 斉藤はもう一度ため息をついた。組んだ手の上に顎をおき、問いかけた。
「……で、これからどうするのです?」
「とりあえず、すぐには逃がせない」
「でしょうね。今までと同じように取り計らいますか」
「あぁ。その準備はしておいてくれ」
 そう頷いてから、土方は傍の席に置いていた紙袋を示してみせた。
「これはあいつの服だ。適当に見繕っておいたから、渡してくれ」
「どうして、あなた自身で渡さないんです」
「……」
「黙秘ですか。まぁ、いいでしょう。引き受けさせて貰いますよ」
「すまん」
 かるく頭を下げた土方に、斉藤はまたため息をついた。
 

 

 

 少年は──総司は、斉藤の想像と全く違っていた。
 あの土方をあそこまで溺れさせたのだ。もっと大人びて要領がよく、したたかな少年だと思っていた。だが、実際の総司はまるで逆だった。
 まず、とにかく素直で純粋だ。そのくせ、めちゃくちゃプライドが高く、自分にも人にも厳しいタイプらしかった。そして、本当に──綺麗だった。
 容姿もだが、心が驚くほど綺麗なのだ。綺麗で、誰よりも心優しい。
(……あの人が夢中になるはずだよな……)
 そう思いながら、斉藤は目の前で微笑う総司を見つめた。
 昼下がりのダイニングだった。
 椅子に腰かけた総司は心を許した様子で、あどけなく笑っている。二人で食事をとっている最中だった。ちょっとした冗談を言った斉藤に、総司がくすくすと可愛らしく笑った。その無邪気な笑顔に思わず見惚れた。
 なんて、綺麗に笑うのか。
 なんて、可愛らしく笑うのか。
 花のようとは、こういうのを言うんだろうと思った。
 あの頃、土方が手を出さず「宝物だ」と言っていた理由がよくわかった。
 総司を見ていると、今までそんなものが自分にあるとも思ってなかった感情が、わきおこるのを感じた。
 それは──保護欲だった。どんな汚い事にも悲しみも辛さも味あわせたくない、世界中の何からも大切に守ってやりたい。そんな強い保護欲を抱かせるのだ。
 そのくせ、そんな守られるべき総司には、不思議な包容力があった。傷ついた男を抱きしめ、包みこみ、どこまでも甘やかしてくれそうな……。
(……手にいれたい)
 心の底から、そう思った。幸いにして、ここ最近、総司は自分に心を開いてくれている。その好意を愛情に変えることができたら、どんなに幸せだろう。
 そう思った時だった。
 不意に玄関の方で音がして、足音が近づいてきた。
 目の前に坐っていた総司の表情がさっと変わる。まるでかき消されるように笑みが失われ、目が伏せられた。
 カチャッと音が鳴り、ドアが開いた。
「……はじめ、来てたのか」
 ふり向くと、そこには土方が立っていた。
 黒いシャツにブラックジーンズ、裾の長い黒のコート。全身、黒ずくめの恰好だが、それがまた悔しいほどよく似合っていた。同じ男として、彼のもつ華にはつい羨望を覚えてしまう。
 僅かに乱れた前髪を指さきでかきあげながら、土方はすっと視線を総司に向けた。が、すぐまたそらされた。
「悪いな、面倒ばかりかけている」
「いえ、これからまた仕事ですか」
「あぁ……ちょうど良かった。おまえもだ」
「じゃあ、すぐ行きます」
「わかった」
 土方は何か書類でも取りに来たのか、奥の部屋へ入っていった。が、斉藤はそれを見ていなかった。ずっと斜め横に坐る総司を見ていたのだ。
「……」
 総司は言葉一つ発しなかった。ただ黙ったまま俯いていたのだ。
 だが、その表情は、瞳の色は、あふれるほどの想いを告げていた。
 総司は土方の気配だけを追っていたのだ。全身で彼の声に聞き入り、全身で彼だけを求め、彼だけを憎み──そして、愛していた……。
 それは優しげな総司が一瞬かいま見せた、驚くほどの激情だった。
 刹那的なまでの深く激しい愛。
 憎しみにも似たそれは、複雑に様々な感情とからみあい、まるで燃え上がる焔のような愛へと凝縮されていた。
 自分だけを見て、自分だけを愛して。
 手に入らないのなら、彼が自分のものにならないのなら、いっそ一緒に死んでしまいたい。
 殺意と憎しみと愛と。
 それらすべての感情を、総司は土方ただ一人にだけ向けていた。
 そして、土方もまた──同じ激情を……。
「……」
 斉藤は静かな瞳で、心の奥底で激しく求め合う二人を見つめていた。

 

 

 「本当のこと……言うつもりないのですか?」
 テロ事件が発生し、急いで土方の部屋に行ってみると、驚いたことに総司がソファで眠っていた。それを優しい瞳で見下ろしていた土方が顔をあげた。僅かに眉を顰めている。
「その話はここでするな」
「盗聴器でも仕掛けられてたら堪りませんか」
「それはチェック済だ。それより、俺は……」
 土方は心配そうに総司へまた視線を戻した。
 手をのばすと、そっと柔らかな髪を撫でた。まるで壊れ物を扱うような仕草だ。
 幸せな夢でも見ているのか、総司は小さな微笑をその桜色の唇にうかべていた。それがまた、たまらなく可愛らしい。
「総司に知られたくない、ですか。でも、何故です」
「……俺はこいつを巻き込みたくないんだ。出来るだけ何も教えず、ここから逃がしてやりたい」
 それに斉藤は小さく唇を噛んだ。
 土方の気持ちはわかる。だが、もうここまで巻き込まれているのだ。今更ではないかと思ったが、自分が口出しできる事ではなかった。ただ、その気持ちがやはり残っていたのだろう。その後、目を覚ました総司の前で、短い口論をしてしまったのだが。
 だが、その日まで──だった。
 土方が総司を逃がすつもりでいたのは。逃がしてやりたいと口にしたのは。
 その日を境に、土方と総司の関係は一変したのだ。
「……総司?」
 数日後の夕方、少し早めに訪れた斉藤は小さく首をかしげた。
 リビングに総司の姿がないのだ。昼寝でもしているのかと思っていると、寝室の扉が開いた。
 ふり返り挨拶しようとした斉藤は、ちょっと息を呑んだ。
 部屋から出てきたのは土方だったのだ。それも酷く乱れた格好だった。ジーンズはきちんと履いているのだが、黒いシャツは前のボタンを外して羽織っただけ。乱れた黒髪を片手でかきあげながら、土方は眉を顰めた。訝しそうに斉藤を見てくる。
 それに斉藤は苦笑した。
「もうすぐ夜ですよ。夕食もってきたんです」
「……あぁ。後で一緒に食べてやってくれ」
「総司は」
「眠ってる」
 そう答え、土方はバスルームへと消えていった。それを見送り、ため息をついた。
「……眠ってる、ねぇ」
 というより気絶に近いのだろう。どうせ、彼がまた手加減なしに抱いたために決まっているのだ。
 あの日、具体的に何があったか聞いた訳ではない。ただ、総司が逃げようとしたとだけ聞いていた。それから、土方の態度は一変してしまったのだ。あんなにも大切にしていた存在を、まるで壊すように酷く抱いている。
 自虐的な行為なのか、それとも躯で繋ごうとしているのか。傍で見ている斉藤には、それさえもわからなかったが……。
 土方が外出してから一時間程たった頃、再び寝室の扉が開かれた。
「……斉藤さん」
 ダイングの椅子に腰かけていた斉藤に、総司はちょっと目を見開いた。驚いたように歩み寄ってくる。
「もしかして、ずっと待っててくれたんですか?」
「いや、そんなにじゃないから。今……食べれるか?」
「……顔、洗ってきます」
 総司は目を伏せ、踵を返した。その頬に涙の痕を見つけた斉藤は、小さく唇を噛んだ。
 助けてやりたい。
 あんな辛そうな顔はさせたくない。
 だが、自分ではどうする事も出来ないのだ。総司を幸せにできるのは、笑顔にできるのは、ただ一人の男だけなのだから……。
「……ごめんなさい」
 食事の最中、ぽつりと総司が言った。
 それに驚いて斉藤は顔をあげた。手にした箸もとまってしまっている。
「何が」
「山口さんに……そんな顔させて」
「え」
「だって、山口さん、今日……すごく辛そうな顔してる。ぼくを見た時から、ずっと」
 そっと総司が手をのばしてきた。少しひんやりした手が斉藤の頬にふれ、大きな瞳が悲しそうに揺れた。
「ぼくのせい、だよね? ぼくがそんな顔、山口さんにさせてる。本当にごめんなさい……」
「総司……」
「ぼくも、ね。ちょっと疲れちゃって……この頃、全部どうでもよくなる瞬間があるんです。死んじゃいたいくらい悲しくて、いっそ気でも狂ってしまったら楽かなぁって。もしそうなったら、こんなふうに傷ついて泣くこともないのに……」
 総司は目を伏せ、そっと唇を噛んだ。
「とくに、今日みたいな……目が覚めた時、あの人がいなかった日は……」
「隼人さんにいて欲しかったのか?」
「ううん」
 総司は静かに首をふった。
「自分でもわからない。本当はあの人がいたら怖くて、辛くて、もっと傷ついて。あんなにもぼくを傷つけた人だもの、こんな鎖めいたものまで付けさせて、体だけ求めて。あんな人、憎くて憎くて仕方ないのに……なのに……」
 不意に、ぽろりと大粒の涙が頬をこぼれ落ちた。それに、総司は顔をあげた。泣きながら、小さく笑ってみせる。
「何でかな、あの人がぼくの傍にいなかったら……もっと辛いんです。胸が痛くて痛くて、どうしようもなくなってしまう。憎いのに、だいっ嫌いなのに、どうして……」
「……総司」
 斉藤は立ち上がると、総司の傍にいって身をかがめた。優しく両腕で抱きすくめてやる。ぽろぽろ涙をこぼす総司を、まるで子供をあやすように背中を撫でた。
 何も言ってやれない。
 いや、何を言っても駄目なのだ。自分に出来るのはこうして傍にいてやれることだけ。
 本当は、誰にも渡したくなかった。総司を心から愛している土方にも。
 だが、もし自分が総司を得たとしても、幸せにはできないだろう。どんなに愛しても幸せにしてやる事はできない。それは予感というより、確信だった。
(あぁ……そうだ)
 総司の涙を、今日の土方の瞳を見た瞬間、斉藤は知ってしまったのだ。
 憎しみと愛にみちた、二人の暗く縺れ合った繋がりを。
 彼らの手はきつく絡められ、二度と離れることはない。どんな修羅や地獄の中にあっても、彼らは互いだけを求め合うのだ。そこにはもう誰が入り込む余地もなかった。
 約束された、永遠の恋人たち。
 だが、それに対して、斉藤は不思議と悔しいとは思わなかった。
 確かに総司を愛してる。だが、それよりもっと強い感情で、自分は総司の幸せを願っていた。総司が笑ってくれるなら、それだけでいいのだ。それだけで、他にはもう何も望まない。
 ただ望むのは、総司の幸せだけ。
 そのためになら、自分はどんな事でもできるだろう。
 自分でも驚くほど静かで穏やかな気持ちで、斉藤はそう想った。そして、黙ったまま目を閉じると、総司を抱く腕に力をこめたのだった……。

 

 
 
「……愛ってのは幾つも形がありますね」
 そう言った斉藤に、珈琲カップを磨いていた原田が顔をあげた。
 ここは原田が経営するカフェだ。
 総司が拉致され監禁された当初、土方はすぐさま斉藤にこの原田へ連絡をとらせた。余計な心配はかけさせたくないと、気遣ったのだ。
 初め半信半疑だった原田も、斉藤が自分の親友である永倉の同僚だと知ると、すぐ信じてくれた。直接、永倉が事情を説明したという事もあるが。
 それに、もともと原田も元刑事なのだ。勤務中に右足を犯人に撃ちぬかれ、後遺症から走れなくなり引退したのだが。もっとも原田はそんな事を全く気にすることなく、今の仕事の方が気楽でいいと笑っている。
「斉藤にしては、珍しい言葉だね」
 先輩にあたるからか、原田の口調はぞんざいだった。もちろん、斉藤もそれを当然と受け入れている。
「そうですか?」
 斉藤はカウンターの席に坐り、珈琲を飲んでいた。
 それに原田はにやにや笑ってみせた。
「愛、なんて。おまえさんの口から出るとは思ってなかったよ」
「そうかもしれませんね。でも、この頃、よくそう思うんですよ」
「で、おまえもその幾つも形のある愛を味わってる訳かい」
「まぁ、そういう事になりますね」
 小さく呟いた斉藤を、原田は眺めた。
「おまえの場合、どういう形なんだ?」
「おれ、ですか? そうですね……」
 斉藤はちょっと目を細めた。
 脳裏に、一人の少年の笑顔がうかんだ。
「ただ、その幸せを願うってことですか。笑顔でいてくれたらいい、辛いめにはあわせたくない……それだけを願っているんです」
「恋愛じゃないのかい?」
「かもしれません。それに、その相手はもう……他の男のものだし」
 昨日、聞いたのだ。
 ようやく二人の想いが通じあったという事を。
 それを斉藤に告げた時、総司は本当に幸せそうだった。今まで見たこともないような、まるで花がほころんだみたいな綺麗な笑顔だった。
「奪おうとか思わないのかい?」
「まさか。あいつにとっての運命の相手は、彼だけですよ。初めからわかっていたんです。それに……おれは、あいつの幸せだけを願っているから。あいつが幸せでいてくれたら、それでいいんです」
 斉藤の言葉に、原田は小さく首をふった。ため息をもらす。
「? 原田さん?」
「辛い恋だね」
「え?」
「恋愛なら愛して、けど、別れたりで終わりがくるかもしれない。けど、おまえのはずっと終わらない恋だ。ただ見守ってゆくってのは、おまえが想像してる以上に辛いことだと思うけどな」
「それでもいいんです」
 斉藤は小さく苦笑した。
「おれは自分の恋が報われることなんて望んでない。あいつが幸せなら、おれも幸せだ。それだけでいいんです」
「……」
「でも……聞いてくれてありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げた時、奥から原田の妻のまさが出てきた。くりくりした瞳で小柄な彼女が大柄な原田に寄り添うと、熊と栗鼠の夫婦のようだ。
「あら、お客さんに頭さげさせてどうするの?」
 まさは軽口を叩き、にこにこしながら斉藤に「いらっしゃい」と言ってくれた。それに挨拶を返していると、小さな男の子が走り出てきた。たちまち相好を崩し、原田が嬉しそうに男の子をひょいと抱き上げた。
「パパのお髭チクチク、やー!」
 と言われながらも、そのすべすべした丸い頬っぺにキスしてる原田を眺め、まさが幸せそうに笑っている。
 今、斉藤が身を置いている世界から考えれば、信じられないほど平和で穏やかな光景だった。だが、本来なら、総司はここにいるべき人間なのだ。土方や斉藤のように危険な世界にいさせるべきではない。
『……近いうちに、総司を逃がすからな』
 そう土方に言われた時、斉藤は思わず訊ねていた。
『それで、いいんですか?』
 と。
 本気なのか。
 それでいいのかと思ったのだ。
 ここから出してしまえば、二度と逢えなくなってしまう。ようやく想いが通じ合った恋人を、手放せるのかと思ったのだ。
 が、土方は静かな表情で首をふった。
『あいつの……総司のためだ。俺はこれ以上、あいつを巻き込みたくない。いい加減、俺から逃がしてやりたいんだよ』
 土方がそう言った時、斉藤は、この男の中にある総司への想いの深さを知った気がした。
 斉藤が総司を想うよりもっと、土方はすべてを捧げるように総司を愛していた。
 そう──彼にとって、総司はすべてなのだ。自分の命よりも何よりも愛している。それを痛いほど思い知らされたのは、その数日後のことだった。
「──」
 その夜はクリスマスイヴだった。
 一人、行きつけの店で食事をしていた斉藤は、小さく肩を震わせた。ジャケットの中で突然、携帯電話が鳴り出したのだ。慌てて開いた画面に表示された文字に目を見開いた。 
 かねてより決められていたメッセージだった。緊急事態を知らせるものだ。同時に近藤のところへ送信され、突入が命じられるはずだった。
 斉藤は大急ぎで店を飛び出した。店前に停めていた自分のバイクに跨り、急発進させた。それでも状況が知りたかったので、信号待ちの間に電話をかけた。近藤は今頃戦場だろうと思ったので、永倉へ連絡をとった。
「永倉さん! 何があったんですか」
『斉藤か』
 永倉は本庁にいるらしく、周囲でざわめきが聞こえていた。
「突然、緊急の知らせがきて……これ、土方さんですね? おれ、何も聞いてなかったんですが、急にどうして……」
『あの人、撃たれたぞ』
「え……何、ですって?」
『土方さんが撃たれたと言ったんだ。腹部と胸部に二発撃ち込まれて、意識不明の重体だ。今、救急車が病院に向かっているらしい』
「まさか……!」
 斉藤は鋭く息を呑んだ。
 信じられない。頭をガンッと後ろから殴られたような衝撃だった。
 土方はもう長い間、ずっと共に戦い続けてきた仲間なのだ。仕事上だけではない、あの幼い頃出あった時から二人走りつづけてきた──
「どうして、あの人が……」
『ほら、人質になってた子供いただろ? あの子を庇って撃たれたらしいぞ』
「──っ」
 思わずきつく瞼を閉ざした。
 土方の気持ちがわかるだけに、辛かった。どうしてそこまでするんだと叫びたかった。
 自分も総司を愛している。何でもできると思っている。だが、命まで捨てれるかと聞かれれば、正直な話わからなかった。
 実際、もしかすると、目の前にしたら自分も同じことをしたかもしれない。総司を庇ったかもしれない。それでも、必ずできるとは断言できなかった。だが、土方は違っていた。死んでも総司を守り抜くと以前にも言い切っていた。
 そして、本当に言葉どおり、土方は総司のために自分の命を投げ出した。愛するものを守るため、自分のすべてを捨てたのだ。
 生半可な気持ちで出来ることではなかった。口では幾らでも綺麗事を言える。だが、実際、それができる者がどれ程いるのか──
(……頼むから助かってくれ……!)
 祈るような思いで斉藤は唇を噛みしめた。そして、勢いよくアクセルを吹かすと、病院へバイクを走らせて行ったのだった。
 

 

 
 ICUのガラスの前だった。
 その向こうでは、機械に囲まれた土方が昏々と眠りつづけている。
 斉藤はそれを見つめ、きつく唇を噛みしめた。
「……」
 近藤の言葉は偽りであり、土方は助かったのだ。だが、先ほど長時間に及ぶ手術が終わったところで、まだ予断を許さない状態だった。
 手術室からICUへ運ばれた土方に、斉藤は両手を握りしめた。
 頼むから助かって欲しかった。
 斉藤は土方の過去を知っている。あんな悲惨な生い立ちの挙句、ようやく掴みかけた幸せを前に死んでしまうなど、あまりにも救いがなかった。人の一生の間に幸せと不幸が等分にあるとすれば、今までの人生、彼は不幸の比率が多すぎるだろう。
「……土方さん、何が何でも生きてくれ」
 斉藤はICUのガラス越しに眠りつづける土方を見つめ、低く呟いた。
 透明なガラスに、固く握りしめた拳を押しあてた。
「でないと……あなたの大事な総司を貰ってしまいますよ」
 冗談めかしながらも唇が震えた。
 熱い涙が目にあふれ、頬をこぼれ落ちてゆく。拳を口に押しあて、声を押し殺した。
 今、総司は土方がこうして生きている事も知らず、絶望の中を漂っている。だが、それをどうしてやる事もできなかった。近藤の言葉は一理あり、反論さえできなかったのだ。あとは土方が助かり、自分で総司を迎えに行くことだった。それしか、総司を救ってやれる方法はないのだ。
 土方は総司を深く愛し、何もかも奪おうとし、そして自分のすべてを捧げた。
 だが、そんな愛し方、斉藤にはできなかった。斉藤の総司への愛に、欲とういうものは存在しなかった。独占欲、性欲──どんな形であれ、それが全くなかったのだ。奪わない代わりに何も求められない。恋愛と呼ぶにはあまりにも静かで穏やかな想いだった。
 たとえば、もしも総司を失ったら……。
 総司のいない世界で、自分は生きていけるのか。
 その答えは──たぶん、YESだった。深く悲しみながら、それでも生きてゆけるだろう。
 だが、土方はそうではなかった。彼はもう総司がいなければ生きてゆけないのだ。総司を失えば、土方はおそらく狂うか自分を殺してしまうかの、どちらかだろう。
 総司がそうであるように。
「あいつのためにも、生きてくれ……っ」
 斉藤は泣いているのが、土方のためなのか総司のためなのか、自分のためなのかわからなかった。
 おそらく、そのどれもなのだろう。総司を身をもって庇い死にかけている土方も、彼が死んだと聞かされ絶望した総司も、どうしてやることもできない自分も。
 町はクリスマスイヴで賑わっているのに、自分たちはあまりにも悲惨だった。
 このまま土方が死んでしまったら、そう──この世に神はいないのだ。もし本当に神がいるのなら、こんな最悪な結果を迎えるはずがない。
 このまますべてが終わるなんて、土方も総司も、そして自分もあまりにも憐れではないか。
「……っ」
 こみ上げる慟哭に身をまかせながら、斉藤はきつく目を閉じたのだった。
 

 

 
 結論を言うなら、土方は助かった。
 翌日には意識を取り戻し、彼自身の強靭な体力と気力で回復していった。きついリハビリにも耐え、数ヶ月後には仕事へも復帰できた。
 そして、あのクリスマスイヴからきっちり半年後。
 土方はまっすぐ総司に逢いにいったのだ。青空の下、再会を果たした恋人たちがどんなふうに喜びあい、泣いたのか、それは知らない。
 だが、斉藤は静かな気持ちで、総司の幸せを祝福した。心から嬉しく思った。
 そして、そんな自分に微笑んだ。
 土方のように激しく命をかけてまで愛することはできない。だが、自分には自分の愛し方があるのだ。愛するものの幸せを、ただ見守ってゆくという愛の形も。
 それでいいと思った。そんな形が自分に似合っている気がした。
 だからこそ、斉藤はずっとそれからも総司をただ見守りつづけたのだ。友人というスタンスを決して崩さぬよう気をつけながら。
 だが──
「……総司?」
 腕の中、泣きつづける総司に、斉藤は困惑した。
 搭乗のアナウンスがくり返される。斉藤が乗る予定のドイツ行きの飛行機への搭乗も始まっているようだった。そろそろ行かなければならないのだが、こんな総司を放っていく訳にもいかなかった。
 二週間のドイツ研修へ行く斉藤を見送りに来てくれた総司。だが、何があったのか、初めからその大きな瞳は不安げに揺れていた。
 斉藤がいつものように顔を覗きこんだとたん、腕の中に飛び込んできたのだ。そして、子供のように泣き出した。それがたまらなく愛しく、そして、心配だった。
 総司がこうなふうに泣くなど、土方のこと以外ではあり得ないのだ。彼との間に、何かあったに違いなかった。
「……総司、何があったんだ」
「斉藤さん……」
「全部話してみろ、どうせ土方さんのことなんだろう?」
 俯いた総司に、斉藤は辛抱強く問いかけた。それに、総司は長い睫毛を伏せた。
「総司、時間がないんだ」
「……ごめん、なさい」
 総司はのろのろと顔をあげ、涙をいっぱいためた目で斉藤を見上げた。そして、小さく微笑んでみせた。
「今は……話せない。斉藤さんが帰ってきたら、まだ困ってたらその時に……」
「本当だな? それまでにも何かあったら必ず連絡するんだぞ」
「ドイツまで? そんなこと出来ませんよ」
「いいから、ちゃんと電話してくれ」
 斉藤は素早く自分の名刺に研修先で泊まるホテル名と電話番号を書き記すと、それを総司の手に押しつけた。
 その時、斉藤が乗る飛行機の搭乗を促すアナウンスがくり返された。それにふり返った斉藤を、総司は見上げた。
 にこりと笑ってみせた。
「いってらっしゃい、斉藤さん」
「あぁ、……総司」
「心配ばかりかけてごめんなさい。でも、大丈夫だから」
 どこが大丈夫なんだと思ったが、時間もなかったし、意外と頑固な総司がそうそう話すとは思えない。斉藤は嘆息すると、足元に置いていた鞄を取り上げた。
「研修頑張って下さいね。気をつけて」
「あぁ、おまえも……無理はするなよ。じゃあ、いってくる」
「いってらっしゃい」
 そう言ってくれる総司に頷き、踵を返した。搭乗ゲートをくぐる前にふり返ってみると、総司はまだ見送ってくれていた。ふり返った斉藤に気づき、微笑みながら手をふってくれる。それに手をふり返し、斉藤はゲートをくぐった。
 そして、ゆっくりと歩き出していったのだった。

 
 
 後日、斉藤は何度も思ったものだった。
 あの時、見送りに総司が来なければ。いや、それよりも、総司の涙の訳をもっときちんと聞いていれば、あの後おこった悲劇は防げたのだろうかと。
 だが、もう運命は動き出してしまっていた。
 土方も総司も、斉藤も。
 ──誰一人望まなかった形で……。

 

 
 
   ……きみが幸せであるのなら
   他にはもう何も望まない
   だから、祈ろう
   ただ一つの願いだけを、心から
   愛しい総司
   どうか、きみの幸せだけを──……














[あとがき]
 斉藤さんのお話でした。土方さんと斉藤さん、この二人の愛の形は全く違います。どちらがいいとかじゃなくて、どちらも愛なんです。形が違うだけで。
 斉藤さんの切ない気持ちが、少しでも伝わってたら嬉しいんですが。この「かくれんぼの恋」の斉藤さんは、本当に切ないです。土方さんを仲間として男として認め、すごく深い友情をもってるだけに、複雑です。
 最初と最後の空港でのシーンは、本編Uのワンシーンです。予告みたいなもの? 
 このお話を書かせて下さったむーみんさまに、心から感謝します。斉藤さんの気持ちで書けて、とても嬉しかったです。少しでも喜んで頂ければ、尚のこと嬉しいのですが。リクエスト、本当にありがとうございました。


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