気がついたとたん、見慣れぬ天井に戸惑った。
 どこの家でも同じだろうと思うが、意外と、天井は少しずつ違っているものだ。
 総司はそろそろと身を起こし、周囲を見回した。部屋の中は薄暗く、障子も襖も閉じられている。
 夕暮れ時のようだった。障子ごしに茜色の陽が淡く射し込んでくる。
「……」
 いつのまにか躰が清められ、布団の上に寝かされていた。これは、彼がしてくれた事なのだろうか。
 ゆっくりと立ち上がると、腰あたりが気怠かった。
 だが、その事に痛みよりも恥ずかしさを覚えつつ、総司は隣室への襖を開けた。
「総司」
 囲炉裏の前にいた男が、驚いたように顔をあげた。慌てて立ち上がり、柔らかく手をのばしてくる。
「大丈夫か、無理はするな」
「土方さん……」
 そっと凭れかかると、優しく抱きよせられた。それがたまらなく嬉しい。
 土方は総司を抱えるようにして、囲炉裏の前に坐らせた。
 春先だが、陽が落ちると肌寒い。とくに、東山のあたりは山ぞいのためか昼夜の差が激しかった。
「……」
 男の胸もとに凭れるようにして坐ると、ほっと安堵の息がもれた。視線を感じて見上げると、土方が切れの長い目でじっと見つめていた事に気づく。
「? 何…ですか」
「いや……」
 土方は視線をそらした。しばらく躊躇っていたが、やがて、低い声で云った。
「俺を……怖がらねぇんだな」
「え?」
「おまえを手込めにしたんだ。嫌われる、怖がられると思っていたが」
「手込めって……」
 思わず絶句した。


 まさか、そんなふうに捉えているとは、思ってもみなかったのだ。
 だが、考えてみれば当然だった。
 この家へ連れ込まれた時、総司は随分と抵抗した。嫌だと拒み、暴れたのだ。
 それを抑え込み、奥の部屋へ連れ込んで抱いたのは土方なのだ。
 手込めだと思って当然のことだろう。
 だが、総司はそんなふうに思っていなかった。
 彼に抱かれたことを、心から幸せに感じていたのだ。


「違います、そんな」
 総司は大きな瞳で彼を見上げ、はっきりとした口調で云った。
「私は、あなたに手込めなんて……そんな事されていません。自ら望んで、あなたに抱かれたのです」
「自ら望んで?」
 訝しげに土方は眉を顰めた。
「だが、おまえ、俺に別れを突きつけただろう。なのに、その俺に抱かれることを、どうして望むんだ」
「それは」
 総司は唇を噛んだ。
 だが、もう嘘はつけなかった。嘘をつく気にもなれなかったのだ。
「私があなたを好きだから……愛しているからです」
「は……?」
 土方は目を見開いた。呆気にとられた表情で、総司を見下ろしている。
 だが、やがて、皮肉な笑みがその口元にうかんだ。
「そんなもの信じられる訳ねぇだろう。ふざけた事をぬかすんじゃねぇよ」
「土方……さん」
「別れたい、俺と別れたいと言ったのは、おまえの方だ。それが、今更、愛しているだと? そんなもの信じられるか」
 荒々しく吐き捨てた土方に、総司は俯いた。
「信じてもらえないのは……当然です」
「……」
「でも、嘘ではないのです。私が別れを告げたのは、あれは私がもう……堪えられなかったから」
 総司はきつく唇を噛みしめた。それを、土方は酷く冷めた目で眺めている。
 その視線の冷たさに泣きそうになりながら、総司は言葉をつづけた。
「土方さんが無理につきあってくれているの、わかっていたし。でも、それをわかっていながら、ずっと甘えているのが怖くなったのです。必ず近いうちに別れを告げられるなら、いっそ自分の方から別れた方がいいと思って」
「……」
「わかっています、身勝手な考えだと。でも、我慢できなかったの。土方さんが好きで好きでたまらなくて、なのに、私の気持ちがあなたの負担になって、あなたを縛りつけて……そんな私が嫌で惨めで……っ」
「総司」
 低い声が遮った。
 押し殺された声音に、怒っているかと顔をあげれば、土方は眉を顰めていた。どこか戸惑うような表情が、その黒い瞳にうかんでいる。
「おまえの云っていること……わからねぇよ」
「え……」
「俺を縛りつけるとか、負担だとか、いったいどういう意味なんだ。だいたい、俺が無理につきあっていたって、それ、おまえとのことか? さっぱりわからねぇ」
「だって、聞いたんだもの!」
 たまらず総司は叫んだ。ぽろぽろと涙がこぼれる。
「近藤先生と話しているの、全部聞いたの。私が自死するといけないからって、近藤先生に頼まれてつきあうの承知してくれたのでしょう? 我慢して引き受けたのでしょう? それ、全部、聞いたんだから」
「何だ、それ。いったい、何の話だよ」
「とぼけないで! あなたとつきあい出して、ひと月たった頃の事です。あなたと近藤先生が」
「……あぁ」
 ようやく思いあたったらしく、土方は声をあげた。その後、ちっと短く舌打ちすると、煩わしげに片手で黒髪をかきあげる。
「何だ、そうか。そういう事か」
「土方さん?」
「だから、それ、近藤さんに話していた事だろ。近藤さんは、俺がずっとおまえに懸想していたなんざ、ましてや不埒な思いでおまえを狙っていたなんざ、まったく知らねぇからな」
「ふ、不埒なって……」
「こういう事だよ」
 土方は薄く嗤うと、総司を引き寄せ、強引に唇を重ねた。深く唇を重ね、甘い濃厚な口づけで総司を痺れさせてしまう。
「……ぁ……っ」
 唇を離され、小さく喘いだ総司に、土方は口角をあげた。
「すげぇ色っぽいな。おまえのこんな顔を見られる日がくるなんて、思ってもみなかった。子どもの頃から見守って、愛して、けど、ずっと手を出しちゃいけねぇって自分に云いきかせていたんだ。夢の中で何度もおまえを犯しながらな」
「え、え……えぇっ?」
 あまりの言葉に、総司は思わず目を見開いてしまった。
 まさか、そんな事を云われるとは、思ってもみなかったのだ。
 だが、驚く総司の前で、土方は肩をすくめた。
「仕方ねぇだろう。俺はおまえに惚れているんだ、欲しくてたまらねぇんだ。だから、おまえからつきあってくれと云われた時、舞い上がった。そのくせ、怖くもなっちまったんだよ。こんな俺がおまえを汚しても構わねぇんだろうかと」
「汚す、なんて……」
「俺にとって、おまえは無垢で綺麗で宝物だった。夢の中でさんざん汚しておきながら云う事じゃねぇけど、ふれてはならないと思いこんでいたんだ。実際、おまえは俺と逢えば、怯えてばかりいたしな」
「あ、あれは」
 総司は頬をあからめた。
「土方さんのことが好きでたまらなくて、緊張して、何を云ったらいいのかわからなくて」
「……」
「でも、あの……」
 総司はおずおずと土方を見上げた。無意識のうちに男の着物をぎゅっと掴む。
 そんな仕草さえ可愛いなと目を細めている彼に気づかぬまま、言葉をつづけた。
「あの、本当…なのですか? 私のことが、好きって……あの……」
「何度も云っただろう? おまえが好きだって。俺は偽ったことなど一度もねぇよ」
「それは、優しさからだと思っていました。あなたが私のことを気遣って、だから」
「あのな、総司」
 土方は可笑しそうに喉を鳴らした。
「俺がそんな出来た奴に見えるか? 好きでもねぇ相手とつきあう程、お人よしだと思うか? 俺は優しくなんかねぇよ。かなり身勝手な男だと思うけどな」
「そ、そうなの?」
「あぁ。おまえ、俺を理想化しているだろう。俺はすげぇ身勝手だし、強引だし、独占欲も強い男なんだぜ。……その証に」
 ふと、男の声が沈んだ。
 それを訝しく思って見やると、土方は一瞬、唇を噛みしめた処だった。総司の手をとり撫でるようにしながら、低い声で告げる。
「すまない、総司」
「え……?」
「半年前の夜、おまえを茶屋で手込めにしたのは、この俺だ」
「……」
「おまえに、汚らわしいと云われた瞬間、頭に血がのぼっちまった。俺のこともそんなふうに思っている、やはり永遠に手を出すことは出来ねぇのかと、気が狂いそうになっちまったんだ。本当にすまないと思っている」
 そう云って、総司の手を押し戴くようにして頭を下げた土方に、しばらくの間、総司は何も云わなかった。黙ったまま、彼をじっと見つめている。
 だが、やがて、ぽつりと小さな声で答えた。
「知っていました」
「……え?」
「土方さんだってこと、わかっていました。だから、抱かれたんです。土方さんが相手でなきゃ、舌を噛んで死んでいます」
「――」
 顔をあげた土方は唖然とした表情だった。
 その腕の中に、総司は倒れるように飛び込んだ。男の広い背に手をまわし、ぎゅっとしがみつく。
「だい好き……!」
「……総…司……」
「あなたしか好きになれないの。愛しています、土方さん」
「総司……っ」
 不意に、痛いほど抱きしめられた。きつく息もとまるほど抱きしめられ、頬を擦りよせられる。
「俺もおまえが好きだ。おまえしか愛せない」
「土方さん……」
「総司、愛している……」
 男の真摯な、心をこめた言葉に、総司は幸せそうな吐息をもらした。
 そして、ようやく辿り着いた居場所で、そっと目を閉じたのだった。













 それから数日後のことだった。
 土方が荷物を整理していると、斉藤が仏頂面でやってきた。
 そうして、手早く荷物をまとめている土方に、不機嫌そうな声をかける。
「やっぱり、噂どおりですか」
「何が」
「部屋の移動ですよ」
 ふり返った土方に、斉藤は嫌味ったらしい口調でつけつけと云った。
「鬼の副長が権限ふりまわして、自分の念弟である総司を、副長室の隣室に引越しさせたって話。真実だった訳ですね」
「見ればわかるだろう」
 土方は肩をすくめた。
「こうして総司の部屋のものを片付け、運んでいる最中だ。暇だったら、おまえも手伝えよ」
「オレなんかが手伝っても、総司が喜びませんよ」
「よくわかっているじゃねぇか」
 形のよい唇の端をあげて笑う男が、にくらしい。
 とうとう可愛い総司を手にいれてしまった恋敵を、ここでぶすりと刺してやれたら、どれ程すっきりするだろうなどと、物騒な事を考えながら、斉藤は言葉を続けた。
「結局、全部公にしてしまった訳ですか」
「案外その方が上手くいくってわかったからな。悪い虫も寄り付かせたくねぇし」
「一番悪いのは、誰なのです」
「俺だろう」
 まったく悪びれることなく云ってのける土方に、斉藤はもはや何も云えませんという表情で、首をふった。


 土方が総司との関係を公にしたのは、数日前のことだ。
 だが、それは意外にも簡単に隊内に受け入れられた。
 何しろ、あれほど似合いの二人なのだ。文句のつけどころがないというのが、皆の感想だったのだろう。
 それに、何か中傷でもすれば、土方の怒りが怖いというのも事実だった。総司をほんの少しでも傷つければ、ばっさり斬り捨てられかねない。
 まぁ、それはともかく、あまりに似合いの二人に、局長たる近藤が鷹揚に認めている以上、誰も文句を云うはずがなかった。


「土方さん」
 突然、ぴょこんと総司が顔をのぞかせた。
 澄んだ声が甘く、愛らしい。恋人だけに聞かせる声なのだろう。
 その証に、土方は嬉しそうに立ち上がったが、斉藤を見たとたん、総司は「あ」と声をあげて顔を赤くしてしまった。
「ごめんなさい、斉藤さんがいると知らなくて」
「こいつの事は気にするな。いないと思え」
 あっさり斉藤の存在を消し去った土方は、総司の傍に歩みよった。冷徹な副長として振る舞う彼しか知らない斉藤たちからすれば、びっくりするほど柔らかな声で話しかける。
「どうした、何かあったのか」
「うん、あのね」
 総司は細い指さきで土方の胸もとを掴んだ。つま先だちになり、耳もとで何か云っている。
 それを聞いている土方の表情は、とろけそうなほど優しい。


(はいはい、ご馳走さま)


 斉藤はすっかりあてられた気分で、ひらひらと手をふり、部屋を出ていった。
 総司に恋慕していた立場からすれば面白くないが、何だかんだ云っても、総司が幸せで、あれだけ土方に大事にしてもらっているなら、云うことないのだ。
 ごちゃごちゃ口出しすれば、それこそ、恋路を邪魔する者は馬に蹴られろだろう。


 一方、斉藤が出ていった後の部屋では、恋人たちの会話がくり広げられていた。
「土方さん、知っていたの?」
 総司は大きな瞳で、土方を見上げた。そのなめらかな頬にふれながら、土方が問いかける。
「何が」
「だから、私と土方さんの部屋が隣室って云うより、続き間だってこと。あれじゃ同じ部屋と一緒じゃない」
「もちろん、知っていたさ。だから、あの部屋へ引越しさせたんだ。あそこなら周囲に隊士の部屋もねぇし、安心しておまえと好きなこと出来るだろう?」
「す、好きなことって……っ」
 総司は頬を紅潮させ、ぱっと土方から身をひいた。
「屯所では、絶対に駄目ですからね」
「じゃあ、どこでならいいんだ?」
「え、それは……その」
 総司は視線をさまよわせた。それから、ちょっと黙ってから、小さな声で答えた。
「東山の家で、なら」
「……」
 思わず喉奥で笑ってしまった。


 あの家は実際、妾のために用意した訳ではなかったのだ。
 彼の言葉どおり、いろ――つまり、恋人である総司のために用意したものだった。
 むろん、総司を連れ込もうと思っていた訳ではない。
 ただ、総司の躰を休ませるためにと思っていたのだが、今や、療養とはまったく正反対の方向にいってしまっている。
 それも総司自身が望んでいるのだから、おかしな話だと思った。
 もっとも、そういう事なら土方も大歓迎だ。


「なら、さっそく今夜しけこもうぜ?」
 肩を抱きよせながらそう云った土方に、総司は唇を尖らせた。
「だめ。引越しで忙しいのです」
「こんなもの、あっという間におわっちまうよ」
「だって」
「総司」
 不意に低められた声に、総司の肩がびくりと震えた。見上げると、濡れたような黒い瞳がじっと見つめている。
 土方は耳もとに唇を寄せ、なめらかな声で囁きかけた。
「愛しているよ」
「土方…さん……」
「だから、おまえを愛させてくれよ。な? 総司」
 綺麗な笑顔で覗き込んでくる彼は、たまらなく魅力的で、大人の色香が匂いたつようで。


(私って、本当に、この人に溺れている……)


 総司はため息をもらし、こくりと頷いた。
 嬉しそうに笑い、抱きあげてくる土方に慌ててしがみつく。
 そして。
 本当は、土方の方こそ溺れるぐらい愛しきっているという事実を知らない総司は、だい好きな男の腕の中、幸せそうに微笑ったのだった。





















完結です。ラストまでお読み下さり、ありがとうございました〜♪