「……あ」
 扉を開けたとたん、総司は小さく息を呑んだ。
 目の前の光景に、どきりと心臓が跳ね上がる。


(……やっぱり、やめときゃ良かった)


 己の選択違いにため息が出てしまったが、もうどうしようもない事だった。






 土方とのデートは、これで何度めだろう。
 再会してからの回数なのだが、それでも数え切れないぐらいになっている。
 まだ同居していないためか、多忙であるにもかかわらず土方は総司との時間を出来るだけ作ろうと、努力してくれているようだった。
 仕事の合間にかけられる電話やメール。
 休日はもちろん、仕事帰りに落ち合って重ねられるデート。
 そのいつの時でも、土方は待ち合わせというものを酷く嫌った。いつも、電話が鳴って「今どこだ」と聞かれ、場所を答えるとそこまで迎えに来てくれるのだ。
 待っているのが嫌なのだと苦笑する土方に、総司は彼の心の奥にある疵を思って心痛めたが、ただ黙って寄りそってあげる事しか出来なかった。自分のぬくもりがほんの少しでも、彼を癒すことができたらいいと、心から願いながら。


(……でも、今日は大失敗)


 総司はため息をつきながら、カフェの扉に手をかけた。
 迎えに来るという土方をきっぱり断ってしまったのだ。というか、バイト先の店が混み合って忙しく、なかなか抜け出せなかったため、いつになるか時間を決められなかった。
 それで断ったのだが、でなければ、土方は店の前でずーっと総司を待っているのだ。それはそれで、他のバイトの女の子達を喜ばせる事になるだろうが、総司としては全然嬉しくない。
 そのため近くのカフェで待っていてとお願いしたのだが、それに答えた土方の声音はちょっと沈んでいた。それが今、総司にため息をつかせている。
「だって……店の前で待ってて貰う訳にもいかないものね」
 ため息まじりに呟きながら、総司は扉をあけた。
 そこそこの大きさがあるカフェだ。
 公園に面したコンサヴァトリィがあるため、店内はとても明るい。敷き詰められたテラコッタタイルに、パイン材の無垢のテーブル、椅子がおしゃれだった。
 当然、コンサヴァトリィがこの店の特等席なのだが、その一角。
 そこに──土方がいた。
「……っ」
 思わず息を呑んでしまった。


 柔らかな冬の日射しの中、彼は椅子にゆったりと腰かけ、本を読んでいた。
 前髪を、時折、煩わしげに指さきでかきあげる。しなやかな指の間をさらりと流れてゆく艶やかな黒髪。
 形のよい眉。アーモンド形の切れの長い目。
 引き締まった口許は、男の意志の強さをあらわしている。
 コートは脱ぎ、クリーム色のシャツとジーンズ姿で、すらりと長い足を持てあますように組み、椅子の背に軽く凭れかかっている様は、男の色香にあふれていた。
 華があるとでも云うのだろうか。
 その証に、店内の女性の視線はほとんど彼に集中してしまっている。
 正直、その中を歩いていって彼に声をかけるのは、とんでもなく勇気がいった。
 ここで待ってて欲しいと云ったのは総司なのだが、今更後悔しても仕方がない。


(……うぅ、めちゃくちゃ後悔)


 総司は先に彼が気づいてくれないかなぁと思った。
 そうすれば、このカフェから出る事も出来るのだ。だが、土方は何を読んでいるのか本に没頭している。
 仕方なく歩みより、そっと声をかけた。
「……土方さん」
「あぁ」
 土方はすぐさま顔をあげた。それも、はじめから総司に気づいていたような表情だ。
 それに嫌な予感を覚えつつ、総司は彼の前に腰をおろした。何だか、店中からの視線が痛い。
「随分熱心に読んでたけど、何読んでたの?」
「小説。警察の汚職と腐敗を追及するジャーナリストの苦闘!って帯に書いてあったな」
「……現役刑事が読むもの?」
「さぁ、どうだろう」
 そう云ってから、土方はくすっと笑った。
「割合面白いが、おまえが入ってきてからは全然ページ進んでなかったんだぜ?」
「……やっぱり気づいてたんだ」
 ぷうっと頬をふくらませた総司に、土方はくすくす笑った。
 頬づえをつきながら、悪戯っぽい笑顔でこちらを覗き込んでくる彼は、たまらなく魅力的だ。濡れたような黒い瞳に見つめられ、胸がどきどきする。
「こんな処で待たされた意趣返しさ。店の前で待たせてくれたら良かったのに」
「そんなの絶対にだめ」
「何で」
「どうしても駄目なの」
 そう云った総司に、突然、土方がすうっと目を細めた。それに、え?と驚いていると、妙に低い声で訊ねられた。
「……それは、俺に知られたらまずい事があるから、なのか?」
「え?」
「俺に知られたくない事があるから、だから、店に来させたくない。そうじゃねぇのか?」
「え…え、えぇっ? ち、違いますよ!」
 とんでもない誤解をしているらしい土方に、総司は慌てて両手をふった。
 切れの長い目でこちらをじいっと見据えてくる土方は、何だか、幼妻の浮気を疑っている夫みたいだった。そんな様子に、どう弁解したらいいのか、ますます頭がまわらなくなってしまう。
「あなたに知られたくない事があるとか、そういう事じゃなくてっ」
「そういう事じゃなくて?」
「店の前で待たせるなんて、悪いと思ったから……だから、断ったんだけど」
「ふうん」
 土方は形のよい唇の口角をきゅっとあげると、微かな笑みをうかべた。だが、どこか意地の悪い笑みだ。
 それに、総司は唇を尖らせた。
「もしかして……土方さんはぼくが浮気してるって思ってるの?」
「……」
「そんなの絶対あるはずないのに」
 思わずそう云ってから、俯いた。涙まじりの声でつづける。
「ぼくは……土方さんしか好きになれないんだから。どんなに沢山優しくしてくれる人がいても、土方さんがどんなに意地悪でも強引でも、それでも、あなたの事だけ好きで好きで仕方ないんだから……っ」
「総司」
 気がつくと、土方が苦笑しながら、ぽんぽんっと総司の手をかるく叩いていた。それに、はっとして周囲を見回す。
 総司の声は甘く澄んでるので、よく透るのだ。どう考えても丸聞こえみたいだった。
 かぁっと耳朶まで真っ赤にして俯いてしまった総司に、土方は小さく笑った。くしゃっと髪をかきあげてくれる。
「ごめん」
「土方…さん」
「こんな処でそんな事を云わせちまって、本当にすまない。とにかく……出ようか」
「はい……」
 土方が会計を済ませている間、総司はカフェの外にある街路樹の傍で待っていた。ぼんやりと空を見上げながら、さっき云った言葉を思い返す。
「好きで好きで仕方ない……かぁ」
 一年なのだ。
 疑う訳ではないが、彼こそどうだったのだろうとふと思ってしまう瞬間があった。好きで好きで仕方がないのは、自分だけじゃないのかな? なんて。
 総司は思わず、きゅっと唇を噛んだ。
「……総司」
 突然、呼びかけられたかと思うと、背中がふんわりあたたかくなった。後ろから、男の腕の中におさめられる。
 男の腕の中にすっぽりと抱きすくめられ、総司は頬が紅潮するのを感じた。慌てて、きょろきょろと周囲を見回してしまう。
「土方さん……ここ、公道ですよ!」
「わかってるさ」
「それに、さっきのカフェの前。あそこにいた人、きっと見てる」
「構やしねぇよ」
 より強く抱きしめ、頬にキスまで落としてくる男に、総司は思わずため息をついてしまった。
 昔から強引で、外での抱擁もキスもけっこう平気な彼だったが、再会してからは尚更レベルアップしている気がする。
「見せてやりゃいいのさ。あんなに好きだと云われたけど、もっと好きでべた惚れなのは俺の方だって、見せつけてやればいい」
「……え、それって……」
 総司はびっくりして目を見開いた。


 自分の方がずっと、好きで好きで仕方がないって事?


 何でもわかっちゃうんだなぁと、総司は思わず小さく笑った。彼の胸もとへ凭れかかる。
 すりっと身をすり寄せると、土方は嬉しそうに笑ってより深く胸もとに抱きこんでくれた。彼のコートの中は、とてもあたたかい。
「今日はずっと……こうして甘えてたい」
「なら、甘えていればいいさ」
「甘やかしてくれる?」
「あぁ」
 土方は優しい笑顔でそう云うと、総司の躯をくるりと回した。向かい合わせになってから、ちゅっと音をたてて唇に軽いキスをおとし、手を握りしめてくる。
「行こう」
「う…うん」
 相変わらず人目もはばからぬ土方に頬を染めながらも、総司は、そんな彼もだい好き!と、心から思ったのだった。