翌朝、目が覚めた土方は勢いよく立ち上がった。
 いつもの倍以上の速さで身支度を整えると、両刀をがっと鷲掴みにする。大股に部屋を横切り、廊下へと歩み出た。
 切れの長い目の眦をつりあげ、固く唇を引き結んで歩いてゆく土方の姿に、すれ違った隊士たちが慌てて身を退ける。だが、そんな事は全く意識の外だった。
 何しろ、土方はこれ以上ない程、怒っていたのだ。


 夢を見なかった。
 昨夜、総司が出てくるどころか、夢を全く見なかったのだ。


 それが何を意味しているかは明白だった。
 総司は斉藤を選んだのだ。昨日、総司は斉藤に告白され、それを受け入れたのだろう。だからこそ、あの夢を見るのをやめてしまった。そうとしか思えなかった。
 今更、総司に何を云っても、どうなるものでもない。だが、このままでは気持ちがおさまらなかった。
 休息所に連れてゆき、全部ぶち撒けてやりたい。その上で、総司に告白し、拒絶されたら諦めようと心に決めていた。
 もっとも、本当に諦められるのか自信はなかった。逆上した挙げ句総司を押し倒してしまいそうで、そんな自分に少し不安を覚えたが、決意は変わらない。
 総司の部屋の前まで行き、障子に手をかけた。
 ばんっと障子を開くと、総司が驚いた顔でふり返った。土方の姿を見るなり、大きな瞳を瞠っている。
「……え?」
 戸惑ったように呟く小さな声を聞きながら、土方は部屋を横切った。総司の手首を掴み、強引に引き寄せる。
 そのまま歩き出そうとしたのだが、力の加減を間違ったらしく、小柄な躯がよろけた。それを抱きとめたとん、総司がはっと躯を固くしたのがわかった。
「!」
 まるで熱いものにでもふれたように、総司が土方の腕の中から飛び退る。その仕草を見たとたん、土方の胸に苦痛が走った。


 昨日、斉藤にはその躯を素直にまかせていたくせに。
 この俺だと、一瞬でも嫌なのか。
 少しふれる事さえも、俺には許されないのか。


 突き上げる激しい嫉妬を、奥歯を噛みしめる事でやり過したが、胸奥で鈍く燻る。
 そんな土方に気づいているのかいないのか、総司が小さな声で訊ねた。
「あのっ、どうしたのですか?」
「ついて来い」
 自然と声音が低くなった。それに、総司がますます怯えたような表情になり、しまったと思ったが、どうしようもない。
「え、どこへ。土方さ……」
「いいから、黙ってついて来い」
 ぴしゃりと云い放つと、総司は黙り込んでしまった。ここであれこれ云っても仕方がないと思ったのか、おとなしくついてくる。
 屯所を出る寸前、原田に会った。土方の表情を見たとたん何を察したのか、声をかけてきたが、それを無視して通り過ぎる。
 町中を歩いている最中も、土方の傍で総司は身を竦めていた。じっと俯いたままだ。
 それが彼を拒絶しているようで、ますます苛立った。理不尽な怒りだとわかっていながら、どうにも抑えられない。
 だが、総司の躯を気づかうことはまた別だった。病身の総司に無理だけはさせたくないのだ。時折、総司の様子を見ながら、出来るだけ歩む速さをあわせた。
 人とぶつかりそうになれば、その躯をさり気なく庇った。まるで娘にするようだと思ったが、土方にとって、総司が隊随一の剣士になっても、守るべき存在である事は江戸の頃から変わらない。
 しばらく歩いてから、土方は総司に訊ねた。
 着いてからでも良かったのだが、どうしても先に確かめておきたかったのだ。
「……好きなのか」
 総司は意味がわからなかったようだった。それに、自分もかなり気が急いているなと苦笑しつつ、言葉をつづけた。
「斉藤が……好きなのか」
「……斉藤、さん?」
 総司は可愛らしい仕草で、小首をかしげた。さらりと柔らかな髪が細い肩先にゆれる。
「えぇ。大切な友人なので、好きですけど……」
「そうではない。別の意味でだ」
「別の意味って……」
 戸惑うように呟いた総司に、土方はきつく唇を噛みしめた。躊躇ったが、今更話を引き戻す訳にもいかない。
「男として、の話だ」
 それに、総司の目が大きく見開かれた。
 呆気にとられたような表情で、土方を見上げている。まさか、そんな事を云われると思っていなかったのだろう。
 土方は副長であるが、隊士の私的な事にそこまで口だしする謂れはないのだ。ましてや、試衛館時代からさほど親しい間柄でもない。
 それを思ったのか、総司の表情が不意に硬くなった。
「いいえ、違います」
「……」
「斉藤さんは大切な友人です。そんなふうに思った事はありません」
 きっぱりと云いきった総司に、土方は眉を顰めた。
 昨日の光景が頭から離れなかった。友人でしかないと云うのなら、何故、あんなふうに抱きしめられていたのか。ただならぬ関係だという証ではないのか。
 それに、斉藤と関係がないのなら、どうして、昨夜、夢を見なかったのか。
 様々な問いが喉元まで突き上げた。思わず、その一端を口に出してしまう。
「なら、どうして昨夜……」
 云いかけ、不意に唇を噛んだ。
 どうなるものでもないと思ったのだ。あの夢は、自分の思いこみなのかもしれない。都合よく解釈していただけなのだ。
 何も知らない総司に、夢のことなど問いただしても、仕方がないだろう。
 黙り込んだまま、土方は歩みつづけた。幾つかの角を曲がり、小橋をわたってゆく。
 だが、そのうち、総司の様子がおかしい事に気づいた。歩みが異常なほど遅くなり、顔も心持ち青ざめている。
「どうした」
 問いかけた土方に、総司は弾かれたように顔をあげた。
「……い、いえ」
「躯の調子が悪いのか」
「……」
 黙ったまま俯いてしまった総司に、土方は眉を顰めた。己の思惑に囚われるあまり、急ぎすぎたのかもしれない。
 総司に無理をさせたのだと思うと、胸が痛くなった。
「あと少しで俺の家に着く。そこで休めばいい」
 出来るだけ優しい口調で云ったのだが、総司はますます深く俯いてしまった。きつく唇を噛みしめている。
 土方は思わず手をのばし、総司の細い肩を抱いた。とたん、総司がびくっと躯を震わせるが、それに構わず柔らかく抱き寄せた。体調が優れぬのだ。躊躇っている場合ではなかった。
「躯が辛ければ、俺に寄りかかればいい。あと少し辛抱してくれ」
 そう云った土方に、何故か、総司は泣き出しそうな顔になった。瞳が潤み、唇を震わせている。
 その様がいとけなく可愛く──そして、切なくて、往来の真ん中であるにも関わらず、思いきり抱きしめたくなった。


 この小柄な躯を抱きしめ、髪に、頬に、口づけを落としてやれたら、どんなにいいだろう。


 だが、そんな事をすれば、この可愛い白うさぎが逃げてしまう事もわかっていた。
 あと少しなのだ。あの家ですべて話してしまうまでは、どうしても逃がしたくない。
 土方は固く決意すると、総司の肩を抱く手に力をこめた。先程よりは足早に歩き出してゆく。
 どこか抗うような総司を連れていたので、休息所に着いた時は本当に安堵した。ほっとした気持ちで門をくぐり、戸に手をかける。
 そのとたん、だった。
「……いや!」
 突然、総司が鋭く叫んだ。
 いったい何を云われたのかわからず、見下ろすと、総司の顔は真っ青だった。大きく目を見開き、唇を震わせている。
 総司は激しく身じろぎ、彼の腕から逃れようとした。抱きしめる程、狂ったように抗う総司に戸惑う。
「いや、い、ゃ……ここは嫌……」
「総司?」
 土方は総司を宥めようと、その腕を掴んだ。
「どうし……」
「入りたくないのです。お願い、許して……ッ」
 玄関先の騒ぎに気づいたのか、奥からおまさが出てくる気配がした。それに安堵し、ふり返りかける。
 だが、次の瞬間だった。
 不意に総司の躯から力が抜け落ちた。あっと思った時には、まるで花が手折られるように倒れてしまう。
「!? 総司……ッ!
 慌てて抱きとめ、その青ざめた顔を覗き込んだ。
 ぐったりと目を閉じ、失神している総司に、息を呑んだ。
 発作なのか。それとも、何か他に理由があるのか。
「どないしはったん」
 小柄な躯を抱きあげ、中に入ると、驚いたおまさが駆け寄ってきた。
「発作、起しはったんどすか?」
「わからん。とにかく、奥で休ませたい」
「へぇ」
 おまさはてきぱきと布団を敷き、用意を整えてくれた。そこに、総司の躯をそっと下ろす。
 固く瞼を閉ざした総司の顔は青ざめ、痛々しい程だった。
 それをじっと見下ろしていると、おまさが訊ねてきた。
「いったい、何があったんどす」
「俺にもわからんのだ。ここへ連れて来たら、いきなり倒れて……」
 そう答えた土方は、ふと、先程の総司の言葉を思い出した。
 ここは嫌──と云ったのだ。
 入りたくないのだと。
 それはとりもなおさず、総司がこの家を知っているという事だった。知るはずもない家を、いったいいつ見たのか。知ったのか。


(夢の中だ……)


 もはや疑いようのない事実だった。
 総司は、あの夢を見ているのだ。土方と愛しあっている総司は、現の総司なのだ。
 ここにいる、愛しい総司なのだ……。
 何故急に倒れたのか、この家を拒絶したのか、それはわからないが、すべては総司が目を覚ましてからだと思った。
 そして、総司があの綺麗に澄んだ瞳で自分を見てくれたら、もう……逃がさない。
 ずっと愛してきた白うさぎを、決して逃がす事はしないのだ。この手の中にとどめ、抱きしめ、身も心もとろけるほど愛してしまおう。
 あの夢を、現にするためにも。
「……早く目覚めろ、総司」
 そう、低い声で囁いた。手をのばし、総司の髪をそっとかき上げてやる。
 愛しい白うさぎを己のものにできる瞬間が、待ち遠しかった……。















「……土方さん?」
 気がつけば、甘く澄んだ声が彼を呼んでいた。
 それに我に返って答えると、後ろからぎゅっと抱きつかれる。
 耳もとに、桜色の唇がふれた。
「何を考えていたの?」
「あの家で、おまえがひっくり返った時のことさ」
「もうっ、そういう事は思い出さなくていいのです!」
 総司は恥ずかしそうに叫ぶと、小さな拳でぽかぽかと土方の肩を叩いた。それに、「痛いだろうが」と笑いながら(もちろん、全然痛くないが)、可愛い恋人を背負いなおした。



 ───あの日。
 総司が目を覚ましてから、土方はようやく可愛い白うさぎを手にいれた。
 その後、夢ではなく現で、愛しい恋人との幸せな日々を過している。
 それもこれも、土方が労を惜しまず、白うさぎ専用の罠をしかけたおかげだ。もっとも、斉藤の観察どおり、罠にかけるどころか男の方が白うさぎの虜にされているのは明らかだった。近藤などは、昔からの様子で予測がついていたと笑ったが、土方にすれば知った事ではない。


(総司が俺のものになってくれたんだ。それで十分さ)


 土方は背のぬくもりを感じながら、小さく笑った。
 ひやりとした空気が頬にふれ、風が彼の黒髪をさらさらと吹き乱してゆく。
 明け方であるため、まだ人気も少なく、二人にとってそれが幸いだった。もっとも、土方にすれば、別に人に見られても構わぬと思っていたのだが。
「……土方さん」
 しばらく黙っていた総司が、不意に呼びかけた。
 それに、「何だ」と返した。
「あの……無理しないで下さいね」
「無理とは、何が」
「だから、その……重かったら云って下さい。降りるから」
「……」
 無言のまま、低く笑ってしまった。
 今、総司が土方に背負われているのは、昨夜、さんざん愛しあった名残なのだ。降ろそうなどと思うはずがない。



 昨日、いつもの如く、土方は総司と例の家で落ちあった。
 そして、身も心もとろけるほど愛しあったのだ。
 一晩中睦みあっていたため、躯は気怠いが、気持ちは十分に満たされていた。だが、無理をさせすぎたようで、朝、総司は歩く事さえ出来なかったのだ。
 朝、屯所では大事な打ち合わせがある。それに、副長である土方と一番隊組長である総司が欠席するなど、とんでもない話だ。近藤の雷が落ちること請け合いだった。
 ぺたりと褥の上に坐り込み、どうしよう……と涙目になっていた総司は、白うさぎそのものの可愛いさで、また褥へ逆戻りしそうになったが、さすがの土方もそれはぐっと堪えた。
 結局、土方が総司をおぶって帰る事にしたのだが───



「重いものか。軽すぎるぐらいだよ」
 そう云った土方に、総司は小首をかしげた。
「それは、喜んだ方がいいのですか? それとも」
「反省すべきだろう。おまえはもっと食った方がいい」
「でも……」
「賄い方には、おまえの好物を出すよう前から云ってある。それでも食えねぇのか?」
「え、えぇっ?」
 総司は驚き、土方の肩にしがみつくようにして身を乗り出した。
「それ、本当なのですか?」
「あぁ。さすがに朝飯は皆と同じだが、晩飯は他と違うだろう? 気づかなかったのか?」
「一人で食べる事が多くて……気づきませんでした」
「なら、今日から俺と一緒に食事をとろう。俺が……食べさせてやるよ」
 笑みを含んだ声で云った土方に、総司は可愛らしく頬を染めた。
 昨夜の事を思いだしたのだろう。
 夕方逢ってすぐ、たっぷり睦みあったはずなのに、夜、食事を食べさせあいをしているうちに、そのまま畳の上へもつれるように倒れ込んでしまい、また愛されてしまったのだ。
 その時の色々な事を思いだしたのか、恥ずかしそうに男の背へ火照った頬を押しつけた。
「……もう、やだ」
「やだって、何を思い出しているんだ?」
「土方さんの……意地悪っ」
 拗ねていながら、とても可愛らしい声に、土方はくっくっと喉奥で笑った。
 己の背におぶわれ、驚いたり拗ねたりしている総司が、可愛くて可愛くてたまらない。


 ふと、以前、考えた事を思い出した。
 あのまじない玉の事を頼むため、原田の家を訪れた時の事だ。
 仲睦まじい原田とおまさを眺めながら、思った。
 恋しい者と過す幸せ、だ。
 己には縁遠い話だと思っていたが……。


「これこそ……まさにそうだな」
 思わずそう呟いた土方に、総司が不思議そうに呼びかけた。
「土方さん……?」
「いや、何でもねぇよ」
 そう云って、総司を背負いなおし、また歩き出してゆく。
 背に感じるぬくもりが、たまらなく愛しかった。


 時折、頬や耳もとにふれる甘い吐息。
 彼に話しかけてくる可愛い声、肩に感じる細い指さき。
 何もかもが、可愛いのだ。幸せなのだ。


「総司」
「はい?」
「好きだ……愛してる」
 突然、そう云った土方に、総司は驚いたようだった。
 だが、すぐ可愛らしい笑顔になり、土方の肩にぎゅっと抱きついた。頬が擦りよせられる。
「私もだい好き。愛してます」」
 そう囁いてくれた恋人が、何よりも愛おしい。
 世界中の何よりも、可愛い恋人こそが幸せそのものなのだと、土方は心から思ったのだった。












 秋晴れの午後だった。
 かたかた小気味よく下駄の音をたて、おまさは神社の境内を歩いていた。夫である原田と一緒だ。
 本殿でお参りをすませると、おまさは不思議そうに周囲を見回した。
「なぁ、あんた」
「何だい」
「あの、まじない玉……どこで売ってるんやろ?」
 そこは、まじない玉で有名な神社だったのだ。土方と総司の恋がまじない玉により成就したことも、おまさは知っている、
 だからこそ聞いたのだが、原田はちょっと気まずそうに笑った。
「あぁ、あれな」
「うん」
「もう売ってねぇんだ」
「へ?」
 きょとんとするおまさに、原田が答えた。
「実は、土方さんに云われてここへ来たら、もう売ってなかったのさ。あんまり評判で騒ぎになったからやめたとか……」
「へぇっ?」
 おまさは呆気にとられ、夫を見上げた。
「ちょっと待ってや、ほな、あのまじない玉……」
「ま、つまり、真っ赤な偽物って訳だ。おれが道ばたの店で見つけた、ただのびぃどろ玉」
「呆れた! えぇの、そんな事して」
「いいも何も、今更売ってなかったと云えねぇだろ? ま……どうせ迷信だろうと思っていたしな」
「ほな、総司さん……」
 おまさは驚いたように、小さく呟いた。
 しばらく黙っていたが、やがて、ほうっとため息をもらした。何だか、嬉しそうな顔になっている。
 それを、原田が不思議そうに覗き込んだ。
「どうした、おまさ」
「ううん、すごいなぁ……思うて」
「何が」
「恋心やよ」
 おまさは、しみじみした口調で云った。
「ただのびぃどろ玉やのに、総司さん、好いた人をその夢の中に連れて来てしまったんやよ? 恋する一念ってほんますごいわ」
「そうだな」
 原田はくすっと笑った。
「恋は、まじないより強いって事か」
「うん」
「あるいは、白うさぎの一念ってとこだな」
「へ? 白うさぎ?」
 不思議そうに小首をかしげるおまさに、原田は何でもないと笑ってみせた。
 そして、青空の下、神社の境内を二人並んで歩いていったのだった。


















 それは、恋のおまじない
 虹色の夢よりも、いつまでも
 幸せな恋を願う
 白うさぎのおまじない