ある午後の事だった。
その日、新撰組の鬼副長と呼ばれる土方は、同じく三番隊組長である原田の新居を訪ねていた。
小さな家だが、新妻のおまさが毎日綺麗に片付けているだけあり、なかなか居心地がよい。ふと視線をやった庭先では、木洩れ陽が瑞々しい緑にちらちらと揺れていた。
絵に描いたような平和な光景に、ここが殺伐とした京である事さえ、一瞬、忘れてしまう。
原田の表情も、隊にいる時よりずっと穏やかだ。その表情には、恋しい者と共にする幸せがあふれている。
どう考えても、自分には縁遠そうな話だが。
「……」
思わず、はぁっとため息をついてしまった土方を、原田は煎餅をかじりながら眺めた。
そもそも、この男が原田の家を突然訪れてきたという事からして、妙なのだ。
いや、理由はわかっている。とある白うさぎが原田の妻であるおまさと仲が良く、ここへ時々顔をだしている事を土方は知っていた。そのため、あるかもしれない偶然を期待し、通りかかったついでに寄ったのだろう。
だが、残念な事にその姿はなかった。当然それで諦めて帰ると思われたのだが、何か別用があるのか、土方は原田の薦めに応じて家へあがったのだ。
原田は、しばらく観察するように見ていたが、やがて、呼びかけた。
「なぁ、土方さん」
「何だ」
「そろそろ白黒はっきりさせるべきじゃねーの」
「……」
土方は怪訝そうに眉を顰めた。一瞬、隊の事かと思ったのだ。
そんな土方の前で、原田はつらつらと言葉をつづけた。
「惚れた相手と一緒になるのは、いい事だよ。毎日、命を的にしているおれたちだからこそ、一時の幸せが大事だなぁと思うのさ」
「いったい、何の話だ。意味がわからん」
「わからねぇはずないだろ? 総司のことだよ」
「……」
とたん、土方は沈黙してしまった。置こうとしていた湯飲みが、がちゃりと鳴る。
それを面白そうに眺めながら、原田が云った。
「ここへ来たのも、総司がお目当て。いないかなーと思っていた訳だ」
「……原田」
「大丈夫大丈夫、おまさは知っているし、総司は全然気づいてねぇし……まぁ、あんたにすりゃいい加減気づけよって云いたいだろうがね」
「……」
不機嫌そうに眉間に皺を刻んでしまった土方に、原田は思わず苦笑した。
まぁ、不機嫌になる気持ちもわかるものだ。
かれこれ、十年以上前になるのか。
この男が九つも年の離れた少年に一目惚れしたのは。
それ以来、土方は総司一筋で懸命に尽くし、陰から見守り、ずっと愛しつづけてきたのだ。
だが、悲しい事に、その想いは相手に全く伝わっていなかった。総司は土方に好かれているなど思ってもいないようで、それどころか、土方の前に出ると、かちこちに緊張し、まともに目もあわさない始末だ。
「あんたが副長になってからも、そりゃもう涙ぐましい努力を重ねてきたのにねぇ。あれで気づかない方が不思議だと思うけど、あんたもよく我慢してるもんだなと、感心しているよ」
「……悪かったな」
「いや、褒めてるんだよ」
そう云った原田に、土方は肩をすくめた。ぷいっと顔を背けてしまう。
そんな男の姿を、原田はあらためて眺めた。
艶やかな黒髪。切れの長い目に、すうっと通った鼻筋。形のよい唇。
綺麗に整った顔だちでありながら、甘さなど欠片もなかった。研ぎ澄まされた刃のような、男らしい精悍さにあふれている。
道を歩けば、すれ違う女は皆ふり返るほどのいい男ぶりだ。
すらりとした長身に、今は黒い小袖を粋に着流していた。刀を傍に置き寛ぐさまは、とても新撰組副長に見えない。
冷たく傲慢で自分勝手で──と、まぁ、性格の方は少々どころか、かなり問題があるが、それを帳消しにする男ぶりだ。
そんな水も滴るいい男が、昔から、あの小柄で可愛らしい少年に執着している様は、異常なほどだった。あれで気づかぬ総司の鈍感さは、相当のものだとつくづく思う。
「原田」
不意に、土方が呼びかけた。
?と見ると、切れの長い目が鋭い光をうかべ、まっすぐこちらを見据えている。
思わず背筋がしゃきっと伸びてしまった。
「な、何だい」
「おまえに頼みがある」
「へ?」
えらい迫力で云われ、原田は間の抜けた返事をしてしまった。だが、そんな事構っちゃいないのか、土方は真剣な表情で言葉をつづけた。
「まじない玉ってのがあるらしいな。祇園で小耳に挟んだが」
「あぁ、うん」
原田は頷いた。おまさから聞いて知っていたのだ。随分、京で評判になっているらしい。
「それを、総司に渡してもらいたい」
「は?」
「だから、総司にまじない玉を渡して欲しいのだ」
「……ちょっと待ってくれよ」
原田は頭を抱えてしまった。
噂に聞いたまじない玉の効力やら何やらを思い出し、ため息をつく。
「つまり、総司の夢にあんたが出てくるか、試したいって事だろ? けど、そんなもの、どうやって確かめるんだよ」
「別に確かめたい訳じゃない。ただ、何か切っ掛けが欲しいんだ」
「あんた自身で渡せばいいんじゃねーの」
そう云った原田に、土方は苦笑した。
「俺の夢を見てくれと、手渡すのか? あいつが受け取るはずねぇだろう」
「おれからだって無理だよ」
「だから、おまえに頼んでいる。おまさから渡して貰えないか」
「おまさに?」
確かに、それは名案だろうと思った。仲の良いおまさからなら、総司も何の疑いもなく受け取るに違いない。
だが、しかし。
「そんな事するより、おまえが好きだ、惚れてるって云った方が手っ取り早いんじゃねぇの」
「……それが出来るなら、こんな長い間、ただ見てたりしねぇよ」
「あんたも、意外と不器用な人だねぇ」
原田は思わずため息をついてしまった。
だが、忙しい新撰組副長がこんな事のために、わざわざ原田の家に立ち寄ったのかと思うと、無碍にも出来ない。正直、試衛館の頃からずっと総司を見守りつづけている土方に、ちょっと同情していたのだ。
「仕方ない、一肌脱いでやるよ」
そう云った原田に、土方は、この男にしては珍しい笑顔を見せた。
数日後の事だった。
黒谷から戻った土方は副長室で、書類の決裁に追われていた。
夕食をとってからも同じくだったため、ふと気がつけば、窓外から月が覗いている。
「……月、か」
そう呟いたとたん、連想的に兎を思い出した。それも、可愛い可愛い白うさぎだ。
彼にとって、総司は大切な存在だった。可愛くてたまらない、見てるだけでは飽きたらず、笑ってほしい、抱きしめたいとついつい思ってしまう存在だ。
さらさらと絹糸のような黒髪に、綺麗に澄んだ瞳。
なめらかな白い頬。ふっくらした蕾のような唇。
華奢な躯つきから、鈴を転がすような笑い声まで、何もかも信じられない程の可愛さ、可憐さだった。
子どもの頃から愛してきたのだ。見守ってきたのだ。江戸にいた頃はもちろん、京にのぼり新撰組副長として超多忙な日々を送るようになってからも、総司を一番に優先してきた。自分よりも何よりも、総司の事を考え、総司が幸せでいられるよう、そっと見守ってきたのだ。
いつか、この想いが届くことを願って。
さんざん女を泣かせてきたこの俺がと、ふと苦笑してしまう時もあったが、惚れているのだから仕方がない。
総司のためなら、何でもしてやりたい。甘やかしたい、優しくしてやりたい。そう願って、愛して、慈しんで。
だが、悲しいかな、その想いは総司に全く通じてなかった。
それどころか……
今日の昼間の事を思い出し、土方は忌々しげに舌打ちした。
廊下で笑っていた総司。
ぱっと花が咲いたような笑顔。
だが、それは、土方にでなく、他の男にむけられたものだった。総司の友人である、斉藤だ。おそらく、総司の一番身近にいる男だろう。
それだけでも苛立つのに、総司は、斉藤にじゃれたり笑いかけたり、時折、抱きついたりまでしているのだ。友人同士のふざけあいだとわかっていても、斉藤が総司に片恋だと知っているだけに、嫉妬が腹の底から突き上げた。
嫉妬に燃える瞳で睨みつけている土方に気づいた斉藤が、時折、勝ち誇ったような笑みをうかべてくるのも腹がたつ。
いや、何よりも腹がたつのは、斉藤にはさんざん笑顔を見せるくせに、土方に逢ったとたん、瞳に怯えたような色をうかべ、身を固くして俯いてしまう総司の方だ。嫌われているとまでは思わないが、心を許されていない事は確かだった。
そんなに俺が怖いのかよ、と、土方は眉間に皺を刻んだ。
はぁっとため息をつき、手にしていた書類を投げ出した。仕事疲れか、下らぬ事まで考えてしまう己に嫌気がさす。
今日は休もうと、土方は布団を取り出した。布団を敷くと、さっさと着物を脱ぎ捨て滑りこむ。
眠りに落ちる直前、そう云えば、今日、原田の家へ行ったのならば総司はあれを受け取ったのだろうかと思った。
もしも、受け取っているのなら。
あのまじない玉の噂が本当であるのなら。
総司は、今夜、誰の夢を見るのだろう……?
妙に切ない気持ちになりながら、土方は目を閉じたのだった。
それは、淡い花びらに包まれたような世界だった。
夢のように美しく、柔らかで。
どこまでもとけ消えてゆくような、そんな世界。
「あなたを、誰よりも愛しています」
甘く澄んだ声が囁いた。
ふれる細い指さき、桜色の唇。
自分を見つめる綺麗な瞳。
「……総司」
抱きしめた彼の腕の中、総司はそっと幸せそうに微笑んだ。
明け方だった。
土方は布団の中で、ゆっくりと寝返りを打った。
もう目は覚めていた。だが、起きて身支度を整えようとは思わなかった。再び瞼を閉じる。
白っぽい朝の光の中で、夢のつづきを甘く楽しんだ。
……不思議な夢を見たのだ。
妙にはっきりとした、そのくせ、ありえない事ばかりが起る夢。
信じられないほど、幸せな……。
夢の中で、自分と総司は恋人同士のようだった。その証に、総司は土方に微笑みかけてくれたり、「好き」と囁いてくれたりしたのだ。
それに、自分も夢の中では気軽に総司にふれる事が出来た。
笑いかけ、今までずっと我慢してきた甘い言葉を囁き、抱きしめたりしたのだ。
夢なのに、その感触は不思議なほど確かだった。指さきでふれたなめらかな頬の感触も、よく覚えて……
そんな事をぼんやり考えていた土方は、不意に目を開いた。
「……待てよ」
昨日、総司はあのまじない玉を手にいれたはずだった。あれは、噂によれば、好いた者の夢を見られるまじない玉だ。
総司は誰の夢を見たのだろうと思っていたが、もし、土方の夢を見ていてくれたなら、そして、その夢に彼も誘いこまれたのなら……
「莫迦らしい」
土方は思わず苦笑してしまった。身を起し、寝乱れた髪をくしゃりとかきあげる。
そんな都合のよい事があるはずなかった。ましてや、総司があのまじない玉で彼の夢を見てくれるなど。
「ありえるはずねぇよな」
そう呟いた土方は立ち上がり、身支度を整え始めた。小袖を手早く着付けると、顔を洗うために部屋を出る。
井戸端で顔を洗っていると、他の者たちも起きてくる気配がした。挨拶を交わしているのが聞こえる。
土方は桶を戻し、手拭いで濡れた顔や髪をざっと拭った。部屋へ戻ろうと、向きをかえる。そのとたん、息を呑んだ。
「……」
ちょうど、総司が縁側から降りてくる処だった。淡い色合いの小袖を細い躯に纏い、とても可憐で愛らしい。いつも思う事だが、本当に、小さな可愛い白うさぎのようだ。
柔らかな髪からのぞく、小さな耳も。白い肌も。
土方を見たとたん、怯えたように見開かれる瞳さえ……。
「お、おはようございます」
総司は慌てて頭を下げた。それに、土方はさり気ない口調で「おはよう」と応じた。
だが、その日はいつもと違っていた。
顔をあげた総司が、土方をじっと見つめていたのだ。大きな瞳は、何かもの問いたげだ。
訝しげに見返した土方に、総司はさっと頬を染めた。恥ずかしそうに、耳朶まで真っ赤になっている。
それに、土方は驚いた。
まるで昨夜の夢の中のようだ。あの夢の中でも、総司はこうして耳朶まで真っ赤になり、俯いていたのだ。
彼の腕の中で───
「……総司、おまえ」
思わず云いかけた。
昨夜、夢を見なかったかと。俺の夢を見なかったかと、聞いてしまいそうになったのだ。
だが、次の瞬間、総司はぱっと身をひるがえした。それこそ、兎のように素早く走り去っていってしまう。
土方はそれを追いかけようとは思わなかった。だが、ある思いが込みあげてくる。
(総司は、俺の夢を見たのか)
その事を何としても確かめたい、と思った。
それから、毎夜、土方は夢を見た。
総司と愛しあい、仲睦まじい恋人として過す夢だ。
初め、遠慮がちだった総司も、少しずつ彼に馴れてきてくれた。
これが現に繋がっていると察した土方は、夢の中で、決して現の事を口に出さなかった。また、恋人として振る舞うよう努める。何よりも、総司が微笑いかけ、身を寄せてくれるのが素直に嬉しかった。
現では決して得られない、最愛の恋人。
愛してると囁くことさえ許されぬ存在を、抱きしめ、思うさま愛せることは、土方に久方ぶりの幸せをもたらした。
これがたとえ夢幻にすぎなくとも、それでも良かった。土方にすれば、ならいっそ夢を現にしてしまえばいいと、日々決意を固めつつあったのだ。
そのためにも、休息所を用意する事にしたのだ。
それを、またまた原田の家で話した時、原田は「へぇぇ」と驚いたような声をあげた。
もの珍しい動物でも見るようなまなざしで、まじまじと土方を眺めた後、にんまり笑う。
「とことん本気なんだねぇ」
「悪いか」
「って事は、囲っちゃう相手は総司かい?」
「……」
無言で湯飲みを口に運ぶ土方に、原田はにやにや笑った。
「聞くまでもなかったね。けど、うまい事いってるんだ。例のまじない玉を切っ掛けに、自分の気持ちを話す事が出来たと……」
「いや、全然」
「へ?」
「うまくいくどころか、気持ちも打ち明けていねぇよ」
「……」
原田は呆気にとられた。しばらく、土方を眺めていたが、やがて、はぁっと大きくため息をつく。
「土方さん、あんたさ」
「何だ」
「順番、間違えてねぇ?」
「……」
「普通、逆だろー。相手の気持ち確かめてから、休息所とか用意するんじゃねぇの。なのに、まだ総司の気持ちも確かめて……」
「それは確かめた」
あっさり云いきった土方に、原田は思わず唸ってしまった。
さっきから話が、行ったり来たりしている気がするのだ。怜悧なこの男にしてはとんでもない珍しさだったが、これも本気の恋だからこそなのか。昔から、土方は総司の事になると、きっぱり別人になる。
「夢の中で……確かめたんだ」
土方はゆっくりと云った。手の中で湯飲みを弄びながら、僅かに目を伏せる。
男の端正な顔に、夢見るような表情がうかんだ。
「総司は、俺に好きだと云ってくれた。毎晩……夢の中で逢っている」
「……夢って、まさか」
「あのまじない玉だ」
「けど、あれはっ」
「?」
訝しげに見やる土方の前で、原田はぶんぶん首をふった。それから、慌てたように膝を進めた。
「まじで? まじで、総司と夢の中で逢ってるのかい? それ、総司に確かめた訳?」
「確かめてねぇが、初めて夢を見た日から、態度が明らかに変わった。だが……」
土方は肩をすくめた。
「もし、あの夢が本当でないにしても、俺はもう構わねぇよ」
「構わないって」
「待つのにも飽きた。夢を現にしてみせる」
きっぱり云いきった男の瞳は、強い意志を湛えていた。
夢の中で恋人として総司を愛した事により、長年堪えてきた箍が外れてしまったのだろう。欲しいという気持ちに、歯止めがきかなくなったらしい。
原田は、やれやれと首をふった。
「えらくまた思いきったものだねぇ」
「別にたいした事じゃねぇよ」
「総司にしたら、たいした事だよ。いきなり休息所を用意したと云われりゃ、驚くに決まってるだろ」
それに、土方は口角をあげた。
膝に片肘をつきながら、愉しそうに笑ってみせる。
「白うさぎを捕えるには……罠が必要さ」
「……罠、ねぇ」
贅沢な罠だと思った。
だが、この男は、愛しい白うさぎを捕えるためなら、何でもやってのけるだろう。休息所を用意するぐらい、たいした事ではないに違いない。
近いうちに、総司の気持ちを確かめてみようと思いつつ、原田はため息をついたのだった。
