「……もうここへは来ないで下さい」
 そう云った瞬間、総司の中で何かが小さく震えた。









 療養のために用意された家だった。
 小さな、だが、静かな家。
 総司が一人ひっそりと住まう家を、土方はたびたび訪れた。
 そして、気まぐれのように、総司を抱いた。
 とても優しく。
 少しだけ……激しく。
 まるで互いの熱をわけあうような行為は、決して、自分の躯によくないとわかってはいた。
 だが、今までのように同じ屋根の下にいない以上、一緒に戦うことができない以上、彼を引き留める術が他にあっただろうか。
 もちろん、男の躯など抱いてもつまらないに決まっている。
 総司は病のために尚更とけるように華奢になり、柔らかさなど欠片もなかった。挙げ句、二人の行為は快楽よりも苦痛に近く、いつも啜り泣く恋人に、土方は形のよい眉を顰めた。
 だが、それでも、彼は総司を抱いてくれた。
 己の熱を愛を伝えるように。
 深く激しく。
 いつも。


(でも、それも……今日で終わり)


 情事の後だった。
 重く気怠い躯をもてあましながら褥に横たわったままの総司の傍で、土方は手早く着物をつけてゆく。帯がきゅっと締められる音に見あげれば、彼が襟元を整える処だった。
 そのしなやかな指さきがつい先程まで自分の肌にふれていたのかと思うと、躯の奥がじくりと疼く。
 だが、それを心の奥底に押し隠した総司は、掠れた声で云った。
「もうここへは来ないで下さい」
 恋人の言葉に、土方は驚いたように視線を落とした。僅かに眉を顰める。
「……何故だ」
「嫌になったからです」
「何が」
「土方さんのこと」
 そう云いきった総司に、土方は切れの長い目をむけた。その深く澄んだ黒い瞳にある感情が、なぜだか読みとれない。
 しばらく黙ってから、土方は置いてあった刀へ手をのばした。それを掴みとりながら、低く問いかける。
「俺が嫌になったという事か」
「そうです」
「理由は」
「……わからない。ただ、こうして抱かれるのも、訪ねてこられるのも、何もかもがたまらなく嫌になったのです」
 つとめて声音をきつく強めた総司を、土方はまた見つめた。
 それをじっと見つめ返した。


 濡れたような瞳だ……と思う。
 指さき一つまできれいな人だが、何よりも美しいのはその黒い瞳。
 黒曜石のような瞳に見つめられるたび、いつも胸がしめつけられた。恋しくて恋しくて気が狂いそうになった。
 ずっとずっと昔から。
 それこそ逢った時から、恋した。
 この世の誰よりも愛しいと、想った。
 だけど……それも今日で終わり。


 黙って唇を噛みしめた総司に、土方も何も云わなかった。無言のまま静かに踵を返すと、部屋を出ていってしまう。
 襖の向こうで、玄関の戸が微かに鳴った。
 おそらく土方が家から出ていったのだろう。
 そして、二度とここへは訪れない。
 さんざんつくしてきた恋人にあんな事まで云われて、彼がここを訪れるはずもなかった。
 総司にはいつも優しかったが、土方は本来とても矜持が高く、冷たい残酷さも持ち合わせた男なのだ。第一、そうでなければ新撰組の副長など務まるはずもない。
 己を拒む恋人など、激務の間をぬって逢いにくる必要はなかった。彼には、幾らでも女が寄ってくる。
だいたい、初めから酔狂にも総司へ手を出す必要などなかったのだから。





 そんな事を、つらつら思いながら、総司は目を閉じた。
 涙があふれそうになったからだ。
 だが、もう既に手遅れで、後から後から涙があふれた。頬をつたい落ちてゆく生温かい涙。
 それが何故だか心地よく思えた。





 あの人を……鎖から解き放ってあげた。
 こんな病もちで足手まといの恋人から、自由にしてあげる事ができたのだ。
 それは、心から喜ぶべきこと。

 なのに……どうしてだろう。
 なぜ、私は今、泣いているの?
 もう罪悪感や後ろめたさに震えることもない。
 あの人をがんじがらめの鎖で繋ぎ止めてきた私自身の醜さを呪い、嫌悪することもない。
 苦しみからは逃れられたのだ。
 私自身も土方さんから解放され、身軽になれたのだ。
 後はただ……そう、人知れずひっそりと一人朽ちてゆけばいい。それだけで、いい。
 泣く必要などない。資格もない。
 これは、私自身が望んだことなのだから……。






 総司はのろのろと両手で顔をおおった。奥歯をきつく噛みしめる。
 それでも、嗚咽がもれた。
 泣き声がもれた。
 あとからあとから、涙があふれた。
 冬の冷たい部屋の中に、泣き声はいつまでもつづいた。





       ……ほら、喜びなさい。

       私も彼も、もう自由だ。
       枷も鎖からも、解き放たれた。

       なのに。
       どうして。

       私は今……泣いているのですか?
















 目を覚ますと、昼過ぎだった。
 昨夜泣きつづけた為か、躯が普段よりも重く気怠い。
 総司は泣き腫れた目をこすりながら、起き上がった。褥をたたみ、のろのろと小袖に着替える。
 世話にきてくれる小女は、土方が訪れた時に帰したため、今日の夕餉頃まで来ないはずだった。
 どのみち朝どころか昼飯もとる気にはなれないのだ。
 総司は白地の小袖を着流しにすると、窓傍の壁にもたれかかった。
 冷たい冬の空気が入ってくるのはわかっていたが、そっと障子を滑らせてみる。
「……あ」
 いつのまに降ったのだろう。
 外は、ひっそりと雪景色にかわっていた。純白が目に眩しい。
 それと同時に、ひやりとした空気が部屋の中へ忍び込み、総司は微かに身震いした。
 その時だった。
 玄関の方で戸が引かれる気配がした。誰かが訪れてきたのだ。
 隊士の誰かだろうかと思いつつふり返った総司は、目を見開いた。
「──」
 音もなく襖が開いた次の瞬間、見慣れた男が部屋の中へ入ってきたのだ。しかも入ってきたとたん、部屋の冷たい空気に気づいたらしく、形のよい眉を顰めている。
「……何だ、この寒さは」
「え」
「火おこせよ。それに障子なんざ開けるな。部屋が尚更冷え切っちまうだろうが」
「は……はい」
 慌てて障子を閉めた総司に、土方はため息をついた。刀を置いてから、腰を下ろす。
 そのまま何も云わず火鉢を引き寄せると、手早く火を起こし始めた。やがて、あたたかい柔らかな空気が部屋の中をみたし始める。
 しばらくの間、そんな男の姿を眺めていた総司は、小さな声で云った。
「私……昨日、云いませんでしたか」
「え?」
「昨日、ここへはもう来ないでと云ったはずなのですが」
「あぁ」
 土方は何という事もないように頷いた。
「そうだな」
「あなたが嫌になったからと、ここへ訪ねてこられるのは嫌だと……はっきり云ったはずです」
「確かに聞いたよ」
「じゃあ、どうして」
「俺は何も答えていない。もう訪れないなんて、云った覚えはねぇな」
「……」
 もっともと云えばもっともの言葉に、総司は慌てて昨日の会話を思い出した。
 確かに、彼は何も答えなかった。
 でも。
「嫌と云われても、来るのですか」
「実際、今来ているだろう」
 土方は火箸で灰をつつきながら、云った。僅かに目は伏せられ、その黒い瞳は総司を見つめていない。


 だが、何故だか、心の奥底まで見透かされている気がした。
 どうして、あんな事を云ったのか。
 喜びと悲しみと、苦しさと。
 総司自身の葛藤も何もかも……彼は知っている気がした。


 黙って俯いた総司に、土方はようやく顔をあげた。
 静かな声が問う。
「昨日……泣いただろ?」
「……」
「どうしてわかるかって? その泣きはらした顔を見れば、一目瞭然さ」
 くすっと笑った土方に、総司はきゅっと唇を噛みしめた。
 それに、土方が手をのばし、総司の細い躯を柔らかく引きよせた。微かに抗ったが、そっと髪を撫でられれば、おとなしくなってしまう。
 目を伏せると、耳もとに彼の吐息がふれた。
「……そんなに俺から離れたかったか」
 低い声が囁きかけた。
「だが……残念だったな。生憎、俺はおまえが思っているより、ずっと執拗で嫌な男なのさ」
「……」
「嫌がれば嫌がるほど、追いかけたくなる。それに、一度自分のものにしたものを手放すのも、すかねぇ」
 黙り込んでいる総司の躯を、土方は優しく抱きすくめた。
 微かに掠れた声が、告げる。


「悪い男に捕まったと思って……観念しな」


 男の言葉に、総司の目が微かに見開かれた。


 やはり、この人は全部わかっていたのだ。
 私の罪悪感も何もかも。
 その上で、告げてくれる。
 引き留めているのは、私ではない──と。
 足枷を鎖をからませているのは、自分の方なのだと。
 そう告げることで、少しでも楽にしようとしてくれている。
 泣きたくなるくらい。
 優しく……愛してくれる。


 総司は静かに躯の力を抜くと、男の胸もとに凭れかかった。
 もう失ったと思った──けれど、こうして再びあたえられたぬくもりに躯中が歓喜する。
 熱く激しく歓喜する。
 今ならば、快楽を得ることもできるだろうと思った。





 満たされぬ行為の中で罪人となるのも、二人ともになら怖くはないのだから───





「……抱いて」
 そう囁いた総司に、土方は微かに笑った。
 濡れたような黒い瞳が、恋人の瞳を覗き込む。
「いいのか」
「私はあなたのものなのでしょう? それをわからせて」
「昨日の今日だ。壊しちまうかもしれねぇぞ」
「いっそ……壊して」





 壊れるまで、抱いて。
 私の中にある愛も涙も罪も、みんなみんな壊れてしまうまで。


 そして。
 あなたに壊された私の欠片の中から、一つだけそっと拾い上げて欲しい。
 欠片となった私でも。
 きっと、いつまでも息づいているはずだから。







       その欠片が
       どうか、あなたへの愛であることを
       願って……



















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