一番だと云って欲しかった。
 この世の誰よりも。
 おまえが一番好きだと。
 一番大切なのだと。
 だけど、あの人がそんなこと云ってくれるはずもないから。
 だから。
 突き飛ばして、逃げた。
 驚くあの人にむかって、叫んだ。


 この世の誰よりも
 あなたが一番、嫌い








「あ」
 小さく声をあげたとたん、唇を塞がれた。
 もちろん、唇でじゃない。
 それでは接吻だ。
 総司のふっくらした桜色の唇をふさいだのは、彼の指だった。
 爪の形まできれいな指。
 それが軽く総司の唇をふさいだ。



 そのことに、総司はむっとして眉を顰めた。思わず口を開けると、彼の指にがりっと歯をたててやる。
「……つッ」
 小さく呻き、土方は手をひいた。
 が、すぐに苦笑しながら、総司の方を見やる。
「機嫌悪いのか」
「そういう問題じゃありません」
「なら、どういう問題だよ」
「私に勝手にさわらないで」
 そう云った総司に、土方は深くため息をついた。
 しょうがねぇなぁと云わんばかりに肩をすくめると、突っ立ったままの総司を放っておき、部屋の奥へ入った。畳の上へ腰をおろし、行儀悪く片膝をたてて抱え込む。
 外出先から帰ったばかりなので、黒い羽二重の羽織に、小袖、仙台袴という正装だった。
 そんな凜とした格好の彼がちょっと自堕落な様を見せるところは、悔しいぐらい格好いい。
 でもって、そこがまた苛立つ。
 総司が大きな瞳で睨みつけていると、土方はごそりと懐から何かを取り出した。
 二、三度手の中で転がしてから、悪戯っぽい瞳でこちらを見あげてくる。



「これ、欲しいか?」
「欲しいも何も、ものがわからないのにそんな事答えられません」
「相変わらず理路整然で」
 くすっと笑ってから、土方は包みをかるく開いてみせた。
 中から覗くのは、綺麗な京菓子。
 それも、前々から総司が好きだと云っていた店のものだ。
「ほら、欲しいだろ?」
「お菓子でつるつもりですか」
「そんなつもりはねぇよ」
「じゃあ、どうして」
「黒谷で貰った」
「嘘ばっかり」
「あぁ、嘘だ」
 平然と答えた土方に、総司は唇を噛んだ。
 まるで、からかわれているようで、彼との言葉遊びに尚更気持ちがささくれ立つのを感じる。
 くるりと背をむけたところへ、いつのまに立ち上がってきたのやら、素早く手首を掴まれた。不意に感じた彼の手の熱さに、どきりとする。
 背中から抱きしめるようにして、訊ねられた。
「いらないのか」
「いりません」
「菓子が?」
「そうじゃなくて」
「なら……俺が?」
 そう訊ねた土方に顔を覗き込まれ、総司は目をそらした。



 何と答えればよいのか、わからない。
 でも。
 今朝、酷いことを云ったのは私だから。
 これ以上、もっと酷いことを云ってしまう前に逃げ出したかった。
 この人に莫迦な子どもだなぁとか、情けないなぁとか、そんなふうに思われたくなかった。
 ……もう。
 一番好きなんか望まないから、せめて。
 一番嫌いにだけは、ならないで欲しいから。



 黙ったままの総司の気持ちを、わかっているのかわからないのか。
 土方はどんどん追い討ちをかけてきた。
「……俺が、いらねぇのか?」
「そん、なの……」
「総司」
「きまってる」
 そう答えた総司に、一瞬だけ、土方は顔を強ばらせた。
 だが、すぐに総司の手へ菓子の包みを押しつけると、傍から離れる。
「悪かった、すぐ出てゆくよ」
 そう云われて思い出してみれば、ここは総司の部屋だった。
 朝、喧嘩してからすぐに黒谷へむかい、夕刻になってようやく帰営した彼。
 忙しいだろうに、疲れているだろうに、わざわざ総司の部屋まで訪ねてきてくれた。
 朝の酷い言葉には何もふれず、優しく微笑みかけてくれた。



 なのに。



「……ちがう、の」
 廊下へ踏み出した土方の耳に、小さな声が届いた。
 ふり返れば、総司が顔を真っ赤にしたまま、俯いていた。
 その細い手がのろのろとのばされ、土方の袂をぎゅっと掴んだ。
「総司?」
「だから……ちがうの。ちがう」
「違うって、何が」
「土方さんがいらないって、事じゃない……っ」
 ふるふると首をふった。耳朶までもう真っ赤だ。
 それを見て、土方は総司のことを「あぁ、可愛いな」と思った。



 可愛くて可愛くて、たまらない。
 強情で意地っぱりで、わがままで。
 だけど、本当は。
 とてもとても素直な総司。



「土方さんにいて欲しいの、行かないで欲しいの」
「……」
「土方さんが私にはいるっていうのは、その、きまってる事だから」
 総司がたどたどしく、だが、一生懸命に自分の気持ちを告げる間、土方はじっと黙ってそれを聞いていた。
 言葉が途切れた後も黙っている。
 それに総司が不安になって見あげたとたん、低い声が呟いた。
「……そうか」
「うん……」
「本当は、そう云いたかったんだな」
「うん」
「わかったよ」
 土方は微笑み、後ろ手に障子を閉めた。それで、もう出てゆくのをやめたのだと知り、総司はほっとする。
 その気持ちが顔に出たのだろう。
 彼の笑みがより深くなった。それから、右手をのばして総司の躯を引き寄せる。
 柔らかく胸もとに抱きしめてやり、髪を撫でた。
 まだ赤い耳もとに唇を寄せて、甘やかな声で囁きかけた。
「おまえがさ」
「うん」
「俺のことをこの世で一番嫌っててもな」
「あ」
 はっとして総司は顔をあげた。
 今朝、自分が告げた言葉をくり返され、桜色の唇が震える。



 まだ誤解はとけていない。
 そんなつもりじゃなかったのに。
 あれは本心じゃなかったのに。
 ただ、彼の気持ちがわからなくて悲しくて。
 一方方向の想いが辛くて、その淋しさを彼に向けただけ。
 だから、謝らないと。



 総司は慌てて、彼の腕を掴んだ。白い指がぎゅっと着物を掴んで、皺になる。
 何か、言葉を紡ごうとした。
 それを押しとどめ、土方はまた桜色の唇に指を押しあてた。
 今度は、総司も噛まない。ただ目を瞠ったまま、彼を見あげた。
 そんな若者に、優しく微笑みかけた。
「……それでも」
「……」
「それでも、おまえは俺のことを一番好きなんだって、わかってるから」
「──」
 総司の目が見開かれた。
 呆気にとられた顔で彼を見あげている。
「……土方さんのこと、一番…好き?」
「だって、そうだろ?」
 あたり前の事のように答えてくる土方に、びっくりしてしまう。
 それから、小さな小さな声で云った。
「何で……そんな事わかっちゃうの?」
「そりゃ、俺もおまえがこの世で一番好きだから」
 即答されて、総司は長い睫毛を瞬かせた。
 ふっと唇を噛んでから、それから、また彼を見あげた。
「嫌いじゃなくて?」
「あぁ、もちろん」
「本当に、本当に……一番、好き?」
「好きだよ」
 はっきりとした、よく透る声で答えてから、土方は苦笑した。
 くしゃっと片手で総司の髪をかきあげてやる。
 ちょっと身をかがめた。
「だいたいさ、そんなの……あたり前だろ」
 土方はくすくす笑いながら、腕の中の総司をぎゅっと抱きしめた。
 それから。
 縋るような、甘えるような。
 まだちょっと拗ねてるような。
 そんな総司のきれいな瞳を覗き込んで、こう囁いたのだった。



「俺は、おまえの恋人なんだから」



 とろけそうなぐらい、優しく甘く

 私の頬に、接吻を落しながら
 そう笑ってみせた、あなたが

 この世の誰よりも一番、嫌いで嫌いで



 ………だい好きです












 

[あとがき]
 ちょっとリハビリ的な小咄で。久しぶりの幕末ものです。他のどのシリーズでもないお話。いえ、実を云うと、お礼SSで書いた「月だけが見ている」のつづきでもあるのです。


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