月明かりの美しい夜だった。
 そのため、普段なら闇に包まれるだろう山道も、仄かに白くうかびあがっている。
 白い小袖も。
 男が握りしめた細い指さきも。
 ふり返ってみた、その儚げな美しい姿は、月明かりにとてもよく似合う気がした。
「……綺麗だな」
 思わずそう呟いた土方に、総司は視線をあげた。ついと月の方へ目をやりながら、頷く。
「そうですね」
 だが、それに、男は僅かに苦笑した。掴んだ細い指さきを口許へはこびながら、低い声でつづける。
「おまえが……綺麗だ」
「……」
 微かに、その目が見開かれた。
 さっと頬に朱が散ったのは、羞じらいか怒りか。


(どちらでも構うものか)


 この存在が傍にあるのなら。
 体面や矜持のために己を偽りつづけてきた日々を思えば、こうして、素直に気持ちを吐露できる今の方が、いっそ幸せだ。
 たとえ、それが総司の幸せを奪いさるものであっても。
 そこに、総司の意志がなくとも。
 もう……戻る事はできないのだから。


 土方は目を伏せると、薄く嗤った。












 京を離れて幾日が過ぎていた。
 追っ手は、どこまで迫りつつあるのか。
 出来る事なら、今夜は早めに宿をとり休ませてやりたいと思っていた。総司の白い頬が透き通るように青ざめ、見た目にも調子が悪いとわかっていたのだ。
 だが、状況が許さなかった。
 この山を今日中に越えなければ、追っ手に迫られてしまうかもしれない。だからこそ、少し無理をしてしまったのだが。






「……すまない」
 不意に、そう云った男に、総司は細い眉を顰めた。
 少し躊躇ってから、桜色の唇を開く。
「それは……先程の言葉に対しての謝意ですか」
「違う」
 土方は嘆息し、片手で前髪をかきあげた。
「今夜の事だ。無理をさせすぎた……挙げ句に、どうやら野宿のようだ」
「野宿……」
「すまない。とりあえず休もう」
 そう云って、土方は総司の手をひいたまま、道ばたから林の中へ分け入った。
 幸いな事に、ほんの少し入ったそこは苔の地面であり、疲れた総司の足を柔らかく受けとめる。
 土方は一本の大木を選ぶと、その根元に両刀を置いた。腰をおろし、樹木の幹に凭れかかる。
 そうして、戸惑い立ちつくしたままの総司を見上げた。ゆっくりと、片手をさしのべる。
「……来いよ」
「え」
 総司の目が見開かれた。
 それに、土方は微かに苦笑した。
「立ったまま眠る気か? 俺に凭れた方が楽だろう」
「……」
 総司は彼の言葉が理解できないようだった。或いは、今の状況を理解したくないのか。



 婚礼の日、土方が浚ってから今日まで、二人ともに逃げてきたが、恋人らしい行動に出た事がなかったのだ。口づけも抱擁も、京を離れた日の時のみだった。
 互いのぬくもりさえ、忘れかけている。
 何よりも、土方は総司の幸せも何もかも奪い去り、無理やり連れ去った男なのだ。
 破滅へと堕しいれた、憎むべき相手。
 その男と身を寄せあって夜を過ごすなど、潔癖で頑なな総司が受け入れられるはずもなかった。



「……私に……どうしろと」
 やがて、絞り出すような声で問いかけた総司を、土方は見つめた。
 しばらく黙ってから、静かに答えた。
「ここへ来ればいい」
「……」
「確かに、おまえはそれを良しとしないだろう。今の状況も何もかも、悪夢のように思っているのかもしれん。だが、俺はおまえを手放す気はない」
「土方さ……」
「おまえはもう、俺と逃げつづけるしかないんだ」
「! そんな事……今更……っ」
 総司が激しく顔を背けた。きゅっと桜色の唇が噛みしめられる。
 綺麗な横顔を見つめながら、土方は容赦なく言葉をつづけた。
「今更と思うなら、おまえも諦めろ」
「……」
「夜は冷える、俺は地面におまえを寝させる気などない」
 男の言葉に、総司は深く俯いてしまった。何かを堪えるように、両手を握りしめている。
 月明かりの中で震える細い躯を、今すぐ抱きしめてやりたい衝動を覚えながら、土方はもう一度手をさしのべた。
 できるだけ怖がらせないよう、まるで子どもに対するような柔らかな声音で。
 囁いた。


「……おいで」


 声もなく、総司が喘いだ。
 こちらを見つめる男の優しい瞳に、細い躯を震わせた。一瞬、どこか激しく痛むような表情をうかべたが、それはすぐかき消された。
 怯えと不安を含んだ瞳で見つめ返し、躊躇いがちにだったが、歩をすすめた。
「……」
 あと一歩という処で、土方が不意にその手首を掴んだ。
 まるで小鳥でも捕らえるように腕の中へ浚うと、そのまま膝上に抱きあげてしまう。
「や……!」
 思わず抗った若者を、きつく抱きすくめた。
 久しぶりに感じたぬくもりに、腕の中にあるあまりに細い躯に、男の奥に潜む獰猛な獣が牙を剥きそうになる。
 いっそ、このまま貪りつくしてしまいたかった。まだ男を知らぬこの細い躯を開かせ、自分を受け入れさせたなら。
 それは今まで味わった事もない、快楽に違いないだろう。
「……っ」
 だが、土方はその昏い衝動を理性で押え込んだ。きつく奥歯を食いしばりつつ、総司の柔らかな髪に顔をうずめる。
 男の中で身じろぐ獣の気配を感じとったのか、総司が細かく震えていた。その怯えた様子がまた、男の嗜虐心と保護欲を煽る。
「……そんなに怯えるな」
 掠れた声で囁いた。
 それにさえ、びくりと震える総司がたまらなく愛しい。
「こんな処で何もしやしねぇよ」
「土方…さん……」
「もう、眠れ。こうして俺に凭れれば、少しは楽だろう」
 土方は僅かに息を吐くと、両膝をゆるく開いた。その間に総司を坐らせ、すっぽりと両腕で抱きすくめてやる。
 己自身は樹木の幹に背を凭せかけ、瞼を閉ざした。
 腕の中、総司はまだ震えている。
 己の中で未だ息づいている獣の気配を感じているのか。
 それとも、憎い男の腕の中で眠らざるをえない、屈辱なのか。
 だが、土方自身も、眠れるかどうかわからなかった。
 何一つ、もう──わからないのだから。


(この先の事も、総司の気持ちも……俺自身の気持ちさえも)


 総司を腕に抱いたまま、そっと夜空を仰いだ。
 そこには、白い月が美しく輝いていた。
 柔らかな光を放ち、闇を仄かにうかびあがらせる。
 まるで、昏い夜の底を彷徨う二人を導くように。
 だが、土方はそれを拒むように頭を傾け、固く瞼を閉ざした。


(……何も望まない)


 柔らかな導きも、希望も、幸せさえも。
 すべてを捨て去ったからこそ、この愛しい存在を得ることができたのだ。
 気も狂わんばかりに愛した、一人の若者。
 総司のためなら、何もかも捨て去っていいと思った。何を奪われてもかまわなかった。
 だからこそ、逃げたのだ。奪ったのだ。
 破滅の恋だとわかっていても、尚。


 すべてと引きかえに手にいれた恋人を、二度と離すつもりはなかった。
 逃がすつもりもない。
 もう戻る事のできぬ、この道なのだから……。


 土方は総司の細い躯を抱きすくめたまま、ゆっくりと唇の端をつりあげた。
 己の奥深くで息づく昏い歓びに、嗤う。


 そうだ。
 導きも、明かりも、光も望まない。
 あるのは、ただ闇ばかり。
 破滅の恋へと、ふたり抱きあったまま堕ちてゆくだけだ。





「……愛してる、総司」


 囁いた彼の腕の中、総司がまた小さく震えた。
 それが怯えなのか、悲しみなのか、従順さなのか。
 わかりえなかったが。
 それでも。


(おまえ以外、望まない……)


 土方はそう心に呟くと、愛しい恋人を静かに抱きしめたのだった……。





















破滅の恋












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