宴の夜だった。
 角屋で、総揚げだと騒ぐ隊士たち。いつもの賑やかな喧噪。
 酒の匂いに、女達の嬌声。
「……」
 それらに総司は細い眉を顰めた。きつく唇を噛むと、誰にも気づかれぬように宴から抜け出てゆく。
 だが、その姿に誰かが気づいたとしても、咎めはしなかっただろう。
 まもなく美しい妻を娶る潔癖な若者が、こういう場所を嫌うのはよくある事なのだ。
 しかし、そうではなかった。総司が席を外した理由は違っていた。
 理由は──ただ一つ。
 ただ一人の男に起因していたのだ。






 宴から抜け出した総司は、ふと足をとめた。
 廊下の端に佇み、細い頤をあげる。
 その瞳には、美しい月が映されていた。
 まるで月の精の化身のようなその姿だが、総司自身は己を清らかだとも美しいとも、思っていなかった。
 むしろ───
「……」
 月を見つめたまま、うすく笑った。






 あと、三日だった。
 三日後には、自分は婚礼を挙げ、その場で運命は決するのだ。すべて、己自身が決めた事だった。
 事の次第を知れば、人は非難するだろう。酷いと罵るだろう。だが、そんなこと構わなかった。何を云われても平気だった。
 己の求めるものの為ならば、何を裏切っても構わないのだ。
 誰を裏切っても。
 それが、たとえ……愛する彼であっても。



 愛とは、なんて身勝手なのだろう。
 この愛の為なら、どんな罪でも犯してみせる。
 そう。
 彼を──あの人を。
 私だけのものと、できるならば……。



 総司は、うっとりと夢見るような瞳で月を見つめた。
 その桜色の唇が、花のような笑みをうかべる。



 自分自身の手で。
 最愛の男を罠にはめ、陥れようとする己の残酷さに。
 その酔いしれるような幸福感に。



 総司は、心から笑った。












 婚礼が近づくにつれ、土方の瞳が昏い狂気を宿していくのがわかった。
 何を云われた訳でもない。
 もともと、彼は総司の恋人でもなんでもなく、ただの兄代わりなのだ。ましてや、念兄弟の関係などあるはずもない。
 だが、それでも、総司は狂ったように彼に執着していた。
 愛していた。
 欲しかった。
 求めていた。



 その端正な顔だちも。
 黒い瞳も、しなやかな指さきも。
 怜悧な表情も、ごくたまにうかべられる微笑みも。
 一見、冷たく見える彼の中にある、ふれれば火傷しそうな熱も何もかも、愛しくて愛しくてたまらなかった。



 だからこそ、賭けたのだ。
 その一瞬に。



 自分が他の誰かと結びつけられると知った時、彼がどう行動するか。
 愛のために、己のすべてを投げ出してくれるのか。
 それが、気も狂いそうなほど知りたかった。
 むろんの事、愛されているのはわかっていた。彼が自分を求めている事も、よく知っていたのだ。
 だが、生半可な愛など、いらなかった。
 欲しいのは、彼のすべてだ。
 彼の命も地位も、男としての矜持も何もかも、自分のために投げ出して欲しかった。その上で、愛してると告げて欲しかった。
 それを確かめるために、総司の気持ちなど無視し、親の金の力で周囲を固めて妻になろうとした娘との婚儀を、承諾したのだ。
 彼を得られぬのなら、誰を伴侶にしても構わなかった。彼以外は、愛せないのだから。
 酷い事もわかっている。己の醜さも承知の上だ。
 だが、それでも。
 すべてを裏切っても、彼だけが欲しかった。



 そして。
 総司は、賭けに勝った……。















 月明かりの下、総司はゆっくりと身を起した。
 京から離れた山間だ。
 その小さな宿場町に並んでいたのは、みすぼらしい宿ばかりだった。だが、屋根のある処で休めるだけでも良しとすべきなのだ。
 この間など、宿場まで辿りつけず、樹木に凭れて坐った土方が抱きよせてくれる腕の中、眠る他なかったのだから。
「……」
 総司はぼんやりと窓外の月を眺めてから、視線を隣で眠る男へとうつした。月明かりの中、端正な男の顔が目に映る。



 今夜、初めて彼に抱かれた。



 土方は無理やり手込めにしたと思っているようだった。
 だが、むろん、事実は違う。
 抗って泣きはしたが、その実、総司の心も躯も歓喜に震えていたのだ。
 愛しくて愛しくてたまらなかった男を、ようやく手にいれた。
 身も心も、すべて。
 それは、ずっと夢見てきた瞬間だった。
「……」
 総司はそっと手をのばし、眠る彼の頬にふれた。
 ここしばらくの逃亡の生活のため、土方も少し痩せたようだった。頬から顎にかけての線が、より鋭くなっている。
「……ごめんなさい」
 小さな声で囁いた。



 狂気のような愛に、巻き込んで。
 こんな地獄に引きずりこんで。
 挙げ句、彼が今まで築き上げた地位も名誉も、何もかも、奪い去ってしまった。
 今や、この人の手の中に残っているのは、自分だけだ。
 己が望んだ事とはいえ、ふと空恐ろしい気がした。
 愛する人をここまで追いつめ、それでも彼を手放せない自分は、なんて身勝手なのか。
 この人の幸せになれない事が、たまらなく悲しかった。



「ごめんなさい」
 掠れた声で囁いた。
「それでも……あなたが欲しかったの。土方さん、あなたしか望まなかった……」
 そっと静かに身を倒した。
 粗末な褥に横たわると、土方の胸もとに寄りそった。その逞しい胸に耳をおしあて、鼓動を聞く。
 男の眠りは深く、胸に響く鼓動はとても安らかだった。
 その命の鼓動が、泣きたくなるほど切なかった。愛しかった。



(……愛してる)



 総司は土方の広い背に手をまわし、目を閉じた。
 愛しい男のぬくもりを感じながら、やがて、静かな眠りにさらわれてゆく。







 ───その夜。
 夢に見たのは、幼い日、自分を抱きあげてくれた彼の笑顔だった……。


















      


破滅の恋













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