巡察途中だった。
八坂さんの前あたりまで来たところで、彼と出逢ってしまったのが運のツキ。
せめて、少し前だったら、あんな事にはならなかっただろうに。
「……あ」
気がついた時には、思いっきりすっ転んでいた。
巡察が終わりに近づいて、解散場所までやってきて。そこに、ずーっと片思いしている男の姿を見たとたん、めちゃくちゃ嬉しくなってしまって。
「土方さん!」
叫んだ名に、他の隊士たち──つまりは一番隊の面々がぱきっと凍りついたのも知らず、総司は元気よく手をふった。そのまま駆け寄ろうとして、思いっきりすっ転んだのだ。
反射的に手をついたが、それでも足首をひねってしまったようだった。おまけに、肘も脛も擦ってしまい、血が出ている。
「あーあ」
総司はぺたんと坐り込み、ため息をついた。
何で、こうなっちゃうの?
一番隊を預かっている隊長がこれじゃ、土方さんも呆れてるだろうなぁ。
もしかしたら、怒られるかも。
そう思いながら土方の方をふり返った総司は、とたん、呆気にとられた。
「……へ?」
もっと遠い処にいたはずの彼は、総司が転んだのを見たとたん猛然と走って来ていたらしく、いつのまにか、すぐ目前にまで迫っていたのだ。
しかも、坐り込んでいる総司の傍に跪いた次の瞬間には、腰と膝裏に腕をさしこんできた。えぇっ?と思った時には、その逞しい両腕に抱きあげられてしまっている。
「え……えぇーっ!?」
まさしく、お姫様抱っこだった。
総司の顔がぼんっと真っ赤になる。
だが、唖然呆然の総司、一番隊隊士たちに、土方は全く構わなかった。無言のまま総司を抱き上げ、さっさと八坂神社の中へと入ってゆく。
石段に総司を坐らせると、ますます皆が驚いた事に、土方はその前へ跪いた。その姿は接待か何かの帰りだったのか、羽二重の羽織に、小袖、仙台袴という正装だ。
総司は慌てた。
「ひ、土方さん! 服汚れますよっ」
「かまわん」
「でも」
「こんな着物など、どうでもいい」
「だけど」
「おまえの傷の方が心配だ」
きっぱり云いきった土方に、総司は耳朶まで真っ赤になってしまった。
片思いしている男に、こんな事云われて嬉しくない者がいるだろうか。いや、いない(反語)。
土方は丁寧な手つきで、総司の傷を濡らせた手拭いで拭った。泥を落としてから、ちょっとほっとした表情になる。
「あまり傷は深くないな」
「これぐらい、日常茶飯事ですよ」
とたん、土方の眉間に皺が刻まれた。立ち上がりながら、呟いた。
「……日常茶飯事なのか」
「え」
「しょっちゅうこんな怪我してるのか」
「い、いえ、そうじゃなくて例えで」
慌てて否定する総司に、土方は低い声でびしっと命じた。
「怪我するなよ」
「えっ、それはちょっと」
「怪我して傷でも残ったらどうする」
「やだなぁ」
総司はにこにこ笑った。
「そんなの別に気にしなくても。娘じゃないんですから、私は」
「娘より綺麗な肌だろうが」
「え、そうですか? たとえば、どこが?」
「日に焼けてないところとか」
「どこ?」
「こことか」
土方が袂の中を指さした。それに、総司が袂を捲りあげ、その白い肌を見せる。
「あ、ここですか」
「いや、そこだけじゃない。他も皆、雪みたいに白くて綺麗だ」
「それは買いかぶりですよ」
「買いかぶりなものか、すげぇ柔肌だろ」
「柔肌って、さわると気持ちいいって云いますよね」
「あぁ」
「私の肌って、さわると気持ちいいですか?」
「もちろん」
土方は微かに笑ってみせると、身をかがめ、総司が坐っている石段の一つ上に手をついた。僅かに目を伏せ、総司の耳もとに唇を寄せる。
甘く低い声で、そっと囁きかけた
「……すげぇ気持ちいいよ」
「あ」
とたん、総司が小さく声をあげた。ふるりとその華奢な躯を震わせる。彼が云うところの白い柔肌は桜色に染まり、何とも云えぬ色っぽさだった。
一番隊士たちは先程からずっと目が点状態だったのだが、総司の艶やかな様を見るなり、皆一斉に赤面した。それに気づいた土方がじろりと見据えると、慌てて視線をそらせてしまう。
そんな彼らの傍で、初めからずーっと無言で傍観していた永倉は、やれやれと肩をすくめた。
(ほんと、これでつきあってねーの? どっちも、ばればれじゃねぇの)
何はともあれ。
くっつくにしろ、くっつかないにしろ。
それはまぁ当人たちの事なのだから、どうでもいいとして。
場所柄だけは考えて欲しいと願うのは、やはり自分が常識人だからだろうか。
それとも、恋に落ちた二人には周囲の人々など、茄子や南瓜ぐらいにしか見えないって事なのだろうか。
ここで声をかけたら、馬に蹴られろー!ってな事になるのか。
あれこれ考えながら永倉が眺めていると、土方は総司の躯を隠すように、己の羽織でおおってしまった。
総司が可愛らしく小首をかしげ、見上げる。
「? 土方さん?」
「いや、寒いだろうから。そろそろ帰ろうか」
「ですね。駕籠……呼んでもらっていいですか」
「あぁ。そこまで連れていってやる」
「また抱っこで?」
「そうして欲しいなら」
「して欲しいけど……土方さんに悪いから、いいです」
「遠慮するなよ」
くすっと笑い、土方が総司の躯に手をまわした。そっと、まるで宝物のように抱きあげる。
総司も彼の腕の中でおとなしく、甘えるように長い睫毛を瞬かせると、土方を見上げた。
「……」
微妙に濃い雰囲気が漂う。
しかも、さっさと去ればいいのに、二人はどうしてだから、そのままの姿勢でじーっと見つめあっている。今にも熱い抱擁と接吻でもかわしそうな、甘ったるい空気だ。
「……」
一番隊士たちは顔を引き攣らせながら、必死になって視線をそらしているのだが、二人は周囲の光景など全く目に入ってないらしい。やはり、茄子や南瓜程度の認識か。
だが、しかし。
ここで接吻でもされたらたまったものじゃねーよと、永倉は仕方なくごほんごほんと咳払いした。
それに、土方が視線はまだ総司だけ固定のまま云ってくる。
「何だ、永倉」
「いや……」
永倉は馬にだけは蹴られたくないと、必死に頭をぐるぐる回した。
「ここにずっといたらさ、総司の傷にさわるんじゃねーのかな、と思うんだけど」
「そうだな、それはまずいな」
土方はあっさり頷くと、総司の躯を抱きなおし、足早に歩き出した。往来まであの格好で出て、駕籠を呼ぶつもりなのだろう。
いつも冷然として矜持を保ちまくりの男も、総司の事となると理性が全く働かなくなるのか。
見れば、去ってゆく二人はまた何度も立ち止まって見つめあったり、笑いあったりしている。
挙げ句、総司の手が土方の背にまわされ、それに土方が嬉しそうに微笑んだのを見るに到っては、さすがの永倉も心底雄叫びをあげたくなった。
あんたら、そのまま茶屋にでもしけこめよー!
だが、そこは常識人(と自分では思っている)永倉である。
ひたすらぐぐっと我慢し、すっかり忘れ去られた一番隊隊士たちの方へ向き直った。
そして。
間の悪い場所に居合わせてしまった自分に憐憫を覚えながら、彼らをひき連れ、屯所への道をとぼとぼと辿っていったのだった。