その年の暮れの事だった。
明日が大晦日である朝のこと、総司は一通の文を受け取っていた。
宛名も差出人もなく、総司の部屋の文机の上にぽつんと置いてあったのだ。総司は裏表を返してから、周囲をそっと見回した。
「……果たし状?」
それぐらいしか考えられなかった。
何しろ、屯所内の部屋なのだ。置いたのは隊士の誰かしか考えられない。となれば、果たし状ぐらいしか、総司には思いつかなかった。
恋文など貰った事もないし、ありえないと思っている。
土方に対して恋心を抱いていたわりに、そういう感情に対してとことん鈍かった。
だが、実際の処、総司は綺麗で、可愛らしい。気だてもよく、優しくて素直で可憐なのだから、隊内でも絶大な人気があったのだ。
当然、恋文も山のように送られていたが、それが総司の手元に届く事は決してない。
何をどうやっているのか、誰かさんにしっかり握りつぶされ、きれいさっぱり処理済なのだ。
むろん、この事実を総司は知らない。
「でも、それにしては綺麗な紙……」
総司は文を眺め透かしてから、ようやく開いた。
中から出てきたのは、短冊のような紙一枚。
見慣れた字で「明日、八坂神社前、暮れ六つ」と書かれてあった。
そこで待つとも待てとも書いてないあたりが、彼らしい。
「……」
総司は沈黙したまま、それをじっと見つめた。
いくら何でも、これを果たし状とは思わないが、かといって何だ?と聞かれれば答えようがない。
(あの人は、いったい何をしたいの?)
総司は短冊のような紙を手の中で弄びながら、ぼんやりと視線を庭先へやった。
先日のあれで、完全に機嫌を損ねてしまったのだと思っていた。もう何もかも終わってしまったのだと。
事実、土方は総司に全く声をかけなくなり、必要最小限の事──つまりは仕事関係でしか話しかけてこなくなった。そんな土方の態度に、総司は、安堵した反面、淋しい気持ちを味わっていた。
なのに、突然、この文だ。
「……まるで、謎々みたい」
そう呟いてから、総司はそうだと思った。
本当に、あの人との事は全部、謎々なのだ。
いくら同情のためとはいえ、突然、食事に誘うようになり、あちこち連れ歩くようになって。かと思えば、斉藤と相合い傘をしてるだけで怒り出し、しばらく無視していた挙げ句、またこうして誘いをかけてくる。
「明日……」
大晦日の夜だ。初詣の人々で賑わっている事だろう。
もしかすると、土方はそれに誘ってきたのかもしれなかった。賑わった大晦日の町を、二人で歩く事を考えると、自然と心も浮き立ってくる。
諦めようと思っている相手であっても、それでも嬉しかった。久しぶりだから、尚更のことだ。
「明日の稽古、早めに切り上げなきゃ」
総司は短冊を大切そうに、そっと胸に抱きながら、呟いた。
翌日、大晦日の夜だった。
総司は予定どおり早めに稽古を済ませると、屯所を出た。
髪を綺麗に結い上げ、以前土方に買ってもらった綺麗な着物を纏っている。似合っているよと、土方も云ってくれたお気にいりの着物だった。その姿はとても瑞々しく、まるで錦絵から抜け出たような愛らしさだ。
すれ違う人々の誰もがふり返ってゆく。
だが、そんな事には全く気づかぬまま、総司は八坂神社前まで辿り着いた。周囲を見回してみたが、まだ土方は来ていないらしい。
「……少し早すぎたかも」
総司はちょっとため息をつき、その場に佇んだ。やはり思ったとおり、周囲は大晦日の夜らしく賑わっている。
だが、その賑わいがまるでお祭りのようで、総司には楽しかった。何だか、うきうきしてくる。
そのうち、暮れ六つの鐘が鳴った。だが、土方はまだ現われない。
「土方さんが誘ったのに……」
細い眉を顰めた。
だが、それでもまだ六つの鐘が鳴ったばかりだと思い直し、彼を待つことにした。
そんな総司の前を、次から次へと人々が横切り、八坂神社の門から中へ入ってゆく。幸せそうに寄り添う恋人たちの姿から、慌てて目をそらした。
何も、恋人を待っている訳ではないし。
誘われたから、ちょっと来ただけなんだから……
四半刻待ったが、まだ土方は現われなかった。
いい加減、腹もたってくる。
もう帰ってしまおうかと思ったが、あと少しとつい思ってしまう自分に、きゅっと唇を噛んだ。
誘ったくせにやって来ない男を律儀に待っている自分が、何だかもの悲しくなってしまったのだ。
「文句……云うためだもの」
総司はほろ苦いものを感じつつ、自分にそう云いきかせた。
その時、だった。
人波の中に、土方の姿を見つけたのだ。すらりとした長身は、どこでもよく目立つ。
「あ、土方さ……」
声をかけようとした総司の目が、不意に大きく見開かれた。
ずきんっと胸が痛くなった。
「!」
土方は、女と一緒だったのだ。
遠目なので顔はよくわからないが、確かに女と一緒だった。その女と寄り添うようにして、歩いてゆく。
「……っ」
総司は無意識のうちに後ずさった。とたん、どんっと柱に背をぶつけてしまうが、その痛みさえ全く感じなかった。
呆然としたまま、女と寄りそい歩く土方を見送る。
どんどん遠ざかる背を見るうちに、総司はそれが次第にぼやけてくるのを感じた。
「……あ、れ?」
総司は睫毛を瞬かせ、唇を噛んだ。だが、それでも視界はぼやけ、やがて、ぽろりと涙がこぼれ落ちるのを感じた。
その後は、もうとまらなかった。
泣くなんて恥ずかしいと思ったが、自分でも涙がとまらないのだ。
夜なので、人目につかぬのが幸いだったが、総司は慌てて俯き、八坂神社の中へと逃げ込んだ。人気のない暗がりに走り込むと、そのままじゃがみこんでしまう。
「……っ、ぇ…っ」
そのとたん、涙がぽろぽろ零れた。声さえ出ぬまま、涙だけが頬をつたってゆく。
総司は坐り込み、涙をぽろぽろ零した。そして、思った。
なんて、私は莫迦だったの。
呪いなんて、きくはずがなかったのに。
あの人を好きでなくなる呪文なんて。
もう好きじゃない、好きなんかじゃないと、何度も自分に云いきかせて。自分の気持ちに嘘をついて。
だけど、そんなの無理に決まっていた。
土方さんへの恋を諦めるなんて、そんなの私に出来るはずもなかったのに。
ずっと好きだった。
好きで好きで好きで、頭がおかしくなってしまいそうなぐらい、だい好きだった。
土方さんが女の人と歩いているのを見ただけで、胸が張り裂けてしまいそうなぐらい……。
総司はぎゅっと唇を噛みしめ、両手を胸に押しあてた。必死になって、涙をとめようとする。
あんな事をするのなら、きっと彼も自分に愛想が尽きはてたのだ。
なら、もう終わりだと思った。
今度こそ思いきらないと、いけないのだ。
彼のためにも。
「……」
総司は涙を拭い、のろのろと立ち上がった。
その時だった。
「──総司ッ!」
不意に、荒々しい足音が近づいてきたかと思うと、後ろに誰かが立つ気配がした。走ってきたらしく、はぁはぁと荒い息使いが聞こえる。
「こんな処にいたのか。すげぇ探したんだぞ」
土方の声だった。
それに息をつめていると、彼はつづけた。
「いや、遅れたのは俺だな。済まなかった、こんなに遅れて」
「……」
「総司?」
いつまでも背を向けて俯いたままの総司を不審に思ったらしい土方が、前に回り込んだ。とたん、鋭く息を呑む。
「! おまえ、泣いて……」
「……っ」
慌てて顔をそむけた総司の細い肩を、土方が掴んだ。酷く焦った口調で問いかけてくる。
「俺のせいか? それとも、他に何かあったのか!?」
「……」
「総司、頼むから答えてくれ!」
「……っ」
総司は黙ったまま、首をふった。また、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
それに、土方は痛ましげに眉を顰め、手をのばした。そっと、指の背で涙をぬぐってくれる。
「こんなに泣いて……俺のせい、なのか? すまない」
「……」
「遅れて本当に悪かった。云い訳はしないが……」
「……して」
「え?」
「云い訳…して、下さいっ」
不意に叫んだ総司に、土方は目を瞠った。
それを、総司は涙をいっぱいにためた瞳で見上げ、叫んだ。
「何でもいいから云い訳してよっ! 私を誘っておいて、それで遅れてきて、女の人と一緒に歩いて! それで何か云い訳あるなら、云って下さい! でなきゃ、でなきゃ……私、堪えられない……っ」
そのまま両手で口をおおい、また俯いてしまった総司の前で、土方は唖然としていた。呆気にとられたような顔で、見下ろしている。
しばらく黙ってから、片手で前髪をかきあげた。
「……あのさ、総司」
「……」
「俺、話が全くわからないんだが」
「……」
「女って何だ? ……あぁ、もしかして……お雅さんの事か?」
「……え」
顔をあげた総司に、土方は困ったように云った。
「いや、仕事で遅れてきたんだが、すぐそこで八木家のお雅さんとあってな。そうしたら、子どもらとはぐれてしまったという話で、いつも世話になっている手前、放っておく訳にもいかねぇだろ」
「……」
「で、あちこち探し回って何とか見つけた後で、おまえの元へ走ってきたという訳さ」
「……」
彼を見つめたまま固まっている総司に、土方は小首をかしげた。形の良い眉を顰め、問いかけてくる。
「……もしかして、俺が嘘ついていると思っているのか」
「ち、違います」
総司は慌てて首をふった。
「そんな、嘘なんて! 土方さんが嘘つくなんて、思ってません」
「……」
「それに……それに、嘘をつくと云うなら、私の方だから」
「? おまえが?」
不思議そうな土方を前に、総司はまた俯いてしまった。ぎゅっと両手を握りしめる。
「ずっと、自分に嘘……ううん、呪いをかけてきたのです」
「呪い?」
土方は驚いてしまった。
一体何がどうなって、突然ここに呪いなんて妖しげなものが出てくるのか、さっぱりわからない。
この可愛い総司と呪いが、どうして結びついたりするのか。
「そうです、呪い……呪文です」
総司は真剣な表情で、こくりと頷いた。それから顔をあげ、じっと土方を見つめてきた。
なめらかな頬が泣いた後だからなのか紅潮し、可憐だ。
大きな瞳がきらきらしながら熱っぽく見つめてくるさまに、土方は腹の底がかっと熱く灼けるのを覚えた。酷く喉の渇きを覚えてたまらない。
「それは……」
躊躇いがちにだったが、問いかけた。
「それは一体、どんな呪いなんだ?」
「土方さんを……」
「え、俺?」
「そう、あなたです」
こくりと頷いてから、総司は云った。
「好きじゃなくなる呪いです」
「──」
土方の目が大きく見開かれた。一瞬、傷ついたような表情がその黒い瞳をよぎる。
だが、すぐに目を伏せると、ふっと微かに笑った。
「……そうか」
「……」
「俺のことを嫌う呪いか。そんなに……俺が鬱陶しかったのか」
「え? 違います」
「何が違うんだ」
「だから、嫌う呪いじゃなくて、好きじゃなくなる呪いです」
「たいした違いはねぇだろうが」
「全然違いますよ! 嫌いと、好きじゃなくなるじゃ、ものすごい差です」
「俺にすれば、同じことだ」
土方は苦々しげに吐き捨てた。
「結果は変らねぇんだからな」
「だから、違います! 嫌いだなんて、私は土方さんのことそんな風に思ったこと一度もないし、それどころか、好きで好きで好きで仕方なかったんだから!」
総司が大声で叫んだ瞬間、土方は「え?」という表情になった。
それに、総司はとても告白しているとは思えない勢いで、言葉をつづけた。
「呪文なんて全然きかなかった! それどころか、諦めようとしても何しても、あなたが好きで好きで仕方なくて全然忘れられなくて。なのに、土方さんが誘ったりするから、つい期待しちゃって……っ」
「期待……」
土方は驚いたように、目の前の総司をまじまじと見つめた。
「おまえ、同情って云っていたじゃねぇか」
「だって、実際そうなのでしょう?」
「まぁ……」
土方はどこか決まり悪げに、片手で前髪をかきあげた。
「確かに、落ち込んでいるおまえが可哀相だと思った事も、誘う理由の一つだったが……」
「そうでしょう? 落ち込んでる私を慰める為だったんでしょう?」
総司は目を伏せると、両手を握りあわせた。
「でも、それ……全然間違ってるのです。私、落ち込んだりしてなかったのに」
「落ち込んでない? そうは見えなかったけどな」
「確かに、鹿野さんが身請けされて淋しかったですよ。だって、相談相手なくしちゃったんだもの」
「相談相手?」
「鹿野さんは、あなたへの恋とか気持ちとか、全部聞いてくれていたのです。でも、身請けされた人に相談しに行けないでしょう?」
「……おまえ」
土方はどこか奇妙な表情で、総司を眺めた。
「鹿野と、男女の関係があったんじゃ……」
「そ、そんなのありません」
総司は可愛らしく耳朶まで赤くなりながら、答えた。
「私は、ずっと土方さんの事が好きだったのに、他の人とそんな事……」
「ちょっと待ってくれ」
不意に、土方が手をあげた。それから、地面に視線を落としてじっと考え込んでいたが、やがて、顔をあげた。
深く澄んだ黒い瞳で見つめられ、どきりと胸の鼓動が跳ね上がる。
そんな総司に、土方は低い声で問いかけた。まるで仕事の時のような鋭さだった。
「色々と聞きたい事がある」
「……はい」
「つまりだな、おまえ、鹿野とは何もなかったのか」
「さっき云ったとおりです」
「じゃあ、他の奴……斉藤とかとも、何も?」
「あ、あたり前じゃないですか」
呆気にとられる総司に構わず、土方は言葉をつづけた。
「その理由は俺、なのか? 俺が好きだから、おまえ……」
「……」
総司はかぁぁっと真っ赤になってしまった。その場にいる事もいたたまれないのか、恥ずかしそうに俯いている。
しかも、不安で怖くてたまらないらしく、細い躯が僅かに震えていた。
そのことに気づいた土方は、熱いほどの愛しさがこみあげるのを覚えた。今すぐ抱きしめ、その頬に、唇に、口づけの雨を降らせてやりたくなる。
「総司……」
土方はたまらず、手をのばした。総司の躯を引き寄せ、耳もとに頬に、唇を押しあてる。
「……」
何の反応も見せない総司を不審に思って見下ろすと、総司は大きく目を見開き、彼を凝視していた。桜色の唇が僅かに震えている。
呆然として、声も出ないのだろう。
それに苦笑しつつ、土方は優しい声で云った。
「確かに……同情もあったんだ」
「……」
腕の中、びくんと総司の躯が震える。それを宥めるように、髪に口づけを落とした。
「だが、本心は違う。うまくすれば俺を好いてくれるかもしれねぇっていう下心があったと、潔く認める」
「土方…さん?」
「同情だけだったら、あんなに何度も誘ったりしねぇよ。けど、まぁ……いくら誘っても通じねぇから、がっくり来ていたんだけどな」」
「通じるって……え?」
今度は、総司が目を丸くする番だった。それに、土方は優しく笑うと、一歩退いた。
そして、総司の手をとり、その指さきに口づけを落とした。
目を瞠るほど優雅な、恭しいまでの仕草で。
「……俺の気持ちだよ」
低い、甘やかな声が囁いた。
「おまえのことが好きで好きで仕方ないという、俺の気持ち」
「土方さんの……気持ち……えぇっ!?」
驚きのあまり仰け反る総司を満足そうに眺めながら、土方は微笑んだ。
その笑顔がまた格好よくて、綺麗で、どきどきするぐらいで。
ぼんやり見惚れている総司に、土方は身をかがめた。そっと頬に口づけを落としてやりながら、囁きかける。
「まだ信じられねぇか?」
「……だって……」
「誰のために女遊びやめたと思っている」
土方は黒い瞳で悪戯っぽく笑った。
「そもそも、おまえを諦めるための女遊びだったが、やはり一度ぐらい頑張ってみようと思ってな。駄目もとで押してみろって、近藤さんにも云われたし。それで、食事やら何やらに誘っていたのに、まさかあそこまですげなくされるとは」
「す、すみません」
「でも、まぁいいさ。結局、一番欲しかったものが手に入ったのだから」
そう云った土方を、総司は不思議そうに見上げた。
「? 何です、それは」
「おまえに決まっているだろ」
あっさりそう云いきった土方に、総司はぼんっと顔を真っ赤にした。耳朶まで桜色に染めて、俯いてしまう。
そんな総司を可愛くてたまらぬと云いたげに、土方はその華奢な躯をもう一度抱き寄せた。胸もとに引き込んで、愛しい愛しい存在を抱きしめる。
恥ずかしそうに俯く総司の耳もとに唇を寄せ、囁いた。
「今度はさ、俺が呪いをかけてやるよ」
「え……?」
「けど、これはおまえのとは違うんだ。ある意味、逆の呪文だからな」
そう云って悪戯っぽく笑った土方に、総司は目を見開いた。だが、すぐに合点がいったらしく、鈴のような笑い声をもらす。
そして。
だい好きな男の背に両手をまわすと、幸せそうに目を閉じたのだった。
呪いは呪いでも
愛の呪文
好き好きだい好き
いつまでも
それはね、土方さん
あなたをずっと愛しつづける呪文なのです
[あとがき]
ちょっと俺様土方さんと天然総ちゃんの、キュートな恋を書きたかったので、楽しかったです。
皆様も、少しでも楽しんで下さったことを願って♪ 楽しかったよ〜♪ と思って下さった方は、ちょこっとメッセージか、拍手から、応援お願い申し上げますね♪ とっても励みになります!
ラストまでお読み下さり、ありがとうございました♪
