「私はここで死にます。それで……いいのです」
 静かな声だった。
 総司は綺麗に澄んだ瞳で土方を見つめた。
「そうなれば、きっと、現の私も生を終えるでしょう。土方さん……あなたも現に戻ることが出来るはず」
「……」
 土方は無言だった。眉を顰めたまま、じっと総司を見据えている。
 そんな彼の前で、総司は深々と頭を下げた。
「今までつきあわせて、申し訳ありませんでした。こんな夢の中にまで追いかけてきてくれたのに、挙句、閉じ込めるような真似までして。本当に申し訳ないと……」
「総司」
 不意に、土方が総司の言葉を遮った。顔をあげると、鋭い瞳がまっすぐ見つめている。
 そのまなざしの激しさに、息を呑んだ。
 明らかに、土方は怒っていた。切れの長い目の眦はつりあがり、口許も固く引き結ばれている。
 しばらくの間、無言のまま総司を見据えていたが、やがて、低い声で問いかけた。
「おまえは本当にすまないと思っているのか」
「はい……」
「俺を夢の中に閉じ込めて悪かったと、思っているのか」
 念押しをされ、総司はこくりと頷いた。


 それだけは怒られても仕方がない事だった。
 どれほど彼を愛していても、許されることではないのだ。
 この夢の中に閉じ込めて挟持を傷つけ、挙句、その命まで奪おうとした。
 憎まれても仕方がない行為だった。


 思わず俯いてしまった総司に、土方が言った。
「本気ですまないと思っているのなら」
「……」
「今度は俺につきあえ」
「……え?」
 意味がわからず、総司は目を瞬いた。それに、土方は細い肩を掴み、顔を覗きこんだ。
「おまえは俺にすまないと思っているのだろう。なら、今度は俺につきあえ。一生、俺の傍にいろ」
「土方…さん」
「俺がおまえを死ぬまで愛してやる」
「……」
 総司の目が見開かれた。


 男の声は真摯で激しかった。
 狂気じみたものさえ感じさせ、甘さなど欠片もない。
 そこにあるのは、研ぎ澄まされた刃のような愛だった。
 土方は総司を愛してくれているのだ。
 本気で、彼の命をかけるほど。


 それを痛いほど感じた総司は、もう何も言うことが出来なかった。
 ただ呆然と、男の胸もとに引き寄せられ、抱きしめられる。
 狂おしく男の手が細い身体を撫でまわし、髪や頬や首筋に口づけた。男の激しい執着と愛を感じさせる行為だった。
「……離さない、離すものか」
 総司を折れるほど抱きしめたまま、土方が低く呻いた。
「おまえは俺のものだ、俺だけのものだ……どんな事があっても離さねぇよ」
「土方さん……」
「おまえを失うぐらいなら、俺がこの手で殺してやる。あぁ、そうだ、あの時のようにこの手で縊り殺してやった方が余程いい」
 土方はその手を総司の細い首にかけた。瞳を覗き込み、薄く嗤う。
「こうして……殺しちまった方がいい。俺の手で殺せば、おまえは永遠に俺のものだ。俺だけのものだからな……」
「……」
「恐ろしいか。こんな俺は……怖いか」
 土方は目を細め、囁くように問いかけた。それを見つめ返し、総司は小さく首をふった。
 彼の手に身体をゆだね、すべてをあずける。
「私は……」
 自分の首を絞める男の手に奇妙な快感さえ覚えながら、答えた。
「あなただけの…ものです」
「……」
「土方さん、あなただけのもの……」
「……」
 土方は黙ったまま、総司を見つめた。やがて、低く喉を鳴らして笑うと、その華奢な身体を両腕で抱きしめた。
 優しく髪を撫でながら、囁きかける。
「そう、それでいい」
「……」
「おまえは俺のものだ、永遠に。それを忘れるな」
「はい……」
「いい子だ」
 一度だけ唇を重ねてから、土方は総司の手をひいて歩き出した。黒い煙も紅蓮の炎もすぐそこまで迫ってきている。
 だが、まるで、どこに行けばよいのか、わかっているような足取りだった。
 確かな足取りで総司を連れて歩いてゆく。
 少しずつ煙が晴れてくるのを感じた。白い光がすぐそこに見えそうな気がする。
 それが生への道標なのか、死への誘いなのかわからぬまま、総司は土方の手を握りしめた。細い指をからめ、縋るように握りしめる。
「……お願い、私を離さないで」
「離すものか」
 思わずこぼれた声に、土方はふり返らぬまま荒々しいほどの口調で答えた。
「俺は二度とおまえを離さない。死ぬまで愛してやる」
「土方さん……」


(……愛してる……)


 心からの言葉は、どちらのものだったのか。
 やがて、すべては白い光の中にとけ消えた……。















 冬にしては珍しくあたたかな日だった。
 見上げれば青空が広がり、樹木の枝を梳くようにして光がそっと優しく地上に届く。
 間もなく春が訪れてくるのかもしれなかった。春が訪れれば、この神社にもまた花が咲くだろう。
 あの夢の中のように。
「……」
 立ち止まり、総司は周囲を見回した。花は咲いていない。
 だが、そこはあの夢の中、二人で行った神社だった。
 綺麗な花があふれるように咲いていた、思い出の場所。夢の中だからこそ在る場所だと思っていた。なのに、それは現にも存在していたのだ。
 総司自身の夢であっても、あれはやはり不思議な夢だったのだ。現と少しずつ繋がっていた。
 どこかで繋がり、そして──途切れていた。


(……夢は夢だから……)


 目を伏せ、きゅっと唇を噛みしめた。
 傍にあった石段に坐り、俯いた。そっと両手を組み合わせる。
「……土方さん」
 小さく呟いた。





 あの日、総司は己の部屋で目覚めた。
 ゆっくりと目を開けば、見慣れた天井が視界に入った。そのことで知ったのだ、己が現に戻ってきたことを。
「……」
 思わず視線を走らせた。とたん、息さえ出来なくなった。
 そこには、誰もいなかったのだ。
 本当なら彼がいるはずだった。
 一緒に夢から戻ったのだ、あれが現の彼であったのなら、傍で一緒に目覚めているはずだった。
 なのに、そこには誰もいなかったのだ。
 土方の姿はなく、しんと部屋は静まり返っていた。


(やっぱり、あれは私の願望だったの? 夢の中の……出来事だったの?)


 涙があふれそうになった。
 嗚咽をこらえ、両手で唇をおさえる。その瞬間、障子が開いた。
 はっと息を呑んで視線をやれば、斉藤が入ってくる処だった。総司が目を覚ましていることに気づいたとたん、大きく目を見開く。
「総司……!」
 喜色をうかべ、斉藤は駆け寄ってきた。傍らに跪き、その手を握りしめてくる。
「おまえ、気がついたのか! 目覚めてくれたのか」
「斉藤……さん」
「あぁ。どれだけ心配したか、皆、心配していたんだぞ。近藤さんも原田さんも」
「ごめんなさい……」
 総司は思わず謝った。自分の勝手のために斉藤たちに心配をかけた事が、申し訳ないと感じたのだ。
 だが、そんな総司に、斉藤は首をふった。
「おまえが謝ることじゃない。とにかく、すぐ皆に知らせてこよう」
 立ち上がろうとする斉藤に、総司は思わず手をのばした。彼の袂を掴み、ふり返らせる。
 反射的に出てしまった問いかけだった。どうしても聞かずにはいられなかったのだ。
「あの……っ、土方さんは」
「え?」
 訝しげに斉藤はふり返った。それに、必死に言葉をつづけた。
「土方さんは、今、どこにいるのですか……?」
 外出しているのなら、もう望みはなかった。屯所内にいるのなら、先ほどまでこの部屋にいたかもしれないのだ。
 そんな総司の気持ちを知らぬまま、斉藤は答えた。
「おそらく副長室だと思うけど……何でだ?」
「……いえ、いいのです」
 小さく答えた総司に小首をかしげたが、斉藤は皆に知らせるため出ていった。
 近藤はもちろん、原田も永倉も総司の回復を喜んでくれた。だが、やはり、土方は部屋に顔を見せようともしなかったのだ。
 後日、屯所の中で逢ったが、土方は一瞥さえしなかった。まったく以前と同じように、冷たくすれ違っていったのだ。
 遠ざかる広い背を見つめながら、総司は涙をこらえるのに必死だった。
 やはり、彼は違ったのだ。
 あれはすべて夢の中の出来事だったのだ。
 現の彼だと信じたのに、あの言葉を信じていたのに、なのに。


(私は……どうして戻ってきてしまったの)


 この冷たくて苦しい世界に。
 どうして、戻ってきてしまったのか。
 あれから何度も思い出したのだ。優しく穏やかだった春の世界。
 自分の夢の中は、いつも春だった。柔らかな光と、静かな空気、綺麗な花。
 そんな世界で、彼とも出会ったのだ。桜が舞い散る中、ゆっくりと馬で目の前を通りすぎていった彼の姿は、今尚、鮮やかだった……。
 彼と睦みあい、愛しあって、ふたり抱きあった。それは美しく儚く、夢とは思えぬような日々だった。
 だが、やはり夢は夢なのだ。決して現ではありえない。
 それを、総司は現に戻ってから、嫌というほど思い知らされていた。


 総司は涙を堪えながら、両膝を抱え込んだ。
 頬を膝につけながら、目を閉じた。
「夢は……夢だものね」
「……そんなもの、当然だろう」
「!?」
 突然、頭上から降ってきた声に、驚いた。慌てて顔をあげれば、土方が見下ろしている。
「ひ、土方さんっ」
 立ち上がろうとする総司をおさえ、土方はその隣に腰をおろした。相変わらず流れるような所作に見惚れてしまう。
 外出先からの帰りなのか、黒の羽根二重の羽織に、黒い小袖と袴という姿だった。両刀を抜いて傍に置き、石段に腰を下ろす。
 突然、現れた土方に、総司は居た堪れなくなった。


 彼があの夢の中の彼なのか、まったくわからないのだ。


 もしも現のままの彼であれば、下手なことを言う訳にはいかないと身を竦める。
 そんな総司に構わず、土方は淡々とした口調で言った。
「妙に考えこんでいたが、いったい何を考えていた」
「……」
 総司はきゅっと唇を噛んだ。そんな総司に、冷たい声がつづけた。
「夢は夢だなどと、当然の事だろうが」
「それは……」
 侮蔑しているようにさえ感じられる男の言葉に、総司は目を伏せてしまった。小さな声で答える。
「つまり……現と夢は違う、ということです」
「どういう意味だ」
「だから……」
 言いかけ、思わず口ごもってしまった。


 言えるはずがないのだ。
 この土方は、夢の中のことなど知らない。
 目覚めた時、彼は自分の傍にいなかった。
 それが答えだとしか思えなかった。
 やはり、現は冷たく苦しい。そして、愛する男には疎まれ、嫌われる。
 そんな日々がいつまでも続いていくのだ。


 涙がこぼれそうになった。
 だが、それを必死にこらえるため、きつく唇を噛みしめる。
 そうして、黙りこんでしまった総司を、しばらくの間、土方は見つめていた。
 だが、不意に手をのばすと、その細い肩を抱き寄せた。驚いて顔をあげる総司を、胸もとに抱きすくめる。
 総司の目が見開かれた。
「! 土方さ……」
「愛している」
 低い声が耳もとで囁いた。
 土方は総司の小柄な躰を腕の中におさめつつ、その髪や頬に口づけを落とした。
「俺はおまえだけを愛している」
「……」
 しばらくの間、何も考えられなかった。ただ呆然と彼の言葉を聞いている。
 そんな総司に対して、土方は優しく口づけ、囁いてくれた。
「夢の中でも約束しただろう。ずっと俺がおまえを愛してやる、と。俺はおまえを絶対に離さない、いつまでも愛しつづけてやる」
「……土方…さん……」
 躊躇いがちに、男の胸もとにしがみついた。指さきが震える。
「これは……夢? それとも、本当のことなの……?」
「本当のことだ。夢なんかじゃねぇよ、もう二度と、おまえを夢の中へ逃がしたりしない」
「だって……」
 総司はふるりと首をふった。
「私が目覚めた時、土方さんはいなかった。屯所の中で逢っても声一つかけてくれなかったし……」
「すまない」
 静かな声だった。そっと頬にしなやかな指さきがふれる。
「俺は、おまえがあの夢の事を覚えているかどうか、わからなかったんだ。もしも覚えていないのなら……いや、それどころか、あの夢が俺が勝手につくり出した幻であるのなら、おまえに手を出すなど到底できなかった。夢の中でも話しただろう? 俺はおまえを穢すことを恐れ、突き放したのだと。あの夢の中のおまえが俺の幻なら、今までと同じように接していくべきだとわかっていた。だが、やはり……辛かった」
 土方は苦しげに眉を顰め、総司の髪に頬を擦りよせた。その細い躯が幻でないことを確かめるように、きつく抱きしめる。
「おまえが他の男と親しげに話しているのを見るたび、斉藤に向けられる笑顔を見るたび、胸が焼きつくような想いだった。嫉妬で気が狂いそうだった」
「うそ……」
 総司は目を見開いた。だが、すぐあることに気付き、訊ねた。
「じゃあ、どうして? どうして、今、私に明かしてくれたのですか」
「この神社へ入るおまえを見たからだ」
 愛しげに髪を撫でながら、答えた。
「ここは俺とおまえが夢の中で行った場所だ。もしも、あの夢が俺の幻でなかったのなら、必ずおまえはここに来るはずだと思った。いつか、おまえが訪れるだろうと」
 そう言ってから、土方は苦笑した。
「むろん、毎日来ていた訳じゃねぇよ。ただ、おまえが今日、非番で久しぶりの外出をする事は知っていた。だから、来てみたんだ。すげぇ不安でたまらなかったが、おまえがここにいてくれるのを見た瞬間は、天にも昇る心地だったな」
 悪戯っぽい口調で言う土方に、総司は小さく笑ってしまった。
 まだ、その瞳は涙に濡れていたが、にこりと笑みをうかべた顔はとても愛らしい。ぱっと花が咲いたようだった。
 土方は思わず目を細めた。
「あぁ……すげぇ可愛いな。やっぱり、おまえは笑っている時が一番可愛いよ」
「可愛い、なんて」
「おまえは可愛いよ。俺にとって、おまえはどんな花よりも誰よりも一番綺麗で、可愛い」
 低い声で甘く囁いてくれる土方の胸もとに、総司は身を寄せた。抱きしめてくれる男の腕が心地よい。
 まるで、夢のようだと思った。だが、違うのだ。ここは夢ではないのだ。
 今、自分を抱きしめてくれている彼は現の存在であり、自分もちゃんと生きている。そう、自分たちは生きているのだ。
 これからも苦しいこと、辛いことがあるかもしれない。
 だけど、でも。
 二人で生きてゆくことが何よりの喜びだから。


 ……土方さん。
 あの時、私は、あなたのものですと答えたけれど、でも、それは……昔からだったの。
 昔から、私はあなたのものだった。
 喜びも悲しみも苦しみも、みんな。
 あなたから始まり、あなたへとかえってゆく私のすべて。


「土方さん」
 呼びかけると、土方が総司を見下ろした。
 深く澄んだ黒い瞳が見つめてくる。それに、そっと微笑みかけた。
 心から告げた。
「私は、あなたと……生きたい」
「……」
 土方の目が見開かれた。そんな彼を見つめ、言葉をつづけた。
「きっと死ぬことより……生きる方が辛いですよね」
「総司……」
「苦しくて辛くて、悲しくて……でも、それでも、私はあなたと生きてゆきたいのです。土方さんと生きたいと、心から願って……」
「……俺もだ」
 低い声が答えた。
 不意に手をひかれ、そのままきつく抱きしめられる。全身に愛しい男を感じた。
 男の声が耳もとで囁いた。
「俺も、おまえと生きたい。どんなに辛くても苦しくても、それでも……総司、おまえと生きたいんだ」
「土方さん、離さないで……」
 そっと囁いた言葉は、柔らかくとけた。
 だが、きっと、土方には届いたはずだ。
 その証に、総司を抱きしめる土方の腕の力が強くなった。引き寄せられ、きつく激しく抱きしめられる。
 ふたりの恋には、甘さなど欠片もないかもしれない。それでも、この人と共に生きていきたいから。
 愛を信じて。
 愛を見つめて。
 いつまでも。





 抱きしめあう恋人たちを、青く澄んだ空が見守っていた。
 優しく静かに。
 夢と現がとけあうさまを感じながら……。



























これにて完結です。ラストまでお読み下さり、ありがとうございました♪