土方が総司を連れて入ったのは、この間の料理屋だった。
 あの紅葉を見下ろす同じ部屋だ。
「……もう散ってしまったんだ」
 小さく呟いた総司に、土方がふり返った。仲居に食事の用意を云いつけていたのだ。
 仲居が出ていくと歩み寄り、その細い肩を抱いて一緒に窓下を見下ろした。
「あぁ」
 頷いた。
「紅葉のことか」
「えぇ」
「また来年連れてきてやるさ。その時に見ればいい」
「本当に?」
 総司は甘えるように男を見上げた。それに、土方は微笑みかけた。
「約束だ」
「うん……」
 こくりと頷き、男の胸もとに凭れかかった。
 だが、その言葉も態度も、彼の言葉を信じていない気がした。刹那の恋だと、総司は思っているのだ。
 それが土方には、ひどく歯がゆかった。


 もう決意しているのだ。
 総司を斉藤から奪いとるつもりだった。
 これ以上、他の男の腕に抱かれている総司を見るなど、我慢できるはずもない。


 土方はぐっと唇を噛んだ。
「……総司」
 土方は若者の両肩を掴み、身をかがめた。それに、総司は驚いたように目を見開いた。
 愛らしい顔を覗き込み、静かな声で告げた。
「俺は、本気だ。本気で……おまえを斉藤から奪うつもりでいる」
「……」
「だから、おまえも覚悟を決めてくれ。俺から二度と逃げようなどと思うな」
「……だっ…て……」
 総司はふるふると怯えたように首をふった。
「私なんかと、土方さんがいたら……」
「斉藤に叱られるか」
「そうじゃない、そうじゃないのです。私は、斉藤さんの事じゃなくて、あなたの事を考えているのです」
「俺のこと?」
 虚を突かれたような表情になった土方を、総司は大きな瞳で見上げた。
「私なんかと関わったら、あなたの立場が悪くなります。傷がつきます」
「は? 何で、俺がおまえに関わったら、立場が悪くなるんだよ」
「だって、私は斉藤さんの念者ですよ。なのに、あなたが私を斉藤さんから奪おうとするなんて、まるで……」
「不義密通みたい、か」
 自嘲めいた口調で呟いた土方に、総司は唇を噛みしめた。悲しげな表情で俯いてしまう。
 しばらくの間、沈黙が落ちた。
 やがて、土方は吐息をもらすと、片手で黒髪を煩わしげにかきあげた。
「……そうだな」
 低い声で肯定する土方に、総司は、はっと顔をあげた。
「確かに、おまえの云うとおりだ。斉藤が夫でおまえが妻、俺が間男。まるきり不義密通だな」
「……」
「だが、それはおまえの間違いだ」
「え?」
 土方の言葉に、総司は驚いた。それに、土方は淡々とした口調でつづけた。
「俺からすれば、人のものをかっさらいやがったのは、斉藤の方だ。おまえは俺のものだ。それは、今もむろんだが、昔からずっとそうなんだよ」
「な、何を云っているんですか」
 総司は思わず叫んでしまった。


 いったい、突然、この人は何を云い出すのか。
 今はともかく、昔など喧嘩ばかりだったのに。


「私がいつあなたのものに? いつも冷たい言葉しか向けてこなかったじゃない」
 だい好きな彼に冷たくされて傷ついたことが、胸うちに蘇った。知らず知らずのうちに声がうわずり、瞳が潤んでしまう。
「いつも、私を莫迦にして、遠ざけて、言葉をかわしても冷たくて……なのに……っ」
「すまない、総司」
 土方は潔く頭を下げた。
「俺が不器用であるばかりに、おまえを傷つけた。その事は謝る」
「土方…さん……」
「俺はおまえを可愛いと思っていた。本当は優しくしてやりたかった。だが、おまえを前にすると、酷い態度をとってしまって……本当に愚かだったと思う。すまない、許してくれ」
「じゃあ、土方さんは」
 総司はぎゅっと両手を握りしめた。
「私を……大切に思ってくれているの? す、少しでも大切に」
「あたり前だ」
 土方の瞳がとけるように優しくなった。そっと指さきで頬を撫でながら、囁かれる。
「おまえが誰よりも大切だよ、総司」
「……っ」
 かぁっと頬が熱くなった。それを隠すように俯いてしまうが、男には気づかれてしまったのだろう。
 可愛いなと云われ、ぎゅっと胸もとに抱きしめられた。
 だが、その時、外から仲居の声がかかり、慌てて躰を離す。
 総司は赤くなった顔を隠すため、窓外を見やった。土方は悠然と料理を運んできた仲居に、「後は自分たちでやる故、呼ぶまで来なくてよい」と命じている。
 促されてふり返ると、仲居はもう部屋を出ていった処だった。おいしそうな料理が並べられている。
「とりあえず飯にしよう」
 優しい声で云われ、総司はこくりと頷いた。二人して向かい合って坐り、食事を始める。
 この間も思ったことだが、ここの料理は総司の口によくあっていた。あっさりしたものが多いのだ。
 それらを少しずつ食べながら、総司は目をあげた。すると、土方がじっとこちらを見つめている。深く澄んだ黒い瞳に見つめられ、どぎまぎしたが、総司はどうしても聞いておきたい事があった。
「土方さん、あの……」
 小さな声で呼びかけた総司に、土方は「何だ」と答えた。それに、躊躇いつつも、言葉をつづける。
「土方さんは、私を……大切に思っていると、云ってくれました」
「あぁ」
「じゃあ、江戸へは帰らなくてもいい……のですか? もう私を帰そうと思わない?」
「……」
 とたん、部屋の中の空気が冷えた気がした。
 はっとして見れば、土方は酷く剣呑な表情で、総司を見据えている。鋭い瞳で見つめていたが、やがて、ふと視線をそらせた。
 手にしていた杯をあおり、苦々しげに呟く。
「……そういう事かよ」
「え?」
「結局、今までの事はすべて取引の一つだったという訳か。接吻だけでは収まらなくなった俺に身をゆだねたのも皆、江戸ヘ帰されないため。斉藤の傍にいたいが為に、自分の躰を嫌な男に開いたって事か」
「そ、そんな……」
 総司は驚き、息を呑んだ。


 完全に誤解されているのだ。
 そんな誤解をされる事だけは嫌だった。
 やっと優しくなってくれた彼に、再び冷たくされるなど、もう耐えられるはずもない。
 あんな冷たい態度をとられたら、今度こそ心が壊れてしまいそうだった。


「土方さん、聞いて」
 総司は急いで立ち上がると、卓をまわって土方の傍に膝をついた。男の腕に縋り、その端正な顔を見上げる。
「そんなの絶対に違うの。私は確かに江戸ヘ帰りたくないけど、だから、あなたに躰を委ねた訳じゃない。さっき、あなたが云ったとおりだから……あなたの言葉どおりだから、躰を委ねたのです」
「俺の言葉どおり? だから、それは取引の一つって事だろう」
「そうじゃなくて、もっと前の。私が、あなたのもの……だって事です」
 耳朶まで赤くなりながら答える総司を、土方は訝しげに見下ろした。微かに眉を顰めている。
「よくわからねぇ。いったい、どういう意味だ」
「だから」
 総司はもう我慢できなかった。土方の腕に縋りつき、そのまま顔を伏せると、一気に叫んでしまう。
「あなたの言葉どおり、ずっとずっと昔から、私はあなたのものだったの……!」
「……え?」
「私は、あなたしか見つめてこなかった。あなたに憧れて恋して、夢中で、好きで好きでたまらなくて……だから、あなたに抱かれた時、どんなに嬉しかったか。泣きたいぐらい嬉しくて、幸せで……」
「総司!」
 不意に大声で叫ばれ、びくりと総司はすくみ上った。驚いて見上げると、土方が怖いほど真剣な表情で総司を見つめている。
「おまえ、それ……本当のことか」
「え」
「今、云ったことだ。俺が好きとか、恋とか……」
「は、はい」
 総司は慌てて頷いた。
「初めて逢った時から、土方さんのことが好きでした。あなただけを愛して」
 言葉が途切れた。
 突然、痛いほど抱きしめられたのだ。きつく抱きしめられ、息もできなくなる。
 驚きに目をみはっている総司を抱きしめ、土方が掠れた声で云った。
「好きだ」
「え……?」
「俺こそ、ずっとおまえを愛してきたんだ。初めて逢った時から、おまえだけを見つめてきた」
「……う、そ」
 総司の声が震えた。とても信じられないとばかりに、男の腕から逃げ出そうと身を捩る。
 それをより強く抱きすくめ、土方は懸命にかき口説いた。
「嘘じゃない。俺はおまえが好きなんだ、愛しているんだ。それこそ、気が狂いそうなぐらい、好きで好きでたまらないんだ」
「だ、だって……そんな……」
「可愛いおまえを見るたび、頭がおかしくなりそうだった。抱きしめたくて、口づけたくて、俺のものにしたくて」
「土方…さん……」
 ようやく総司は土方の言葉を信じたようだった。抗うのをやめ、ただ、彼だけを見上げている。
 そんな総司の頬に、土方はそっと指さきでふれた。静かな声で訊ねる。
「おまえはさっき、俺を愛していると云ってくれたな?」
「はい……」
 こくりと頷いた総司に、土方は唇を噛んだ。一瞬、躊躇ったが、やはり聞かずにはいられない。
「なら、どうして、斉藤を念者とした。契りは結んでいなくても、それでも」
「違うのです」
 総司は土方の言葉を遮り、慌てたように云った。
「あの、全部うそなのです。江戸へ帰りたくなかったから、斉藤さんが念者だという噂を肯定しましたけど、でも、本当は違うのです」
「違う?」
「はい。私と斉藤さんは、そんな関係じゃありません。ただの友人関係です。でも、どうしてか、噂になっちゃって」
「……どう考えても、斉藤はおまえの念者だって云い方していたぞ」
「あれは、その、話をあわせてってお願いしていたからなのです。だから」
「という事は、何か」
 土方は眉を顰めた。
「全部、嘘って事なのか。念者だと云ったことも、斉藤の傍にいたいから江戸へ帰りたくないって云ったことも」
「はい」
 小さな声で答えると、沈黙が落ちた。土方は難しい表情で押し黙ってしまっている。
 おそるおそる訊ねた。
「あの、怒っています……?」
「……怒ってねぇよ」
「ご、ごめんなさい。土方さん、許して」
 総司は半泣きになりながら、土方の胸もとに縋りついた。
「あなたの傍にいたかったの。絶対、江戸へ帰りたくなかったの。どんなに嫌われていても、冷たくされても、それでも、あなたと引き離されるぐらいなら死んだ方がましだから。あなたの傍にいたくて、だから……っ」
「総司、もういい」
 言葉を遮られ、総司は息を呑んだ。そこまで男の怒りは深いのかと思ったのだ。
 土方が手をのばす気配に、殴られるのかと思わず身を竦めてしまった。ぎゅっと目を閉じる。
 それに、土方が吐息をもらした。
「……殴ったりしねぇよ」
「ごめん、なさい……」
「もう謝るな。俺は怒っていねぇから」
 そっと髪を撫でられ、総司はおそるおそる彼を見上げた。視線があうと、土方は少し困ったように笑ってみせた。
「そんな可愛い事を云われて、怒れる男がいるはずねぇよ」
「土方…さん……」
「俺のためについた嘘なんだ、怒れる訳がねぇ。だいたい、そうだな……俺は怒る気になれなかった。正直な話、斉藤とは何でもなかったと聞いて、ほっとしたぐらいだ」
「ほっとしたの?」
「あたり前だ」
 喉奥で低く笑った。
 それから、土方は総司の躰に腕をまわし、ふわりと抱きあげた。気がついた時には、膝上に抱きあげられてしまっている。
 子どもみたいな扱い方に頬を染めたが、優しい瞳で見下ろされ、たちまち抗う気も消えてしまった。従順に彼の腕に抱かれる。
「愛しているよ、総司」
 低い優しい声が耳もとで囁きかけた。しなやかな指さきが髪をかきあげ、そっと撫でてゆく。
「取引や条件なんかじゃねぇ。俺はずっと昔から、おまえだけを愛してきたんだ」
「私も……私も、です」
 総司は潤んだ瞳で男を見上げた。細い指さきがぎゅっと土方の着物を掴む。
「私も、あなただけを愛してきました。ずっとこうして、あなたにふれたかった……」
「ふれるだけでいいのか?」
 悪戯っぽい表情で、土方が訊ねた。それに、総司が「え?」と目を瞬く。
 土方はくっくっと喉を鳴らし、頬に口づけた。
「本当に、俺にふれるだけでいいのか、と云っているんだ」
「あ……」
 意味がわかった総司の頬が、さっと紅潮した。
 恥ずかしそうに長い睫毛を伏せたが、すぐに男の肩に手をかけた。身をのりだし、彼の耳もとに唇を寄せる。
 そして、囁いた。


「私に……くちづけて」


 むろん、その願いが叶えられたことは、云うまでもない。
















 それから数日たった、ある昼下がりだった。
 道場脇の庭で、せっせと素振りに励んでいた斉藤は、後ろからかけられた声にふり返った。
 総司が愛らしい笑顔で、歩み寄ってくる。その手にある小さな包みに、小首をかしげた。
「何だ、それ」
「あ、お人形です」
 総司はにっこり笑顔で答えると、それを斉藤にさし出した。
「はい、お詫びの品」
「お詫びの品?」
「斉藤さんには迷惑と心配かけまくったでしょ? これね、飾っておくと、願い事が叶うお人形なんですって」
「……ありがとう」
 何となく奇妙な気持ちになりつつ、斉藤はそれを受け取った。


 迷惑と心配。
 それはそれは、沢山山ほどかけられたのだ。
 だが、それはある意味、斉藤自身が志願したようなものだから、仕方がない。
 ただ、やはり腹がたつ事はたつのだ。むろん、総司にではない、あの男にだ。
 最後の最後で、おいしい処だけを攫っていった男には、何か云ってやりたい気分なのである。


「そう云えば、斉藤さん」
 総司は縁側に腰かけながら、訊ねた。
「ずっと疑問に思っていたんですけど、あの朝、どうして私が副長室にいるって、わかったのです」
「あの朝?」
「ほら、えーと、私が土方さんと一緒にお部屋で、その……っ」
 もごもごと口ごもり、頬を赤らめた総司の様子に、斉藤も例の朝のことを思い出した。
「あぁ、あれな。近藤さんに教えられたんだ」
「え? 近藤先生?」
「総司が土方さんの部屋で好き勝手されているから、助けに行けって」
「す、好き勝手……」
「けど、結局、オレものせられたって事なんだよなぁ。引き離された事で、土方さんと総司はますます燃えあがっちゃって、結局、念兄弟になってしまうし」
「じゃあ、何? 近藤先生はそこまで見越して?」
 びっくりして訊ねる総司に、斉藤は渋い顔で頷いた。面白くないが、仕方がない。ところが、総司は嬉しそうに笑った。
「うわー、さすが、近藤先生! 私たちの事を考えてくれているんだ」
「これも云っておくけどな、オレたちが念兄弟という噂を流したの、近藤さんなんだぞ。それも、土方さんとおまえ限定で」
「え、どういう事?」
 次々と明らかにされる事実に、総司は目を丸くしている。
 それに、斉藤は疲れ切った気分で説明してやった。
「だから、そんな噂、隊内には流れていないんだ。おまえと土方さんしか、聞いていないって事。本当に流れていた噂は、むしろ、土方さんとおまえが念兄弟だ、似合いだという内容だったという事だ」
「そんな噂、流れていたの?」
「知らないのは、本人たちだけ。近藤先生はそれで土方さんを煽ったけど、上手くいかなかったから、第二弾として、オレをけしかけたんだよ。で、今度こそ上手くいってご満悦という訳だ」
 面白くないと云いたげな表情で、ため息をついた斉藤の前で、総司がぽんっと手を叩いた。驚いてみると、目を輝かせている。
「じゃあ」
 いそいそと立ち上がった。
「近藤先生に、お礼を云わなくちゃ」
「は?」
「だって、そうでしょ。近藤先生、お忙しいのに、そこまで私たちのために骨折りして下さったなんて」
「骨折りっていうか、あの人、面白がっていただけで……」
「お礼を云ってきますね。縁結びの神様のようなものだもの」
「……」
 唖然としている斉藤に手をふり、総司は駆けだしていった。
 だが、すぐに土方とぶつかりそうになり、何か聞かれている。
 苦笑している土方に、総司が一生懸命、説明をしているようだった。おそらく、近藤の処に一緒にお礼に行こうと云われているのだろう。それに呆れつつ従ってしまう男の様子が、目にうかぶようだ。
 竹刀を置いてからふり返れば、案の定、総司に手をひかれるようにして、土方が局長室へ歩いてゆく処だった。時折、言葉をかわし、いかにも蜜月の恋人らしく楽しげに笑いあっている。
 幸せそうな姿だった。
 総司の笑顔も、花がこぼれるようだ。


(まぁ、総司が幸せならいいのさ、オレは)


 ちょっとほろ苦い気分になりつつ、斉藤は心の中で呟いた。
 縁側に腰かけると、人形を見てみようかと懐から包みを取り出した。ごそごそ開きかけたところで、ふと気づく。


 この人形、本当に総司からのものなんだろうな?
 まさかとは思うが、土方さんと連名なんてことは……


 おそるおそるふり返ったとたん、斉藤は固まってしまった。
 いつのまにか、土方がこちらを真っ直ぐ見ていて、ばっちり視線があったのだ。
 にやりと唇の端をあげ、不敵な笑みを投げかけられる。
「……嫌な予感」
 ぞぞぞっと背中が寒くなった。
 何しろ、土方は、総司を溺愛しまくっているのだ。
 なのに、その可愛い総司と念兄弟として噂になった斉藤など、それこそ抹殺してやりたい気分だろう。
 願いが叶うどころか、呪いの人形である可能性が大で……
「……」
 斉藤は慌てて人形を包みなおした。
 そして、今後も続くだろう多難な日々に、深く深くため息をついたのだった。




















完結です。
結局のところ、黒幕は近藤先生だったという……(笑)。たぬきおやじなのです。最後の最後まで報われない斉藤さんですが、これからも受難の日々は続いていくことかと。
ラストまでおつきあい下さり、ありがとうございました。お読み下さった皆様に、感謝! 少しでも皆様が楽しんで下さったら、幸せです。
お読み下さり、ありがとうございました♪