I LOVE BABY!弐 後日談
「……お帰りなさいませ」
ようやく手にいれた休息所。
その玄関先で。
三つ指ついて、大きな瞳で見上げて。
にっこり笑顔でそう挨拶されたとたん、土方は思わず────後ずさった。
(……俺、何かしたっけ)
土方は休息所の一室に座り、先程から眉間に皺を寄せて考えこんでいた。
先日やっとの思いで手にいれた休息所。
そこに総司を連れ込んだのも先日なら、めでたく桃色妄想を実現できたのも先日だ。
幸いにして、総司はその日の前後が非番だったため、土方の希望どおり、綺麗な着物を着て一日べったりと土方といちゃいちゃしまくってくれた。
あの時のことを思い出すと、幸せで幸せで、だらしなく顔が緩んでしまうほどだ。
だが、それから一ヶ月。
何の因果か(もしかすると、近藤あたりの策謀かもしれないが)、土方も総司も多忙を極めてしまい、休息所へ行くどころではなくなっていたのだ。
そして、今日。
二人あわせて、ようやくとれた非番の日。
先に着いてるはずの総司を待たせてはいけないと、土方はもの凄い勢いで仕事を片付け、屯所を飛び出してきたのだが。
「…………」
土方はそおっと、土間の方を伺った。
そこでは、総司がいそいそと働き、夕飯の用意をしている。
正直なところそんなものどうでもいいから、後で何か食べに行けばいいのだから、こっちに来て仲良く色々しようと云いたいのだが、そこはぐっと我慢した。
何しろ、先程の玄関での出迎え方だ。
あんなの見た事がなかったというか、あれはいったい何事なのだ。
今まであんな出迎え方、一度だってした事がなかったのに。
(そりゃ……まぁ、もしかすると男の夢かもしれねぇが)
ふと、そう思った。
何しろ、あの目線。
上目使いの目に、ふっくらした唇が柔らかな笑みをうかべて。
こちらを見上げているからこそ、ちらりと覗く襟元の白い肌。
細い肩にさらりと波うつ黒髪は、まるで絹糸のようにさらさらで。
(すげぇ可愛かった……っていうか、色っぽかった。あぁいうのは褥の中とはまた違った良さがあるよなぁ)
思わず桃色妄想にふらふら〜と走りかけた土方だったが、突然、はっと我に返った。
いつのまにやら総司が傍へ戻ってきていて、じいっと大きな瞳で彼の様子をうかがっていたのだ。
慌てて、こほんこほんと咳払いした。
「な、何だ」
「何でもないけど……ご飯です」
「え」
気が付けば、目の前にはきちんと整えられた膳が並んでいた。それもえらくご馳走ばかりであり、どれもこれも手のこんだものだ。
土方は頂きますと手をあわせてから、それを一口食べた。
……おいしい。
思わず押し黙り、じっと見つめてしまった。
頭の中を、先程の妄想とは違う別の所謂短絡的思考が、ちゃんちゃんと過ぎてゆく。
妙に愛想のいい総司 → 玄関でのお出迎え → すごいご馳走 → まさか……別れ!?
「総司っ!」
思わず叫んでしまった土方に、味噌汁をすすりかけていた総司はびっくりして目を丸くした。
「な、何ですか」
「俺は絶対に別れねぇからなっ!」
「はぁ?」
「たとえ、おまえがどんなに俺の事を嫌いになろうと何だろうと、絶対絶対別れないぞ!」
「そ、それは……どうもありがとうございます」
総司は何と云っていいのかわからない様子で、それでも礼だけは述べた。
だが、ぺこりと頭を下げてから、やはり不審だったらしく訊ねてくる。
「でも、どうしていきなり別れないぞ、なのですか」
「待遇がすげぇいいから」
「?」
きょとんとした総司に、土方はつらつらと云いつのった。
「すげぇうまいご馳走つくってくれるし、玄関先で丁寧に迎えてくれるし、にこにこ笑って愛想いいし……普段のおまえと全然違うじゃねぇか。だから、何かあるとしか考えられなくて、それだと、別れるって事かと思ったんだ」
「……ふうん」
妙にひんやりした口調に、土方はハッと我に返った。
慌てて見てみれば、総司は半目になり、うすら笑いをうかべながら土方を見据えている。
「そ、総司?」
「ふうん……普段のおまえと全然違う、ですか」
「え」
「じゃあ、いつもの私は、玄関で乱暴なお出迎えをして、そっけないご飯をつくって、愛想の欠片もないと云いたい訳?」
「い、いや、そういう訳じゃ」
土方は慌てて中腰になって宥めようとしたが、時既に遅しだった。
きいいいっと目をつりあげた総司が、手元の座布団を彼にむかって投げつけてくる。
「土方さんの為を思ってやってあげたのに、何その態度!? 許せないー!」
「うわ、ちょっとおい! ごめん、悪かったってば」
「やっぱり、あの時、斬っちゃっておけば良かったんだ。ちょびっとでも斬っておけば、こんな事云わなかったはずー!」
「い、いや、それとこれとは違うって……わっ、危ない!」
「何で避けるのっ、箸投げたんだから避けないでよ!」
「ふつう避けるだろ!」
「愛があったら、避けないでしょ!?」
二人は、狭い四畳半の部屋をぐるぐるぐるぐる回り、追いかけっこをつづけた。
途中、玄関の戸が一度開けられ閉じられた気がしたが、きっと気のせいだろう。
(……口は災いのもと)
飛んでくる数々のものを必死になって避けながら、土方は、しみじみとそう思ったのだった。
「……あ、危なかった」
一町半先では、一人の男がぜぇぜぇと肩で息をしていた。
新撰組三番隊隊長、斉藤一である。
たまたま通りかかったので休息所を覗いてみたはいいが、そこはまさに新婚夫婦(?)喧嘩の真っ最中で、またまた巻き込まれそうになったのだ。
危うく難を逃れたが、絶対に巻き添えは御免だとばかり、必死になって逃げてきた。
しかし、いやはや危ない処だった。
実際、戸を開けたとたん、顔の横を箸がすり抜けたのには肝を冷えた。
真剣な話、殺されるかと思ったのだ。箸とはいえ、それを飛ばしたのは、三段突きの名剣士沖田総司なのだから。
「当分……いや、金輪際、あそこへは絶対に近寄らないでおこう」
一人重々しく頷くと、斉藤は屯所にむかって歩き出したのだった。
やはり。
愛とはかくも迷惑なものなのだと、しみじみ思いながら。