遠くで鳴っていた砲撃の音が止んだ。
ついさっきまで煩いぐらいだったのに、地響きのように鳴り響いていたのに、今は何の音もしない。ぴたりと止んだ後は、しんとした静寂が訪れた。
それは、戦の終わりを意味していた。
この北の地で繰り広げられた、戦いの終わりだ。
そして。
それは、彼の死も意味していた……。
行かないでと言うことは出来なかった。
これが最後の戦いなのだと、わかってはいたのだ。
澄み切った五月晴れの空を見上げる彼の端正な横顔に、その強い意思と決意を感じ取った。
昔からそうだったのだ。
この人は、一度己が決めた道は絶対に折らない。たとえ、その先にあるのが己の死であるとわかっていても尚、彼は走り続けるのだ。真っ直ぐに。
「……ご武運を」
総司は静かな声で言った。抱いていた刀をさし出しながら、大きな瞳でまっすぐ彼を見上げた。
「ご武運を心からお祈り申し上げます」
「……」
それに、土方は切れの長い目をむけた。愛しい恋人に対して、微かに笑ってみせる。
しなやかな指さきが、一瞬だけ、頬にふれた。
「俺は幸せだ」
突然の言葉に、目を瞬いた。それに、彼は言葉をつづけた。
「おまえには二度と逢えないと思っていた。想いを伝えることさえできなかったと。だが、おまえはそんな俺の思惑もひっくり返して、ここにいてくれる。傍にいてくれた。それだけで……俺は幸せだったよ」
「土方、さん……」
涙があふれそうになった。が、それを必死にこらえ、総司も笑顔をつくってみせた。
もしかすると、泣きそうだったかもしれない、その瞳は濡れていたかもしれない。それでも、懸命に笑った。
「私も……幸せです。あなたに逢えて、一緒に過ごせて幸せだった」
「そうか。なら……よかった」
優しく微笑みかけてから、土方は総司の手から刀を受け取った。腰に差してから、黒い瞳を総司にむける。
「では、いってくる」
「はい……いってらっしゃい」
微笑みながら言った総司に頷き、土方は背を向けた。そのまま戸を開き、部屋を出て行く。
遠ざかる足音を、耳が追った。聞こえなくなるまで追いつづけた。
やがて、それが何も聞こえなくなると、総司は床に座り込んだ。膝を抱え込み、それに顔を伏せる。
「……っ…ふ…ッ」
嗚咽が唇からもれた。
彼の前では堪えていた涙がぽろぽろとこぼれる。それを感じながら、よりぎゅっと子供のように膝を抱え込んだ。
わかっていた、彼が二度とここに戻ってこないことは。
二度と逢えないことも、全部。
それでも止めることなど出来なかったのだ。彼には彼の生き方がある。それに異を唱えることは、彼という人を否定することだった。愛する男にそんな事出来るはずがなかった。
愛しているからこそ、彼の意思を気持ちを決意を、何よりも大切にしたかったのだ。
たとえ、残された総司が身を切られるような想いであっても。
そして、今、彼の死を聞かされた。
先程、鉄砲で撃たれ、すぐさま近くの小屋に運び込まれたが、島田や斎藤たちが見守る中、息をひきとったと知らせがあったのだ。
最期の瞬間に共にあれなかったことは、悲しかった。が、それもまた自分が選んだことだ。
私も己が選んだ道は折れないのだから。
「どこへ行こう……」
いつの間にか五稜郭から出ていた。
戦後の混乱のためか、誰にも見咎められない。
ここへ来た時は冷たい極寒の冬だったが、今は春を迎えていた。そのため、小袖一枚でも全く寒くない。
総司は何も考えないまま歩いていった。そして、気がつくと、猫になっていた。
いつの間にか、猫になりたいと願ったのだろう。もっとも猫のほうが都合がよい事は確かだった。彼が逝った今、人でいる理由などないのだから。
ゆっくりと雑木林の中へ入っていった。花がたくさん咲いているのを遠目に見たのだ。
行ってみると、そこは確かに花畑だった。綺麗な愛らしい花が一面咲いて風に揺れ、まるで絵のようだ。
が、次の瞬間、総司は思わず息を呑んでいた。
「み!」
大きな動物がそこにいたのだ。仔猫である総司の数倍はある強そうな、いや、凶暴そうな生き物だ。
黒い狼だった。
格好の獲物を見つけたと思ったのか、こちらを鋭い目でじっと睨めつけている。総司は震え上がってしまった。
逃げようと思う。が、足が竦んだのか全く動かないのだ。ゆっくりと狼が近寄ってくるのを感じながら、呆然としたままブルブル震えた。
狼が目の前で立ち止まり、口を微かに開けた。鋭い牙がズラリと並んでいるのを間近に見て、失神そうになる。
(食べられる……!)
ぎゅっと目を閉じた時だった。
何かあたたかいものが口にふれた。そろそろと目を開けると、狼の顔がドアップだ。慌ててまた目を閉じた。
味見しているのか、どうやら舐められたらしい。
次はきっとガブリとやられるのだろう。
そう覚悟した時だった。もう一度、そして、その後もう一度、口にあたたかいものがふれた。
次の瞬間、ふわりと躰が熱くなった。驚いて目を開けば、ぐにゃりと視界が歪み、すぐさま元に戻る。
「……え?」
思わず出した声が人の時の声で、目を瞬いた。何がどうなったかわからない。
だが、総司は猫から人に戻ったのだ。それを自覚したとたん、細い躰が乱暴に抱きしめられた。
「!?」
「よかった、無事だったんだな!」
「は? ……えっ、えぇえーッ!?」
身を起こして自分を抱きしめている相手を見たとたん、総司は唖然となった。
そこで総司を抱きしめ、きれいな笑顔でこちらを見下ろしているのは、先程死んだはずの土方だったのだ。
艶やかな黒髪に、濡れたような黒い瞳、形のよい唇。どれをとって見ても、彼だ。黒いシャツとズボンを纏っている、しなやかな獣のような躰まで、たしかに土方だった。
そこまで考えた総司は、はっと気がついた。思わず叫ぶ。
「ひ、土方さん、狼は!?」
「え?」
「さっき黒い狼がいたの! あんなのに襲われたら大変です。すぐここを離れ……」
「あぁ、大丈夫だ。もういねぇよ」
くっくっと喉を鳴らして笑い、土方は花畑の中に腰を下ろした。そして、総司を膝上に抱き上げる。
甘い口づけを頬や首筋に降らせながら、言葉をつづけた。
「あの狼は俺だからな」
「は?」
「だから、あの黒い狼は俺だ。俺、おまえと同じ身の上になっちまったんだよ」
「……っ」
総司は大きく目を見開いた。
事の次第が理解できたのだ。
どうして、ここに死んだはずの土方がいるのか、先程の狼がどこへ消えたのか、すべてが繋がった瞬間だった。
ぽろりと涙がこぼれた。
それに、土方の目が見開かれる。
「おい、総司? どこか痛いところがあるのか、怪我でもしているのか?」
「違う…の、嬉しいの、幸せなの」
ぶんぶんと首をふり、総司は彼の逞しい胸もとに飛び込んだ。そのぬくもりを確かめるように、両手を背中にまわしてぎゅっと抱きつく。
「生まれ変わりでも何でも、嬉しいのです。あなたと一緒にいる事が出来るから……っ」
「そうだな、総司」
土方は深い色あいの瞳で総司を見つめ、そっと小さな躰を抱きしめた。
「おまえと一緒にいられる……それだけで幸せだな」
「土方さん……」
しばらくの間、二人は口づけあったり抱きあったりしていたが、やがて、ある事に気づいた土方がふり返った。小鳥の囀りがうるさかったのだ。
とたん、一羽の雀がパタパタと舞い降りてくる。二人の前に降り立つと、チュンチュンチュンチュン喧しいぐらい鳴き出した。
土方は眉を顰めた。
「……うるせぇな」
「あ、斎藤さん」
「は?」
「あああー、やれやれ! 無事でよかった、助かった」
突然、ぼんっと雀が消えた次の瞬間、聞き慣れた声がした。
目を丸くしている土方の前で、斎藤がうんざりした様子で肩をすくめる。
「総司、いないから随分探したよ。で、土方さん、生まれ変わった感想はどうですか。へーえ、土方さんは狼、なるほどねぇー、それらしくてイイですねー。どうせ、オレはスズメですよ」
「……斎藤、おまえ、スズメだったのか」
「スズメですよ! スズメ! それが何か!?」
噛み付いてくる斎藤を片手をあげて押しとどめ、土方は総司をふり返った。
「おまえ、前から知っていたのか」
「うん。逢った時から。だから、斎藤さん、私にも気づいたんだと思いますよ」
「なるほど」
頷いた土方に、斎藤が言った。
「それで、土方さんは狼にも人にも自由自在になれるんですか」
「いや……無理だな。狼になっている自分に気づいて、焦って人になろうと思ったが、まったくなれなかった」
「なのに、どうして今は人になっているのです」
「それは総司と逢って…………そうか、そういうことか」
「? 理由わかったんですか」
「あぁ、おそらくな。けど、まぁ……二人一緒にいられるならいいさ」
意味深な男の言葉に首をかしげつつ、斎藤は「さて」と腰に手をあてた。花畑の中で、その膝上に可愛い恋人を大切そうに抱いている男を見下ろす。
「これから、どうしますか」
「斎藤は?」
「オレは一度故郷に戻りますよ。戦も終わりましたし、何かいろいろ片付けたいし」
「なるほど」
「でも、あなたは……無理ですね。オレは下っ端だし、名前も変えていたから認識されていませんが、あなたは何しろあの土方歳三だ。見つかれば、すぐさま処刑される」
「そんな状況に俺が陥ると思うか?」
くすっと笑った。
ゆっくりと愛しげに総司の髪や白い頬を撫でながら、言った。
「そうだな……この北の地にいるのもいいが、外へ出てみるのもいいな」
「外とは、外の国ですか」
「あぁ」
土方は悪戯を思いついた少年のように微笑った。
「一度、行ってみたかったんだ。外の世界を俺は見てみたい」
「私も行きたい!」
わくわくうきうきと総司が叫んだ。
「私も一緒に連れていって、土方さん」
「当たり前だろう。おまえを一人残していくはずがねぇよ。おまえは俺と一緒だ」
「ずっと?」
「あぁ、ずっといつまでも」
「土方さん……」
潤んだ瞳で彼をうっとり見上げる総司に、土方の目もとけるように優しくなった。思わず顔を寄せ、口づけかける。
とたん、横から邪魔が入った。
「はいはいはーい、そういうのは後にして下さいねー」
「後でもいつでもいいだろうが」
「っていうか、今の状況わかっています? 善は急げと言うでしょう。今は戦が終わったところで、どこも混乱状態です。このどさくさに紛れて国を出た方がいい」
「そうだな」
立ち上がった土方に、斎藤が言葉をつづけた。
「いろいろ準備しなきゃいけませんし。それに、一つ聞いておきたいのですが」
「何だ」
「外国に骨をうずめる覚悟ですか。それとも、ほとぼりが冷めたら戻ってくるのですか」
「さぁ、どうだろう」
土方は唇の片端をあげた。
「それは俺と総司の気持ち次第だな。だいたい、あっちでも人でずっと過ごすかどうかさえ、わからねぇし」
「あぁ、なるほど」
「今までさんざん縛られてきたんだ、これからは自由気ままに生きてゆくさ」
楽しそうに笑う土方に、斎藤はやれやれと肩をすくめた。
今までもけっこう自由気ままだった気がするが、これは気のせいだろうか。
結局のところ、二人とも何も変わらないのだ。いや、自分も含めて三人とも。
これからもきっと、彼らにさんざん振り回されるのだろう。それは外国へ行こうがどうだろうが、関係のない、確定の未来だ。
何しろ、自分自身、それを望んでいるのだから。
「じゃ、行きますか」
歩き出した斎藤の後ろで、土方が総司に手をさしのべ、立ち上がらせた。ぎゅっと手を握る。
きれいに澄んだ瞳が、彼を見上げた。
「土方さん」
「あぁ」
「ずっと一緒ですね」
「そうだな」
「大好き、愛してる」
「あぁ、俺も」
土方は総司を見下ろし、微笑んだ。
「俺も、おまえを愛してる」
そして、二人は歩き出したのだった。
未来へむかって。
青い空の下を。
どこまでも。
いつまでも。
Wishing you good luck on the beginning of your new journey in life !
ラストまでおつきあい下さり、本当にありがとうございました!
江戸へ戻ってからのお話は書くの初めてだったのですが、もう妄想突っ走りで楽しく書かせて頂きました。ラストはもちろん、ハッピーエンドで。いや、史実はもうどこか彼方へ。皆様が少しでも楽しんでくだされば、とってもとってもハッピーです。ラストの英文は、「新しい旅立ちに幸あれ!」です。
ありがとうございました!