見事なものだった。
 彼の手の中で、みるみるうちに彫られてゆく美しい絵。
 紅葉を模った簪は美しく、とても艶やかにきらめいた。
「わぁ……綺麗」
 思わずそう感嘆の声をあげた総司に、斉藤は顔をあげ、微笑んだ。
 秋の昼下がり。
 ここは斉藤一の仕事場である。
 時々、こうして総司は斉藤の家へ遊びに来るのだが、何と云っても一番の楽しみは、その仕事ぶりを見ることだった。
 まるで魔法のように、美しく綺麗につくられてゆく数々の簪。
 今も、斉藤の手の中で輝くそれは、紅葉の朱色に染まり、美しく鮮やかだった。
「本当に綺麗! これって、紅葉でしょう?」
「あぁ。秋にちなんで作って欲しいと云われたんだ。まぁ、本物の紅葉には叶わないけれど」
「そんなこと! あぁ、でも、紅葉……今頃綺麗だろうなぁ」
 総司はうっとりと目を細めた。
 庶民であり日々の暮らしに追われる彼らが、そうそう呑気に紅葉狩りになど行けるはずもないのだが、近場なら連れていってやると、先日、兄も云ってくれたのだ。
 それを、うきうきしながら思い出した。
 大きな瞳が嬉しそうにきらきら輝き、なめらかな頬に無邪気な笑みがうかべられる。
 斉藤はそれに気づき、小首をかしげた。
「なんだか、えらく嬉しそうだな」
「だって、紅葉をね、今度見に行くんです」
「あぁ、紅葉狩り。で、どこへ行くって?」
「知らないけれど、どこかのお寺の紅葉が綺麗だからって……兄さんは何でもよく知ってるから」
「そりゃ、あれだけあちこち出かけてれば……」
 と云いかけ、斉藤は慌てて口をつぐんだ。
 が、もう遅かったようだ。しっかり聞こえていたらしい。
 総司は可愛らしく小首をかしげた。
「あちこち出かけるって?」
「い、いや。土方さん、けっこうよく出歩いてたから」
「……それは、女の人とってこと?」
「う。いや、その」
「でも」
 ちょっと桜色の唇を噛みしめ、俯いた。
「でも、それって昔のことだもの。今は……私一人のはずだし」
「そうだな、うん。土方さん、総司しか目に入ってないものな」
「……」
 しばらくの間、総司は黙って目を伏せていたが、不意に立ち上がった。
 びっくりして見上げた斉藤に、少しわざとらしいくらい元気な声で云った。
「そろそろ帰りますね。夕飯の支度をしなくちゃいけないし」
「あぁ、その、総司……」
「じゃあ、また明日」
 明るく笑ってみせると、総司はくるりと背をむけた。ぱたぱたと草履の音が遠ざかってゆく。
 それを聞きながら、斉藤はため息をついた。
「……まずかったよなぁ」
 手の中で、紅葉の簪がきらきらと輝いていた。








「……総司?」
 訝しげな兄の声に、はっと顔をあげた。
 夕飯時の後片付けの最中だった。
 水に濡れたお椀を手に、いつのまにか、ぼーっと突っ立っていたらしい。
「あ」
 慌ててふり返ったとたん、つるりとお椀がすべり落ちた。あっと悲鳴をあげそうになったが、すんでの処で歳三が受け止めてくれる。
「危ねぇな、気をつけろよ」
 そう云いながら、歳三はお椀をそっと盥の中に戻した。
 濡れたような黒い瞳が、心配そうにじっと総司を覗き込んでくる。
「ぼんやりして、どうした。何か考え事か」
「……う、ううん」
 慌てて首をふってみせた総司に、歳三はまだ少し眉を顰めていたが、やがて「まぁ、いいか」とかるく肩をすくめた。ぽんぽんっと総司の頭をかるく叩いてから、踵を返し、土間から部屋にあがってゆこうとする。
 それに、総司は声をかけた。
「あの、あのね、兄さん」
「え?」
 ふり返った歳三に、総司はちょっと口ごもった。
 どうしようかなと思ったが、やはり聞いてしまう。
「この間……云ってた紅葉なんだけど、あれっていつも……」
 だが、云いかけたとたん、歳三の声に遮られてしまった。
「あぁ! そうだった、紅葉だ」
 歳三は嬉しそうに云うと、敏捷な動きで戻ってきた。総司の躯をゆるく引き寄せ、ちゅっと音をたてて、すべすべの頬っぺたに口づけてくれる。
「喜んでくれ。明日、休みがとれたから、おまえと紅葉を見に行けるぜ」
「お休み?」
「あぁ。弁当もっていくか、いや、旨い店で何か食わしてやった方がいいな。たまには、おまえも外で食いてぇだろ? 何がいい?」
 うきうきした口調で云う歳三を、総司は大きな瞳でじっと見上げた。
 艶やかな黒髪を結い上げて。切れの長い目に、黒曜石みたいな綺麗な瞳も。形のよい唇も。そこから紡ぎ出される声も、みんなみんな男らしくて精悍で、それでいて綺麗で。
 男らしい、端正な顔だちである兄を見つめながら、総司は思った。
(……もてるものね、兄さんって)
 今まで、ずっとたくさんの綺麗な女の人に囲まれてきたのだ。斉藤が云ってたとおり、そりゃもうあちこち出歩きもしただろう。色んなところに、色んな綺麗な女の人と行ったりもしただろう。
 それを今更責めるつもりはないが、でも、それを考えるといい気分どころか──何となく胸の奥がちくちく痛くなることは確かなのだ。
(私って、やきもち焼きなのかも)
 それに気づいた総司は、はっとある事を思い出した。
 以前、兄がつきあっていた女の一人にしつこくされた時、色々と嫉妬してくる彼女に、うんざりした顔で呟いていたのを思い出したのだ。
『悋気もちってのが、一番嫌だな。鬱陶しくてたまらねぇよ』
と。 
(じゃ、じゃあ……!)
 総司はささぁーっと青くなってしまった。
(私がやきもち焼きなのがわかっちゃったら、兄さんにいやだなぁって思われるの!? 嫌われちゃうの!? ど、どうしよう…っ)
 思わず両手で唇をおおってしまった総司は、次の瞬間、はっと我に返った。
 気がつくと、歳三が思いっきり不審そうな顔で見つめていたのだ。
「に、兄さん……っ」
「おまえ、今日絶対に変だぞ」
 歳三はため息をつきながら、云った。
「何、一人で赤くなったり青くなったりしてるんだ。熱でもあるんじゃねぇか」
「あ、ありません、熱なんて」
「なら、いいけどな」
 念のためにと、額と額をくっつけて、歳三は小さく笑った。
 その笑顔がうっとり見惚れるくらい、綺麗で優しい。
「よし、大丈夫だ。けど、明日出かけるんだから、早めに寝ような」
「はい」
「ここ、俺も手伝ってやるよ」
「え、いいです! 兄さん、お仕事で疲れてるのに……っ」
「いいから、大丈夫だって」
 歳三は躊躇う総司の隣にならぶと、さっさと洗い物を始めた。手際よく器を洗ってゆく。
 その端正な横顔を、総司は見上げた。
 そして、小さな胸を痛める想いに、きゅっと桜色の唇を噛みしめたのだった。








 さて、その次の日。
 昼前に、歳三と総司は紅葉を見るために外出した。
 隣町を越えたところにあるお寺のようで、その境内にある紅葉がとても見事らしい。
 いい天気になったし、すげぇ綺麗だと思うぜと上機嫌で笑う歳三の隣、総司はこっくりと頷いた。
 優しい瞳で見下ろしてくる兄に、可愛らしく微笑んでみせる。
 あれこれ考えても仕方ないやと思ったのだ。
 昔はどうあれ、今はきっと自分一人を大切にしてくれているはずだし。
(だって、私は兄さんの恋人なんだもの)
 ぽっと頬を赤らめながらそんな事を考え、総司は歳三とならんで歩いた。
 人通りの多いところなどでは、相変わらず甘やかしまくりで心配性の歳三は、総司の手を握って離そうとしない。
 それこそ水も滴るようないい男が、可愛らしい少年を大切そうに扱い、その手をひいて歩くさまは、とんでもなく目立ちまくっていたが、そんなこと総司はともかく歳三は全く無頓着だった。
 とにかく、歳三にとっては、目の中にいれても痛くないほど総司が可愛く、その幸せだけが何よりも大切なのだ。
「紅葉を見る前に、飯を食っていくか?」
 往来を歩きながらそう訊ねられ、総司はちょっと考えてから頷いた。
 それに、歳三がかるく小首をかしげた。
「この辺りだと……そうだな、蕎麦の旨い店があるぜ」
「お蕎麦? あ、それ食べたい」
「じゃあ、決まりだな」
 歳三は総司の手をひいて、さっさと歩き出した。やがて、一軒の店の暖簾をくぐってゆく。
 昼時はもう過ぎていたが、なかなか繁盛している店のようで、中は割合混み合っていた。
席に座り、注文をすませると、総司は周りをきょろきょろ見回した。
 あまり外で食べることがないので、こういった場所がとにかくもの珍しいのだ。
 すると、忙しく店の中を動き回る娘たちの一人が、目にとまった。
 ぱっと誰の目をも惹くほどの器量良しだ。勝ち気そうな、きりっとした顔だちだがどこか可愛らしく、娘らしい雰囲気がとても甘やかだった。
(ちょっと、お磯ちゃんと似てるかも……)
 そんなことを考えながら見ていると、不意にその娘がこちらをふり返った。慌てて視線をそらしたが、なぜか、その娘はこちらへまっすぐやってくる。
 焦っていると、娘は総司たちの傍に立ち、親しげに話しかけてきた。
「久しぶり、歳三さんじゃないの」
「……え」
 顔をあげると、歳三がちょっと驚いたような顔で娘を見上げていた。だが、すぐに誰かわかったらしく、綺麗な笑顔になった。
「誰かと思ったら、お楽か」
「そうです、お楽よ。ちゃんと覚えててくれたのね」
「まぁ、そりゃ忘れはしねぇさ。元気そうだな。ここで働いてるのか?」
「この間からね。歳三さんも元気そうでよかったわ」
 そう云った時、店の奥で彼女を呼ぶ声がした。それに、「はぁい」と元気よく答えてから、お楽は一瞬だけ手をのばし、指さきで歳三の頬にふれた。
「まだ、気があるって云ったら呆れる?」
「……いや。けど、迷惑だ」
「ふふっ、冷たい男。でも、そこに惚れてたんだけどね」
 そう笑うと、お楽はひらりと身をひるがえし、店の奥へと去っていった。
 歳三はそれを見送ってから、ちょっと気まずそうな顔で総司を見た。
「……その、総司、今のは……」
「わかってます」
 何か兄が云いかける前に、総司は慌ててさえぎった。
 一つだって聞きたくなかったのだ。弁明も言い訳も、どんな言葉さえも。
「兄さんが昔、遊んだ人でしょう?」
「あぁ、けどな……」
「でも、昔のこと。今は今だもの、ね」
 そう云って笑ってみせた時、ちょうど蕎麦がはこばれてきた。
 総司は箸をとると、両手をあわせた。
「いただきます」
 きちんとそう云ってから、蕎麦を食べはじめる。ずっと視線を落とし、絶対に歳三の方を見ようともしなかった。ただひたすら、黙々と蕎麦を食べつづけている。
 それを、歳三がじっと見ている気配を感じたが、やがて、深いため息が聞こえた。
 視界の端で、男の手が箸をとりあげ、器を引き寄せる。
「……いただきます」
 低い声で呟くように云ってから、いつもどおり綺麗な作法で歳三は食事を始めた。
 それを感じながら、総司は一瞬だけ、ぎゅっと目を閉じた。








 間の悪い事は、重なるものである。
 妙な沈黙のまま蕎麦屋を出た二人だったが、目的の寺が近づいてくるに従い、総司も少し気分がよくなっていた。
 何しろ、紅葉がとても美しく見事だったのだ。
 真っ赤に染め上げられた木の葉がひらひらと風に揺れ、寺の漆黒とあいまって絵のような眺めだ。けっこう有名な紅葉の名所らしく、同じように見物に訪れたらしい人々で、ほどほどに賑わっていた。
 その中を歩きながら、総司は思わず感嘆の声をあげた。
「綺麗……!」
 見上げれば、紅葉が空を覆いつくし、きらきらと鮮やかに輝いている。
 総司は嬉しそうに笑い、歳三の腕に手をからめた。
「とっても綺麗ですね、兄さん」
「あぁ、そうだな」
 歳三は、機嫌がなおったらしい総司の様子にほっとしつつ、頷いた。 
 だが、その時だった。
 今度は、先ほどの娘よりもっと艶めかしい声が、背後からかけられたのだ。
「あら、歳三さんじゃないの」
「……」
 ふり返ってみた総司は、思わず息を呑んだ。
 そこにいたのは、艶やかな黒絹の着物を纏った美しい芸妓だったのだ。
 嫣然と微笑みながら歩みよってくると、歳三の肩に手をかけて見上げた。
 二人がそうやって寄りそう様は、思わず見惚れるような光景だった。美男美女でとても似合いであり、周囲の人々も皆、ふり返ってゆく。
「……菖蒲」
 どこか掠れた声で呟いた歳三に、その菖蒲という名の芸妓はにっこり微笑んだ。
「最近とんとご無沙汰だけど、お仕事の方でも忙しいの?」
「まぁ……それなりにな」
「で、そのお休みにここで紅葉見物?」
「俺の事はともかく、客を放っておいていいのかよ」
 ちらりと向こうに佇む男へ視線を投げた歳三に、菖蒲はくすっと笑った。
「お客じゃないわよ。つれない歳三さんを見限って、さっさと乗り換えさせてもらった情人って処かしら」
「そうか」
「ねぇ、気になる?」
「いや」
 歳三は肩をすくめ、僅かな笑みをうかべた。
「全然」
「相変わらず、つれない男よねぇ」
 そう云いながら、菖蒲はさきほどのお楽のように手をのばした。するりと歳三の頬から首筋にふれてから、煩わしげに眉を顰めた彼の表情に、くすっと笑う。
 名残惜しげな視線をやりつつも、踵を返した。まだ未練たっぷりという処なのだろう。
 歩み去る菖蒲を見送り、総司はそう強く思った。それと同時に、胸の奥がまたちくちくと痛くなり始める。
 兄の傍に立ったまま、ぎゅっと両手を握りしめた。
「……すまねぇ、総司」
 すると、歳三が低い声で謝ってきた。
「何だか、今日はおまえに嫌な思いばっかりさせちまってるな」
「……」
 総司は長い睫毛を伏せた。しばらく黙ってから、小さな声で云った。
「……いやなんか、じゃありません」
「え?」
「全然大丈夫だから、兄さんもあまり気にしないで」
 そう云ってから、総司は足早に歩きだした。歳三が後ろからついてくるのがわかる。
 知らず知らずのうちに、頬がふくらみ、唇が強く噛みしめられた。でも、そんな顔を見せたくないし、兄にこのどろどろした感情を絶対にぶつけたくない。
 やきもち焼いてる自分なんか、どうしても知られたくなかったのだ。
 総司はどんどん寺の奥へ歩いて行ったが、とうとう突き当たりまで来てしまうと、さすがに立ち止まった。周囲に、あまり人気はない。
「……総司」
 そっと、後ろから肩に優しく手を置かれた。それに、じわっと涙がにじみ、思わず大声で泣きだしたくなってしまう。
 幼い子供だった頃みたいに、やだやだやって駄々こねて、思いのまま拗ねてしまいたくて。
 でも、そんなこと出来るはずなかった。
(……だって、そんな事したら)
 肌に爪が食いこむほど、両手をきつく握りしめた。
(私があんな事ぐらいでやきもち焼いちゃう人間だって、そんなの知られたら。兄さんに嫌だと、鬱陶しいと思われるから……)
 総司は俯いた。
 それから、すうっと息を吸うと、できるだけ平気そうな声で云った。
「……ちょっとだけ一人になりたいの。構わない?」
 それに、歳三は驚いたようだった。
 総司の肩に置かれた手に力がこもる。後ろから覗き込まれているのが、わかった。耳朶に彼の息がかかる。
「いったい何を云ってるんだ。こんな処で一人にできる訳ないだろ。それに……」
「大丈夫。心配しないで、兄さんのことが理由じゃないから、ちょっと私も考えたい事があるんです」
「総司、俺の話も聞いてくれ。さっきの女は、おまえが思ってるような……」
「だから」
 総司は声を強めた。
「兄さんの事じゃないって云ったでしょう? だって……っ」
 もう涙があふれてしまいそうだった。
 だが、それでも一生懸命、こらえながら言葉をつづけた。
「私、全部大丈夫だから。兄さんが、その…女の人といろいろあっても、いろいろしてても、平気だから。女の人が兄さんにさわっても、まだ好きみたいな事を云われても、兄さんが女の人たちに綺麗な笑顔を見せても、全部平気で大丈夫で……」
「総司……」
「だ、大丈夫で……何ともなくて、い、いやじゃなくて……っ」
 声が震えて上ずり、目の奥がつんと痛くなった。
 不意に、その細い腕を男の手が掴んだ。そのままくるりと反転させられ、あっと思った時にはもう強く抱きしめられている。
 広く厚いその胸に顔を押しつけさせられ、小さな頭を男の掌が優しく包みこんだ。
 その優しいぬくもり、鼓動、匂い、息づかい。
 馴れきった兄のそれらを、強く愛しく感じたとたんだった。
 ぶわっと視界が霞み、大粒の涙があふれた。大きな瞳から涙があふれ、ぽろぽろと零れ落ちてゆく。
「……や…だ……っ!」
 気がつくと、歳三の胸にしがみつき、泣き叫んでいた。
「やだ、いや、やだ!」
 涙がどんどんあふれた。
 言葉もどんどんあふれた。
「兄さんに誰もさわらないで、兄さんも誰にも笑いかけないで! 全部平気なんかじゃない、いやったら、いや!」
「総司……」
 どこか掠れた低い声が耳もとにふれた。
 それを感じながら、総司は激しく泣きじゃくった。 
「我慢しようって思ったのに! 前に、兄さんが悋気持ちは嫌だと云ってたから。やきもちなんか焼いて、兄さんに嫌われくなかったから……ずっと我慢しようって、でも、でも……っ」
「すまねぇ、総司。本当に悪かった……」
 歳三の唇が、総司の涙を優しくぬぐってくれた。
 何度もあやすように少年の細い背を大きな掌で撫で、ぎゅっと胸もとに抱きすくめてくれる。
「俺のせいで、おまえにいやな思いをさせちまった。けど、そんな……おまえが我慢する事なんかねぇんだ。おまえはいつも素直に、自分の気持ちを出してかまわねぇから。どんな事をしても、俺がおまえを嫌うなんざ絶対にありえねぇよ」
「ほんと…に?」
「あぁ、おまえが何をしてもどんな事をしても、ずっとずっと好きさ」
「兄さん……っ」
 総司の瞳から、また涙があふれたが、それは先ほどとは違う意味の涙だった。
 嬉しくて。
 兄の言葉が嬉しくて。
 冷えていた心を、そっと兄の掌で包みこまれたような気がして。
 だから。
「兄さん、だい好き……!」
 総司は歳三の背に手をまわし、しがみついた。その腕の中、何度も好きという言葉をくり返す。
 愛おしい弟を、歳三は優しく抱きしめたのだった。








 結局、その後。
 井戸端まで連れてゆかれ、濡れた手ぬぐいで泣き顔を綺麗にぬぐってもらってから、総司は歳三とともにあちこち歩き回った。
 寺前の茶店でお団子をご馳走してもらって、たくさん綺麗な紅葉を二人一緒に見て。
 とてもとても楽しい一時だった。
 そして、それは、茜色の夕陽が射しはじめた中で、帰ろうとした時だった。
 不意に、歳三が総司の手を引っぱったのだ。
「兄さん?」と小首をかしげた総司に、「おいで」と優しく微笑んでくれる。
 戸惑いながらついてゆくと、寺の裏にある小高い丘に登らされた。ちゃんと小道があり、そこは散策路となっているらしい。だが、あまり知られていないのか、天辺までのぼると他には誰もいなかった。
 丘の上まで登ってから、ふり返って寺を見下ろした総司は、思わず目を瞠った。
「……!」
 茜色の夕陽に、寺の紅葉がきらきらと輝いていた。
 見下ろしているため、一面、鮮やかな紅葉の海のようだ。
 時折ふきぬける風に紅葉がひらひらと舞い散り、それが黄金色に朱色に目映く煌めいてゆく。
 美しい絵のごとく、本当に見事な光景だった。
「なんて……綺麗」
 そう呟いた総司を、歳三は後ろからそっと抱きすくめた。両腕の中に華奢な少年の体を閉じこめ、耳もとで甘く囁きかける。
「すげぇ綺麗だろ? ここ、俺の秘密の場所なんだぜ」
「秘密の?」
「あぁ。今まで誰もつれて来た事ねぇんだ。いつか絶対、おまえと両思いになってから、ここに来て見せてやろうと思っていたからさ」
「え……っ」
 驚いて見上げた総司に、歳三は優しく微笑んだ。
 そっと、額に頬に柔らかな口づけを落としてくれる。
「だい好きだ。おまえだけが可愛くて可愛くて、たまらねぇ。ずっと…昔からそうだった」
「兄さん……」
「おまえは特別なんだ、誰ともまったく違うんだ。今までつきあった女たちに、俺は……その不実な話だが、情愛なんざまったくもった事なかった」
「……」
 ちょっと長い睫毛を伏せてしまった幼い弟に、歳三は言葉をつづけた。
「何しろ、俺にはおまえがいたからな。いつもいつも、おまえの事ばかり考えていたし、誰よりも一番大切だった。愛しくて愛しくてたまらなかった。それは……その、こうして俺の恋人になってくれた今も……いや、今の方が、もっと愛しくてたまらねぇよ」
 総司は、兄の「恋人」という言葉に反応し、ぽっと頬を赤らめた。恥ずかしそうに睫毛を瞬かせると、男の胸もとに顔をうずめてしまう。
 そんな仕草一つにもたまらない愛しさを感じながら、歳三は囁いた。
「だい好きだ。おまえがする事なら、どんな事でも、俺は愛しく感じるんだ」
「……兄さん」
「やきもちだって、そうだ。本当に不思議だよな、おまえ相手だとすげぇ嬉しかった。今日、おまえがやきもち焼いてくれたと知ったとたん、俺は悪いことをしたと思いつつも、妬いて拗ねてるおまえに、嬉しくて嬉しくてすげぇ舞いあがっちまったんだぜ」
「うそ……!」
 驚き、総司は顔をあげた。それに、歳三はちょっと照れくさそうな顔で笑ってみせた。
「嘘なものか、すげぇ嬉しかった。それだけ俺のこと好きだと恋人だと、思ってくれてるって事だものな。めちゃくちゃ嬉しくて、だから、つい、おまえを場所も考えず抱きしめちまったんだ」
「ほんとに? 本当に、いやじゃなかったの?」
「いやなどころか、嬉しいし、可愛いなぁと思ったよ」
 そう云ってから、歳三は悪戯っぽい瞳で総司を覗き込んだ。
「俺のこと好きか? 俺のことで、やきもち妬いてたのか?」
「わ、わかってるくせに……っ」
「なぁ、答えてくれよ」
 甘ったるい声で囁いてくる歳三に、総司は耳朶まで桜色に染め上げた。それから、歳三の胸もとに顔をうずめると、小さな小さな声で云った。
「ずっと……やきもち妬いてました。兄さんがだい好きだから、誰にも笑いかけて欲しくなくて……」
「総司……!」
 思わずとも云うように、歳三は総司の小柄な躯をふわりと両腕に抱きあげた。
 慌ててしがみつく総司に、とろけそうな瞳で笑いかけると、そのまま頬や首筋、唇に、甘い甘い口づけの雨を降らせてくる。
「すげぇ可愛い……。おまえが本当に、可愛くて可愛くてたまらねぇよ」
「兄さん……好き、だい好き…ぅ、んっ……」
 唇を重ね、深く甘く舌を吸いあげた。
 頭の芯までぼうっと霞むほどの、濃厚で甘ったるい口づけ。
 何度も口づけをかわしてから、歳三はまた総司の躯をぎゅっと抱きしめた。
 その腕の中、兄のぬくもり、鼓動を心地よく感じながら、総司は男の胸もとにうっとりと凭れかかった。
 小さな声で囁いた。
「ね……約束してね」
 そっと歳三の指をとり、甘えるように絡めて。
「もう絶対、女の人に笑いかけたりしないでね。ずっとずっと……私だけの兄さんでいて下さい」
 それに、歳三はちょっと小首をかしげた。
「兄? 俺はおまえの兄だけの存在だったか?」
「あ……え、えっと」
 総司は気がつき、頬をぱぁっと紅潮させた。しばらく羞じらっていたが、やがて──小さな小さな声で云った。
「ずっと……私だけの恋人でいて下さい」
「あぁ、もちろんだ」
 くすくす笑いながら、歳三は答えた。
 それから、総司の耳もとに唇を寄せると、優しい声で囁いたのだった。


      「ずっと……俺はおまえだけのものだよ」


 今も昔も。
 そして。
 何時いつまでも───……
 
















[あとがき]
 ちょっとやきもち妬いちゃった総ちゃんのお話でした。いやもう、土方さん、やきもち妬かれても、総ちゃん相手なら可愛くて可愛くてで、めろめろになってますけど(笑)。
 紅葉のシーズン。お話upできて、やれやれってとこです。皆様も、素敵な紅葉で楽しまれますように♪


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