謹賀新年。
 ちゅんちゅんと雀の囀りもにぎやかな、元旦の朝だった。
 初日の出は見れたに違いない、晴れ渡った青空が広がっている。あちこちで、年賀の挨拶をする声が聞こえ、餅の焼く香ばしい匂いがただよっていた。
 そして、それは、この総司がだい好きな兄と一緒に住む家でも同じことで。
「……えーと、これで全部かな」
 総司は年末から腕によりをかけて作ったお節料理と、お雑煮をならべ、ほっと息をついた。でも、まだ心配らしく、きちんと並んだ箸や皿をたしかめている。
 それを、歳三は優しい瞳で見た。
「ほら、早く食おうぜ。せっかくの雑煮が冷めちまう」
「はい」
 総司はいそいそと歳三の前に坐り、きちんと正座した。兄に促され、慌てて襷をとる。
 歳三が云った。
「あけまして、おめでとう」
「あけましておめでとうございます」
「今年もよろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
 ぺこりと頭をさげる様が、とても可愛らしい。
 二人は微笑いあうと、食事を始めた。やはり、総司が腕によりをかけて作ったものだ。歳三にすれば、どんな料亭のご馳走よりもおいしく感じられる。
 歳三は、つやつやした黒豆を箸で綺麗にとりながら、云った。
「で? 今年の初詣はどこへ行くつもりだ?」
「うーん、あんまり人が多くない処がいいです」
「と云っても、今日はどこへ行ってもすごい人だぞ」
 ちょっと眉を顰めた兄に、総司は困ったように長い睫毛を伏せた。
「そうかもしれないけど……兄さんとはぐれるの困るし」
「じゃあ、ずっと手ぇつないでればいい」
「そ、そうじゃなくて。その、人がいっぱいだと辛いし」
「あぁ、おまえはすぐ気分悪くなっちまうものな」
 歳三は心配そうに、この可憐で可愛らしい弟を眺めた。
 そうして、ちょこんと彼の前に坐っている姿は、本当にお人形さんのような可愛らしさだった。
 ぱっちりと大きな瞳に、煙るような長い睫毛。すべすべした白いなめらかな頬。ふっくらした桜色の蕾のような唇。
 質素だが清潔な着物を纏っている、その華奢な躯は、思わず抱きしめたい程しなやかでほっそりしていて。
 しかも、しかも。
 その可愛い弟は今や、彼の恋人なのだ。
 長年の想いが叶って、昨年ようやく恋人になってくれた存在。
 とりあえず、未だ「兄さん」と呼ばれている事はおいといて、その他の事ではまったく不満一つない──いやいや、それどころか、くるくるよく働くし、彼につくしてくれるし、優しくて気だてもよくて。
 彼にとっては、文字通り目の中にいれても痛くないほど可愛い可愛い、自慢の恋人なのだ。
「じゃあさ」
 歳三は優しい声で云った。
「なるべく人の少ない処を選んでゆこうな。それで、帰りにおまえの好きな甘いものでも食って帰ろう」
「ありがとう、兄さん」
 総司は嬉しそうに、ぱっと顔を輝かせた。それに歳三も微笑み、手をのばして頭をそっと撫でてやった。
 今年のお正月で総司も十五才になる。
 だが、そのあたりが今ひとつ実感できていない兄の歳三だった……。








「あけまして、おめでとうございます!」
 総司は元気よく挨拶した。
 ちょうど家の前を通りかかった処、斉藤が出てきたのだ。
 一瞬びっくりした顔をしてから、斉藤はすぐ小さく笑った。ぽんっと総司の肩をたたいて答える。
「おめでとう。今年もよろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
 総司はにこにこしながら答えた。
 それに、斉藤はちょっと目を細めた。
「朝からどこへ行くんだ? 年賀の挨拶はいいのか?」
「明日なんですって。うちじゃ狭いから、小島さん処で挨拶うけて、小島さんにもご挨拶して」
「ふうん。明日は大忙しだな」
「兄さんが大変だと思います。私はそんなに……」
「それでも、色々と持っては行くんだろう?」
「えぇ」
 こくりと頷いてから、総司は気が付いたように云った。
「あ、そうだ。斉藤さん処にも持っていこうと思ってたんです。煮しめと田作り。いります?」
「お節料理か? おまえが作ったものなら、うまいだろうな」
 斉藤は嬉しそうに笑った。
「喜んで貰うよ」
「じゃあ、今とってきますね」
「別に今じゃなくても……」
 慌てて云いかけた斉藤に気づかず、総司はぱたぱたと自分の家へ戻ると、手早く小さな重箱に煮しめと田作りを入れた。ちょっと考えてから、紅白なますも入れておく。
 また急いで斉藤の処まで戻った総司は、「はい!」と重箱をさし出した。
「ちょっとしかなくて、ごめんなさい」
「これだけ貰えれば十分だよ。本当にありがとう」
 重箱を受け取りながら、斉藤は小首をかしげた。
「けど、土方さんは?」
「え、あ……兄さんは……」
「おまえ一人で出かけるのか?」
「……そんな訳あるはずがねぇだろ」
 後ろから低い声がかけられ、斉藤は慌ててふり返った。総司が「兄さん!」と喜んで駆け寄ってゆく。
 すらりとした長身に黒い着物を着流しにしたその姿は、相変わらず粋だった。この男特有の艶にあふれ、誰の心も強く惹きつけてしまう。
「……」
 歳三は黒髪をうるさそうに片手でかきあげつつ、斉藤が手にしている重箱へ鋭い視線をやった。
「……それは?」
「総司にもらったお節料理ですよ。お裾分けです」
「……」
 思わず眉間に皺がよってしまった兄を、総司は心配そうに見上げた。くいくいと袂をひく。
「ごめんなさい……兄さん、駄目…だった?」
「駄目って訳じゃねぇが……あんまり嬉しくねぇな」
「でも、斉藤さんにも食べて欲しくて」
「まぁ……やっちまったものは、今さらどうしようもねぇ」
 渋々そう答えた歳三に、斉藤はくくっと小さく笑った。何だ?とじろりと見てくる歳三に、いえいえと手をふってみせる。
 それから、話題をかえようと声をかけた。
「で? どこかへ出かけるんですか?」
「あぁ、初詣にな」
「そりゃいいですね」
 にこやかに云った斉藤に、総司が可愛らしく微笑んだ。
「斉藤さんも一緒に行きます?」
「──」
 とたん、歳三の顔が強ばったのを、斉藤はむろん見逃さなかった。だが、わざと知らぬ顔で云ってのけてやる。
「そうだなぁ、一緒に行かせてもらおうかな」
「……斉藤」
「うそうそ。ほん冗談ですよ」
 斉藤は心底楽しそうに笑った。けっこう、この状況を面白がっているのだ。
「二人でゆっくりどうぞ。おれは、もらったお節料理をつついてますから」
「斉藤さん、本当に一緒に行かないんですか?」
 傍らに立つ兄の不機嫌そうな様子にも全く気づかず、総司は不思議そうに訊ねた。
 それに、くすっと笑った。
「いや、おれも命が惜しいからね」
「?」
「ま、楽しんで行っておいで」
「はい」
 意味も状況も全くわからないながらも、総司はこくりと頷いた。
 その手がぐいっと掴まれ、不意に引っぱられる。
 驚いて見上げると、歳三が総司の手を握りしめたまま、足早に歩き出す処だった。
「に、兄さん?」
「行くぞ。早く行かねぇと、混んできちまうだろうが」
「あ……はい」
 総司は慌てて兄と一緒に歩き出した。が、大きな道に出る手前でふり返り、斉藤にむかって手をふってみせた。
「斉藤さん、いってきまぁす!」
 とびきり可愛い笑顔で。
 傍で、歳三が眉を顰めている事にも気づかず。
「いってらっしゃい」
 斉藤はにこやかな笑顔で手をふってやった。
 きっと、歳三は「そんな可愛い笑顔の大盤振る舞いなんざするなっ」とでも思っているに違いない。
 だが、可愛いくて優しくて、誰にでもにこにこ笑顔の総司は、ご近所中の人気者なのだ。
 歳三の煩悶は、これからも果てしなく続いてゆくことだろう。
「兄心弟知らずって……奴かな」
 二人の姿が見えなくなると、斉藤は楽しそうに呟いた。
 そして、総司お手製のお節料理をさっそく味わうため、家の中へと入っていったのだった……。








 さて、斉藤のあたたかい(?)見送りをうけ、初詣へとやってきた二人。
 正月なので人出はあるが、混んでいるという程ではない神社へ二人は来ていた。家からは少し離れているため、このあたりへはあまり来た事のない総司はきょろきょろしている。
 沢山出ている賑やかな店先がとても綺麗で、総司の目も楽しませた。うきうきしながら、あちこちの店を覗き、可愛いなぁと見惚れたりした。
 だが、そのうち、さすがの総司も気がついたのだ。
 自分の手をひいて歩いている歳三が、ずっと無言である事に。
「……」
 見上げれば、その端正な顔だちはとても怜悧で綺麗だ。だが、どこか不機嫌そうな感じが漂っていた。
 僅かに眉を顰め、きっと固く唇を引き結んでいる。その切れの長い目は微かに伏せられ、いつも優しい色をうかべてくれる黒い瞳も、冷ややかだった。
 あわせてくれる歩調もひいてくれる手も、全部いつもと同じなのだが、何かが違うのだ。
 総司はきゅっと唇を噛みしめた。
(……もしかして、兄さん、怒ってるの?)
 だが、いくら考えても、その理由がわからなかった。朝、家を出る時までは、いつもどおりの優しい兄だったのに。
(どうして? 私が何かしたの?)
 思わず泣き出しそうになったが、兄を困らせたくなかった。こんな処で泣くなんて、まるで駄々をこねた子供みたいだと思ったのだ。
 総司は両手を握りしめた。
(今年で私も十五才なんだから! もう大人なんだから、しっかりしなきゃ)
 自分に云い聞かせながら、歳三とともに歩いた。
 相変わらず、歳三は参道を歩みながらも、あちこちの女性から羨望と憧れのまなざしを向けられている。
 見目の良いすらりとした姿形は、どこにいても目を惹いてしまうのだ。
 彼がそこに現れるたけで、華やかさがあふれる。どこかの看板役者かと思われる事も、たびたびだった。誰も、この男が江戸でも指折りの腕利きである小島を継いだ、若き棟梁大工だとは思わないだろう。
 だが、彼は実際そのとおりの大工の棟梁なのだ。そして、日野藩藩主佐藤彦五郎の正室お信の弟だった。
 その事を思い出した総司は、それゆえに巻き起こった去年の様々な出来事を脳裏によぎらせた。
(兄さんはたくさんのものを背負ってるんだもの。少しでも、兄さんの役にたてるよう、早く大人になって頑張らなくちゃ)
 とは思うものの、具体的に何をどうしたらいいかわからない。
 とりあえずは、いつまでも子供ではなく、大人としての自覚をもたなければと思った。
 そのため、総司は一瞬考えてから、何かを決意した表情で歳三を見上げた。
「兄さん」
 呼びかけられ、何か考えに耽っていたらしい歳三は我に返った。訝しげな表情でふり返る。
 それに、総司は明るい声で云った。
「私、今年で十五才です」
「え……?」
 突然の言葉に、歳三は目を瞬かせた。総司は言葉をつづけた。
「もうはぐれたりしませんし、迷子って年でもありません。だから、手繋がなくてもいいでしょう?」
「……」
「ね、ちゃんと一緒に歩きますから」
 そう云った総司を、歳三は驚いたように見下ろした。しばらく黙っていたが、やがて、低い声で問いかけた。
「……おまえは、俺と手ぇ繋ぐのがいやなのか」
「いやとかじゃなくて、これじゃ兄さんも歩きにくいだろうと思って……」
 口ごもった総司に、歳三は一瞬だけ辛そうに顔を歪ませた。が、すぐに、そっけない口調で云い捨てた。
「わかった。おまえの好きにしな」
 さっさと手を離すと、その広い背をむけた。
 とたん、淋しそうな瞳になった総司に気づく事もなく、
「行くぞ」
 とだけ声をかけ、人波をかきわけ歩き出してゆく。
 それを、総司も慌てて追いかけた。むろん、歳三はちゃんと総司の歩調にあわそうとしてくれていた。だが、先ほどまでと違い、手を繋いでいないし、ふり返ってもくれないのだ。
 あっという間に、二人の間は引き離されてしまった。
「ど、どうしよう……っ」
 総司は先ほどの言葉を裏切り、完全にはぐれてしまった自分に気がついた。悲しくて涙がこぼれそうになってくる。
 大人だから、もう十五才だからと、手を離したのは自分の方なのに。
 すぐまたこうしてはぐれてしまい、歳三に迷惑をかけている。そんな自分がたまらなく嫌だった。
「兄さん……!」
 人波の中、叫んでみたが、総司の甘くか細い声は喧噪にかき消されてしまった。気が付けば、先ほどよりずっと人が増えてきている。
 この中で歳三を捜すのは至難の業だった。
「……兄さん……っ」
 思わずふらふらと歩き出した総司の躯が、不意にぐらりと傾いた。足下の石段に蹴躓いてしまったのだ。
「あ!」
 次に来るだろう痛みに、総司は思わずぎゅっと目を瞑った。
 だが、次の瞬間、その躯はふわりと誰かの腕に抱きとめられたのだった……。








「歳三さんじゃないの!」
 そう声をかけられた時、歳三は総司を捜し回っている最中だった。
 ふと嫌な予感を覚えてふり向けば、既にもう愛しい弟の存在はそこになかったのだ。それから、懸命に探し回っているが、何しろこの人出だ。まったく見つからず、いらいらしていた処だった。
 そのため、また例の昔遊んだ女の一人かと思った歳三は、ふり向きもせず、
「またな」
 と、そっけなく手をふってみせた。
 だが、その手がぐいっと掴まれ、ひっぱられる。
 苛立ちながらふり返った歳三は、そこにいる人物を見たとたん、大きく目を見開いた。
「……お磯か」
「そうですよ。歳三さんの可愛い弟の元許婚、お磯ちゃんよ」
 お磯は娘らしくもなく、ぱんっと歳三の手を払ってから、その両手を腰にあてた。大きな目でじいっと見つめてくる。
「何で、一人? まさか、総ちゃんとはぐれたとか」
「……」
「その顔は図星ですか。あたしが探してあげてもいいけど、総ちゃんも毎回はぐれるたび、歳三さんに見つけてもらう時が一番幸せ♪なぁーんて、困った事云ってたから」
 やれやれ困ったものよ〜と云いたげに、お磯は首をふってみせた。
 だが、その軽口に構わず、歳三は訊ねた。
「総司を見なかったか?」
「見てたら、云ってます」
「それは当然なんだが……」
「いつもみたいに、しっかり手繋いでなかったのでしょう? 喧嘩したとか?」
「そんなものだ」
「お正月から何をしてるんです。そんな事じゃ、さっさとあたしが総ちゃんをお嫁……じゃなかった、お婿に貰っちゃいますよ」
「それは断る」
「わかってますって。そんな怖い顔しなくても」
 くすくす笑うお磯に肩をすくめ、歳三は踵を返した。とたん、後ろから追い打ちをかけられた。
「お正月だもの。酔っぱらいがいっぱいいるから、早く探した方がいいですよ。総ちゃん、めちゃくちゃ可愛いから」
「……」
「あ、ほら。今頃は、ちょっとほろ酔い気分のどこかのいい男と、仲良く甘酒でも飲んでたりして〜」
「見たのか!?」
 思わず凄い勢いでふり返り、叫んでしまった歳三に、お磯は買ったらしいお守りをひらひらさせながら、にっこり笑った。
「女の勘はあたるんですよ〜♪」








「……これ、甘酒ですか?」
「そうだよ。嫌いかい?」
「いえ、好きです」
 総司は頷き、そのあったかい湯飲みを受け取った。
 二人並んで縁台に腰かけている。
 こくりと飲むと、独特の甘い味が口の中にひろがった。ほんわかと躯があったかくなる。
「……おいしい」
 ほっとしたように呟いた総司に、隣に坐っていた男が小さく笑った。
「そりゃあ良かった」
 歳三よりも少しきつめの伝法な喋りから、江戸の者である事がわかる。
 総司はおずおずと、男の横顔を見上げた。
 整った顔だちだが冷たい感じはなく、明るく柔らかな色の瞳をしている。笑顔がどこか子供っぽく、懐かしい。
 年齢は、兄よりも年下だろう。だが、むろん、総司よりはずっと上だった。
 身なりや言葉使いから判断する処では、どうやら町家の者のようだ。
「助けて頂いて、本当にありがとうございました」
 そう云った総司に、男は破顔した。
「そんな、ご大層な事じゃねぇよ」
「でも、あなたがいてくれなければ、怪我している処でした」
「ま、今度からは気をつけな」
 男の言葉に、総司はこくりと頷いた。そして、また黙ったまま甘酒をこくりと飲む。
 そんな二人の前を、大勢の人々が参道を歩いていったが、どこにも総司が探し求める男の姿はなかった。逆に、とても美しく着飾った振り袖姿の娘や、艶やかな黒絹を纏った芸妓たちが、目についた。
「綺麗……」
 思わずそう呟いた総司に、男はくすっと笑った。
「そうかねぇ」
「え、でも。綺麗ですよ、あの人たち」
「まぁ確かにそうだけどね、おれには」
 男はちらりと総司の方を見やり、優しく笑ってみせた。
「あんな白粉べったりの姉さんたちより、おまえさんの方がよっぽど綺麗に見えるなぁ」
「え、私が!?」
 総司はびっくりして、湯飲みを取り落としそうになってしまった。
 それを、男はおかしそうに眺めた。
「何、びっくりしてるんだい。おまえさん程の別嬪なら、いつも云われ馴れてるだろ?」
「私はその……男ですし、それに、まだ子供ですから」
 もごもごと口ごもった。
「可愛いと云われる事はあっても、綺麗ってのはあんまり……それに、私よりずっと、あの人たちの方が綺麗だと……」
「子供たって、もう大人になりかけてるじゃねぇか。それに可愛いってだけじゃねぇ、ちょっと色気ってのもあって、時々、大人っぽい瞳もして……そういう処がすげぇ綺麗だと思うぜ? それは勿論、おまえさんの周りも皆、思ってるだろうけどな。恋人なんざも、おまえさんのこと自慢に思ってるんじゃねぇの?」
「……」
 総司は沈黙してしまった。
 思わず考えたのだ。
 じゃあ、兄さんも?──と。
 兄さんも、そんなふうに、私のことを綺麗だとか、色気があるとか、大人っぽい瞳とか思ってくれるのだろうか。
 自慢の恋人と思ってくれる事が、ほんのちょっとでもあるのだろうか。
「……」
 総司はなめらかな頬を桜色に染めた。
 自覚は全くないのだが、歳三の事を考えたりその恋心を募らせたりすると、いつも、より可愛らしく綺麗に、そして──艶やかになるのだ。
 今も、その瞳はしっとりと潤み、桜色の唇は甘やかな笑みをうかべた。白い項が仄かに染まっている処がまた、ぞくぞくする程の色気がある。
 総司は男を見上げると、甘く澄んだ声で云った。
「……ありがとうございます。とても嬉しいです」
 だが、そのとたんだった。
 不意に横合いから腕が掴まれたかと思うと、乱暴にふり向かされたのだ。
「え……っ?」
 ふり返った総司は、次の瞬間、誰かの胸もとに抱きすくめられたのを感じた。男の腕の力はきつく、息もできないほどだ。
「や!」
 思わず抗いかけたが、すぐ、その感触と馴れた匂いに気がついた。たちまち躯中から力が抜け落ちてしまう。
「兄さん……!」
 やっと逢えた嬉しさに声を弾ませ、総司は顔をあげた。
 だが、歳三は総司を腕に抱いたまま、視線さえ向けようとしなかった。その切れの長い目はまっすぐ、総司の隣にいた男にむけられている。
「……誰だ」
 低く鋭い声で誰何する兄の様子に、総司は驚いた。
 完全に誤解されていると思ったのだ。
「兄さん! ちょっと待って下さい」
「何がだ」
「兄さんは誤解しています。あのね」
 総司は懸命に云いつのった。
 男の前に出て庇い、兄にむかって抗弁した。だが、その行為自体に、歳三が不快そうに顔を歪めたのを見る暇もなかった。
「この人は、私を助け……」
 そう云いかけたとたん、総司の躯は再び兄の胸もとに引き寄せられていた。その細い肩を抱いたまま、足早に立ち去ろうとする。
「兄さん……! 兄さんってば……っ」
 慌てて兄の袖を引いたが、歳三はそれを完全に黙殺した。
 仕方なく、総司はふり返り、男へ申し訳なさげに頭を下げた。それに、男の方もわかっていると云いたげに頷き、ひらりと手をふってみせてくれる。
 店先を離れて参道を歩んでゆきながら、歳三はもう決して手を離そうとしなかった。だが、先ほどと違い、どこから見ても怒っているのはわかる。
 端正な顔だちは、息を呑むほど冷ややかだ。
 それを見上げた総司は、さっきはちゃんと引っ込んだ涙が今度こそあふれるのを感じた。
 自分から手を離したのに、もう大人だからって背伸びしたのに。やっぱり、兄に面倒をかけて。
 きっと、さんざん探し回ってくれたのだろう。
 彼は息を弾ませ、この寒さだというのにうっすらと汗までかいていた。
 正月からそんなふうに迷惑をかけて、兄が怒るのも当然だと、総司は思った。自分が情けなくて、辛くて、恥ずかしくてたまらなくなってくる。
「……っ」
 ぽろりと涙がこぼれた。
 しゃくりあげる声をこらえるため、ぎゅっと唇を噛みしめた。とたん、思わず縋るように歳三の手を強くひっぱってしまう。
 それに、歳三がようやくふり返った。
 訝しげに眉を顰め、だが、総司の顔を見たとたん、大きく目を見開いた。
「……総司、おまえ泣いているのか」
「……っふ…くっ……」
 それでも必死に涙をこらえる総司に、歳三は痛ましげな表情になった。すぐさま強引に総司の手をひいて、参道の脇にある松の木陰へ連れていった。
 ほとんど人も通らないそこで、顔を覗き込んだ。
「何も泣くことねぇだろ?」
「……だって……っ」
 総司は懸命にしゃくりあげるのを抑えつつ、答えた。 
「私が……兄さんを怒らせた、から……」
「……」
「ごめんなさい。私、気がつかなくて。でも……!」
 不意に顔をあげると、総司は涙でいっぱいの瞳で歳三を見つめた。無意識のうちに、ぎゅっと歳三の手を両手で縋るように握りしめている。
「お正月から、兄さんにいやな想いをさせて、ごめんなさい。ちゃんと叱ってくれたら、直すから。私、私……っ」
「……」
「もう大人だって云ったのに、やっぱりはぐれてごめんなさい。探させて、迷惑かけて、ごめんなさい……私、ちゃんとするから、だから……お願い」
 総司は自分から歳三の胸もとに縋りついた。
「お願い……私を嫌わないで、兄さん……っ」
「!」
 歳三はたまらず、その細く小さな躯を抱きしめていた。背に両腕をまわし、きつく強く抱きよせる。柔らかな髪に顔をうずめ、目を閉じた。
「……すまねぇ」
 やがて、掠れた声がその唇からもれた。
 びくんっと躯を震わせた総司を、より強く抱きしめながら、言葉をつづけた。
「謝らなきゃいけねぇのは俺だ。朝から、おまえに悋気やいて、みっともねぇ真似ばかりしちまった」
「……悋…気……?」
 訳がわからず聞き返した総司に、歳三は苦笑した。
「あぁ、そうだ。所謂、やきもちって奴だよ。俺は、斉藤に、あの男に、綺麗な顔で笑いかけるおまえに、すげぇ妬いちまったのさ」
「だって、そんな……」
 総司は驚き、顔をあげた。思わず、まじまじと兄の端正な顔を見つめてしまう。
「兄さんが私にやきもちなんて……それに、ちょっと笑っただけなのに」
「わかってるんだけどさ。けど、むかむかしちまったんだ。おまえは俺のものだ、他の誰にもその笑顔を見せたくねぇって……俺もたいがい我が儘だな」
 歳三は身をかがめると、総司の頬を両掌でそっと包みこみ、額をあわせた。
 優しく掠れた声で、囁いた。
「……愛してるよ、総司」
「兄さん……」
「俺はおまえが可愛くて可愛くてたまらねぇんだ……だから、時々、こんな無様な処も見せちまう。大人になりきれてねぇのは俺の方だな。だが、それでも……総司、ずっと傍にいて欲しいと願うのは、俺の我が儘か……?」
「そんな……!」
 総司は激しく首をふった。つま先立ちになると、細い両腕で男の首をかき抱いた。頬をすり寄せ、甘く澄んだ声で囁いた。
「私も……私も、兄さんがだい好き! 愛してます。だから、お願い、ずっとずっと傍にいさせてね……?」
 それに、歳三はもう何も云わなかった。
 ただ黙って目を閉じると、その愛しい存在を強く抱きしめたのだった……。








「ところでさ」
 お社の前でお賽銭を放り込み、ぱんぱんっと手を合わせ、ふたり一緒にお参りをすませてから、歳三が云った。
 帰り道、もちろん、総司の手はしっかり握りしめている。
「一つ聞きたい事があるんだけどな」
「? なぁに?」
「さっきの男の事だ」
 歳三はちょっと不愉快そうに眉を顰めた。
「あれは何だ。いったい、誰なんだ?」
「え、知らない人です」
「知らねぇ奴?」
「うん」
 総司はこくりと頷き、無邪気に答えた。
「転びかけた私を助けてくれて、甘酒をご馳走してくれたんですよ。なのに、兄さん、お礼も云わないから……」
「……総司」
 低い声で呼びかけられ、総司はえ?と小首をかしげた。
 それに、歳三はため息をついた。
「昔から云ってるだろ? 知らない奴にはついてったら駄目だと」
「でも……私、もう十五才だし」
「十五でも何でも同じ事だよ。おまえはな、すげぇ可愛いんだ。そこらの女なんざ目じゃねぇぐらい、綺麗なんだ。それをもっと自覚しろよ」
「え、綺麗……?」
 とたん、総司はぱっと顔を輝かせた。全然、違う事に気をとられてしまったらしい。
「私って綺麗ですか? 兄さん、本当にそう思ってくれているの?」
「……総司、俺は何度もそう云った覚えがあるんだが」
「そうだっけ? でも、嬉しいっ。兄さんが私を綺麗だって云ってくれるなんて」
 うきうきした口調で云って喜んでいる総司を、歳三はげんなりしながら眺めた。
 じゃあ、今まで降るように、朝昼晩と囁きかけてきた睦言は、いったい何だったのか。
 それに、自分は綺麗じゃないとまさか思っていたのか?
 こんなにとびきり可愛くて、めちゃくちゃ綺麗なのに?
「……」
 歳三は、ふと、今日あの男と話していた総司の顔を思い出した。
 衝撃で、息がとまるかと思ったのだ。
 あの儚げで、そのくせ艶めいた綺麗な横顔。
 煙るように長い睫毛がなめらかな頬に翳りをおとし、微かに開かれた唇がぞくぞくするほど艶めかしかった。
 その上、あの男に、その綺麗な笑顔を見せたのだ。
 思わず歳三がかっとなってしまったのも無理はない事だった。あの男を殴らなかっただけ、自分を褒めてやりたい程だった。
(……今度逢ったら、ただじゃおかねぇ!)
 めらめら決意しながら、歳三は拳を固めた。
 だが、そんな不穏な心境の兄を知る由もない総司は、歳三の手をきゅっと握りしめた。
 そして、可愛らしい笑顔で云った。
「綺麗って云ってくれて、ありがとうね」
「あぁ」
「私、早く頑張って大人になるから。大人になって、兄さんが自慢に思ってくれる恋人になりますから」
 そう云った総司を、歳三はちょっと驚いたように見下ろした。
 だが、すぐに優しく笑うと、その華奢な躯を両腕で抱き寄せた。
 そして。
 桜色の耳もとに、そっと甘い声で囁いたのだった。

  「今でも十分、自慢の恋人だよ」

 と───。








 今年もまだまだ。
 ちょっともどかしくて、甘ったるい。
 この兄弟の恋物語はつづいてゆくようで……。













 




  


[あとがき]
 再開第一弾であり、新年一作目のお話でございます。なんか、神社でデートが定例化してますね。もういっそ神社仏閣めぐりシリーズ? いや、次は違う場所にしましょう。
 今回出てきた、あの男はいったい誰か? 皆様、予測どおりの事と思います。
 謹賀新年。今年が皆様にとって、幸せな一年になりますように。
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