「……あぁ、もう! 畜生っ」
歳三は忌々しげに舌打ちすると、前髪を片手でくしゃっとかきあげた。
自分でもどうかしていたとしか思えない。
家に帰ってきてすぐ、総司の不在に気がついた。とたん、頭をよぎったのは今朝の会話だった。
間違いなく、あの八郎という男がいる宿に行ったのだと思った。こうして心配している今、自分の恋人であるはずの可愛い総司は、あの男と一緒にいるのだ。
怒りのあまり、目前に真っ赤な靄がかかった。激しい嫉妬と独占欲が腹の底から突き上げ、どうにも抑えられそうになかった。
(……気がおかしくなってしまいそうだ)
自分でもおかしいと自嘲するぐらいの、総司への執着ぶりと異常なほどの愛情に、あらためて気づかされた思いだった。だが、今更どうしようもないのだ。
総司のすべてが、何もかもが……愛おしい。
愛おしくて愛おしくて、たまらないのだ。
自分を見つめてくれる大きな瞳も、「兄さん」と甘い声で呼んでくれる桜色の唇も。
抱きしめれば消えてしまいそうな、儚く華奢な躯つきも。
何もかもが愛おしくて、つい限度を超えた執着ぶりを示してしまう。
これでは逃げられて当然なのかもしれない、と思った。現に今、総司は自分を怖がり、逃げてしまったではないか。
「ったく、ざまぁねぇよな」
歳三は深くため息をつき、目をあげた。
とりあえずは逃げてしまった弟を追いかけ、謝るべきだろう。嫌われても鬱陶しがられても、自分の気持ちを告げるべきだ。
この間、もっと話をしようと云ったのは、自分なのだから。
この際、兄としての男としての矜持もかなぐり捨て、この狂おしいまでの独占欲を打ち明けるしかあるまい。
ゆっくりと足を踏み出した歳三の目に、夕暮れの光景がどこか切なげに映った……。
総司は走っていた。
どこへ行くとか何も考えられず、とにかく一生懸命に走った。
すれ違う人々が不思議そうに見ていたのはわかっていたが、今の総司は、走るより他なかったのだ。
「……おっと」
角を曲がってまた走り抜けようとしたとたん、だった。
不意に横あいから腕を掴まれ、ふり向かされる。
「!」
びっくりして見上げると、そこには八郎の笑顔があった。
「何だい、どうした。忘れものかい?」
「八郎…さん……」
「忘れものなら、オレがまた届けてやるよ」
そう云ってくれた八郎に、総司は肩で息をしながら両手を握りしめた。
忘れものではない。
だけど、どう云っていいのかわからなかった。
そのため、黙ったまま唇をきゅっと噛みしめ、俯いてしまう。
そんな総司の様子に、八郎もおかしいと気づいたようだった。訝しげに眉を顰め、覗き込んでくる。
「いったい、どうした? 何かあったのかい?」
「……っ」
「おいおい、こんな処で泣いたら大変だよ。ほら、こっちに来な」
八郎は素早く総司の手を掴むと、路地裏へ引っぱりこんだ。小さな祠と鳥居がある一角は夕暮れ時という事もあって人気はなく、表の喧噪が嘘のように静かだった。
そこの石段に、八郎と総司は並んで腰かけた。落ち着いたのを見てから、優しい声で訊ねてくれる。
「いったい、何があったんだい」
「……私……」
総司は、細い指さきで着物の端を握りしめた。
「兄さんのことが……わからなくて」
「わからない?」
「さっき家に帰ったら、兄さんがもう帰ってて、門前にいたのです」
「なるほど」
「それで、どこに行ってたと聞かれたから、小稲さんの宿に行ったと正直に答えたら、怒っちゃって……」
「そりゃ……まぁ、怒るだろうね」
「どうしてですか?」
総司は大きな瞳をあげると、まっすぐ八郎を見つめた。
本当に、総司なりに考えはしたのだ。さんざん悩んだのだ。だが、どうしてもわからない。
その事に今、総司は苛立ちさえ覚えていた。
「どうして、兄さんは怒るのです?」
「いや、あのさ」
「私が子どもだから? あんな遠くまで行く事がいけないと思ってるから?」
「そうじゃねぇよ」
八郎は肩をすくめ、苦笑した。それから、少し考えてから、仕方なく答えた。
「つまりさ……やきもち焼いてるんだよ」
「やきもち?」
びっくりしたように目を見開いた。それに、八郎は頷き、言葉をつづける。
「前に、総司がオレんとこに家出して来ただろ? オレの後ろに隠れただろ? あの兄さんはさ、オレと総司が仲良くするのが嫌なんだ」
「……」
「よっぽど可愛いくて仕方ないんだねぇ。やきもち焼いてるんだよ」
「……そんなの」
しばらく黙ってから、ふるりと総司は首をふった。
「絶対に違います」
「何で」
「だって、兄さんは確かに私の恋人だけど、でも、子ども扱いしてるし」
「子ども扱いは、まぁ……そうだろうね」
「だから……結局は、一人だちする事にも反対してるのです。ずっとずっと、私を子どもだと思っているから……そんなの、やきもちなんて絶対に違います」
「……ふうん」
総司の言葉を聞いていた八郎は、ふっと視線を遠くへやった。微かに笑いながら、不意に立ち上がる。
そのまま見上げた総司に、手をさしのばした。
「? 八郎さん?」
「ほら、立って」
小さな手を握ってひょいっとひっぱり起し、悪戯っぽく笑った。
「じゃあさ」
「はい?」
「こうしたら……ちっとはわかるんじゃねぇ?」
「え?」
聞き返す間もなかった。
突然、総司の躯に八郎の腕がまわされたかと思うと、きつく抱きすくめられたのだ。
「!?」
兄とは違う男の感触、匂い、抱擁に、総司は一瞬呆然となった。
何が何だかわからない。
今、いったい誰に何をされているのか。
だが、それでも反射的に躯が抗った。身を捩り、八郎の腕から逃れようとする。
その瞬間、だった。
「……離れろ!」
低い声が鋭く響いた。
ふり返る間もなく腕を掴まれ、荒々しく引きはがされる。
あっと息を呑んだ時には、見慣れた男の広い背へ乱暴に押しやられていた。八郎から姿が見えなぬよう、己の背で総司の小さな躯を隠してしまう。
「に、兄さんっ?」
慌てて見上げたが、総司の瞳に映ったのは、兄の広い背だけだった。表情も伺えない。
だが、声音だけで痛いほど兄の怒りの激しさがわかった。
「……総司にさわるな」
総司が聞いた事もないほど、凄味のある声音だった。
切れの長い目が殺気だった光をうかべ、八郎を睨み据えた。
「こいつは俺だけのものだ」
きっぱり断言した歳三に、八郎はかるく肩をすくめた。小さく笑う。
「だったら、もっと大事にしなよ」
「赤の他人に、口出しされる事じゃねぇ」
「そりゃそうさ。けどよ」
八郎は一瞬、目を眇めた。
「あんた、この子の気持ち、全然わかってねぇだろ。あんたの気持ちもまともに伝えてねぇみたいだし」
「……」
「もっと恋人として扱ってやった方がいいんじゃねぇの? 兄貴としての矜持ってのもあるだろうけどさ。もっと可愛がってやんなきゃ、そのうち逃げられちまうぜ」
そう云ってから、八郎は総司の方を意味深に見やりながら、唇の端をつりあげた。
「ま、そうなったらオレが貰ってやるけどさ」
「八郎さん!」
「じゃあ、またな。総司」
八郎はひらりと手をふると、背をむけた。長居は無用とばかりに、さっさと歩み去ってゆく。
その後ろ姿をぼんやり見送っていると、歳三が深いため息をついた。
「兄さん……?」
おずおずと呼びかけると、歳三は腕の力を緩めてくれた。先程の八郎のように、そっと総司を石段へ座らせてくれる。
だが、八郎とは違い、歳三はその場に跪き、総司の手を握りしめてきた。
「……総司」
なめらかな低い声で囁かれ、総司はぽっと頬をあからめた。
何だか、急に気恥ずかしくなってしまったのだ。
先程、八郎を前に云ってくれた言葉の数々が耳奥に蘇り、たまらなく嬉しく──そして、ちょっと気恥ずかしくなった。
そのため、長い睫毛を瞬かせ俯いてしまう。だが、そんな総司を、歳三は誤解したようだった。
眉を顰め、切なげな表情になる。
「すまねぇ……怒っているか?」
「……え」
きょとんとした総司に、歳三は視線を落とした。
「さっきの事だよ。おまえに色々乱暴な事をした。逃げられて当然だと……」
「あ、あれは」
総司は慌てて身をのりだし、兄の手をぎゅっと握りしめた。
「あれは構わないのです。乱暴だなんて思ってなかったから、とても……その気持ちよかったし……」
「……え」
「その、あのっ、ちょっとびっくりしたけど、でも、いつもみたいに流されるのが嫌だったから、だから……逃げたのです。兄さんが謝るような事じゃありません」
一生懸命に云いつのる弟に、歳三は目を見開いた。
だが、先程の口づけを許してくれている事だけはよくわかったので、少し安堵した。
ほっとして微笑いかけると、総司もなめらかな頬を桜色にそめ、にこりと笑い返してくれる。いつもの愛くるしい笑顔だった。
歳三はその笑顔に救われるような気持ちになりながら、それでも、総司を怖がらせないようゆっくりと隣に腰を下ろした。だが、杞憂だったようで、この可愛い弟はすぐさまぴったり寄りそってくる。
「……さっきの、本当?」
不意に訊ねられ、歳三は小首をかしげた。
「さっきのって、何だ」
「だから、その……」
総司の顔が真っ赤になった。耳朶まで桜色にそめあげた様が、何とも艶めかしい。
「に、兄さんがさっき云ってくれたことです。私が……兄さんだけのもの、だと……」
「あたり前だろう」
歳三は反射的に先程の怒りを思い出してしまい、荒々しい口調で答えた。
「おまえは俺だけのものだ。俺だけの総司だ……!」
「兄さん……」
「それとも、そうじゃねぇって云うのか? おまえは俺だけのものじゃねぇのか?」
総司は慌ててふるりと首をふると、彼の胸もとにしがみついた。
「ううん、私は兄さんだけのものです。ずっと、いつまでも」
「だったら……」
歳三は込みあげる感情のまま、その愛おしい躯を胸もとに引き寄せた。抱きすくめ、押し殺した声で囁く。
「二度と、他の男なんざに抱かれるな……!」
「兄…さん……」
「他の男の処へ逃げるな、他の男にさわらせるな」
男の低い声が、どこか切なげに告げてきた。
「さっき、おまえがあの男に抱きしめられているのを見た瞬間、俺は目の前が真っ赤になった。気が狂っちまうかと思った」
「そんな、まさか……」
「信じられねぇか?」
歳三は微かに喉奥で嗤い、目を伏せた。
「あの時……刀を持っていたら、俺はあの八郎って奴を斬っていただろうよ」
「兄さん……」
総司は大きく目を見開いた。息を呑み、兄の端正な顔を見上げている。
そんな弟を前に、歳三は苦々しく笑ってみせた。
「それぐらい俺はおまえに惚れているんだ。おまえしかいらない、望まない。おまえだけが俺のすべてなんだ……」
「じゃあ、じゃあ……八郎さんの云うとおり、だったの?」
「何が」
「私が穂波屋さんへ行くのをとめるのは、やきもち焼いてるからだって……」
「──」
とたん、総司を自分を抱きしめる兄の躯が強ばるのを感じた。驚いて見上げれば、歳三は明らかに狼狽えた表情で、目をそらしてしまう。
「兄さん……?」
「あいつ、そんな事を云ってたのか」
「うん」
こくりと頷いた総司に、歳三はため息をついた。しばらく黙っていたが、やがて弟の躯をもう一度抱きしめると、その白い首筋に顔をうずめた。
「……本当だ」
耳もとで、低い声が囁いた。
「すげぇ…やきもち焼いた。八郎って男となんざ、金輪際逢って欲しくなかった。二度と逢わせたくなかった。なのに、おまえ、あの男が好きだとかいい人だとか云ってくるし……」
「え、あ……」
「こっちは、すげぇ妬きまくってたんだからな」
そう云いきると、歳三は身を起した。総司の顔を覗き込み、そっと唇を重ねてくる。
先程とは違う、甘く優しい口づけ。
それに、うっとりと瞼を閉ざした総司の額に頬に口づけの雨を降らせながら、歳三は囁いた。
「頼むから、もう二度と俺から逃げるな。他の男の処へなんざ行くな」
「はい……」
「あの八郎って男にも、できたら逢って欲しくねぇが……」
苦々しげに呟いた歳三に、総司は慌てて身をすり寄せた。「あのね」と彼の胸もとに縋りながら、一生懸命に訴える。
「私は八郎さんに逢いたいから穂波屋さんへ行くのではないのです。源さんにお料理を教えてもらって、腕を磨きたいから。だから、あそこへ行くのです」
「……」
「それに、私が八郎さんに……その、なびくんじゃないかって心配してるみたいだけど、そんなのあるはずないでしょう?」
総司はそっと兄の逞しい胸もとに顔をうずめ、甘く澄んだ声で云った。
「私は……兄さんの恋人なのだから。兄さんだけ…のものなのだから」
「総司」
驚いて見下ろせば、可愛い弟は耳朶まで真っ赤にして俯いてしまっている。
それに、思わず目を細めた。
初で、素直でかわいくて。
いつもいつも、一生懸命に彼を愛してくれる幼い恋人。
誰よりも愛おしい弟の小さな愛の言葉に、歳三は己の胸奥がふわっとあたたかくなるのを感じた。
それと同時に、ここの処ずっと燻っていた嫉妬心や苛立ちが、何処かへ溶け消えてゆく。
「……総司、好きだよ」
想いの丈をこめて囁いた歳三に、総司はびっくりしたように顔をあげた。
だが、すぐ大きな瞳にだい好きな兄だけを映すと。
こくりと頷いて。
「だい好き、兄さん……!」
花のような笑顔で、そう応えてくれたのだった。
──さて。
後日、歳三は総司を連れて穂波屋を訪れた。
そして、小稲と井上に、総司の事をよろしく頼みます──と愛想よく挨拶したのだが。
その際、おろおろする総司をよそに、歳三が八郎に対してだけはぶっきらぼうを通り越し憮然とした表情だったのは、まぁ彼らのいきさつを思えば、仕方のない事なのであった。
[あとがき]
歳三兄、やきもち焼きまくり篇でした(笑)。結局、総ちゃんのお願いを聞いてしまうあたり、歳三兄、総司にはとことん甘甘です。ラストは糖度の高いお話となりましたが、まぁこのシリーズは溺愛とか激甘がテーマなので。
このシリーズ、またつづき読みたいなと思って下さった方は、ちょこっとメッセージからご感想をお寄せ下さいませね♪
