「あのね、兄さん」
総司がその疑問を口にしたのは、夜の事だった。
お風呂に入り、きちんと洗い髪も拭いて、敷かれた布団の上に坐った総司はとても愛らしい。
小柄な躯に質素だが、清潔な寝着をまとった姿は、そこらの花魁よりもずっと艶めかしく、そして、初々しかった。
つぶらな瞳も、桜んぼのような唇も、みんなみんな食べてしまいたいぐらいだ。
そんな事をつい思ってしまったのは、昨夜の総司のとの事を思いだしたからだが、歳三はゆるく首をふってそれを追い出すと、「何だ」と小首をかしげてやった。
本当は、毎日毎日、この可愛い弟を感じたい。抱きしめたい。
だが、それでは、ただでさえ大人の男を受け入れるのに大変な総司が、壊れてしまうと、歳三は歳三なりに気づかい我慢しているのだった。
身も心も繋がった恋人同士になっても、なかなか大変なのだ。
「何だ、総司」
布団に腰を下ろしながらそう問いかけた歳三に、総司はもじもじと両手を握りあわせた。
そんなにも、云いづらい事なのだろうか。
最近は穂波にも行く事を許しているし、他に躊躇うような理由は思いつかないのだが。
「どうした」
「……あのね」
総司はなめらかな頬を染め、口を開いた。
「兄さんは、私が赤ん坊の時から知っているんでしょう?」
「?」
思ってもみない事を聞かれ、歳三は思わず目を瞬かせた。急に何を云いだすのかと思う。
だが、とりあえず頷いた歳三を、総司は大きな瞳で見つめた。
「今日、磯子ちゃん家に行ったんだけど」
「あぁ」
「そこで、磯子ちゃんの従妹の赤ちゃんを見たの。とっても可愛くて、それで……ちょっと気になったんだけど」
「気になったって、何が」
「初めての言葉なのです」
「……?」
歳三は形のよい眉を顰めた。
いったい何が初めての言葉なのか。
この弟はとても聡明な性質なのだが、時折、自分だけの言葉で話すので、辛抱強く聞いてやらないと訳がわからなくなるのだ。
歳三は一つため息をつくと、総司の小さな手を握りしめた。そっと撫でさすってやりながら、その愛らしい顔を覗き込む。
「どういう事なんだ? 初めての言葉って、何のことを云っているんだ」
「だから、赤ちゃんの……初めての言葉なのです」
「意味がよく……」
「えっと、赤ちゃんが初めて話す言葉? それって、お父さんの事かお母さんの事かって、話になっていたから」
「あぁ」
ようやく意味がわかり、歳三は笑った。
「そういう事か。そりゃ色々だろうな」
「うん。それでね」
総司は澄んだ瞳で、じっと歳三を見つめた。小さな桜色の唇が、物問いたげだ。
それに、歳三は微かに目を細めた。
先程の言葉から、総司が何を聞きたいのか、すぐにわかってしまったのだ。
歳三は不意に両手をのばすと、小柄な躯を膝上に抱きあげた。びっくりしたように彼を見る総司に笑いかけ、その耳もとに悪戯っぽい口調で囁いてやる。
「当然、俺の事だよ」
「あ」
「おまえは一番初めに、俺の事を呼んでくれた。わかるか? それがどれ程嬉しい事だったか、どんなに愛しくてたまらなかったか。今でも、あの時の浮立つような気持ちはよく覚えているよ」
「兄さん」
総司はなめらかな頬を紅潮させ、嬉しそうに彼を見上げた。
その頬を指さきで撫でながら、云った。
「兄上」
「え?」
「おまえは、一番初めに、あにうえと云ったんだ」
「兄…上?」
びっくりしたように目を見開き、総司は小さくくり返した。それから、何度も、「兄上」とくり返している。
それがたまらなく可愛くて、歳三はくすくす笑いながら、その細い躯を逞しい腕でぎゅっと抱きしめた。
額や頬、唇に、口づけの雨を降らせながら、囁きかける。
「今は、名前の方がいいけどな」
「名前って……でも、兄さんは兄さんだから」
「けど、俺はおまえの恋人だろ?」
そう云った歳三に、総司はこくりと頷いた。
ちょっと小首をかしげるようにして考えこんでいたが、突然、両手をのばした。
そして。
驚いて見下ろす歳三に抱きつくと、甘い甘い声でこう囁いたのだった。
「だい好き……兄上」
──もちろん、その夜、歳三が我慢できなかった事は云うまでもない。
