……夢を、見る
あなたが私を愛してくれる夢
抱きしめ、優しく微笑みかけてくれる夢
私はそれが嬉しくて幸せで
あなたの腕の中、そっと囁き返す
愛してます──と
それは
永遠に叶えられることのない、夢だけれど……
「一番隊が出ます」
そう云った総司に、土方は僅かに眉を顰めた。
手元の書類を纏めながら、鋭い視線をそのほっそりした姿へむけた。
「……まだ本調子ではないだろう」
「大丈夫です」
「床上げしたばかりだ」
「もう何ともありません」
「……永倉に行かせる」
低い声で断言した土方に、総司はぱっと頬に血をのぼらせた。
怒りと屈辱に震える声で言いつのった。
「何故? 私自身のことは、私が誰よりも知っています」
「総司、おまえは死にたいのか」
「死にたいとは思いません。ですが、私は自分の死に場所ぐらい決められるはずです。それとも、私にはそんな自由もないと?」
「ない」
「何故」
「おまえの死は隊の士気を鈍らせる」
容赦ない口調で、土方は言い捨てた。
それに、総司は嘲るような笑みを口許にうかべた。
「成程、こんな私でもまだ利用価値はあるという訳ですか」
「何とでも云え。俺はおまえを無駄死にさせる気はない」
そう云うと、土方は立ち上がった。きつく唇を噛みしめる総司に一瞬だけ気遣わしげな視線をむけたが、すぐ顔をそむけた。
踵を返し、部屋を出ていってしまう。
遠ざかる足音を聞きながら、総司はぎゅっと両手で己の躯を抱きしめた。
「……こんな躯……何の利用価値があると……っ」
病が重くなってからだった。
土方は総司と躯を重ねなくなってしまったのだ。時折、気まぐれのように口づけや抱擁はあたえられるが、その褥に誘われることは一度もなかった。
その代わりと云うべきか、土方は色街へ足を運ぶようになっていた。名前は知らぬがある太夫と随分親密な仲になっているらしい。
近々、その女をひかすかもしれぬという噂さえたっていた。
総司は、自分から離れてゆこうとする男を感じていた。
その理由はよくわかっている。
あの人はもう、私を憎むことをやめてしまったのだ。
何故なら、私はこんな病に冒され、剣をとることさえ覚束なくなってしまった。
遠い昔、彼が私を憎んだ理由──手にしていた何もかもは、今、私の手の中にはない。
そして。
そんな私に反するように、あなたは今すべてを手に入れたのだ。
正式な武士となり、新撰組副長として名を馳せたあなたを、侮るものはいない。誰もが畏怖し、そして、惹かれるあなたがそこにいる。
まるで、私とあなたは影と光のようだ。
私が光輝いていた時、あなたは影だった。
だが、今、あなたが光輝く中、その傍で私はひっそりと影として死にゆこうとしている。
いや、それさえも許されないのか。
あなたは私に、惨めな姿を晒しながらでも生きろと云うのだ。
涯ない地獄の底で、のたうち回り苦しみもがく私を見たいのか。
そんなにも、私を貶めたいのか。
これが、あなたを傷つけ苦しめた私への復讐なのだろうか……?
「……っ」
総司はきつく唇を噛みしめると、宙を見据えた。
伊東たちが分離したことで、新撰組は尚いっそうの混迷を極めていた。
が、それを土方はより厳しい鉄の規則で引き締める事で、隊の統括をはかっていた。
何度も行われる血の粛清。
それを見るたび、ある時は己の手で行うたび、総司は自分の身も心も凍えていくような気がした。
(……なんて罪深い……)
もう命の限りを定められてしまった私が、この人たちを殺める。
まだ命のある人々を。
まるで彼らの命を奪うことで、今の私は生き永らえているようだった。
何の夢も、信念もないのに。
幕府や国なんか、どうだっていい。そんな事、私には関係ない。
たとえ、明日この国のすべてが滅んでしまっても、私は涙一つ零さないだろう。
なのに、こんな私が大勢の人々の命を奪うのだ。
これほど罪深いことがあるだろうか──?
私も……そう、遠い昔。
あの人のために──土方さんのために生きようと思っていた。
彼に憧れ、恋し、ただ純粋に想いをつのらせていたあの幼い日々。
けれど、もう何もかもが遠かった。
その彼自身に犯され、すべてを奪われたあの夜、私の人生はある意味終わりを告げたのだ。
夢も希望も何もかも失い、そして、私の中に残されたのは、彼──だけだった。
だが、それはもしかすると、僥倖だったかもしれない。
彼を愛することで、私は生きてきたのだ。
彼への狂おしいほど深い愛だけが、この私の生き甲斐だった。
それなのに……
「……捨てられるのは、やはり私の方だった」
おかしくて、笑いがこみあげた。
一人で過ごす夜。
冷たい部屋の中、総司は笑った。涙を流しながら、笑った。
今夜もあの人は褥に呼んでくれなかった。
おそらく部屋にもいない。その女のところにいったのだろう。
私のことなど、とうの昔に忘れて……
総司はきつく喉元を両手でおさえた。
血を吐きそうなのか、涙ゆえの嗚咽なのか、もうわからない。
苦しくて苦しくてたまらなかった。
胸を貫いてくる痛みに、気が狂いそうになる。
真っ暗な闇が自分を呑み込もうとしているのを感じた。
半ば気を失ったまま褥に倒れ込んだ総司の唇が、微かに震えた。
意識が途切れる瞬間、呼んだのは──
「……土方…さん……っ」
やはり、愛しい男の名だった……。
夜ごと、夢を見た。
褥に入ると、訪れる優しい夢。
夢の中で、私はいつも幸せだった。
あなたは心から私を愛し、優しく抱きしめてくれた。
私たちはまるでつがいの鳥のように寄り添い、そして、深く愛しあっていた。
睦みあい、その幸せを疑うこともなかった。
これが夢だと思う事さえも。
だから、いつも私は目覚めた瞬間、しばらく呆然となった。
残酷で冷たい現が信じられず。
だが、それは容赦ない真実で……。
そして、私は絶望し──静かに泣くのだ。
他の隊士に気づかれぬよう声を殺し、涙を流した。
あの夢が現であればよかったのに。
そうであってくれれば、どんなに幸せだったか。
どんなに救われたか。
あなたを、素直に心から愛することができたら。
そして。
あなたに愛されたのなら──……
ゆっくりと目を開いた。
まだ朝ではない。仄かな明かりが部屋に灯されていた。
ぼんやりとした意識のまま、総司が目を開いていると、そっと傍らから声がかけられた。
「……大丈夫か」
それに、総司は瞳を動かした。
傍らには、土方が坐っていた。心配そうに眉を顰め、じっと総司を見つめている。
黙ったままでいると、土方は手をのばし、総司の額にふれた。
「まだ熱が高いな……もう少し休んだ方がいい」
優しい声だった。
まるで、昔にかえったような……。
土方の黒い瞳も優しく静かで、いつものあの張りつめたような冷たさはどこにもなかった。
そこにいるのは、病に伏す総司を心配し付き添うただの一人の男だった。
(……あぁ、そう……そうなんだ)
総司は熱でぼんやり霞んだ意識のまま思った。
これはいつもの夢なのだ。
だからこそ、こんなにも彼は優しい。
柔らかく総司の手にふれ、見守ってくれる。
でなければ、今ここに土方がいるはずもなかった。現の彼は今、島原にでもいて、あの女を抱いているはずなのだから───
「……!」
そう思った瞬間、また鋭く胸を貫いた痛みに、総司は微かに眉を顰めた。
目を閉じ、深く息を吸い込む。
とたん、土方が心配そうに覗き込むのを感じた。
「苦しいのか? どこか痛いところでもあるのか?」
「……少し……胸が」
そう云った総司に、土方は手をのばした。そっと優しく胸もとを撫でさすってくれた。
あたたかい彼のぬくもりに、総司は胸の痛みがすうっと遠のいてゆくのを感じた。
「もう大丈夫です……」
「無理はするな。そうだ、水でも飲むか?」
彼の言葉に、総司は不意に喉の渇きを覚えた。
こくりと頷くと、土方は水差しを取り上げた。
柔らかく総司の背に腕をまわして抱きおこし、水差しの口を総司の唇にあてがった。慎重に傾け、水をふくませてやる。
それでも零れた水は、彼のしなやかな指さきが拭いとってくれた。
再び褥に寝かされた総司に、土方は身をかがめた。
そっと唇を重ねてから、優しい声で囁いた。
「もう休め……今夜はずっといてやるから」
「……でも」
総司は口ごもった。
見つめる土方の前で、子供がむずかるように小さく首をふった。
「……怖い……」
「何が」
「目を閉じたら、きっと夢が醒めてしまう……」
そう掠れた声で云った総司に、土方は僅かに眉を顰めた。
訝しげな表情だ。
低い声で問い返した。
「……夢?」
「これは夢なのでしょう……? 私がいつも見る、幸せな夢……」
「……」
「辛い現から逃れるために、私がつくり出した夢。だから……あなたもここにいてくれる。こんなにも優しくしてくれる……」
「総司、俺は……」
何かを、土方は云おうとした。
が、それに総司はまた首をふった。
黙ったまま両手をのばすと、身をかがめていた土方の躯に抱きついた。
「……土方さん」
優しく抱きよせてくれる男の胸もとに顔をうずめ、そっと吐息をもらした。
幸せそうに、夢見るように。
そして。
想いのまま、囁いた。
「……愛してます……」
「!」
男の躯が硬直した。
が、それに気づくことなく、総司は掠れた声で言葉をつづけた。
「あなただけを愛してる……だから、お願い、せめて夢の中だけでは私を捨てないで……」
「……」
「夢の中でまで捨てられたら……私はもう生きてゆけない」
そっと男の胸に頬を擦りつけた。
両手を背中にまわし、縋るように抱きつく。
「あなたを憎んでるふりをして、素直になれなくて、でも……だけど、私はあなただけしか愛さなかった、望まなかった。土方さん──あなたは、私の命そのものだったから……」
「……っ」
次の瞬間、総司の細い体は男の両腕にきつく抱きしめられていた。
背中がしなるほど抱きしめられ、髪に頬をすり寄せられる。その額に瞼に頬に口づけの雨を降らされ、やがて、吐息まで奪うように唇を重ねられた。
激しく、だが、それでいて身も心もとろけそうな甘い口づけ───
男の背に手をまわして縋りつきながら、総司は目を閉じた。
(……あぁ、やはり夢だ。こんな優しい口づけを、私は知らない……)
優しく甘く唇を擦り合わせ、そっと舌をさしいれてくる。柔らかく舌をからめられ、吸われた。
それに少し怯えた総司が僅かに躯を震わせると、宥めるように髪を撫でられた。男のしなやかな指さきが総司の髪を、柔らかく梳いてくれる。
そう……まるで。
大丈夫だ、何も怖くない。
俺がここにいる、おまえの傍にいるから──と。
優しく告げるように……。
「……土方さん」
総司は男の腕の中、小さな声でくり返した。
何度も、何度も。
愛してる──と。
土方さん、あなただけを愛してます。
だから、どうか私を捨てないで……
「総司……っ」
男の腕が息もとまるほど、その躯を抱きしめた。
その幸せに、歓喜に、身の内が震えた。涙があふれた。
土方が優しい手つきでその躯を褥に横たえたのを感じたが、それでも抗わなかった。
肌にふれる男の感触に、熱ゆえの幸せな夢に、総司は甘い吐息をもらした。
「総司……愛してる」
そう囁いてくれた男に、総司は幸せそうに微笑んだ。
夢だから。
これは夢だから、何もかも許されるのだと。
そう、信じて───
……夢を見る。
あなたが私を愛してくれる夢だ。
抱きしめ、優しく微笑みかけてくれるあなたが嬉しくて、幸せで。
私は、あなたの腕の中、そっと囁き返す。
愛してます──と。
決して現では告げられない想いを、あなたに囁く。
なぜなら、これは夢なのだから。
冷たい現から逃げた私がつくりだした、幸せな夢。
だから……お願い。
せめて、夢の中では捨てないで。
もう現と夢の境目さえわからぬほど、あなたを深く狂おしく愛してしまった私を。
捨てないで。
お願いだから。
土方さん。
どうか、夢の中でだけは。
私を、愛して──……
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