この美しい花は俺のものではない
 だが
 そうであるのなら
 永遠に、誰のものにもならなければいいと
 そう、心から願った……

 

 

 

「……美しい花だ」
 そう呟いた土方に、お珠は静かに頷いた。
 若くして夫を亡くしたお珠は仏の道に入り、今は白い尼姿だった。若く美しい姿がゆえに、それがまた妙に痛々しい。
 土方とは一度、男女の関係を結んだことがあった。夫を亡くした直後の事だ。もともと知り合いだった土方に、夫をなくし脆く崩れそうだったお珠は縋りついたのだ。が、それは一度きりの事だった。
「これは牡丹です。あまりお好きではないと思っておりましたが」
「何故です」
「あなたはこれを見られる時、いつもどこか痛ましげな表情をなさいますから」
 そう答えたお珠に、土方は微かに笑った。
 困ったような表情だと、お珠は思った。
「自分ではわからないが……」
 しなやかな指さきで、そっと牡丹にふれながら、土方は低く呟いた。
「この花に別のものを見てるのかもしれない」
「別のものでございますか」
「そう……」
 土方の黒い瞳が深く翳った。
「こうしてふれれば、儚くほろほろと崩れるのに。そのくせ、何にも穢されない。いつも清らかに美しい花に、私は……」
 いったい、何を見ているのか。
 何を、誰を重ねているのか。
 だが、土方はそれきり何も答えなかった。ただ黙ったまま、もう一度、指さきで牡丹にふれた。
 花びらが、ほろりと零れ落ちた……。
 
 

 


 噂がたっていた。
 総司に男がいると、それも隊外のものだと。
 それを聞いた時、土方は自分でも不思議に思うほど冷静だった。
 嫉妬などしなかった。怒りもなかった。
 何故なら、総司は己のものではなかったから。躯を重ねはするが、心は許していない。
 恋人でもなく、もはや兄弟でもなく。
 それでは、あの関係を何と呼ぶのか──?
 土方にはよくわからなかった。
 だが、だからこそ、総司を責める資格などどこにもなかった。総司が誰を愛そうが、誰に抱かれようが自由なのだ。
 怒りも嫉妬もなく。
 それよりも、土方を襲ったのは、云いようのない恐れだった。
 総司が離れていってしまう。
 もう俺には何の関心をもたず、憎むことも何もやめてしまう。
 そして、いつか俺を容赦なく見捨ててしまうのだろう。何の躊躇いもなく。
 そんな日が、すぐそこまで来ているのか?
 もう、おまえは俺を憎むことさえ、してくれないのか?
 深い恐れだけが、日々、土方を支配していた。
 

 

 

 抱きしめると、僅かに身じろいだ。
 そっと褥の上に横たえ、優しく柔らかく唇を重ねた。
 総司は従順に目を閉じ、その口づけを受けた。白い指さきが男の髪にさし入れられ、艶やかにかき乱す。
 肌をすべる男の手に、思わず甘い吐息がもれた。
 が、ふと違和感を覚え、目を開いた。何かが違うと思ったのだ。
「……土方さん……?」
 土方は白い寝着の帯を解きながら、ひどく翳った瞳で総司を見つめていた。掌で総司の白い肌を撫であげながら、何かを探すように視線をすべらせる。
 それに、総司は僅かに眉を顰めたが、すぐにその理由に思いあたった。
 くすっと鈴のような笑い声が、桜色の唇からもれた。
「……探してるのですか?」
「……」
「私の躯に……他の男が残した痕を」
「……総司」
 苦しげにその名を呼び、土方は総司の細い背中に腕をまわした。そっと引きおこされ、抱きしめられる。
 優しい唇が、額に瞼に頬にふれた。
 その男の腕の中、総司は静かに目を閉じた。
 

 



 彼に暴力をふるわれたのは、一度だけだった。
 あの初めて抱かれた夜。
 草むらの中で、嫌がり泣き叫ぶ私を押さえつけ、あなたは男を受け入れさせた。それも残酷に痛々しく私の身も心も引き裂いて。
 あの時、私はあなたに犯されながら、夜空を見上げていた。
 星空がまるで落ちてくるようだった。
 ほら、土方さん。星が綺麗ですよ……。
 そう囁こうとした私を酷く突き上げ、あなたは微かに呻いた。眉を顰め、きつく唇を噛みしめて。
 あの時のあなたの表情。
 まるで……そう。
 あなたが犯されているようだった。傷つけられているようだった。
 もしかすると、それは事実だったのかもしれない。
 あの時、あなたは私以上に傷ついたのだ。私を憎まなければ生きてゆけない、そんな自分に恐れ慄き、絶望したのだ。
 だからこそ、私は歓喜した。
 あなたを男として躯の奥深くで感じながら、その痛みも快楽も超えてしまったどこかで、私はあなたを繋ぎとめえた歓びに、この身を震わせた。
 あなたは私のものだ。
 どんなに苦しくても傷ついても悲しくても、あなただけは逃がさない。
 あなたは、この私に、永遠に繋がれていればいい。
 新撰組副長として誰からも恐れられ、その端麗な容姿で人々を魅了して。誰からも求められるあなたが、こんな私にすがりついてくる。
 捨てないで欲しいと、抱きしめてくる。
 まるで幼い子供のように、私の胸もとに顔を押しつけ、私の体をきつく抱きしめて。
 こんなあなたを誰が知るだろう……?
 綺麗で優しくて、冷たくて、残酷で。
 でも、この世の誰よりも愛しい愛しいあなた。
 あなたから、逃れられないのは。
 捨てないで欲しいと懇願するように思っているのは。
 この、私の方なのに……。
 

 

 

「私が他の男に抱かれるのはいや……?」
 そう、静かな声で訊ねた。
 閨事の後だった。
 横坐りした総司の膝もとに頭を持たせかけ、目を閉じていた土方はゆるく首をふった。
 それに、総司は指さきで男の頬や顎をなぞってやりながら、言葉をつづけた。
「では、何を怖がっているのです」
「おまえが……俺を捨てることだ」
「捨てる?」
 そう呟いてから、総司はしばらく黙っていた。やがて、ゆっくりと身をかがめ、土方の唇に口づけた。しっとり濡れた感触が残る。
「……あなたを捨てたりしませんよ」
「……」
「私はあなたのものですから」
「……」
 微かに、土方が笑った。喉奥で低い笑い声をたてた。
「……嘘が上手くなったな」
「そうでしょうか」
「おまえが俺のものであるものか。おまえはいつでも自由だ。どんなに愛しても、おまえは俺に心をあたえてくれない」
「あげますよ、この躯も心も」
 淡々とした口調で答えた総司を、土方は黙ったまま見つめた。ゆっくりと手をあげ、総司の項に掴んで引き寄せるようにし、そっと唇を重ねた。舌を深くからめあい、互いの熱を感じあう。
 再び身の奥で燻りだした熱を覚え、土方はそのまま総司の躯を腕の中に抱き寄せた。褥の上、艶やかな髪が乱れる。手首をおさえこむようにして組み伏せた土方を、総司はまたあの冷たい瞳で見上げた。
 それに、低く笑った。
 俺のものだと。
 おまえは、俺のものだと。
 そんな嘘ばかりをついて、いったい何が楽しいのだろう。
 見え透いた嘘に騙され、喜ぶ俺でも見たいのか。
 それとも、言葉の裏で、どんなにあがき苦しんでも、俺のものになどならないと告げているのか。
 欲しいのなら、もっと求めろと。
 この身も心も征服してみろと。
 そう、冷たく鮮やかに、おまえは嘲笑しているのか。
 だが、この頃、思う。
 俺が欲しいのは、本当におまえなのだろうか。
 もう──何もかもが、遠い。
 俺が求めているのは、もしかすると、あの幼い日に壊してしまったものではないのか。
 確かにあったはずの。
 あたたかく優しい、二人の──……
「……土方さん……」
 気がつくと、総司がじっと彼を見つめていた。
 その澄んだ瞳に不安と悲しみを見たと思ったのは、幻か。
 もう一度覗きこんだ時には、それは見事な程かき消され、かわりにあったのは、嘲るような冷たい笑みだった。
「しないのですか? 早く抱けばいいでしょう、この躯はあなたのものですから」
 まるで。
 躯以外は他の誰かのものであるような。
「……総司」
 土方は目を伏せると、先ほど丁寧に着せてやったばかりの総司の白い寝着を、荒々しく押しひろげた。むしゃぶりつくように、その白いなめらかな肌に唇をはわせてゆく。
 いつもより激しい男の閨事に、総司は艶かしく喘いだ……。
 

 

 この美しい花は俺のものではない。
 だが、そうであるのなら。
 永遠に、誰のものにもならなければいい。
 それでも、もしも。
 どんなに願っても、奪われるのなら。
 他の誰かのものになってしまうのなら──
 
 
 

「……んん、ぁあ…ぁ……っ」
 濡れた声をあげ、総司が仰け反った。
 白い指さきが褥をつかみ、何度も堪えられぬとばかりに長い髪をふり乱す。
「は、ぁ…ぁっ、ぁあ…ん、土方…さん…っ」
 艶かしく悶える躯の奥深くを、男は己のもので抉るように穿った。すると、また甘い嬌声があがる。
 無理やり総司の手を掴んで引き寄せ、己の背中にまわさせた。そうして、深く激しく揺さぶりをかけてやる。
「ぁ…ぁあ──ッ…!」
 総司が彼の背中にきつくしがみついた。背に鋭く爪をたてられる。
 その甘い疼きにも似た痛みを感じながら、土方は僅かに目を細めた。
(……総司……)
 黒い瞳の奥に。
 獰猛な、昏い焔が燃えあがる。
 それを己でも確かに感じながら、土方は低く笑った……。
 

 



 そう。
 もしも、奪われてしまうなら。
 おまえが他の誰かのものになるのなら。
 いっそ、この手で。
 ……総司。
 愛しいおまえを、殺してしまおうか──?

 
 
 そして、おまえは。
 俺だけの美しい花になる……。





















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