愛してるという
言葉の意味も、わからぬまま
あなたは私に囁くのだ

その残酷なまでの、優しさで……









 総司はふと吐息をもらした。
 柱に凭れ、ぼんやりと夜の中庭を眺めた。
 先日来、あがっていた熱もようやく引いたところだった。
 白い夜着に身を包み、裸足で廊下を歩いた。京特有の刺すような冷えが足元から伝わってくる。
 だが、それでも今更羽織を取りに戻ろうとは思わなかった。
 まっすぐ副長室へむかったが、そこへ辿りつく前に、後ろから鋭い声がかけられた。
「……総司!」
 ふり返った総司の瞳に、足早に歩み寄ってくる男の姿が映った。黒羽二重の羽織を脱ぎながら、こちらへ向かってくる。
 総司の前まで来ると、脱いだ羽織で無理やりその躯をくるみこんだ。
 そして、怒鳴りつけた。
「いったい何考えてやがるッ!」
「……」
 総司は僅かに目を伏せた。細い肩にかけられた羽織から、彼のぬくもりがつたわってくる。
 細く白い指が、ぎゅっと羽織の前をあわせ握りしめた。
「夜中にこんな格好で出歩く奴があるか! おまえ、熱が下がったばかりだろうが」
「……土方さん」
 掠れた声で、総司は男の名を呼んだ。
 彼の羽織に身を包みこまれたまま、熱に潤んだ瞳で土方を見上げた。
 それに、土方は一瞬、眉を顰めた。
「何だ」
「お話があります」
「なら、部屋でしろ」
 そう云うなり、土方は総司の細い肩に手をまわして抱き寄せた。驚いたように見上げる総司に構わず、さっさと自分の部屋へむかってゆく。
 明かりの灯された部屋は、もう火がおこされ程よく暖まっていた。その温かな空気に安堵の息をもらす間もなく、土方は総司を火鉢の前に坐らせた。
「寒くねぇか?」
「はい」
「何かあたたかい物でも持ってこようか」
「……いえ、いいです」
 固い声音で答える総司に、土方は僅かに嘆息した。
 総司の前に腰を下ろすと、その黒い瞳で目の前の若者をじっと見つめた。
「で、何だ」
「……」
「話があるから、ここまで来たのだろう」
「土方さん」
 総司は膝上に置いた両手をぎゅっと握りしめた。
「私を……江戸へ帰して下さい」
「!」
 突然の言葉に、土方は鋭く息を呑んだ。
 それに、総司は言葉をつづけた。
「もし、それが駄目だと云うのなら、一番隊隊長として闘わせて下さい。お願いします」
「……」
 土方は僅かに目を細め、総司を見つめた。
 やがて、低い声で問いかけた。
「……何が云いたい」
「こんな…生殺しの状態は耐えられないのです……!」
 総司は喘ぐように叫んだ。
 なめらかな頬は青ざめ、その大きな瞳だけが熱をおびてきらきら輝いていた。その様が壮絶なまでに美しい。
 そんな愛しい若者の姿に、散りゆく儚さゆえの不吉な美しさを感じとり、土方は思わず眉を顰めた。
 だが、そんな男の表情を、総司は別の意味にとったようだった。
 挑むように彼を見つめた。
「それとも、生殺しなどではないと抗弁するのですか? 飼い殺しとでも云えばいい? あなたは私を檻の中に閉じ込め、惨めにもがき死んでゆくのを見ている。それも、私の苦しむ様を楽しみながら」
「……」
「そんなに私が憎いですか。あなたを拒絶し、あなたの男としての誇りも何もかも踏みにじってきたこの私が!」
「……」
 土方はしばらく総司を無言で見つめていたが、やがて僅かに嘆息した。視線をそらすと、静かな声で云った。
「俺は……おまえを憎んでなどいない」
「……」
「むしろ、俺はおまえを愛してるんだ。それがどうしてわからない」
「わかるはずないでしょう?」
 総司は冷ややかな瞳で彼を見つめ、鋭く云い放った。
「あの夜、幼かった私は……あなたに犯されたのだから」
「……」
 土方の黒い瞳が昏く翳った。ぐっと拳が固められ、男の躯が僅かに強張ったのを感じた。
 それでも、総司は辛辣な言葉をつづけた。
「あなたはこの躯に無理やり男を教え込み、征服した。そんな事をされて、どうして愛されてると? ただ、男の欲望を満たす道具にしてきたくせに」
「総司、俺は……」
「だから、最近、抱かなくなったんですよね。私に厭きたから、こんな病もちの私など抱いてもつまらないから、だから……私を捨てた」
 そう呟き、総司は長い睫毛を伏せた。
 くすっと笑った。
「あなたはもう……私を憎むことさえやめてしまった。今のあなたは私に何の関心ももっていない。でも、だったら、捨ててくれればいいのに。完全に捨て去って、私を自由にしてくれたらいいのに、なのに、あなたは……」
「総司……」
 土方は思わず両手をのばした。
 総司の腕を掴んで引き寄せ、そのか細い躯を抱きしめた。抗おうとするのを抱きすくめ、そのまだ冷えた髪に顔をうずめた。
「もう……頼むから、やめてくれ」
 耳もとにふれた男の声に、総司は白い喉を仰け反らせた。
 嘲りにみちた声で嗤った。
「聞くのが辛い? 全部、本当のことだから聞いているとたまらない?」
「そうじゃない、そうじゃねぇんだ」
 土方は総司の躯を抱きしめ、云った。
「俺はこれ以上、おまえに自分を傷つけて欲しくないんだ……」
「──」
 総司の目が見開かれた。
 男を突き放そうとしていた手がとまり、僅かに震えた。
 それに、土方は切ないまでに真摯な声で言葉をつづけた。
「おまえが俺を罵るのは当然だし、それだけ酷い事を俺はした。だから、おまえが俺を責めるのは構わない、好きなだけ罵ればいいさ。だが、そのことでおまえが傷つくのは、もう見たくねぇんだ。頼むから、そんな自らの傷を掻きむしるような真似はやめてくれ」
「……」
「おまえを抱かなくなったのは、病で弱ったおまえの躯への負担を考えたからだ。俺は……おまえを誰よりも愛してる」
 土方は躯を起こし、総司の細い肩に両手をかけると、その瞳を覗き込んだ。
 総司は長い睫毛を震わせ、戸惑ったように視線をそらしてしまった。が、その頬を手ひらで包みこむと、おずおずと見上げてきた。
 それに、云い聞かせるように、ゆっくりと話した。
「俺はおまえを江戸へは帰さない、絶対にだ。それは、確かに……おまえにすれば苦しい事かもしれねぇ。辛いことなのかもしれない。だが、頼む、俺はおまえを失ったら生きてゆけないんだ。それくらい……愛してるんだ」
 総司は息をつめ、呆然と彼を見上げていた。
 その愛しい若者の体を胸もとに再び引き寄せ、そっと両腕で抱きすくめた。
「愛してる……俺にはおまえだけだ。確かにあの夜、俺はおまえを手に入れることで、別の何かを手にいれようとしていた。だが、愛していたからこそ、抱いたんだ。おまえを俺のものにしたかった」
「そんな事……」
「いや、わかってる、身勝手な男の言い草だと。だが、俺はもう……おまえになら何を云われても構わないんだ。おまえの前では何も繕わない。素のままの身勝手で情けなく、心弱い俺を見てくれればいい。ただ、これだけは信じてくれないか」
 土方は総司の躯を抱きしめたまま、静かな真摯な声で告げた。
「総司、おまえを誰よりも愛してる……」
「……」
 男の腕に抱かれたまま、その告白を聞いた瞬間。
 総司の瞳に涙があふれた。
 まるで真珠のような涙が、なめらかな頬をぽろぽろと零れ落ちてゆく。
 声もなく泣き出した総司を、土方は抱きしめ、髪に頬をすり寄せた。
「愛してる……ずっと愛してきたんだ……」
「……土方…さん……」
 総司はもう彼の名を呼ぶことしか出来ぬまま、ただ土方の腕の中で泣いた。
 子供のように泣いた。
 まるで、あの優しく幼い日々に戻ったように……。
「総司……」
 そんな総司を、土方は抱きしめた。
 抱きしめ、口づけ、囁いた。
 愛してる──と。
 総司は泣きながら彼の背中に手をまわし、きつくしがみついた……。








 愛してるという、言葉の意味もわからぬまま。
 あなたは私に囁くのだ。
 その残酷なまでの、優しさで。
 だが、それは何も知らぬからこそ、できる事なのだろう。
 あなたのその囁きに、私が泣きたくなるほど歓喜し、そして──どれほど深く絶望するか知らないからこそ。



 だから……お願いです。
 お願いだから、もう囁かないで。
 誰よりも愛しいあなたを、酷い生き地獄へ引きずりこんだ私を。
 あなたを苦しめ傷つけ、拒みつづけた残酷な私を。
 優しく抱きしめないで。
 愛してると囁かないで。



 でなければ、私は信じてしまう。
 あなたの言葉を。
 あなたの愛を。
 愚かにも信じてしまう。
 私は、あなたに愛されているのだと。
 そんな儚い夢を──信じてしまう。



 私は、この愚かな私は。
 幼い日から。
 あなたに愛されたいと、ただ、それだけを願ってきたのだから……。








 久しぶりの情事の後、総司は土方の腕に抱かれていた。
 あたたかい褥の中、身を丸める総司の体を抱きすくめ、土方は優しく囁いてくれた。
 愛してると。
 何度も。
 その残酷な愛の言葉を。
「……」
 それに、総司は静かに目を閉じた。





 ……土方さん、あなたを愛してる。
 この世の誰よりも愛してる。
 でも。
 こんな何もかも失った私が、あなたに愛されるなんて。
 すべてを手にしていたあの頃の私ではない。
 もう何一つもちえない、惨めでちっぽけな今の私が愛されるなんて。
 そんなこと……本当に許されるのでしょうか。








 なめらかな頬を、静かに涙がつたい落ちた。
 こみ上げる感情を押し殺すように、総司は声もなく泣いた。
 そんな総司に、土方は囁いた。
「総司……もう一人で泣くな」
 彼の胸もとに顔を押しつけた総司を、そっと抱きこんでくれた。まるで子供をあやすように、何度も優しく背中を撫でさすってくれる。
 幼い頃、彼自身がそうしてくれたように……。
「おまえには俺がいる。俺がいて、おまえを愛してる。だから……もう一人で泣くな」
「……土方さん……」
「総司、おまえは独りじゃないんだ……」
「……」
 彼の言葉を聞き、理解した瞬間。
 涙に濡れた瞳が、大きく見開かれた。
「……土方…さん……」
 その時、総司は知ったのだ。
 ずっと長い間、自分がいったい何を求めてきたのか。
 彼に愛されたかった。
 彼に憎しみなど向けられたくなかった。
 ──そして。
 一人ぼっちでいたくなかった。
 この冷たく荒涼とした世界で、独り立ちつくし必死に戦い叫んで抗って。
 それでも、淋しかった。
 大声で泣き出してしまいたいぐらい、淋しくて淋しくてたまらなかった。
 何よりも……
 愛する人のぬくもりが欲しかった。
 おまえは一人じゃない、おまえを愛する俺が傍にいると。
 ずっと、そう彼に云ってほしかった───
「土方さん……」
 総司はゆっくりと両手をのばし、土方の背中にまわした。
 その鼓動、ぬくもり、心。
 誰よりも愛おしい彼のすべてを、感じるように求めるように、その胸もとへ頬を寄せた。
 彼の鼓動が、静かに聞こえた。
 確かな、生きてる証。
 愛しい愛しい、彼の命……
 そして。
 総司はその言葉を告げた。
 囁くような声で。
 もう十年以上前から、何度も何度も。
 心の中だけで告げていた、ただ一つの言葉を。
「……」
 それに、土方は黙ったまま抱きしめてくれた。
 もう、二人の間に言葉さえいらぬのだと、そう告げるように。
 ただぬくもりだけで、傍にいることだけで。
 自分たちは、わかりあえるはずなのだと告げるかのように───
「土方さん……」
 そんな彼の腕の中、総司は静かに目を閉じた……。








 そう。
 私たちに、言葉はもういらない。
 ただ、傍にいられるだけで、すべてが救われるのだから。
 こうして、あなたの傍にいることしか、私はもう望まないのだから。



 もう告げない。
 あなたも囁かない。
 その残酷な愛の言葉を。
 これは恋でもなく、愛でもなかったのだから。
 こうして、互いのぬくもりを感じあう幸せさえ、知らなかったのだから。



 ……そして。
 私たちは、あることを静かに始めたのだ。
 人が人であるために。
 何よりも……大切な行為を。








 この冷たい世界の中
 つがいの鳥のように寄りそい
 互いを慈しみ
 心から、深く愛しあう



 ただ、そのことだけを──……





















 

{あとがき}
 「恋でもなく愛でもなく」完結です。なんか甘いラストだなとは思いますが、でも、私はどうしても総司を幸せにしたかったのです。あれだけ苦しみ泣けば十分だと思ってました。この後、土方さんと総司は心から互いを理解し、静かに愛しあう日々を過ごしてゆくのだと思います。
 私が書くお話は、二人のすれ違いが多いです。むしろ、それがテーマみたいな。このシリーズの場合、それがもっとも顕著に出たものだと思います。暗いお話でしたが、これもまた私の中にある一部分です。このシリーズが好きだと応援してくださった方々、本当にありがとうございました。皆様のおかげでここまで書けました。
 少しでも、このお話が皆様の心の中に残れば、幸いです。
 最終話までお読み頂き、ありがとうございました。


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