人はなぜ、一人で生きられないのだろう
生まれ落ちた孤独ゆえか
淋しさゆえか
もしそうであるのなら……
苦しみ、傷を抉りあい
憎しみと愛に互いを鎖で繋ぎあい、どこまでも堕ちてゆく
そんな地獄のような関係であっても
土方さん
あなたは、私を望んでくれるのでしょうか……?
静かな表情で、片手をさしのべた。
その白い手に懐紙が渡される。
血濡れた刀を無造作に拭うと、総司はその美しい銀色の輝きに目を細めた。
冷ややかな瞳が、前に坐る人々を見据えた。
否、その真ん中。
他の者がすべて総司を見つめる中。
ただ一人だけ。
友人の亡骸を、呆然と見つめている男を。
(……そんな子供のような顔で……)
総司はそっと唇を噛んだ。
あなたは、そんな泣き疲れた子供のような表情で、この人を見るのか。
では──生前。
あなたは、この人の前で、そんな表情を見せていたのだろうか。
心を許し、子供のように優しいあなたの本質そのままの、笑顔を、瞳を、見せていたのだろうか。
もし、そうなら──私はあなたを許さない。
絶対に許せない。
たとえ、それが私との地獄に疲れ果てたあなたが見つけ、逃げ込んだ唯一の場所であったとしても。
否、そうであるのなら、尚のこと許せないだろう。
……土方さん。
あなたが縋るのは、この私だけであればいいのだから。
「……」
総司は静かに踵を返した。
血生臭い部屋を後にして。
まるで何事もなかったようにその場から立ち去る総司の背後で、誰かの低い嗚咽が響いた……。
夜、珍しく土方が総司の部屋を訪れてきた。
何度も躯を重ねた二人だが、いつも部屋を訪れるのは総司の方だった。むろん、それは土方に誘われてのことだ。
そうして他に隊士たちが大勢いる屯所の片隅で、何一つ躊躇うことなく隠すこともなく、二人は熱く激しく抱きあった。
むろん、当然のことながら噂は広がった。
二人の関係は隊では公然のものだった。
そのため、総司をそういう目で見る隊士も多かったが、誰も口には出さなかった。
総司自身の苛烈なまでの厳しさ、美しいがゆえの残酷な冷たさは、よく知られていたからだ。
己を侮辱するものを、総司は決して許さなかった。
総司が自分のすべてを許すのは、この世でただ一人。
誰よりも愛する男──土方だけだった。
だが、それを土方自身は知らない。
「……珍しいですね」
部屋を訪れた土方を、総司は褥の上で見上げた。
艶然とした笑みをうかべ、白い手を柔らかくさしのべた。
「云って下されば、部屋に行きましたのに。わざわざ、あなた自身が来られなくても……」
「総司」
「そんなに私の躯が欲しいですか? 血が滾っているという訳ですか? ……大切な友人を殺して」
「総司……っ」
思わずともいうように、土方がその名を叫んだ。
それを、総司は冷たく澄んだ瞳で見上げた。
「何でしょう、副長」
だが、それに答えは返らなかった。
いきなり土方は跪くと、そのまま総司の躯に抱きついてきたのだ。細い腰を抱きしめ、子供のように顔をうずめてくる。
我を忘れたような男の様に、総司はちょっと息を呑んだ。
が、すぐに静かに低く笑ってみせた。
「……まるで、親を亡くした子供のようですね」
「……」
「そんなに大切でしたか? あなたにとって、山南さんはそんなにも大切な存在だった?」
「……総司、総司……俺は……っ」
「なら、どうして殺したのです? いいえ……もう、そんなことを聞きません。私はあの人を連れ戻し、この手で殺しました。云ってみれば、あなたと同罪です。あなたと同じように、この手は真っ赤な血で穢れきっている」
そう云ってから、総司はくすくすと笑った。
まるで鈴を転がすような、澄んだ綺麗な笑い声。
その綺麗な笑顔も、穢れ一つ知らぬ美しい花のごとくだ。
「あの人が好きだった? 心を許していた? でもね、土方さん……あなたにとって、山南さんはいったい何だったのです?」
「……総司……」
「あの人に縋って、安らぎを求めて利用して。結局ね、あなたはあの人の優しさを利用しただけなんですよ。何でも受け入れる山南さんを、あなたは利用し、そして──隊の存続と引き換えにその手で殺した」
男の艶やかな黒髪を指さきで優しく梳いてやりながら、総司はゆっくりと唄うように、残酷な言葉を囁いた。
「なんて身勝手な男でしょうね。あなたはその綺麗な優しい笑顔で、たくさんの人の心を惹きつけ惑わし、そして、最後の最後で切り捨てるのです……」
「……」
土方は何も答えなかった。
黙ったまま、総司の刺すような言葉を聞きながら、固く目を閉じている。
その苦しげな、切ない表情をうかべた端正な顔を見つめ、総司は言葉をつづけた。
「でも、あの人は決してあなたを憎まなかったでしょう。最後の最後まで、山南さんはあなたを責めようとしなかった。静かに己の死を立場を受け入れていた」
「……」
「最後の二人だけの一時、山南さんはあなたに云ったのでしょう? 自分の死はあなたのせいではない、この事で、あなたが苦しむ必要はないのだ──と……」
「……どうして、それを」
土方は驚いたように顔をあげた。躯を起こし、総司を見つめた。
「何故、それを知っているんだ……?」
その僅かに潤んだ黒い瞳を見つめ返し、総司はそっと微笑んだ。
僅かに小首をかしげてみせた。
「さぁ……どうしてでしょうね」
そう云いながら、土方を静かに見つめた。
愛しい男の端正な顔には、疲労と悲しみ、憂いの翳りが堕ちていた。それを自分に見せてくれるとい事実に、残酷なまでの愉悦を覚えながら、総司は薄く笑んだ。
「……」
しばらくの間、土方は無言のまま総司を見つめ返していた。が、やがて、そっと目を伏せた。
疲れたような笑みを、口許にうかべた。
「……皆、俺を残していくんだな」
低い声がそう呟いた。
黙って見つめる総司の前で、ゆっくりと言葉をつづけた。
「母も父も、姉も、お琴も、……山南も、皆、行っちまった」
「……」
「俺はそういう定めなのかもしれねぇな。いつでも心から求めた誰かは、どんなに叫んでも泣いても、俺を見捨て去ってしまう……」
もしかしたら、彼は泣いていたのかもしれない。
涙を流さぬまま、心の奥底で子供のように。
そんな土方を、総司は静かに見つめた……。
……土方さん。
誰よりも可哀そうな、誰よりも愛しいあなた。
大勢の人に囲まれ、求められて。
なのに、こんなにもあなたは一人だ。
深い孤独の闇の中、いつも、あなたは一人立ち尽くしている。
まるで、泣き疲れた子供のような瞳をして。
自分を愛してくれる、自分を包み込んでくれる誰かを、いつまでも探しつづけて。
金も名誉も地位も、女も力も。
その端麗なまでの容姿も、何もかも手にしながら。
そのくせ、あなたが本当に望むものは決して手に入らないのだ。
どんなに大切に愛しても求めても、あなたの指の間から、そのすべては零れ落ちていってしまう。
でも。
それならば……土方さん。
私だけはあなたの傍に在ろう。
いつまでも、あなたの傍に。
それは、決してあなたが望むことではないだろうけれど。
私とあなたがゆく道は、涯さえわからぬ修羅だ。
文字どおり、地獄の道つれだ。
それでも、私はあなたの傍に在るだろう。
この世の誰よりも愛しいあなたの傍に、私だけはいつまでも───
「……土方さん」
総司はそっと両手をのばし、土方を抱きしめた。
その細い両腕で包みこむように守るように、男の躯をかき抱いた。
そして、静かに囁いた。
「私ではだめですか……?」
若者の言葉に、男の目が見開かれた。
驚きにみちた表情で息をつめ、じっと総司だけを見つめている。
「あなたの傍に、私がいます。たとえ、あなた自身が望まなくても求めなくても、それでも、私は……」
「……総司……」
土方は吐息のような声で、その名を呼んだ。
ほっそりとした総司の躯を抱きしめると、その胸もとに顔をうずめた。
しばらく黙っていたが、やがて、祈るように固く目を閉じた。
「……おまえさえいてくれればいい」
掠れた声が答えた。
「それしか、俺はもう望まない……」
男の言葉に、総司は何も答えなかった。
ただ黙って愛しい男の背に手をまわすと、目を閉じ、静かに微笑んだ……。
人はなぜ、一人では生きられないのだろう。
生まれ落ちた孤独ゆえか、淋しさからか。
だが、今。
あなたは私を望んでくれた。
傍にいることを許してくれた。
たとえ、私たちの関係が呪われたものであっても。
この先、幸せなどありえぬとわかっていても、それでも。
私たちは離れられないのだから。
……ほら。
あなたのしなやかな指さきは、私の指にからめられて。
きつく強く、抱きしめて。
この身も心もとけあわせ、あなたと私が堕ちてゆく先が、たとえ地獄であったとしても。
愛しいあなたとなら、かまわない。
私にとって、これほどの幸せはないでしょう。
だから……お願い。
土方さん。
この手を決して離さないで───……
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