真夜中、ふと目が覚めた。
理由なんてわかっている。
ある夢を見たせいだった。
怖くて悲しい夢。
とらえどころがなくて、そのくせ鮮やかで、記憶に強く刻みこまれた夢。
過去ゆえの、そして、現実にも繋がる夢だった。
「……」
のろのろと両手をあげ、口許をおおった。
夢の中の。
現実でも見た、彼の冷たい瞳が蘇った。
まるで──否、確実に他人を見るようだった、男の瞳。
怜悧で静かで、何の感情も映し出していない。
思わず覗きこんでも、ただ自分の姿を映し出すだけだった黒い瞳。
静かで冷ややかな鏡のような。
波紋一つ残さず、沈みこんでゆく夜の湖のような。
自分の心の奥までも闇に染めかえていった、彼のまなざしが、今も鋭く胸奥を貫いた。
「……」
突然、怒涛のように押し寄せた黒い感情に、薄闇の中で、総司は呆然と目を見開いた。
悲しみと悔しさ、怒り、恐怖、不安。
そのすべてが総司の中で渦巻き、やがて、涙となって激しくあふれ出したのだ。
「……っ」
総司は両手を唇でおおったまま、低く嗚咽をあげた。
その、瞬間だった。
「……」
微かな吐息が、傍らで聞こえた。
やがて、ぬくもりが肩口にふれる。そのまま柔らかく背中から抱きすくめられた。
総司は息を呑んだ。
一瞬、何もかもがわからなくなる。
ここが何処なのか。いったい今がいつなのか。
「……土方…さん……」
そう囁いた声に、応えは返らなかった。
ただ、柔らかな寝息だけが首筋にふれる。夢うつつのまま、男は両腕で抱きすくめてきた。
まるで──何もかもから守るように。
世界のすべてから、悲しみから、夢から、そして……総司自身の心からも。
「……」
男の腕の中、総司はゆっくりと向きをかえた。
向かいあわせになり、眠る男の顔を見上げた。
シャンプーしたての黒髪がさらりと額にかかり、まるで少年のような寝顔だった。男にしては長い睫毛が頬に翳りを落とし、僅かに開かれた唇がどこかあどけない。
ようやく帰りついた彼の家で、土方は安らかに眠っているようだった。
昨日までは傍にいてくれなかった彼。
失いかけた彼。
もう長い間、その身も心も総司から遠く離れてしまっていた彼。
あれはもう過去の事なのだと。今の彼は全部思い出し、もとの優しく愛しい彼に戻ってくれたのだとわかっていながら、それでも。
(ぼくは……怖いんだ)
総司は小さく吐息をもらし、手をのばした。そっと彼に寄り添うと、その胸もとに耳を押しあてた。パジャマごしに感じる彼の体温、とくんとくんと聞こえる彼の鼓動。
何もかも、確かに愛しい彼だった。
総司だけを愛してくれる、男だった。
なのに、自分はまだ怖いのだ。不安なのだ。
ようやく取り戻せた幸せが、今にも消えてしまいそうで。こちらの方が夢ではないかと、思わず疑ってしまうほど……。
「……っ」
己の考えに、総司はぶるっと身震いした。
思わず土方の胸もとに縋りつくと、その背中に両手をまわしてぎゅっと抱きついてしまう。だが、その動きはさすがに彼を起こしたようだった。
「……ん……」
薄く、その目が開いた。
まだ夢心地に霞んだ黒い瞳が、ぼんやりと総司を見つめた。
だが、涙目の総司にすぐ気がついたのだろう。僅かに瞬きすると、すぐさまその黒い瞳は力を取り戻した。
「……どうしたんだ」
それでも、まだ寝起きの掠れた声で土方は訊ねた。
片肘をついて身を起こし、総司の顔を覗き込んだ。そっと男の指さきが、涙に濡れた頬にふれた。
「泣いていたのか? いったい、どうして……」
「……土方…さん……」
震える声で、総司は彼の名を呼んだ。
だが、それだけですべては伝わったのだろう。
土方は眉を顰めた。
痛ましげな──それでいて悔恨にみちた表情になると、僅かに唇を噛んだ。
「……俺のせいか」
「……」
黙ったまま総司はふるふると首をふった。土方の胸もとに頭を押しつけ、固く目を閉じる。その小柄な躯に男の腕がまわされ、優しく守るように抱きすくめられた。
土方は総司の髪を撫でながら、囁いた。
「……ここにいるよ」
「……」
「俺はここにいる、総司……おまえの傍に」
もう謝罪の言葉を、彼は口にしなかった。
むろん、幾らでも出来ただろう。だが、それを今口にすれば、尚更、総司が悲しむのだと知っていた。今はただ、総司の不安を取り除くことの方が大事なのだ。
土方は痛いほどよくわかっていた。
あの無理やりの行為もそうだが、それ以上に、記憶を失っていた彼の行動すべてが総司の心に深い傷を残しているのだ。それを、何とかして癒してやりたかった。
傷つけたのも彼自身なら、その傷を癒すことができるのもまた、彼だけであるはずだった。
土方は総司の前髪をかきあげ、その額にそっとキスを落とした。瞼に、頬に、唇に。甘く優しいキスを落としてやりながら、静かな声で囁きかけた。
「総司、愛してるよ……世界中の誰よりも」
「……土方さん」
「もう俺はどこにもいかない。おまえを離さない。俺はいつまでも……おまえだけのものだ」
「……」
総司の瞳にまた涙があふれた。
が、それは先ほどまでの不安と悲しみにみちたものではなかった。
安らぎと喜びの涙だった。
「……愛してます」
それだけを囁くと、総司は両手をのばした。彼の頬にふれ、自ら唇をよせてゆく。
土方は一瞬だけ目を見開いたが、すぐそのキスに応えた。できるだけ総司を怖がらせないよう、優しく甘いキスを返してやる。
最後に頬にキスしてから、タオルケットを総司の肩まで引き上げた。
すっぽりと両腕で優しく抱きこんでやりながら、微笑んだ。
「さぁ……おやすみ。大丈夫だ、俺はおまえの傍にいるから」
「うん……」
総司はこくりと頷いた。
「おやすみなさい、土方さん……」
そう云うと、彼の腕の中、まるで子供のように身を丸めた。
土方はその柔らかな髪にもう一度だけキスを落とした。
そして、愛しい愛しい存在を抱きしめると。
優しい声で囁いたのだった。
「おやすみ、俺の総司……」
……もしかすると
これからも怖い夢を見るかもしれない
真夜中にまた起きて泣くかもしれない
でも……大丈夫
こうして抱きしめてくれる人がいるから
あなたが傍にいてくれるから
そして
ぼくはあなたの腕の中
優しい夢を見る……
……Have a nice dream.
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[あとがき]
本編Uのラストシーンから数時間後の夜です。いれるべきかどうか悩んだのですが、総司の揺れる気持ちをきちんと書いておきたかったのでupしました。総司の傷は深く、そんな簡単に癒されないのだと。でも、土方さんがちゃんと愛してあげるから、大丈夫なんだと。そう書きたかったんです。二人一緒にいれば、愛があれば、強くなれるのさ! >
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